資本主義vs共産主義(徳本栄一郎著『田中清玄』から) [本・書評]
若い頃はなにかと極端な考えに陥りがちだ。上記書籍に次のような記述がある。
********ここから、引用******
共産党時代、田中は、世界を、資本主義vs共産主義という単純な構図でしか見ていなかった。前者は、ごく一部の富裕層と権力者が大衆を搾取する、絶対的な悪で、何としても倒さねばならない。逆に後者は、大衆を救う絶対的な正義で、革命のためなら命も懸けた。
いわば、白と黒、正義と悪の二元論で、それもマルクスなど書物から得た知識だった。
ところが、(山本)玄峰老師の教えは、資本主義と共産主義、そのどちらとも違った。しかも、まずイデオロギーを捨て、目の前の現実から、政治とは、経済とは、を考える。
また老師は、口先で「世のため」「国のため」と公言するような偽善を、決して許さなかった。まず己を整えられない者が、世の役に立つはずがない。目は悪くても、田中の口ぶりに微かな偽善、共産党時代のような英雄願望を感じとったのかもしれない。
こうして、体内に溜まったイデオロギーという有毒物質を解毒したのだが、この修行こそ、今の田中に必要と玄峰は思っていたようだ。当時、龍澤寺で老師が居住する隠寮の壁には、一人の女性の写真が飾ってあった。
「これは、老師のお母さんのお写真ですか」
そこを訪れた客人は必ず、怪訝そうにこう訊いたという。その写真は、かつて、共産主義運動に走った息子を改心させようと命を絶った田中の母、アイであった。
**(以上、「第3章 禅寺修行と昭和天皇~戦時中から戦後」p124から引用)**
ここに登場する玄峰とは、禅僧山本玄峰を指す。五一五事件に先立つ血盟団事件の裁判において犯行に及んだ者の特別弁護人となったことを聞き知ってはいたが、上記書籍から刑務所に通い教誨の仕事もしていたのを知った。その恩恵に田中清玄も預かったということになる。田中から母親のことを聞いて玄峰は感動したにちがいない。
明治おんなは凄かった [本・書評]
上記書籍に田中とその母親のことが記されている。
哲学者の鶴見俊輔が母親について語ったことに似ている。
吉田松陰と後藤新平と小沢一郎
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2009-07-06
田中は1906(明治39)年、鶴見は1922(大正11)年の生まれで、母親はどちらも士族出の明治女である。
明治生まれの母親がどんなだったか知ることができる。
いまのおかあさんたちはどのように感じるだろうか。
******以下、引用**********
「函館の小学校に入学した頃、その余りの腕白ぶりに業を煮やしたアイは、田中を教会に通わせることにした。そこの日曜学校で、少しは素行がよくなると期待したのだが、それは見事に裏切られた。「この子は本当に言うことをきかん子だと。あんまりきかないからというので、メソジスト教会にもやられた。小学校四年か五年の時だった。しかし、牧師の言うことなんか面白くもなんともないんだよ。日曜日の朝九時からの日曜学校だった。行った印にルカ伝の言葉とかエホバの言葉などの入ったカードを毎回くれるんだが、いわばこれが出席証明書のようなものだ」(大須賀瑞夫『評伝 田中清玄』勉誠出版)
「俺は教会から帰る子供を待ち受けていて、カードを取り上げるとそれを家に持って帰って『行った』ということにして、本当はそこいらで遊びほうけていたわけだよ。ある時、牧師と会った母が、『息子がご厄介になっています。きかなくてさぞご迷惑でしょう』と言ったら、『いや、お宅の坊やは二回来ましたね。一度はお母さんと。もう一度は一人で。その後は全然来ませんね』。それを聞いて母は激怒したんだな。俺をひい爺さんの田中玄純の墓前に引きずってゆくと、首に短刀を突き付けて、ここでお前の首を刎ね自分は腹を切って先祖にお詫びすると。短刀といっても真剣だからね。本当に怖かった。謝ったよ。それからは行儀をつつしんで教会へ行った」(同)p86
田中はのちに共産主義革命に熱心になる。武装闘争をおこなう。そのことで母親は自決(自殺)するに至る。以下は、その遺書。
「私はお前のために死んでゆく。お前は私を裏切った。なぜなら、お前は共産主義者になって、上は神を冒瀆し、下は国民の皆様に非常な迷惑をかけている。このような非国民を出したのは私の責任である。私は、先祖及びお前の亡き父に対して申し訳がない。そこで一身に代えてお詫びを申し上げる。お前は、私の死を空しくすることなく、犯した罪はいかなる罪であろうと、全部申しあげ、刑はいかなる刑であろうとも、臆することなく立派に服し、もし死刑を宣告されたなら、会津の家老の孫らしく、潔く刑に就け。それが、母の願いである」p82
「田中が共産主義を捨てる「転向」を宣言したのは、(母親)アイの死から四年後、一九三四年三月である」。p84
今、『田中清玄 二十世紀を駆け抜けた快男児』を読んでいる。 [本・書評]
今、『田中清玄 二十世紀を駆け抜けた快男児』を読んでいる。
これまで当方が見聞きした人物のなかでも、とりわけ破格である。極左と極右をひとりで体現したかの人生をおくった。戦前、共産主義革命に命を懸け、懲役も経験した。戦後、発電所を破壊しようとする共産党の工作を妨害するために暴力も辞さなかった。ポケットマネーで全学連を支援した。日本の石油調達のために骨をおった。
その友人には禅僧の山本玄峰がおり、ザイードUAE大統領がおり、ノーベル経済学賞を受賞したハイエクがおり、ハプスブルク家の大公がおり、いまでいう「反社」の山口組三代目組長田岡一雄がいる。あえていえば(田中は畏れ多いと言うにちがいないが)その訪中のために尽力した昭和天皇もそのおひとりと言っていいだろう。
一見、瓢箪ナマズのような「得体の知れない」人物である。しかし、その人生の軌跡を追うなら、けっして難解ではない。自分の見るところ信じるところに従って「二十世紀を駆け抜けた快男児」である。そして、なによりも印象に残るのは、その先見の明であり、行動力である。
著者は、読者のまえに至極単純な人間像を示してくれた。しかし単純とばかにしてはいけない。こんな人物はそうそう滅多に出るものではない。
けさYouTubeを見ていたら次の動画を見出した。というより、AIが教えてくれた。上記書籍を読んでいることもあって、(特に6分22秒~)興味深く視聴した。
【茂木健一郎×堤未果】 全てを伝えないメディア!情報操作されないための重要なポイント!
https://www.youtube.com/watch?v=nYiHGGr3TTI
これまで当方が見聞きした人物のなかでも、とりわけ破格である。極左と極右をひとりで体現したかの人生をおくった。戦前、共産主義革命に命を懸け、懲役も経験した。戦後、発電所を破壊しようとする共産党の工作を妨害するために暴力も辞さなかった。ポケットマネーで全学連を支援した。日本の石油調達のために骨をおった。
その友人には禅僧の山本玄峰がおり、ザイードUAE大統領がおり、ノーベル経済学賞を受賞したハイエクがおり、ハプスブルク家の大公がおり、いまでいう「反社」の山口組三代目組長田岡一雄がいる。あえていえば(田中は畏れ多いと言うにちがいないが)その訪中のために尽力した昭和天皇もそのおひとりと言っていいだろう。
一見、瓢箪ナマズのような「得体の知れない」人物である。しかし、その人生の軌跡を追うなら、けっして難解ではない。自分の見るところ信じるところに従って「二十世紀を駆け抜けた快男児」である。そして、なによりも印象に残るのは、その先見の明であり、行動力である。
著者は、読者のまえに至極単純な人間像を示してくれた。しかし単純とばかにしてはいけない。こんな人物はそうそう滅多に出るものではない。
けさYouTubeを見ていたら次の動画を見出した。というより、AIが教えてくれた。上記書籍を読んでいることもあって、(特に6分22秒~)興味深く視聴した。
【茂木健一郎×堤未果】 全てを伝えないメディア!情報操作されないための重要なポイント!
https://www.youtube.com/watch?v=nYiHGGr3TTI
体(カラダ)のカラは、もみ殻の「殻」 [本・書評]
体(カラダ)のカラは「殻」から来ていると聞く。もみ殻のカラである。
年齢とともに知識を得て、いくらか頭が良くなったような気がしているが、事実そのとおりであるとしても、みんな貰ったものである。殻(カラ)のなかに知識を入れさせてもらっただけだ。
そういう意味もあって当方のハンドルネームを「環虚洞」としている。所詮空っぽの洞窟みたようなものだよということである。偉そうなことをたとえ書いたとしても、所詮みんな貰い物、頂き物、なにも偉くなどありません。
今『ストーリーが世界を滅ぼす―物語があなたの脳を操作する』という本を読んでいる。そこにオモシロイことが書いてある。以下に引用してみる。
(以下、引用)
こう考えてほしい。私たちは自分の頭の中に入っている情報を、ほぼ一つも自分で発見していない。私たちの知識は圧倒的に、他人から聞いた、大部分は怪しげな情報に基づいている。つまり人々が「間違った」信念を持っているのはたいてい、間違った典拠を信用しているからだ。したがって信念が真実であるかどうかの判断を、信念の持ち主に対する自分の道徳的判断とは切り離すように心掛けるべきだ。悪い信念を持つ人々は悪い人々だと私たちは当然のように結論づける。しかしこの結論はまったく不合理な結論である。概して「悪い人々」とは単に、間違ったストーリーテラーに遭遇し、その人物を信じてしまった不運な人々なのだ。
このような考え方は、単純化して安心させてくれるフィクションを私たちから剥ぎ取り、道徳家ぶる気持ちよさを奪う。しかしそのかわり、もっといいものを残してくれる。人間の行動に対するもっと愛ある目と、互いにわかり合えるチャンスだ。「彼ら」のーあなたにとっての「彼ら」が誰であれー世界観の物語があなたの物語とは噛み合わず気に障ったとしたら、彼らはかわいそうな人なのかもしれない、場合によっては恐れるべき相手なのかもしれないが、軽蔑の対象ではないと理解しよう。あなたがそうすれば、「彼ら」があなたに対して同じ敬意を払ってくれる可能性は高い。
(第6章 「現実」対「虚構」p219)
年齢とともに知識を得て、いくらか頭が良くなったような気がしているが、事実そのとおりであるとしても、みんな貰ったものである。殻(カラ)のなかに知識を入れさせてもらっただけだ。
そういう意味もあって当方のハンドルネームを「環虚洞」としている。所詮空っぽの洞窟みたようなものだよということである。偉そうなことをたとえ書いたとしても、所詮みんな貰い物、頂き物、なにも偉くなどありません。
今『ストーリーが世界を滅ぼす―物語があなたの脳を操作する』という本を読んでいる。そこにオモシロイことが書いてある。以下に引用してみる。
(以下、引用)
こう考えてほしい。私たちは自分の頭の中に入っている情報を、ほぼ一つも自分で発見していない。私たちの知識は圧倒的に、他人から聞いた、大部分は怪しげな情報に基づいている。つまり人々が「間違った」信念を持っているのはたいてい、間違った典拠を信用しているからだ。したがって信念が真実であるかどうかの判断を、信念の持ち主に対する自分の道徳的判断とは切り離すように心掛けるべきだ。悪い信念を持つ人々は悪い人々だと私たちは当然のように結論づける。しかしこの結論はまったく不合理な結論である。概して「悪い人々」とは単に、間違ったストーリーテラーに遭遇し、その人物を信じてしまった不運な人々なのだ。
このような考え方は、単純化して安心させてくれるフィクションを私たちから剥ぎ取り、道徳家ぶる気持ちよさを奪う。しかしそのかわり、もっといいものを残してくれる。人間の行動に対するもっと愛ある目と、互いにわかり合えるチャンスだ。「彼ら」のーあなたにとっての「彼ら」が誰であれー世界観の物語があなたの物語とは噛み合わず気に障ったとしたら、彼らはかわいそうな人なのかもしれない、場合によっては恐れるべき相手なのかもしれないが、軽蔑の対象ではないと理解しよう。あなたがそうすれば、「彼ら」があなたに対して同じ敬意を払ってくれる可能性は高い。
(第6章 「現実」対「虚構」p219)
「伝える場」をつくるゴキブリの「存在感」のすごさ [本・書評]
昆虫への関心を子どもの頃からもっていて昆虫館に就職したものの、ゴキブリはダメで敬遠してきた方が、ゴキブリ研究を始めて学術論文を書くにいたる。そういう本を読んだ。
以下の本である。
そこにゴキブリのパワーについて記されている。昆虫館で「ゴキブリ展」を開催したら、それまで身近にあっても認知されず、いわば素通りされてきた昆虫館に足を運んでもらえたというのである。(以下「・・」は上記書籍の引用)
「こういった方とお会いするうちに、『ゴキブリは、伝えることにおいて、とんでもないポテンシャルを秘めた生き物なのではないか?』と思い始めました。興味のない人でも、つい気になって見に来てしまう。つまり「伝える場」を作ってしまう、すごい生き物なのではないかと。
(中略)
だから私は、『ゴキブリは、嫌われてるからおもしろい』と思うのです。嫌われ者として大きな存在感をもっているからこそ、生き物に興味がない人にも『知りたい』と思わせる。そして、生き物の素晴らしさ、自然の大切さに気づくきっかけをつくってくれる。これはきっと、ゴキブリにしかできないことです。(p162-3)」
以前どこぞやで役者は「存在感」さえあれば、あとは何とかなってしまう、というような話を聞いたことがある。その点からいくとゴキブリは押しも押されもせぬ大看板であるということだ。
いつぞや「ペヤング・ソースやきそば」にゴキブリが混入していたということで大騒ぎとなり、メーカーは半年ほど休業して工場の徹底改善を図り、そのことが好評価されて、その後売り上げを伸ばしたことがあった。それも考えようによってはゴキブリ様の「存在感」のお蔭で「伝える場」が作られ、大々的な宣伝となったから、と言える。
まさにゴキブリ様様である。
「ペヤングソースやきそば」“刷新”なる。小渕優子元大臣の場合は・・
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2015-06-09
以下の本である。
そこにゴキブリのパワーについて記されている。昆虫館で「ゴキブリ展」を開催したら、それまで身近にあっても認知されず、いわば素通りされてきた昆虫館に足を運んでもらえたというのである。(以下「・・」は上記書籍の引用)
「こういった方とお会いするうちに、『ゴキブリは、伝えることにおいて、とんでもないポテンシャルを秘めた生き物なのではないか?』と思い始めました。興味のない人でも、つい気になって見に来てしまう。つまり「伝える場」を作ってしまう、すごい生き物なのではないかと。
(中略)
だから私は、『ゴキブリは、嫌われてるからおもしろい』と思うのです。嫌われ者として大きな存在感をもっているからこそ、生き物に興味がない人にも『知りたい』と思わせる。そして、生き物の素晴らしさ、自然の大切さに気づくきっかけをつくってくれる。これはきっと、ゴキブリにしかできないことです。(p162-3)」
以前どこぞやで役者は「存在感」さえあれば、あとは何とかなってしまう、というような話を聞いたことがある。その点からいくとゴキブリは押しも押されもせぬ大看板であるということだ。
いつぞや「ペヤング・ソースやきそば」にゴキブリが混入していたということで大騒ぎとなり、メーカーは半年ほど休業して工場の徹底改善を図り、そのことが好評価されて、その後売り上げを伸ばしたことがあった。それも考えようによってはゴキブリ様の「存在感」のお蔭で「伝える場」が作られ、大々的な宣伝となったから、と言える。
まさにゴキブリ様様である。
「ペヤングソースやきそば」“刷新”なる。小渕優子元大臣の場合は・・
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2015-06-09
「ダボスマン」を読み始めた [本・書評]
ダボスマンとは「地球上で最も豊かで、最も権力を持つ」男たち。ダボス会議に出席する人々のこと。ダボス会議とは「地球上で最も富める人々が一堂に会する最大級の集い」「世界経済フォーラム」の年次総会こと。
そこで行われることは何かというと・・
「既得権益の確保に最大限の力を費やしている人々が、変革への誓いを崇高に唱えてみせる」こと。
対社会的に、実際になされていることが、どういうことかというと・・
以下の著名な人々がやってきたこと・・。
「かつて富裕層への増税案を『ヒトラーがポーランドに侵攻したのと同様の』戦争行為とまで言ったスティーブ・シュワルツマンのような投資ファンドの大物は、医療にかかわるコストを削減することでアメリカの医療保険制度を瘦せ細らせながら、病院への投資で利益を吸い上げてきた。合衆国最大の銀行を切り盛りするジェイミー・ダイモンは、マンハッタンの高級住宅街パーク・アベニューの住人への減税が実現するよう働きかけつつ、そのために必要な原資は、基本的な政府サービスを弱体化することで捻出させた。世界最大の不動産投資家であるラリー・フィンクは、彼自身が心を悩ます点として表向きは社会的正義を語りながらも、パンデミックの最中に貧しい国から、ありえないほどの債務を搾り取った。」・・このあと、アマゾンのCEOジェフ・ベゾスへの言及がなされる。
彼等の”業績”がプロローグに略述される。
そして、著者は本書の目的を次のように示す。
「私の役目は、読者がダボスマンを種族として理解するのを助けることだ。『彼』は、特異な性質を持ち、何のためらいもなく攻撃する肉食獣のような存在で、常に自分の領域を広げ、他者から栄養を奪い取ろうと狙っている。にもかかわらず、誰にとっても”友人代表”として振る舞うことで、反撃を受けないようにしている。/ この特色がどこよりも生き生きとした形でみられるのが、ダボスでの世界経済フォーラム年次総会である」。
要するに、怪物の正体を暴くことであるようだ。
「我々を取り囲む経済の現状は、決して偶然の所産ではない。システムを築いた人々が、自分たちの利益にかなうように意図して設計した結果なのだ。我々が暮らす世界はダボスマンによって設計され
、ダボスマンにさらに大きな富をもたらすように仕組まれている」。
さらに、著者はいう。
「この本で私は、世界のあちこちでみられた右翼ポピュリスト運動の興隆について、背後で決定的に作用したのが、ダボスマンの絶え間ない略奪であると論じる」。
この世界は特定の者たちがシステムを構築し、既得権益の維持のためにシステムを動かしている。それはすべての人の幸いのためではない。
表向きはキレイだが、内側は・・・
なんだか、イエスキリストが当時の宗教指導者について指摘したことと重なってくる。
最近買った本(『編集者、それはペンを持たない作家である』) [本・書評]
最近めずらしく本を買った。メルカリで入手した。これまではアマゾン・マーケットプレイス経由で入手してきた。ところが、最近買おうと思って本の価格を調べると、定価より高かったりする。なんでも聞くところによると、アマゾンの正規品が品切れになったときに、やむなくアマゾン・マーケットプレイスを利用せざるをえなくなり、定価より高額であっても買う人がいるからだそうだが、本当だろうか。
そこをいくとメルカリはだいぶ入手しやすい値段で出品されている。最近買った本は1500円のが900円で出品されていた。帯のついた綺麗な本で、新品未使用ということだった。それで購入すると、偽りのない印象のモノが届いた。新刊書店で見るのと遜色ない本を600円安く入手できた。元値の4割引きである。有難い話である。しかし、これがまかり通るなら、新刊書店は苦しくなるに決まっている。
入手したのは以下のイメージの書籍である。ご存知の方はご存知と思うが、岩田一男さんの『英語に強くなる本』などミリオンセラーを複数出したカッパブックスの産みの親で、2代目光文社社長:神吉晴夫(カンキハルオ)の本である。「ああ、なるほどこの熱意と考えで取り組めばイイ(しかも売れる)本ができるだろう」と思える内容である。
神吉晴夫(カンキハルオ)は1901年生まれである。明治34年にあたる。昭和天皇と同年の生まれである。ちなみに、うちの爺さんと同じ生年である。活躍したのは戦後、昭和の時代である。
時代もあるのだろうが、人間関係が密である。松本清張をカッパブックスに引っ張りだして『点と線』を書かせたことや新人作家を見出して自社で育てていくその過程がオモシロイ。なにしろ熱い。その熱さにあやかりたいと入手したのである。
そういう本を、定価の4割引きで買って喜んでいるようではどうかねと言われそうだが、懐がクールなのである。お許しねがいたい。
本書『復刊に寄せて』という一文がある。「10万部を越えればベストセラーと言われる出版業界で、100万部を超えるベストセラーを3作品も世に送り出す編集者・柿内芳文さん。神吉晴夫という存在は、柿内さんの原点であり、「僕のからだの一部は神吉晴夫でできている」「自分は神吉イズムの継承者」と語るほどの存在だと言います。平成・令和のベストセラー編集者である柿内さんは、昭和のベストセラー編集者から何を学んだのでしょうか。そして、悩み多き未来のベストセラー編集者が、本書から学べるメッセージとは」。そして、このあと、柿内氏へのインタビューがあり、本文に入る。
本書をとおし、裏方としての編集者の仕事がどのようなものか分かるし、ベストセラー、ミリオンセラーは偶然の所産ではないことが分かる。また、昭和の時代のカッパブックスの愛読者であれば、自分の手にし愛読した本を懐かしく思い出す機会となるにちがいない。
そこをいくとメルカリはだいぶ入手しやすい値段で出品されている。最近買った本は1500円のが900円で出品されていた。帯のついた綺麗な本で、新品未使用ということだった。それで購入すると、偽りのない印象のモノが届いた。新刊書店で見るのと遜色ない本を600円安く入手できた。元値の4割引きである。有難い話である。しかし、これがまかり通るなら、新刊書店は苦しくなるに決まっている。
入手したのは以下のイメージの書籍である。ご存知の方はご存知と思うが、岩田一男さんの『英語に強くなる本』などミリオンセラーを複数出したカッパブックスの産みの親で、2代目光文社社長:神吉晴夫(カンキハルオ)の本である。「ああ、なるほどこの熱意と考えで取り組めばイイ(しかも売れる)本ができるだろう」と思える内容である。
編集者、それはペンを持たない作家である 私は人間記録として、自分の感動を多くの読者に伝えたかった。
- 作者: 神吉 晴夫
- 出版社/メーカー: 実業之日本社
- 発売日: 2022/06/30
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
神吉晴夫(カンキハルオ)は1901年生まれである。明治34年にあたる。昭和天皇と同年の生まれである。ちなみに、うちの爺さんと同じ生年である。活躍したのは戦後、昭和の時代である。
時代もあるのだろうが、人間関係が密である。松本清張をカッパブックスに引っ張りだして『点と線』を書かせたことや新人作家を見出して自社で育てていくその過程がオモシロイ。なにしろ熱い。その熱さにあやかりたいと入手したのである。
そういう本を、定価の4割引きで買って喜んでいるようではどうかねと言われそうだが、懐がクールなのである。お許しねがいたい。
本書『復刊に寄せて』という一文がある。「10万部を越えればベストセラーと言われる出版業界で、100万部を超えるベストセラーを3作品も世に送り出す編集者・柿内芳文さん。神吉晴夫という存在は、柿内さんの原点であり、「僕のからだの一部は神吉晴夫でできている」「自分は神吉イズムの継承者」と語るほどの存在だと言います。平成・令和のベストセラー編集者である柿内さんは、昭和のベストセラー編集者から何を学んだのでしょうか。そして、悩み多き未来のベストセラー編集者が、本書から学べるメッセージとは」。そして、このあと、柿内氏へのインタビューがあり、本文に入る。
本書をとおし、裏方としての編集者の仕事がどのようなものか分かるし、ベストセラー、ミリオンセラーは偶然の所産ではないことが分かる。また、昭和の時代のカッパブックスの愛読者であれば、自分の手にし愛読した本を懐かしく思い出す機会となるにちがいない。
日航機123便「墜落遺体」著者のネット記事 [本・書評]
これまで見た事件事故のなかで「凄惨」と思った第一は、「豊田商事事件」。社長が殺されたときの「フライデー」記事である。その写真がまた凄かった。よくもまあ、のこのこ部屋の中に入って行けたと思う。その時、ガードマンが配置されていたのではなかったか、報道陣に囲まれる中、居宅に侵入し、殺した血だらけの日本刀を示しつつ「おれが犯人や」と言いつつ出てきたのだったと思う。その様子はテレビでも放映された。
豊田商事事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E7%94%B0%E5%95%86%E4%BA%8B%E4%BA%8B%E4%BB%B6
ところが、日航機123便墜落に関しては、ほとんど記憶にナイのである。521名(ふつう520名とされるが、胎児が一人いたので)が亡くなった事故であるにもかかわらずである。事故後、あるめぐりあわせでボーイング社の部品調達をする方の通訳をするハメになって、その人と一緒に機会あるごとに「遺憾です」と言ったことが記憶にあるばかりである。
『墜落遺体』という本があるのも最近知った。その著者:飯塚訓氏の記事がネット掲載されているのを読んだ。画像も検索して見た。すごい写真がある。木に手がぶら下がっている。ばらばらになった手のひらが木に付いている。そんな写真だ。
『墜落遺体』は、墜落後、藤岡に搬送された遺体と向き合った人々の記録である。以下の記事を読むだけでも、たいへん心打つものがある。
御巣鷹山の日航機123便―“身元確認班長”に任命された男性の記録
https://gendai.media/articles/-/98086
日航機123便墜落事故——遺体搬入現場の極限状態
https://gendai.media/articles/-/98088
極限状態での看護師たちの献身―日航機123便墜落事故
https://gendai.media/articles/-/98090
遺体を引き取らない外国人と「早く家に連れて帰りたい」日本人―日航機123便墜落事故
https://gendai.media/articles/-/98170
母たちの祈り──困難を極める“遺体確認” 日航機123便墜落事故
https://gendai.media/articles/-/98257
日航機123便墜落——37年目の8月12日。あの日の犠牲者の遺書を読む
https://gendai.media/articles/-/98259
豊田商事事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E7%94%B0%E5%95%86%E4%BA%8B%E4%BA%8B%E4%BB%B6
ところが、日航機123便墜落に関しては、ほとんど記憶にナイのである。521名(ふつう520名とされるが、胎児が一人いたので)が亡くなった事故であるにもかかわらずである。事故後、あるめぐりあわせでボーイング社の部品調達をする方の通訳をするハメになって、その人と一緒に機会あるごとに「遺憾です」と言ったことが記憶にあるばかりである。
『墜落遺体』という本があるのも最近知った。その著者:飯塚訓氏の記事がネット掲載されているのを読んだ。画像も検索して見た。すごい写真がある。木に手がぶら下がっている。ばらばらになった手のひらが木に付いている。そんな写真だ。
『墜落遺体』は、墜落後、藤岡に搬送された遺体と向き合った人々の記録である。以下の記事を読むだけでも、たいへん心打つものがある。
御巣鷹山の日航機123便―“身元確認班長”に任命された男性の記録
https://gendai.media/articles/-/98086
日航機123便墜落事故——遺体搬入現場の極限状態
https://gendai.media/articles/-/98088
極限状態での看護師たちの献身―日航機123便墜落事故
https://gendai.media/articles/-/98090
遺体を引き取らない外国人と「早く家に連れて帰りたい」日本人―日航機123便墜落事故
https://gendai.media/articles/-/98170
母たちの祈り──困難を極める“遺体確認” 日航機123便墜落事故
https://gendai.media/articles/-/98257
日航機123便墜落——37年目の8月12日。あの日の犠牲者の遺書を読む
https://gendai.media/articles/-/98259
新装版 墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便 (講談社+α文庫)
- 作者: 飯塚訓
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2015/07/31
- メディア: Kindle版
真実は秘密のままにしておきたい?(『アンネ・フランクの密告者』から) [本・書評]
アンネ・フランクをご存知だろうか。『アンネの日記』を書いた少女の名前である。有名な本である。多くの方が読んでいることだろう。
当方は今、以下の『アンネ・フランクの密告者』という本を読んでいる。
実のところ、恥ずかしながら、当方は『アンネの日記』を読んでいない。それでも、ナチス・ドイツ支配下のオランダにおける悲惨な記録であることくらいは分かる。きっと、未来を希望し生きることをつよく願っていたにも関わらず、少女の命(未来)があえなく断たれたことが感銘を与えてきたのだろうと想像する。
ユダヤ人迫害(本書のなかでは「ユダヤ人狩り」と称されている)の波を逃れ、2年以上ものあいだうまく隠れていたにもかかわらず、もう少しすれば連合国の勝利(ナチス・ドイツの敗北)によって、引きこもり生活から解放されるという頃合いになって、フランク一家は逮捕されてしまう。そして収容所送りになり、父親以外は死んでしまう。本書は、彼らの居場所を密告したのは誰かを最新の科学技術等を利用して、明らかにしていく様を追う。
密告者がだれであるか、そんなことは既に分かっているものと思っていたら、「〈アンネ・フランク財団〉のスタッフによると、今日に至るまで、見学者の質問のなかでいちばん多いのは‟誰がアンネ・フランクを密告したか?”だ」(p141)そうである。本書は、その疑問に答えようとする調査チームの記録である。
まだ読了していない。ちょうど半分くらいまで読んだ。だから、密告者が特定されるところまで読んでいない。それでも、仮説と検証の積み重ねで真実に迫っていく様子を、テンポのいい翻訳で読むことができる。予想以上に、おもしろい本である。
そう、思っていたら、出版された本国オランダでタイヘンなことになっていた。出版後、回収されたという。本書は、いわゆる曰くつきの本になってしまった。
「アンネの日記」隠れ家“密告者特定”調査本 批判受け回収へ
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220324/k10013549631000.html
上記URL記事によると、〔アンネがなぜ秘密警察に見つかったのかは長年、謎とされてきましたが、アメリカのFBI=連邦捜査局の元捜査官などでつくるチームが具体的な人物名を挙げて「ユダヤ人の男性が隠れ家を密告した可能性がある」とする新たな調査結果をまとめ、これをもとにことし1月、本が出版されていました。/ しかし出版後、専門家からは結論を疑問視する声が上がり、海外メディアによりますと、今週行われた専門家による議論でも、調査が仮説のみに基づき、証拠の解釈も誤っていると指摘されていました。 / こうしたことを受け22日、オランダの出版社は本の回収を決めたと発表しました。/ この中で出版社は「本の内容で傷ついたすべての人に対し、真摯(しんし)に謝罪したい」としています。〕と、ある。
実際のところ、読んでいくと、フランク一家逮捕には直接関係しないまでも、他のユダヤ人を密告して、戦後まで生き延びた人が多くいることが分かる。そのような「対独協力者」で実名が出されている人もいる。事件から80年経過すれば、その子や孫、ひ孫まで含めればたいへんな数にのぼるだろう。本書で、自分の遠い親族のだれかが事件に関係していたことを初めて知る人もいるだろう。自分は善良なオランダ人と思っていた人ほど、いたたまれない内容であるにちがいない。「容疑者」と同様の精神の持ち主(つまりユダヤ人を嫌い排除する傾向の人)まで含めたなら、オランダ人のほぼすべてが関係してくるにちがいない。当時、それが発覚したなら自分も収容所送りになるのを覚悟で、ユダヤ人の支援者として彼らをかくまい。食料を届けた人は、きわめて少ない数でしかないにちがいない。要するに本書は、だれもが知りたいことでありながら、(特にオランダ人にとっては)知らないままにしておきたい、忘れてしまいたい秘密であるということなのだろう。「本の内容で傷ついたすべての人」とはオランダ人すべてということかもしれない。真実を明らかにしようとする本が、いわくつきの迷惑本とされてしまった。
それでも本書は、具体的な事例に基づき、本当に窮迫・窮乏したとき、人間はどのように行動するものか、裏切り者(密告者)はどのように近づいてくるものかを知ることのできる本である。また、多くの場合、「裏切り者」は親しい間柄から登場することになっている。イエス・キリストとその弟子ユダ・イスカリオテの場合のようにである。いつも人を、しかも身近な人を警戒しながら生活するなどご免である。しかし、政情の変化等でいつなんどきそうなるかもしれない。そういう日が来た時に、自分が「裏切り者」にならないように、身を守る助けとなるようにも思う。
当方は今、以下の『アンネ・フランクの密告者』という本を読んでいる。
アンネ・フランクの密告者 最新の調査技術が解明する78年目の真実 (「THE BETRAYAL OF ANNE FRANK」邦訳版)
- 出版社/メーカー: ハーパーコリンズ・ジャパン
- 発売日: 2022/02/16
- メディア: 単行本
実のところ、恥ずかしながら、当方は『アンネの日記』を読んでいない。それでも、ナチス・ドイツ支配下のオランダにおける悲惨な記録であることくらいは分かる。きっと、未来を希望し生きることをつよく願っていたにも関わらず、少女の命(未来)があえなく断たれたことが感銘を与えてきたのだろうと想像する。
ユダヤ人迫害(本書のなかでは「ユダヤ人狩り」と称されている)の波を逃れ、2年以上ものあいだうまく隠れていたにもかかわらず、もう少しすれば連合国の勝利(ナチス・ドイツの敗北)によって、引きこもり生活から解放されるという頃合いになって、フランク一家は逮捕されてしまう。そして収容所送りになり、父親以外は死んでしまう。本書は、彼らの居場所を密告したのは誰かを最新の科学技術等を利用して、明らかにしていく様を追う。
密告者がだれであるか、そんなことは既に分かっているものと思っていたら、「〈アンネ・フランク財団〉のスタッフによると、今日に至るまで、見学者の質問のなかでいちばん多いのは‟誰がアンネ・フランクを密告したか?”だ」(p141)そうである。本書は、その疑問に答えようとする調査チームの記録である。
まだ読了していない。ちょうど半分くらいまで読んだ。だから、密告者が特定されるところまで読んでいない。それでも、仮説と検証の積み重ねで真実に迫っていく様子を、テンポのいい翻訳で読むことができる。予想以上に、おもしろい本である。
そう、思っていたら、出版された本国オランダでタイヘンなことになっていた。出版後、回収されたという。本書は、いわゆる曰くつきの本になってしまった。
「アンネの日記」隠れ家“密告者特定”調査本 批判受け回収へ
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220324/k10013549631000.html
上記URL記事によると、〔アンネがなぜ秘密警察に見つかったのかは長年、謎とされてきましたが、アメリカのFBI=連邦捜査局の元捜査官などでつくるチームが具体的な人物名を挙げて「ユダヤ人の男性が隠れ家を密告した可能性がある」とする新たな調査結果をまとめ、これをもとにことし1月、本が出版されていました。/ しかし出版後、専門家からは結論を疑問視する声が上がり、海外メディアによりますと、今週行われた専門家による議論でも、調査が仮説のみに基づき、証拠の解釈も誤っていると指摘されていました。 / こうしたことを受け22日、オランダの出版社は本の回収を決めたと発表しました。/ この中で出版社は「本の内容で傷ついたすべての人に対し、真摯(しんし)に謝罪したい」としています。〕と、ある。
実際のところ、読んでいくと、フランク一家逮捕には直接関係しないまでも、他のユダヤ人を密告して、戦後まで生き延びた人が多くいることが分かる。そのような「対独協力者」で実名が出されている人もいる。事件から80年経過すれば、その子や孫、ひ孫まで含めればたいへんな数にのぼるだろう。本書で、自分の遠い親族のだれかが事件に関係していたことを初めて知る人もいるだろう。自分は善良なオランダ人と思っていた人ほど、いたたまれない内容であるにちがいない。「容疑者」と同様の精神の持ち主(つまりユダヤ人を嫌い排除する傾向の人)まで含めたなら、オランダ人のほぼすべてが関係してくるにちがいない。当時、それが発覚したなら自分も収容所送りになるのを覚悟で、ユダヤ人の支援者として彼らをかくまい。食料を届けた人は、きわめて少ない数でしかないにちがいない。要するに本書は、だれもが知りたいことでありながら、(特にオランダ人にとっては)知らないままにしておきたい、忘れてしまいたい秘密であるということなのだろう。「本の内容で傷ついたすべての人」とはオランダ人すべてということかもしれない。真実を明らかにしようとする本が、いわくつきの迷惑本とされてしまった。
それでも本書は、具体的な事例に基づき、本当に窮迫・窮乏したとき、人間はどのように行動するものか、裏切り者(密告者)はどのように近づいてくるものかを知ることのできる本である。また、多くの場合、「裏切り者」は親しい間柄から登場することになっている。イエス・キリストとその弟子ユダ・イスカリオテの場合のようにである。いつも人を、しかも身近な人を警戒しながら生活するなどご免である。しかし、政情の変化等でいつなんどきそうなるかもしれない。そういう日が来た時に、自分が「裏切り者」にならないように、身を守る助けとなるようにも思う。
山田風太郎が亡くなって20年 [本・書評]
昨日ぶらぶらとネット散策していて気付いた。山田風太郎が亡くなって20年になる。Wikipediaに示された亡くなった日付は2001年7月28日である。
山田風太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E9%A2%A8%E5%A4%AA%E9%83%8E
などと書きながら、当方は、良い読者ではない。一冊も読んでいない。
しばらく前になる。『NHKラジオアーカイブス』で風太郎が取り上げられ、存命中の声を聞くことができた。面白い人だと思った。ぜんぜん偉そうでない。気取ってない。作風からいっても、大作家ぶるほどではないと当人も思っていたのかもしれない。早口で真率でフランクで、気の置けない人という印象だった。書けば注目され、とんとん拍子で文壇での地位を築いてきたので、周囲がどんなに天才と騒ごうと、自分の才能などどうってことなく感じていたのかもしれない。
司馬遼太郎のことを井上ひさしは「春風」にたとえていたが、山田はどんな風になるだろう。
「アサッテの人」:中野翠の評価は?
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2007-08-24
【日記文学の最高峰】出版社社員がオススメする”他社本”!【戦中派不戦日記】
https://www.youtube.com/watch?v=qHTRBSHBnp4
以下、当方未読
山田風太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E9%A2%A8%E5%A4%AA%E9%83%8E
などと書きながら、当方は、良い読者ではない。一冊も読んでいない。
しばらく前になる。『NHKラジオアーカイブス』で風太郎が取り上げられ、存命中の声を聞くことができた。面白い人だと思った。ぜんぜん偉そうでない。気取ってない。作風からいっても、大作家ぶるほどではないと当人も思っていたのかもしれない。早口で真率でフランクで、気の置けない人という印象だった。書けば注目され、とんとん拍子で文壇での地位を築いてきたので、周囲がどんなに天才と騒ごうと、自分の才能などどうってことなく感じていたのかもしれない。
司馬遼太郎のことを井上ひさしは「春風」にたとえていたが、山田はどんな風になるだろう。
「アサッテの人」:中野翠の評価は?
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2007-08-24
【日記文学の最高峰】出版社社員がオススメする”他社本”!【戦中派不戦日記】
https://www.youtube.com/watch?v=qHTRBSHBnp4
以下、当方未読
「世紀の作家」とは? [本・書評]
「世紀の作家」とはトールキンのことだ。
下記の本のタイトルに「世紀の作家」とある。どういう意味で、そのように表現されているのか分からない。20世紀を代表すると言いたいのだったか、一度読んだが忘れている。
Amazonで上記著作のレビューを書いたのを思い出した。それを見ると「イギリスの読者投票で、常に高位置(ほとんど首位)をしめ、発行部数でもほかに(聖書を除いて)敵するもののない著作をモノした作家トールキンは、まさに「世紀の作家」といえます」とあるので、そういう意味なのだろう。
J.R.R.トールキン:世紀の作家(トム・シッピー著 沼田香穂里翻訳)
https://kankyodou.blog.ss-blog.jp/2015-06-02
上記著作を読む前、トールキンの『ホビット』を読んで、驚嘆した。当初、子供だましのお話しと思っていたものが、どんどん凄い様相を呈してくる。アタマでこねくり回していたものが、アタマを脱していくあたりから、トンデモの世界に入っていく。トールキン自身、どこに連れていかれるのか分からない怖さを感じつつ物語をたどっていったのではなかろうか。
ここのところブログ更新してきた流れでいくなら「情緒」ということになろうが、意識レベルを超えたところから産出される作品のすごさである。ユング心理学でいうところの「普遍的無意識」からくる圧倒的な力に思う。
翻訳に批判の多い下記著作を読んでそのように感じたのだから、英語を母国語とする方たちが原著から受ける印象は、さらに凄まじいものがあるように思う。
エンデュアランス号漂流(アルフレッド・ランシング著)
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2011-11-14-2
『大菩薩峠』の魅力(谷崎潤一郎著作から引用)
https://kankyodou.blog.ss-blog.jp/2013-03-07
『昔ばなし大学ハンドブック』小澤俊夫著 NPO読書サポート発行
https://kankyodou.blog.ss-blog.jp/2016-06-08
下記の本のタイトルに「世紀の作家」とある。どういう意味で、そのように表現されているのか分からない。20世紀を代表すると言いたいのだったか、一度読んだが忘れている。
Amazonで上記著作のレビューを書いたのを思い出した。それを見ると「イギリスの読者投票で、常に高位置(ほとんど首位)をしめ、発行部数でもほかに(聖書を除いて)敵するもののない著作をモノした作家トールキンは、まさに「世紀の作家」といえます」とあるので、そういう意味なのだろう。
J.R.R.トールキン:世紀の作家(トム・シッピー著 沼田香穂里翻訳)
https://kankyodou.blog.ss-blog.jp/2015-06-02
上記著作を読む前、トールキンの『ホビット』を読んで、驚嘆した。当初、子供だましのお話しと思っていたものが、どんどん凄い様相を呈してくる。アタマでこねくり回していたものが、アタマを脱していくあたりから、トンデモの世界に入っていく。トールキン自身、どこに連れていかれるのか分からない怖さを感じつつ物語をたどっていったのではなかろうか。
ここのところブログ更新してきた流れでいくなら「情緒」ということになろうが、意識レベルを超えたところから産出される作品のすごさである。ユング心理学でいうところの「普遍的無意識」からくる圧倒的な力に思う。
翻訳に批判の多い下記著作を読んでそのように感じたのだから、英語を母国語とする方たちが原著から受ける印象は、さらに凄まじいものがあるように思う。
エンデュアランス号漂流(アルフレッド・ランシング著)
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2011-11-14-2
『大菩薩峠』の魅力(谷崎潤一郎著作から引用)
https://kankyodou.blog.ss-blog.jp/2013-03-07
『昔ばなし大学ハンドブック』小澤俊夫著 NPO読書サポート発行
https://kankyodou.blog.ss-blog.jp/2016-06-08
『遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと』 [本・書評]
野村克也:ノムさんの追悼本がでたようだ。
以下の文春の記事を読んだ。
「寂しい」と言われるたび、大阪に仙台に駆け付けた… 野村克也が“最後の1年”に語っていた“第二の人生”
『遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと』に寄せて#1
https://bunshun.jp/articles/-/46481
「人間、不器用でいいんだよ」 野村克也の誕生日、追悼試合で野村家がつけていた“マスクの秘密”
『遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと』に寄せて#2
https://bunshun.jp/articles/-/46482
著者は女性だ。ノムさんと共著で出版するわけが、ノムさんが逝ってしまって、ながらく書く元気を失っていたらしい。気を取り直して出版にこぎつけたようである。
****以下、上記(#2)記事から抜粋****
英語圏には、〈silver lining〉という表現がある。Silver=銀色、lining=服の裏地という意味。つまり、「銀色の裏地」。それを使った格言がある。
〈Every cloud has a silver lining.〉
直訳すると、「どの雲にも、銀色の裏地が貼ってある」。どんなに雲に覆われたどんよりした天気でも、ひっくり返せば太陽の光がある、ことを示している。
「どんなに困難な状況の中にいても、必ず希望は隠されている」という比喩だという。
野村は、逆境を歩んだ〈経験〉と読書などで得た〈知識〉を融合し、〈知恵〉に変えた。そこから発せられた言葉は、まさに厚い雲の切れ間から差す太陽の光のように、一歩を踏み出そうとする人々を支えてきた。
そんな野村克也が、亡くなる直前まで考えていたことは何か。悲しみ、戸惑い、老い、後悔、不安、発見、希望、夢……“ノムさんの真実”を、愛情を持って明かしたい。
「人生、こんなはずじゃなかった」と焦りを抱く人に、野村の“最期のあがき”を紹介したい。
「おまえはワシのことをよう知っている。自信を持って書け」
そういってくれたあの日から、すでに2年以上がたった。野村の死によって、共著という形にこそならなかったが、それでも、この書籍『遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと』は、「野村と共に書き上げた」という思いでいる。
英語イディオム「Silver Lining」の意味とその語源が面白かった
https://www.serendipity.page/b/2019/11/silver-lining/
遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと (文春e-book)
- 作者: 飯田 絵美
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2021/06/28
- メディア: Kindle版
以下の文春の記事を読んだ。
「寂しい」と言われるたび、大阪に仙台に駆け付けた… 野村克也が“最後の1年”に語っていた“第二の人生”
『遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと』に寄せて#1
https://bunshun.jp/articles/-/46481
「人間、不器用でいいんだよ」 野村克也の誕生日、追悼試合で野村家がつけていた“マスクの秘密”
『遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと』に寄せて#2
https://bunshun.jp/articles/-/46482
著者は女性だ。ノムさんと共著で出版するわけが、ノムさんが逝ってしまって、ながらく書く元気を失っていたらしい。気を取り直して出版にこぎつけたようである。
****以下、上記(#2)記事から抜粋****
英語圏には、〈silver lining〉という表現がある。Silver=銀色、lining=服の裏地という意味。つまり、「銀色の裏地」。それを使った格言がある。
〈Every cloud has a silver lining.〉
直訳すると、「どの雲にも、銀色の裏地が貼ってある」。どんなに雲に覆われたどんよりした天気でも、ひっくり返せば太陽の光がある、ことを示している。
「どんなに困難な状況の中にいても、必ず希望は隠されている」という比喩だという。
野村は、逆境を歩んだ〈経験〉と読書などで得た〈知識〉を融合し、〈知恵〉に変えた。そこから発せられた言葉は、まさに厚い雲の切れ間から差す太陽の光のように、一歩を踏み出そうとする人々を支えてきた。
そんな野村克也が、亡くなる直前まで考えていたことは何か。悲しみ、戸惑い、老い、後悔、不安、発見、希望、夢……“ノムさんの真実”を、愛情を持って明かしたい。
「人生、こんなはずじゃなかった」と焦りを抱く人に、野村の“最期のあがき”を紹介したい。
「おまえはワシのことをよう知っている。自信を持って書け」
そういってくれたあの日から、すでに2年以上がたった。野村の死によって、共著という形にこそならなかったが、それでも、この書籍『遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと』は、「野村と共に書き上げた」という思いでいる。
遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと (文春e-book)
- 作者: 飯田 絵美
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2021/06/28
- メディア: Kindle版
英語イディオム「Silver Lining」の意味とその語源が面白かった
https://www.serendipity.page/b/2019/11/silver-lining/
立花隆逝く。とてつもない「半可通」は道を示した=下山進 [本・書評]
立花さんについての興味深い記事が続々でてくる。
下山進氏の記事もオモシロイ。
第66回 立花隆逝く。とてつもない「半可通」は道を示した=下山進
サンデー毎日 2021/6/29 05:00(最終更新 6/29 05:55)
https://mainichi.jp/sunday/articles/20210628/org/00m/040/008000d
「ジャーナリストの条件について論じた立花さんの文章のなかに、『それは何事についてもすぐに半可通になれる能力』を持っていることだ」とあったという。
「半可通」とは?意味と語源、英語表現・類義語
https://sanjijukugo.com/hankatsuu/
今朝、ちらっと見た「朝日新聞」(6/29)掲載の週刊誌?の広告(見出し)に、ある編集者が書籍10冊を読んでくるように(たしか、1日で)言われたとか記されていた。立花さんなら、そのくらいのこと平気で言うだろうなと思ってぼんやり見ていたのだが・・・
下山氏の記事と合わせると、ジャーナリストは、これから書こうとする未知のテーマについて、一日10冊の本を読み、3日で「半可通」になって、読者が分かる記事を書く、しかも、「対象を相対的に見・・」、取得した専門的な「情報がもっと大きな文脈でどういう意味があるのか」分かるように表現するほどまでに、ならないといけないと立花さんが思っていたであろうことが分かる。
「徹底取材し、集めた事実を鳥瞰(ちょうかん)した視点であみなおし、読者にわかりやすく提示」した立花さんは、その点で、自ら範を示したと言える。
以下、当方未読
下山進氏の記事もオモシロイ。
第66回 立花隆逝く。とてつもない「半可通」は道を示した=下山進
サンデー毎日 2021/6/29 05:00(最終更新 6/29 05:55)
https://mainichi.jp/sunday/articles/20210628/org/00m/040/008000d
「ジャーナリストの条件について論じた立花さんの文章のなかに、『それは何事についてもすぐに半可通になれる能力』を持っていることだ」とあったという。
「半可通」とは?意味と語源、英語表現・類義語
https://sanjijukugo.com/hankatsuu/
今朝、ちらっと見た「朝日新聞」(6/29)掲載の週刊誌?の広告(見出し)に、ある編集者が書籍10冊を読んでくるように(たしか、1日で)言われたとか記されていた。立花さんなら、そのくらいのこと平気で言うだろうなと思ってぼんやり見ていたのだが・・・
下山氏の記事と合わせると、ジャーナリストは、これから書こうとする未知のテーマについて、一日10冊の本を読み、3日で「半可通」になって、読者が分かる記事を書く、しかも、「対象を相対的に見・・」、取得した専門的な「情報がもっと大きな文脈でどういう意味があるのか」分かるように表現するほどまでに、ならないといけないと立花さんが思っていたであろうことが分かる。
「徹底取材し、集めた事実を鳥瞰(ちょうかん)した視点であみなおし、読者にわかりやすく提示」した立花さんは、その点で、自ら範を示したと言える。
ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術
- 作者: 立花 隆
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2001/04/16
- メディア: 単行本
以下、当方未読
立花隆さん「東大=エリートは幻想」「東大卒の肩書に意味はない」 [本・書評]
【追悼】立花隆さん「東大=エリートは幻想」「東大卒の肩書に意味はない」本誌で持論展開
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/e3-80-90-e8-bf-bd-e6-82-bc-e3-80-91-e7-ab-8b-e8-8a-b1-e9-9a-86-e3-81-95-e3-82-93-e3-80-8c-e6-9d-b1-e5-a4-a7-ef-bc-9d-e3-82-a8-e3-83-aa-e3-83-bc-e3-83-88-e3-81-af-e5-b9-bb-e6-83-b3-e3-80-8d-e3-80-8c-e6-9d-b1-e5-a4-a7-e5-8d-92-e3-81-ae-e8-82-a9-e6-9b-b8-e3-81-a/ar-AALkEQ5?ocid=BingNewsSearch
立花さんが、『東大生はバカになったか』という本を出していたのを知らずにいた。
上記記事末で立花さんはいう。《『東大生はバカになったか』でいちばん言いたかったのは、東大批判ではない。現代の教養とは何であるかということだ。この本を読んでほしいのは、東大卒の人間でもなく、東大生でもない。むしろ、今からでも教養を身につけたいと思う一般社会人にこそ読んでほしい。今はどこの大学に入るかなんて教養に関係ない時代なんだとわかるはずだ》。
とはいえ、大学を出ていない身としては、出ておけばよかったかなと思うこともある。全く学歴と関係ない仕事で終始してきたので、学歴などどうでもいいのだが、それでもである。
学歴偏重社会は良くないようなことを言いながら、世の中は学歴重視である。大学ランキングなどが『サンデー毎日』などの週刊紙で毎年掲載されるではないだろうか。建前が世にまかり通っているだけである。
興味があるのはオックスフォード大だ。興味の根っこにあるのは『アラビアのロレンス』との関係においてである。『アラビアのロレンス』ことトーマス・エドワード・ロレンスはオックスフォードを出ている。しかも、名門大学オックスフォードの中の名門中の名門オール・ソウルズ・カレッジの研究員(Fellow)に名を連ねている。
オール・ソウルズ・カレッジ (オックスフォード大学)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B8_(%E3%82%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E5%A4%A7%E5%AD%A6)
だが、きっとロレンスは、中佐にまでなりながら偽名を用いて2等兵待遇で空軍入りを志願入隊するほどの人物であるから、学歴をひけらかすようなことは無かったろう。そうしながらも、教養が滲み出てしまって困ったにちがいない。
ぶっちぎりの実力をもちながら、無能のようにふるまえるというのはカッコいいではないか。
オックスフォードと「アラビアのロレンス」
https://kankyodou.blog.ss-blog.jp/2018-05-06
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/e3-80-90-e8-bf-bd-e6-82-bc-e3-80-91-e7-ab-8b-e8-8a-b1-e9-9a-86-e3-81-95-e3-82-93-e3-80-8c-e6-9d-b1-e5-a4-a7-ef-bc-9d-e3-82-a8-e3-83-aa-e3-83-bc-e3-83-88-e3-81-af-e5-b9-bb-e6-83-b3-e3-80-8d-e3-80-8c-e6-9d-b1-e5-a4-a7-e5-8d-92-e3-81-ae-e8-82-a9-e6-9b-b8-e3-81-a/ar-AALkEQ5?ocid=BingNewsSearch
立花さんが、『東大生はバカになったか』という本を出していたのを知らずにいた。
上記記事末で立花さんはいう。《『東大生はバカになったか』でいちばん言いたかったのは、東大批判ではない。現代の教養とは何であるかということだ。この本を読んでほしいのは、東大卒の人間でもなく、東大生でもない。むしろ、今からでも教養を身につけたいと思う一般社会人にこそ読んでほしい。今はどこの大学に入るかなんて教養に関係ない時代なんだとわかるはずだ》。
東大生はバカになったか 知的亡国論+現代教養論 (文春文庫)
- 作者: 立花隆
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2016/04/28
- メディア: Kindle版
とはいえ、大学を出ていない身としては、出ておけばよかったかなと思うこともある。全く学歴と関係ない仕事で終始してきたので、学歴などどうでもいいのだが、それでもである。
学歴偏重社会は良くないようなことを言いながら、世の中は学歴重視である。大学ランキングなどが『サンデー毎日』などの週刊紙で毎年掲載されるではないだろうか。建前が世にまかり通っているだけである。
興味があるのはオックスフォード大だ。興味の根っこにあるのは『アラビアのロレンス』との関係においてである。『アラビアのロレンス』ことトーマス・エドワード・ロレンスはオックスフォードを出ている。しかも、名門大学オックスフォードの中の名門中の名門オール・ソウルズ・カレッジの研究員(Fellow)に名を連ねている。
オール・ソウルズ・カレッジ (オックスフォード大学)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B8_(%E3%82%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E5%A4%A7%E5%AD%A6)
だが、きっとロレンスは、中佐にまでなりながら偽名を用いて2等兵待遇で空軍入りを志願入隊するほどの人物であるから、学歴をひけらかすようなことは無かったろう。そうしながらも、教養が滲み出てしまって困ったにちがいない。
ぶっちぎりの実力をもちながら、無能のようにふるまえるというのはカッコいいではないか。
オックスフォードと「アラビアのロレンス」
https://kankyodou.blog.ss-blog.jp/2018-05-06
アラビアのロレンス (1枚組) [AmazonDVDコレクション]
- 出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
- 発売日: 2015/12/25
- メディア: DVD
25年来の“書生”が見た立花隆さんの素顔 [本・書評]
《追悼》牛丼と立ち食いそばを愛した「知の巨人」…25年来の“書生”が見た立花隆さんの素顔
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/e3-80-8a-e8-bf-bd-e6-82-bc-e3-80-8b-e7-89-9b-e4-b8-bc-e3-81-a8-e7-ab-8b-e3-81-a1-e9-a3-9f-e3-81-84-e3-81-9d-e3-81-b0-e3-82-92-e6-84-9b-e3-81-97-e3-81-9f-e3-80-8c-e7-9f-a5-e3-81-ae-e5-b7-a8-e4-ba-ba-e3-80-8d-e2-80-a625-e5-b9-b4-e6-9d-a5-e3-81-ae-e2-80-9c-e6-9b/ar-AALmUTJ?ocid=uxbndlbing
立花さん素顔の分かる記事だ。「25年来の“書生”」による記事である。
しかし、一番の素顔はご家族が知っていることだろう。父親・夫のことを書いてくれないものかと思う。
井上靖が亡くなったのち、息子さんが父親のことを書いていたのを読んだ。本にもなった。歳をとって温厚になったように思っていた父が娘(著者にとっては妹)のひと言ではげしく怒ったときに、往年の父親を思い出して嬉しくなったというようなことを書いていた(と、思う)。
当該記事でも、立花さんの怒りについて記されている。思えば、つまらない怒りである。テレビカメラで撮影されている時には、けっして見せないであろう姿である。だが、それがもっとも深い本質的なものと関係しているかもしれない。「ハムカツが80円だって」「なんでこんなに高いの?」「昔はもっと安かったよ」に、もっとも深い立花隆が隠されているカモしれない。
作家にとっては作品がすべてで、作品で評価して欲しいところではあろうけれど、読者としては、作品をうみだした人物の素顔も知りたいものである。
ご家族のみなさん、よろしくお願いします。
没後30年・井上靖を次女が語る「父の一生は盛大な炎をあげるキャンプファイヤー」
https://news.yahoo.co.jp/articles/8abf77bc38dba609fcb0b3e9c3ffae115f8cd41e?page=2
立花さん素顔の分かる記事だ。「25年来の“書生”」による記事である。
しかし、一番の素顔はご家族が知っていることだろう。父親・夫のことを書いてくれないものかと思う。
井上靖が亡くなったのち、息子さんが父親のことを書いていたのを読んだ。本にもなった。歳をとって温厚になったように思っていた父が娘(著者にとっては妹)のひと言ではげしく怒ったときに、往年の父親を思い出して嬉しくなったというようなことを書いていた(と、思う)。
グッドバイ、マイ・ゴッドファーザー―父・井上靖へのレクイエム
- 作者: 卓也, 井上
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1991/06/01
- メディア: 単行本
当該記事でも、立花さんの怒りについて記されている。思えば、つまらない怒りである。テレビカメラで撮影されている時には、けっして見せないであろう姿である。だが、それがもっとも深い本質的なものと関係しているかもしれない。「ハムカツが80円だって」「なんでこんなに高いの?」「昔はもっと安かったよ」に、もっとも深い立花隆が隠されているカモしれない。
作家にとっては作品がすべてで、作品で評価して欲しいところではあろうけれど、読者としては、作品をうみだした人物の素顔も知りたいものである。
ご家族のみなさん、よろしくお願いします。
没後30年・井上靖を次女が語る「父の一生は盛大な炎をあげるキャンプファイヤー」
https://news.yahoo.co.jp/articles/8abf77bc38dba609fcb0b3e9c3ffae115f8cd41e?page=2