前の10件 | -
脳神経外科医 福島孝徳先生の訃報 [生き方・人生]
脳神経外科医 福島孝徳先生の訃報
https://dr-fukushima.com/information/20240322.html
“ゴッドハンド”“天才脳外科医”と呼ばれた医師の福島孝徳さんが死去した。81歳。公式サイトで発表された。
公式サイトによると福島さんは、脳神経外科医として歩み始めた1970年代から臨床の現場にこだわり、独自の視点から低侵襲・最新の手術を手技を考案し、驚異的なペースで手術を行ってきた。患者に負担をかけずに、合併症のないきれいな手術による一発全治をはたすか、というのが、福島さんの一貫した医療に対する姿勢だった。
48歳のとき、日本の医学界に疑問を覚え、渡米。米国でも臨床の現場にこだわり続け、30数年間にわたり毎年600人以上(米国:250人、日本:300人、ヨーロッパ/南米ほか:50人)もの手術を行い、患者の命を救っていた。生涯2万4000例を超える手術を行った。神の手と称される手術手技「鍵穴手術(キーホールオペレーション)」は、福島さんが開発したもの。頭部に10セント硬貨ほどの小さな穴をあけ、顕微鏡を使って患部を切除・縫合する。患者の予後を一番と考え、開発したものである。この超人的な技術により、通常の開頭手術に比して大幅に患者の負担が軽減され、世界中の患者から絶大な支持を受け、世界一の医療水準を誇るアメリカの医療関係者から福島は「神の手を持つ男」「The Last Hope」と賞賛されていた。
https://dr-fukushima.com/information/20240322.html
“ゴッドハンド”“天才脳外科医”と呼ばれた医師の福島孝徳さんが死去した。81歳。公式サイトで発表された。
公式サイトによると福島さんは、脳神経外科医として歩み始めた1970年代から臨床の現場にこだわり、独自の視点から低侵襲・最新の手術を手技を考案し、驚異的なペースで手術を行ってきた。患者に負担をかけずに、合併症のないきれいな手術による一発全治をはたすか、というのが、福島さんの一貫した医療に対する姿勢だった。
48歳のとき、日本の医学界に疑問を覚え、渡米。米国でも臨床の現場にこだわり続け、30数年間にわたり毎年600人以上(米国:250人、日本:300人、ヨーロッパ/南米ほか:50人)もの手術を行い、患者の命を救っていた。生涯2万4000例を超える手術を行った。神の手と称される手術手技「鍵穴手術(キーホールオペレーション)」は、福島さんが開発したもの。頭部に10セント硬貨ほどの小さな穴をあけ、顕微鏡を使って患部を切除・縫合する。患者の予後を一番と考え、開発したものである。この超人的な技術により、通常の開頭手術に比して大幅に患者の負担が軽減され、世界中の患者から絶大な支持を受け、世界一の医療水準を誇るアメリカの医療関係者から福島は「神の手を持つ男」「The Last Hope」と賞賛されていた。
闘いつづける力: 現役50年、「神の手」を持つ脳外科医の終わらない挑戦
- 作者: 福島孝徳
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 2018/01/31
- メディア: 単行本
話題作の『書いてはいけない』を本人が徹底解説
話題作の『書いてはいけない』を本人が徹底解説
https://www.youtube.com/watch?v=3S4LzijkUgM
https://www.youtube.com/watch?v=3S4LzijkUgM
国民は知らない「食料危機」と「財務省」の不適切な関係 (講談社+α新書)
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2024/02/21
- メディア: 新書
養老大先生は大地震に期待している?
世界全体もそうだが、日本も救いようのない状態になっている。
養老孟司大先生と斎藤幸平氏の対談を視聴した。大先生は社会が変わるためには、大地震を待つしかないように感じておられるようである。煎じ詰めれば、「バカは死ななきゃ治らない」ということなのだろう。
冗談でなく、実際のところ、大地震に見舞われたなら、個人も社会も変わらざるをえなくなる。
それに期待せざるを得ないくらいに、硬直化した人間はバカを突き進む。
【養老孟司vs斎藤幸平】脱GDPを武器に!脳化社会とは?【マルクス主義者】
https://www.youtube.com/watch?v=2T6YJh_P5NU
地震の源とされるナマズに関する資料を見ていたら次のようにあった。
1855年(安政2年)に起きた安政大地震を契機に出回った浮世絵「鯰絵」は、幕府の発禁令にも関わらず、地底の大ナマズが地震を引き起こすという民間信仰にのって江戸市中を賑わした。「鯰絵」では、地震を起こすナマズは破壊者であると同時に、新しい世の中を創造する救済者として描かれている。多くは相次ぐ天災や政治の混迷などに対する民衆の憂さ晴らしに使われ、一部で地震の護符や守り札とされた。
https://www.zukan.earth/descriptions/8/1756790
地震は破壊をもたらし、それは「新しい世の中を創造する」きっかけとなる。
破壊が徹底的で甚大なほど、新しくならざるを得ない。南海トラフやら東京直下などがいつ起こるか騒がれる背後には、不安と同時に、それをある意味、期待しているところがあるのかもしれない。
養老孟司大先生と斎藤幸平氏の対談を視聴した。大先生は社会が変わるためには、大地震を待つしかないように感じておられるようである。煎じ詰めれば、「バカは死ななきゃ治らない」ということなのだろう。
冗談でなく、実際のところ、大地震に見舞われたなら、個人も社会も変わらざるをえなくなる。
それに期待せざるを得ないくらいに、硬直化した人間はバカを突き進む。
【養老孟司vs斎藤幸平】脱GDPを武器に!脳化社会とは?【マルクス主義者】
https://www.youtube.com/watch?v=2T6YJh_P5NU
地震の源とされるナマズに関する資料を見ていたら次のようにあった。
1855年(安政2年)に起きた安政大地震を契機に出回った浮世絵「鯰絵」は、幕府の発禁令にも関わらず、地底の大ナマズが地震を引き起こすという民間信仰にのって江戸市中を賑わした。「鯰絵」では、地震を起こすナマズは破壊者であると同時に、新しい世の中を創造する救済者として描かれている。多くは相次ぐ天災や政治の混迷などに対する民衆の憂さ晴らしに使われ、一部で地震の護符や守り札とされた。
https://www.zukan.earth/descriptions/8/1756790
地震は破壊をもたらし、それは「新しい世の中を創造する」きっかけとなる。
破壊が徹底的で甚大なほど、新しくならざるを得ない。南海トラフやら東京直下などがいつ起こるか騒がれる背後には、不安と同時に、それをある意味、期待しているところがあるのかもしれない。
「転んでもただでは起きない」「倒るる所に土を掴む」 [生き方・人生]
「転んでもただでは起きない」と耳にするが、本来は「転んでもただは起きぬ」だそうである。
転んでもただで起きない とはどういう意味ですか?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1422504854
「転んでもただは起きぬ」が正解
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1235649372?query=%E8%BB%A2%E3%82%93%E3%81%A7%E3%82%82%E3%81%9F%E3%81%A0%E8%B5%B7%E3%81%8D%E3%81%AC
転んで痛い思いをして得たモノからどんどん富んでいく話に「わらしべ長者」があるが、歴史上の実在の人物による凄い実例がある。「転ぶ」などというレベルではない。いのちを落とすような谷に転落して、いのちだけでなくオマケをつかんで生還した話である。なんでも「受領は倒るる所に土を掴め」という言葉がはるかむかしからあって、それをその御仁は実践して見せたらしい。その御仁とは藤原 陳忠(ふじわら の のぶただ)。
「わらしべ長者」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%B9%E9%95%B7%E8%80%85
藤原 陳忠(ふじわら の のぶただ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%99%B3%E5%BF%A0
わらしべ長者も藤原陳忠の逸話も『今昔物語』に登場するという。
わらしべ長者は物々交換によってどんどん富んでいく話である。後に長者となる人物は、自分の現在持つモノを大切にしている。交換の動機は相手のモノが自分のモノより良さそうだからではない。信心や思いやりが心底にある。それが結果として、貧乏人を長者へと推し進めるものとなる。今昔物語の中では、いわば徳のある話として扱われているのだろう。
それに対して藤原陳忠の話は、「受領は倒れるところに土をつかむ」の実践編というべき話で、どちらかというとその後の陳忠の生き方もあって、決して徳のある話としては扱われてこなかったようである。いわば陳忠は反面教師扱いになっているのだろう。
受領は倒れるところに土をつかむー今昔物語
https://kimagurebi.exblog.jp/4440255
紫式部は受領階級の娘 転勤族・中級貴族の代名詞、平安時代における「受領(ずりょう)」とは何か?
https://sengoku-his.com/1996
しかし、である。
起きうるすべてのことからなんらかの価値を引き出せたなら素晴らしいではないか。陳忠の話など、水底から命懸けで真珠貝をすくいとる海女を想像させもする。
「禍福はあざなえる縄のごとし」という大局的人生観のもとで「災い転じて福となす」精神があれば、実際に富むかどうかは別にして、人生面白いにちがいない。
そんなことを考えつついたら落語の『愛宕山』とトルーキンの『ホビットの冒険』を思い出した。
【落語】古今亭志ん朝「愛宕山」rakugo kokonteishincho atagoyama
https://www.youtube.com/watch?v=0neAwMmT-hU
転んでもただで起きない とはどういう意味ですか?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1422504854
「転んでもただは起きぬ」が正解
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1235649372?query=%E8%BB%A2%E3%82%93%E3%81%A7%E3%82%82%E3%81%9F%E3%81%A0%E8%B5%B7%E3%81%8D%E3%81%AC
転んで痛い思いをして得たモノからどんどん富んでいく話に「わらしべ長者」があるが、歴史上の実在の人物による凄い実例がある。「転ぶ」などというレベルではない。いのちを落とすような谷に転落して、いのちだけでなくオマケをつかんで生還した話である。なんでも「受領は倒るる所に土を掴め」という言葉がはるかむかしからあって、それをその御仁は実践して見せたらしい。その御仁とは藤原 陳忠(ふじわら の のぶただ)。
「わらしべ長者」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%B9%E9%95%B7%E8%80%85
藤原 陳忠(ふじわら の のぶただ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%99%B3%E5%BF%A0
わらしべ長者も藤原陳忠の逸話も『今昔物語』に登場するという。
わらしべ長者は物々交換によってどんどん富んでいく話である。後に長者となる人物は、自分の現在持つモノを大切にしている。交換の動機は相手のモノが自分のモノより良さそうだからではない。信心や思いやりが心底にある。それが結果として、貧乏人を長者へと推し進めるものとなる。今昔物語の中では、いわば徳のある話として扱われているのだろう。
それに対して藤原陳忠の話は、「受領は倒れるところに土をつかむ」の実践編というべき話で、どちらかというとその後の陳忠の生き方もあって、決して徳のある話としては扱われてこなかったようである。いわば陳忠は反面教師扱いになっているのだろう。
受領は倒れるところに土をつかむー今昔物語
https://kimagurebi.exblog.jp/4440255
紫式部は受領階級の娘 転勤族・中級貴族の代名詞、平安時代における「受領(ずりょう)」とは何か?
https://sengoku-his.com/1996
しかし、である。
起きうるすべてのことからなんらかの価値を引き出せたなら素晴らしいではないか。陳忠の話など、水底から命懸けで真珠貝をすくいとる海女を想像させもする。
「禍福はあざなえる縄のごとし」という大局的人生観のもとで「災い転じて福となす」精神があれば、実際に富むかどうかは別にして、人生面白いにちがいない。
そんなことを考えつついたら落語の『愛宕山』とトルーキンの『ホビットの冒険』を思い出した。
【落語】古今亭志ん朝「愛宕山」rakugo kokonteishincho atagoyama
https://www.youtube.com/watch?v=0neAwMmT-hU
「無一文になった自分を助けてくれる仲間はいるか」アドラーが教えてくれる"信用と信頼"の決定的違い [生き方・人生]
今さらだけど、アドラー心理学を実践してみたらすごかった!: 普通の会社員が人生を変えた12ヵ月
- 作者: 小泉健一
- 出版社/メーカー: 大和出版
- 発売日: 2024/01/18
- メディア: 単行本
「無一文になった自分を助けてくれる仲間はいるか」アドラーが教えてくれる"信用と信頼"の決定的違い
そして人間関係の悩みは一つもなくなった
小泉 健一(こいずみ・けんいち)
PRESIDENT Online
https://president.jp/articles/-/78067
「早く行きたければひとりで行け。遠くまで行きたければみんなで行け」
有名なアフリカのことわざです。まさにあなたが大きな成長や成果を望むのなら一緒に遠くまで行ける仲間を見つけましょう。
私は勇気づけの言葉を使うようにし、信頼できる人と付き合うようにすることで、周りの人間関係が変化していきました。人間関係が良好になると、まっすぐに自分の夢や理想に向かって突き進むことができます。
そして、この頃から「会社員以外で稼ぐ」という目的が叶いはじめたのです。
これといった強みのない30代"超受け身社員"をたった1年で給料を超える副収入を稼ぐ男にしたコーチの質問
https://president.jp/articles/-/78065
アドラー心理学を実生活に取り入れてみた アドラー心理学を実践で学ぶ
- 作者: 小泉健一
- 出版社/メーカー:
- 発売日: 2021/12/28
- メディア: Kindle版
小泉 健一(こいずみ・けんいち)
PRESIDENT Online
https://president.jp/list/author/%E5%B0%8F%E6%B3%89%20%E5%81%A5%E4%B8%80
これで膝と腰の痛みが全部吹き飛んだ…三浦雄一郎が考案「ヘビーウォーキング」の驚くべき効果 [健康関連]
これで膝と腰の痛みが全部吹き飛んだ…三浦雄一郎が考案「ヘビーウォーキング」の驚くべき効果
https://president.jp/articles/-/77996
三浦雄一郎の考案した「ヘビーウォーキング」の中身
50歳を超えてからは、「歩く」ことがトレーニングの基本になりました。
ランニングは脚への負担が大きいんですね。とくにぼくは膝を痛めていたものですから、走ると必ず膝が腫れました。
ということで、もうトレーニングはできない体になってしまったのかなと落ち込んでいたのですが、あるとき、本を詰め込んで10kgくらいになったリュックサックを背負って、家のまわりを歩いてみたら、無理なく歩くことができました。「よし!」ってことで、それからだんだん歩く距離を延ばしていきました。
また、当時は、東京・原宿に事務所があり、そこをベースに講演会などの仕事もしていました。
たとえば、新幹線で東京駅に帰ってくると、タクシーに乗って、途中の赤坂で降りて、原宿まで歩く。それが“エスカレート”してくると、東京駅から原宿まですべて歩いてみたりと、トレーニングとして意識的に長く歩くことを自分に課しました。
重さも増やしていきました。背中にリュックサックを背負う代わりに、足首にアンクルウェイト(重り)を巻いて歩くのです。最初は片足1kgから2kgでしたが、徐々に3、4、5kgと増やしていき、最後は10kgにも挑戦しました。
これをぼくは勝手に「ヘビーウォーキング」と呼んでいます。
歳を重ねたら「歩く」ことがトレーニングの基本
普段の仕事の行き帰りはもちろん、結婚式に出るときも、これは外しません。
しっかりスーツを着込んでピカピカに磨いた靴を履き、でも人知れず、足首には重りを巻いているなんて、おかしな姿だと思うでしょうね。でも、日常生活すべてがトレーニングと考えていましたから。
そうこうしているうちに、年齢と反比例するように体力は上がってきて、膝が痛い、腰が痛いという痛みが、どういうわけか全部吹き飛んでしまった。「ヘビーウォーキング」は足腰の治療にもひと役買っていたというわけです。
おかげで、70歳からの三度のエベレスト登頂への挑戦のときも、とくにジムに通って特別なトレーニングを受けたわけではなく、すべてこの重りをつけて歩くトレーニングを基本にすることで可能になりました。
もっとも、重りは日々の体調に応じて変化をつけました。今日は疲れたから3kgにしようとか、今日は頑張って8kgにしようとか、その日の気分、コンディションしだいで決めていました。
ぼくはエベレストに登るという夢のために、重りをつけて歩きましたが、歳を取って足腰が弱ってきた人には、毎日歩くだけでも効果的だと思います。
とにかく、歳を重ねたら「歩く」ことがトレーニングの基本だと思います。
何事もやりすぎは禁物
当時、ぼくは65歳。5年後の登頂から逆算すると時間はそれほどありません。
それこそ富士山を走って登れるくらいの体力をつけなきゃ、という気持ちがあったことで続けられた。
結果的に、それがぼくの一番の健康法になったと思います。
ぼくの場合は、走るよりも、先に紹介した、足に重りをつけた「ヘビーウォーキング」です。
このスタイルをやり抜いたことがよかったと思います。
歩くことは誰にでもできますし、体調しだいでは重りだってつけなくてもいい。
気の向いたときに歩き出せばいいし、無理する必要もない。
歩き終わったときの心地よい疲労感は格別です。体がリフレッシュするような気分に包まれ、また明日も歩きたいと思わせてくれます。
そうして体力がついて体重も減ってくると、体が軽くなって、スキーの調子もどんどん上がってきます。何をやっても元気に楽しめるから、人生そのものの次元が変わってきます。
ただし、やりすぎは禁物です。
ケガや病気を「治す楽しみがある」と考えられるか
ぼくにも経験がありますが、あせったり、急ごうと思ったりすると、どうしてもオーバートレーニングになり、結果として疲労が溜まって免疫が下がり、風邪をひきやすくなったり、病気の原因にもなったりします。
トレーニングを頑張りすぎて、膝や腰を痛めたり、また、病気になったりすると、「自分はもう歳なんだ……」と、どうしても悲観的な考え方になるのが中高年です。
その点ぼくの場合、ケガしたり、病気になったりしたら、「治す楽しみがある」と考えるようにしています。これだけちゃんと治療、療養したのだから、「明日はきっと、もっとよくなる」って。
まあ、楽天的なんですね。
でも、とかく悲観的になりがちな中高年にとって大事な心がまえではないかとも思うのです。
https://president.jp/articles/-/77996
三浦雄一郎の考案した「ヘビーウォーキング」の中身
50歳を超えてからは、「歩く」ことがトレーニングの基本になりました。
ランニングは脚への負担が大きいんですね。とくにぼくは膝を痛めていたものですから、走ると必ず膝が腫れました。
ということで、もうトレーニングはできない体になってしまったのかなと落ち込んでいたのですが、あるとき、本を詰め込んで10kgくらいになったリュックサックを背負って、家のまわりを歩いてみたら、無理なく歩くことができました。「よし!」ってことで、それからだんだん歩く距離を延ばしていきました。
また、当時は、東京・原宿に事務所があり、そこをベースに講演会などの仕事もしていました。
たとえば、新幹線で東京駅に帰ってくると、タクシーに乗って、途中の赤坂で降りて、原宿まで歩く。それが“エスカレート”してくると、東京駅から原宿まですべて歩いてみたりと、トレーニングとして意識的に長く歩くことを自分に課しました。
重さも増やしていきました。背中にリュックサックを背負う代わりに、足首にアンクルウェイト(重り)を巻いて歩くのです。最初は片足1kgから2kgでしたが、徐々に3、4、5kgと増やしていき、最後は10kgにも挑戦しました。
これをぼくは勝手に「ヘビーウォーキング」と呼んでいます。
歳を重ねたら「歩く」ことがトレーニングの基本
普段の仕事の行き帰りはもちろん、結婚式に出るときも、これは外しません。
しっかりスーツを着込んでピカピカに磨いた靴を履き、でも人知れず、足首には重りを巻いているなんて、おかしな姿だと思うでしょうね。でも、日常生活すべてがトレーニングと考えていましたから。
そうこうしているうちに、年齢と反比例するように体力は上がってきて、膝が痛い、腰が痛いという痛みが、どういうわけか全部吹き飛んでしまった。「ヘビーウォーキング」は足腰の治療にもひと役買っていたというわけです。
おかげで、70歳からの三度のエベレスト登頂への挑戦のときも、とくにジムに通って特別なトレーニングを受けたわけではなく、すべてこの重りをつけて歩くトレーニングを基本にすることで可能になりました。
もっとも、重りは日々の体調に応じて変化をつけました。今日は疲れたから3kgにしようとか、今日は頑張って8kgにしようとか、その日の気分、コンディションしだいで決めていました。
ぼくはエベレストに登るという夢のために、重りをつけて歩きましたが、歳を取って足腰が弱ってきた人には、毎日歩くだけでも効果的だと思います。
とにかく、歳を重ねたら「歩く」ことがトレーニングの基本だと思います。
何事もやりすぎは禁物
当時、ぼくは65歳。5年後の登頂から逆算すると時間はそれほどありません。
それこそ富士山を走って登れるくらいの体力をつけなきゃ、という気持ちがあったことで続けられた。
結果的に、それがぼくの一番の健康法になったと思います。
ぼくの場合は、走るよりも、先に紹介した、足に重りをつけた「ヘビーウォーキング」です。
このスタイルをやり抜いたことがよかったと思います。
歩くことは誰にでもできますし、体調しだいでは重りだってつけなくてもいい。
気の向いたときに歩き出せばいいし、無理する必要もない。
歩き終わったときの心地よい疲労感は格別です。体がリフレッシュするような気分に包まれ、また明日も歩きたいと思わせてくれます。
そうして体力がついて体重も減ってくると、体が軽くなって、スキーの調子もどんどん上がってきます。何をやっても元気に楽しめるから、人生そのものの次元が変わってきます。
ただし、やりすぎは禁物です。
ケガや病気を「治す楽しみがある」と考えられるか
ぼくにも経験がありますが、あせったり、急ごうと思ったりすると、どうしてもオーバートレーニングになり、結果として疲労が溜まって免疫が下がり、風邪をひきやすくなったり、病気の原因にもなったりします。
トレーニングを頑張りすぎて、膝や腰を痛めたり、また、病気になったりすると、「自分はもう歳なんだ……」と、どうしても悲観的な考え方になるのが中高年です。
その点ぼくの場合、ケガしたり、病気になったりしたら、「治す楽しみがある」と考えるようにしています。これだけちゃんと治療、療養したのだから、「明日はきっと、もっとよくなる」って。
まあ、楽天的なんですね。
でも、とかく悲観的になりがちな中高年にとって大事な心がまえではないかとも思うのです。
タカサカモト『自分の頭で考える。それを原点に生きてきた』(週刊女性2024年2月13日号) [生き方・人生]
上記雑誌の「人間ドキュメント」を読む。タカサカモトさんへのインタビュー記事だ。「タカサカモト?高坂元?坂本隆?知らないなあ・・」と読み始める。
自分の時間を生きるということに素直にしたがってきた方のようだ。そうするための苦労もあったようだが・・
次のような見出しが出ている。
*サッカー王国の「天才」との出会い
*夕焼けが見えない都会生活への戸惑い
*「人生で一番見たかった景色」
*メキシコのタコス屋で汗水流した日々
*人生の迷走から一転、ブラジルで「飛び込み営業」
*「子育てこそが夢だった」
*メジャーリーガーにも広がった活動の場
*人生の迷走から一転、ブラジルで「飛び込み営業」 から少し抜粋してみる。
*********
「自分の時間を生きると決め、その感情に素直に従って生きてきました。ところが次第に世の中の「主流」からズレていき、結局はどこにもたどり着かず、遅かれ早かれ人生に行き詰ってしまうのではないかと、とはいえ4年間、回り道をしてきて、今さらシレッと就職活動をやってしまったら、これまで自分が歩んできた道のりに対する冒瀆ではないかと感じたんです」
考え抜いた結果、リクルートスーツには袖を通さなかった。だからといって明確な道筋が決まっていたわけではない。直美さんとはすでに婚約していたから、何かしらの生活の糧も得なければならない。まさしく「自分の頭で考える」という原点に立ち返らざるを得なかった。そうして迷走を続ける中で、動画の中のネイマールに出会い、半ば衝動的にブラジルに飛んだのだ。
夫婦で移住する計画で、現地で日本語を使える仕事を探したが、うまくいかなかった。そこで思い立ったのが、ネイマールんが所属するサントスFCへの飛び込み営業だった。
形式や前例を重んじる日本とは異なり、海外では行動力で道が切り開ける場合がある。もっともこれは、相手を説得するだけのスキルやアイデア、そして情熱が伴って初めて成立するのだが、タカさんはそれにぴったり当てはまった。
同クラブのスタジアムを見学中に見かけたスタッフらにいきなり声をかけ、自分の思いを熱弁したのだ。
「サントスFCが日本語の公式サイトを開設してくれて、うれしく拝見しました。ところが日本語の間違いが残念ながら散見されます。せっかくの素晴らしい取り組みがもったいないので、修正したほうがいいし、僕なら解決できます」
すると日本に帰国してから1か月後(後略)
*********
自分の頭で考える時間を与えてくれないのが今の時代ではないか。それはつまり自分のいのちを生かさせてくれないということにちがいない・・など考えながら上記記事を読んだ。
著者の本にも目をとおしてみたいところである。
家で死のう! 独りで死のう! [生き方・人生]
ひとりで生きる 老後戦略(プレジデント2024年2/16号)
- 出版社/メーカー: プレジデント社
- 発売日: 2024/01/26
- メディア: 雑誌
上記雑誌に、緩和ケア・在宅医療をおこなっている萬田緑平医師 の記事が出ている。
在宅医療のプロが教える「ひとり老後」で病院に頼りすぎない生き方
副題に「家族がいないほうが実は楽!」。記事リード部には「未婚、離婚、死別などひとりで老後を迎えることが決まれば、不安になるのは死ぬときのことだ。楽に綺麗に最期を迎えたい。その術を、がん患者専門の在宅緩和ケア医・萬田緑平氏に聞いた」。
見出しは次のとおり。
ひとりで死ぬのがメリットだらけの理由
家族に囲まれるより、独りのほうが楽に死ねる
家族がいると死にたくても死ねない
孤独死:独りで死ぬのは「孤高死」、突然死は「ピンピンコロリ」
一人暮らしの高齢者でも穏やかな死を迎えられる
がん:寝たきりにならずに、死ぬ直前まで歩いて生活するには
歩くスピードが人の余命!歩けるうちは、人は死なない
認知症:天涯孤独でもメンタルを苦しまない老人になる
認知症は勝ち組の証し 検査をすれば病名はつく
病院ではなく、家で死にたくなる記事だ。
家に帰ろう: 在宅緩和ケア医が見た 旅立つ命の奇跡 (一般書)
- 作者: 萬田 緑平
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 2013/10/23
- メディア: 単行本
ドイツ人が「無料でも」お茶や水の提供を断るなぜ// 東洋経済オンラインから [経済関連]
ドイツ人が「無料でも」お茶や水の提供を断るなぜ
サービスを受けるのが当たり前になった日本人
四元 伸三 : きづきアーキテクト 匠/シニアカウンセラー
東洋経済オンライン 2024/01/23 10:40
https://toyokeizai.net/articles/-/729503
以下、上記記事からの抜粋
***********
ドイツはOECDの統計でも労働時間が最も少ない国だ。それでも経済大国として成長を続けている。消費者の要求が抑制的でも、経済成長できるモデルが存在しているわけだ。
日本にも「もったいない」という言葉があるように本来はものを大切にする文化があった。ところが、今の日本では、いつでも・どこでもモノやサービスが手に入ることが重視されているため、社会的リソースが過剰に消費されているのではないか(ここで言うリソースには従来の「ヒト、モノ、金、情報」に加えて「時間、環境負荷物質」も考慮している)。
もう1つドイツでの経験を紹介したい。ドイツの日本料理店に行った時のことだ。その店に限らずヨーロッパの日本料理店では、お茶や水は有料で提供されている。
ある時、私がよく知る店の店主に「日本ではお茶や水はタダで出しているのになぜ?」と聞いた。
その日本人店主は「最初の頃は無料で提供していたんですよ。多くのドイツ人のお客様から『注文していないものを出されても困る。無料というがコストはかかっているだろう。お茶も水も不要だからその分を食事代から値引きしてくれ』と言われて、それからは有料にしたんです」と教えてくれた。ドイツ人らしい合理的な考え方だ。
サービスは無料か安いもの、と考える日本人
日本人はサービスを無料、あるいは安いものと理解していることが多い。実際には、どのようなサービスにもコストがかかり、リソースを消費している。つまり、そのサービスを生み出すバリューチェーンの中で誰かが負担しシワ寄せを受けているのだ。
日本における社会的リソースが縮小する中、今後は日本の消費者もすべてのサービスにはコストとリソースが生じていることを理解し、それぞれの消費生活を再検討する必要がある。
*****引用ここまで****
なんでもアタリマエになると感謝の念が薄れる。対価を払おうなどと考えもしなくなる。感謝を示そうともしなくなる。そんな感謝の念のナイ人間にはなりたくないと思うが、知らず知らずのうちにそうなってしまっているにちがいない。日本人はいわば甘やかされ続けて変になってしまっているのだろう。聖書の中に「召し使いを若い時から甘やかすと、いずれ感謝しない人になる」という言葉があるが、きっとそんな具合になっているのだろう。
https://wol.jw.org/ja/wol/b/r7/lp-j/nwtsty/20/29#study=discover
サービスを受けるのが当たり前になった日本人
四元 伸三 : きづきアーキテクト 匠/シニアカウンセラー
東洋経済オンライン 2024/01/23 10:40
https://toyokeizai.net/articles/-/729503
以下、上記記事からの抜粋
***********
ドイツはOECDの統計でも労働時間が最も少ない国だ。それでも経済大国として成長を続けている。消費者の要求が抑制的でも、経済成長できるモデルが存在しているわけだ。
日本にも「もったいない」という言葉があるように本来はものを大切にする文化があった。ところが、今の日本では、いつでも・どこでもモノやサービスが手に入ることが重視されているため、社会的リソースが過剰に消費されているのではないか(ここで言うリソースには従来の「ヒト、モノ、金、情報」に加えて「時間、環境負荷物質」も考慮している)。
もう1つドイツでの経験を紹介したい。ドイツの日本料理店に行った時のことだ。その店に限らずヨーロッパの日本料理店では、お茶や水は有料で提供されている。
ある時、私がよく知る店の店主に「日本ではお茶や水はタダで出しているのになぜ?」と聞いた。
その日本人店主は「最初の頃は無料で提供していたんですよ。多くのドイツ人のお客様から『注文していないものを出されても困る。無料というがコストはかかっているだろう。お茶も水も不要だからその分を食事代から値引きしてくれ』と言われて、それからは有料にしたんです」と教えてくれた。ドイツ人らしい合理的な考え方だ。
サービスは無料か安いもの、と考える日本人
日本人はサービスを無料、あるいは安いものと理解していることが多い。実際には、どのようなサービスにもコストがかかり、リソースを消費している。つまり、そのサービスを生み出すバリューチェーンの中で誰かが負担しシワ寄せを受けているのだ。
日本における社会的リソースが縮小する中、今後は日本の消費者もすべてのサービスにはコストとリソースが生じていることを理解し、それぞれの消費生活を再検討する必要がある。
*****引用ここまで****
なんでもアタリマエになると感謝の念が薄れる。対価を払おうなどと考えもしなくなる。感謝を示そうともしなくなる。そんな感謝の念のナイ人間にはなりたくないと思うが、知らず知らずのうちにそうなってしまっているにちがいない。日本人はいわば甘やかされ続けて変になってしまっているのだろう。聖書の中に「召し使いを若い時から甘やかすと、いずれ感謝しない人になる」という言葉があるが、きっとそんな具合になっているのだろう。
https://wol.jw.org/ja/wol/b/r7/lp-j/nwtsty/20/29#study=discover
日本の空き家:Akiyaが狙われている・・⁈
日本の空き家:Akiyaが狙われている・・⁈
Japan has millions of cheap vacant homes. And foreigners are welcome to buy them | SBS Dateline
https://www.youtube.com/watch?v=hSUHOUEszgM
Japan's abandoned houses: Crisis or expat dream? | Documentary | SBS Dateline
https://www.youtube.com/watch?v=6DAw_ISEEcs
Japan has millions of cheap vacant homes. And foreigners are welcome to buy them | SBS Dateline
https://www.youtube.com/watch?v=hSUHOUEszgM
Japan's abandoned houses: Crisis or expat dream? | Documentary | SBS Dateline
https://www.youtube.com/watch?v=6DAw_ISEEcs
前の10件 | -