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「アサッテの人」:中野翠の評価は? [本・書評]

芥川賞受賞作「アサッテの人」。

チラッと見たが、めんどくさくなってよした。

自分の嗜好とは、方向がちがう。

アサッテを向いていると感じた。

 

サンデー毎日《満月雑記帳》(9/2号)で中野翠が書いている。

小説のなかに小説が入っている仕掛けは、「目先が変わっていて面白いけれど、少々もどかしく。凝り過ぎの感じがした」。

中野さんは、全部読んだようである。当方は断念した。もう読む気もない。してみると、当方の方が、アタマがカタク、現代文学には置いてけ堀のたぬきでアタマがアサッテなのかもしらん。

(「置いてけ堀のたぬき」は商標登録しておこう。なかなかいいフレーズだ。もっとも誰かすでに言っていたのをどこかで読んだのが、今浮かんだだけかもしらん。マアそんなことはドウでもいいのだけど・・せいぜいソンナところだろう)

 

中野さんは、“いったいどういう関係があるのかわからないが”と述べて、読後、生起した思いを書いている。

幸田露伴 《でもやっぱり私は幸田露伴の『観画談』のほうが凄いと思うなあ。大正十四年、つまり八十二年も昔の短かい小説だけれど。文章に、言葉に凄い力がある。ザアッという言葉に世界のすべてを絡め捕ったかのような迫力がある。哲学を煎じ詰めた一瞬を描いているような感触があると思ってしまうのだった》

内田魯庵山脈―「失われた日本人」発掘 (ソリャア、そうだよねと思う。内田魯庵に「五百年に一人出るか・・」と評された露伴ですからね。ポット出《失礼!》とはソリャア比較にならんですよ)

 

中野さんは、今の小説には興味が薄く、あんまり何もしらないのはマズイかなと、ここ五、六年は芥川受賞作だけ読んでいるそうなのだが、心を大きく動かしてくれるものはなく、ますます現代小説嫌いの方向(アサッテの方向?)へ駆り立てられたということだ。

暴力、DV、ロリコン、自傷趣味などに拠りかかった作品に、文学性を見出せないと感じていたそうである。

そして、今回、ちょっとコレまでとは違うぞと期待してアサッテを読んだのだが、どうもやはり、露伴の方がイイゾということらしい。

 

わが推理小説零年―山田風太郎エッセイ集成 ソノ中野翠が推すのが新刊『わが推理小説零年―山田風太郎エッセイ集成 』。

これは「今までどの単行本にも収録されていなかったエッセイを一冊にまとめたもの」。

中野は、20代の山田が、小説というものについての怜悧な定見をもっていたことに驚く。そして引用する。

(これは、現代文学批判になるのだろう)

《「(探偵小説は)論理、トリック、謎、推理の新しい方式の発見こそが重大で、殺人などいじくって見ても新風は生じない」

風太郎さんは、阿部定事件を上回るような凄い奇談が江戸時代にあったと言い、妻の姦通を知ったある日本武士の復讐話を紹介している。これが思わずゲエッとなるようなグロテスクな話だ。風太郎さんは、こういう話は小説にはしにくいと言う。

「それは探偵小説にかぎらず、ほかの文学ではなおさらのこと、やはり一種の気品を要する。むろん、これはお上品という意味ではない。そのひかりこそちがえ、一脈の気品の水脈のとおらない作品は、小説じゃない。ところが右のごとき奇談群に、この水脈をひかせることは、なかなか以って容易なわざではないからである」》

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当方は安心したのである。

文学も他の芸術作品と同じく、やはり、気品の高い方向へと向かうのである。

「気品の水脈がとおって」いるかどうかは、わかる人にはわかるのである。

中島誠之助さんのような鑑定家から、「いい仕事をしてますねえ」と言われるような作品を書かないとね。

たとえグロテスクの極みを書くとしてもね。

幻談・観画談 他三篇 (岩波文庫)

幻談・観画談 他三篇 (岩波文庫)

  • 作者: 幸田 露伴
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1990/11
  • メディア: 文庫

 

 

 

 

 

 

 

 


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