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「転んでもただでは起きない」「倒るる所に土を掴む」 [生き方・人生]

「転んでもただでは起きない」と耳にするが、本来は「転んでもただは起きぬ」だそうである。

転んでもただで起きない とはどういう意味ですか?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1422504854

「転んでもただは起きぬ」が正解
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1235649372?query=%E8%BB%A2%E3%82%93%E3%81%A7%E3%82%82%E3%81%9F%E3%81%A0%E8%B5%B7%E3%81%8D%E3%81%AC


転んで痛い思いをして得たモノからどんどん富んでいく話に「わらしべ長者」があるが、歴史上の実在の人物による凄い実例がある。「転ぶ」などというレベルではない。いのちを落とすような谷に転落して、いのちだけでなくオマケをつかんで生還した話である。なんでも「受領は倒るる所に土を掴め」という言葉がはるかむかしからあって、それをその御仁は実践して見せたらしい。その御仁とは藤原 陳忠(ふじわら の のぶただ)。

「わらしべ長者」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%B9%E9%95%B7%E8%80%85

藤原 陳忠(ふじわら の のぶただ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%99%B3%E5%BF%A0

わらしべ長者も藤原陳忠の逸話も『今昔物語』に登場するという。

わらしべ長者は物々交換によってどんどん富んでいく話である。後に長者となる人物は、自分の現在持つモノを大切にしている。交換の動機は相手のモノが自分のモノより良さそうだからではない。信心や思いやりが心底にある。それが結果として、貧乏人を長者へと推し進めるものとなる。今昔物語の中では、いわば徳のある話として扱われているのだろう。

それに対して藤原陳忠の話は、「受領は倒れるところに土をつかむ」の実践編というべき話で、どちらかというとその後の陳忠の生き方もあって、決して徳のある話としては扱われてこなかったようである。いわば陳忠は反面教師扱いになっているのだろう。

受領は倒れるところに土をつかむー今昔物語
https://kimagurebi.exblog.jp/4440255

紫式部は受領階級の娘 転勤族・中級貴族の代名詞、平安時代における「受領(ずりょう)」とは何か?
https://sengoku-his.com/1996

しかし、である。

起きうるすべてのことからなんらかの価値を引き出せたなら素晴らしいではないか。陳忠の話など、水底から命懸けで真珠貝をすくいとる海女を想像させもする。

「禍福はあざなえる縄のごとし」という大局的人生観のもとで「災い転じて福となす」精神があれば、実際に富むかどうかは別にして、人生面白いにちがいない。

そんなことを考えつついたら落語の『愛宕山』とトルーキンの『ホビットの冒険』を思い出した。

【落語】古今亭志ん朝「愛宕山」rakugo kokonteishincho atagoyama
https://www.youtube.com/watch?v=0neAwMmT-hU
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