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梶山季之と三島由紀夫 [本・書評]

昨日の更新時、立花隆の先輩格のジャーナリストについて書いた。「トップ屋」梶山季之のことである。

年譜を見ると、梶山は1975年に亡くなっている。1970年に自決した三島由紀夫と同じく45歳没である。

ふたりともに小説家であるが、工芸品の世界でいうなら梶山は職人で三島は作家(芸術家)ということになるだろう。

しかし、稼いだという点では、三島はまったく梶山に及ばないにちがいない。三島は松本清張をたいへん嫌って、同じ文学全集に掲載されるのを拒否したというが、同じシチュエーションになれば、梶山も同じ扱いを受けたかもしれない。

だが、梶山は日本文学全集に載せられる作家としては、そもそも数えられることもなかったのではないだろうか。本来、純文学志向で、芸術的作品をものしたかったにもかかわらず、たいへん不本意なところで膨大なエネルギーを消費せざるを得なかった。貧乏でもいいから、芸術作品を残したかったにもかかわらず、そうできなかった。

しかし、そうした男の残した作品のなかにも珠玉はある。「李朝残影」だ。

と、ここまで、書いてきて、当方未読です。では、あまりにもあんまりなのであるが、いい作品のはずである。読んでみたいと思っている。


族譜・李朝残影 (岩波現代文庫)

族譜・李朝残影 (岩波現代文庫)

  • 作者: 梶山 季之
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2007/08/17
  • メディア: 文庫




その後、ネットを見ていたら、梶山の弟子にあたる方:橋本健午氏のホームページをみつけた。電子版「梶山季之資料館」等みることができる。
https://kengohashimoto.com/index.html

ちなみに、橋本健午氏は本年の2月14日に膵臓癌でお亡くなりになったという。


別冊新評 梶山季之の世界 追悼特集号●遺稿「積乱雲」●トップ屋時代の梶山季之

別冊新評 梶山季之の世界 追悼特集号●遺稿「積乱雲」●トップ屋時代の梶山季之

  • 出版社/メーカー: 新評社 262
  • 発売日: 1975/07/20
  • メディア: 雑誌




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立花隆「人間の脳は、すごいよ。鍛えれば鍛えるほど、回転するんだ」 [本・書評]

知の巨人:立花隆の読書法についてふれた追悼記事。

そこには、無意識をフィルターに活用する読書法が出ている。

スループット読書法だ。

シロナガスクジラがオキアミを呑み込むようにして立花さんは、知を栄養としていったのだろう。

余分なモノは吐き出され、残るモノは残る。

「人間の脳は、すごいよ。鍛えれば鍛えるほど、回転するんだ」という言葉は、立花さんの遺言に聞こえる。


立花隆さん死去 生前語っていた“知の巨人”の大量読書術「人間の脳は、すごいよ」〈AERA〉6/23(水) 11:56配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/e50331f7a248c1ad2cfb036f4a2f16cfc94d8000?page=2


ぼくはこんな本を読んできた―立花式読書論、読書術、書斎論

ぼくはこんな本を読んできた―立花式読書論、読書術、書斎論

  • 作者: 立花 隆
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1995/12/01
  • メディア: 単行本



立花隆の書棚

立花隆の書棚

  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2013/03/08
  • メディア: 単行本


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司馬遼太郎の面倒見の良さ [本・書評]

『朝日新聞』に、『語るー人生の贈りもの』という連載がある。著名な方たちの談話が紹介される。

ここのところ語っているのは、民俗学者 神崎宣武氏である。昨日(6月16日)分には、作家 司馬遼太郎の面倒見の良さを示す例がでている。

以前、高峰秀子が書いていたのを読んだのだが、司馬が編集者を紹介してくれ、その編集者に対し「よろしくお願いします」とぺこんとお辞儀をしてくれたと、そこには記されていた。そのような面倒見の良さをあちこちで示していた様子がわかる。

「師に通じる 司馬遼太郎」 と題されている。

********以下、引用*******

《1979年から日本観光文化研究所の事務局長を務め、生計も少し楽になった。81年、所長の宮本常一が胃がんのため73歳で亡くなる》

葬儀の前に、作家の司馬遼太郎さんから電話がかかってきました。「司馬遼太郎で花を出してくれ。立て替える金はあるか」。宮本先生が研究所の事業のことで司馬さんに面会したとき、カバン持ちの私もついていったことがあり、面識はありました。

その後、司馬さんのお宅にお礼に伺いました。「これからどうするんだ」ときかれ、「先生もいなくなりましたし、田舎へ帰って神主をやろうと思います」と答えると、「本を1冊書きなさい」。与えられたテーマは、岡山の郷里の祭礼と暮らし。家に伝わる古文書と祖父から聞いた話、受け継がれている祭りのこと、題材はそれだけでいい、と言われました。

東京へ帰ったら、司馬さんの根回しで中公新書の編集者がすぐに来て、執筆に取りかかりました。

《83年に著書『吉備高原の神と人』が刊行された》

出版前に、司馬さんに原稿をすべて送っていました。司馬さんは「これでいい」と。できあがった本を持って司馬さんを訪ねると、司馬さんは本を脇に置いて語りました。「君の文章には音やにおいがない。読む人に情景を描いてもらうような文章を書くトレーニングをしろ」。宮本先生に叱られたときと同じで、活字になってから言われるのはこたえますね(笑)。

稚拙な文章でしたが、この本から、私が自立して書いていくことが始まりました。司馬さんには20冊書け、と言われました。これは、宮本先生が原稿を1万枚書いたら自分の文体ができるよ、と言っていたことと通じます。

司馬さんに次に与えられたテーマは、日本文化特有の「おじぎ」でした。書けないまま司馬さんは亡くなり、ようやく2016年に『「おじぎ」の日本文化』を書き、御霊前に報告することができました。

(聞き手・吉川一樹)
****************

神崎さんは、ぜいたくな方だ。ふたりの師匠をもち、ひとりは宮本常一、もうひとりは司馬遼太郎である。上記引用からみると、司馬さんは、卒論の指導教官のようにふるまった様子がわかる。出版まで、面倒を見ている。至れり尽くせりである。

神崎さんの著作『「おじぎ」の日本文化』を、当方ははじめて知った。ここのところずっと、戦争前の古い日本映画を見ていて、「おじぎ」が印象深く、きれいであると感じていた。読んでみたい。


「おじぎ」の日本文化 (角川ソフィア文庫)

「おじぎ」の日本文化 (角川ソフィア文庫)

  • 作者: 神崎 宣武
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川学芸出版
  • 発売日: 2016/03/25
  • メディア: 文庫




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『フォトリーディング』について [本・書評]

昨日、某大学病院に出向いた際、本を持っていくのを忘れていた。そのことに気づいて我ながら迂闊であると思った。長い時間待たされることは必定だからだ。

スマホを持ってはいたが、それで本を読む気持ちになれなかった。ニュースをいくつか見ただけで終わった。

それで、帰宅してから、「なにか次のときに、持参できる本はないか」と本棚をみると『フォトリーディング』の本があった。もう表紙の色がヤケてしまっている。寝ぼけたような黄色になっている。

神田昌典監訳ポール・R・シーリー著『あなたもいままでの10倍速く本が読める』である。発行年を見ると2001年9月26日初版発行とある。手元にあるのは同年11月25日発行12刷りである。

20年も経過している。道理で表紙がヤケているわけである。


あなたもいままでの10倍速く本が読める

あなたもいままでの10倍速く本が読める

  • 出版社/メーカー: フォレスト出版
  • 発売日: 2001/09/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



いつもフォトリーディングの手順どおりに本を読んでいるわけではないが、メソッドは有効である。このメソッドのベースにある考え方は、無意識・潜在意識の有効利用である。潜在意識を味方につけると、自分(の思っている自分)以上の仕事ができるということである。ある本を読む時点で、すでに持っている基礎知識の豊富さにもよるが、基礎知識のある人ほど、速さは増す。

潜在意識の働きについては(こんなことを記すと、薄気味わるく、変:ヘンに思われるかもしれないが)祖母の話しにオモシロイものがある。明治43年生まれの祖母が、製糸工場で働いていた頃の話だが、時間通りに起きるのに、マクラに話しかけることが有効だと言っていた。「マクラさん、マクラさん、明日○○時に起こして」とお願いして寝ると(目覚まし時計などなくても)その時間に起きられるのだと真顔で話していた。聞いたときは、「明治生まれがオカルトめいたことを言う」と思ったが、ホントウだというのだから、仕方ない。それも潜在意識が働いているのだと思う。本人は寝ている間も、潜在意識のほうは、機能していて、意識に働きかけてくる。ちょうど大脳が休んでいるときにも、命を維持する脳幹部が動いているのと同じことであるように理解している。

上記書籍のダイジェスト(図解)版を持っているが、そちらは、理論的なことが詳しく書かれていない。それだから、フォトリーディング・メソッドの手順を思い起こすにはイイが、身に着ける動機付けを保つ上では、ダイジェスト版でない方を読むのがいい。それで、当方も、たまに読み返してみようというわけである。


図解! あなたもいままでの10倍速く本が読める

図解! あなたもいままでの10倍速く本が読める

  • 出版社/メーカー: フォレスト出版
  • 発売日: 2005/05/24
  • メディア: 大型本



(以下、蛇足的追記)

最近、速読(結果として速くなるという意味で)関連のオモシロイ本をみつけた。『脳にまかせる勉強法』の著者で、「2019年度 記憶力日本選手権大会」優勝者。日本人初「世界記憶力グランドマスター」獲得者:池田 義博氏の著作だ。

メモリースポーツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84#%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%82%AA%E3%83%B3


一度読むだけで忘れない読書術

一度読むだけで忘れない読書術

  • 作者: 池田 義博
  • 出版社/メーカー: SBクリエイティブ
  • 発売日: 2021/02/20
  • メディア: Kindle版



脳にまかせる勉強法

脳にまかせる勉強法

  • 作者: 池田義博
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2017/03/13
  • メディア: Kindle版




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2:伝説的なアメリカ最高裁判事:オリバー・ウェンデル・ホームズ [本・書評]

先回、オリバー・ウェンデル・ホームズのことをD・カーネギーの本から引用した。その本には、G・B・S(ジョージ・バーナード・ショー)やH・G・ウェルズ、ジャック・ロンドンなど37人が取り上げられている。ひとりにつき5分で読める程度の分量で短い。それでも、著者と親しく接した人物らが多く、人柄がリアルに伝わってオモシロイ。それで、愛読し、浴室に置いていたものだから、本は背が割れて、ページがバラバラになってしまった。

その中でも、とりわけ気に入っているひとりがオリバー・ウェンデル・ホームズなのだ。すべての人物について短い紹介文が付いているが、ホームズについては

こんな老いぼれにならなってみたい、と思うだろうが、さて君にできるか?

である。

先回、後半部分を引用したが、前半を以下に引用してみる。お楽しみいただければ幸甚である。

************

この話はアメリカ思想界全般に偉大な影響を及ぼした人物の話だ。法学方面には特に影響が大きい。何しろアメリカはじまって以来の傑出した学者だった。それでいて実に人間味ゆたかで、火事があると駆け出して見物に行くし、ちょいちょい茶番劇(バーレスク)なども見物するし、特に探偵小説が大好きでとうとう1週間に1冊か2冊と自分で限度を決めたほどだ。最高裁判事オリバー・ウェンデル・ホームズとはそんな人物である。生れは1841年、まだ合衆国が27州しかなかった頃だ。1935年に亡くなる。94歳だった。

彼は過去1世紀間のアメリカ一流の人物はたいがい知っていた。まだ少年の頃大思想家ラルフ・ウォルド・エマーソンを相手に、何時間も本の話をしたこともある。父親は同じ名のオリバー・ウェンデル・ホームズ博士。これはアメリカ随筆文学の古典『朝食のテーブルの独裁者』の作家で、有名な詩「無敵の甲鉄艦」や「小さな二輪馬車」もこの本の中に出ている。

その父親が子供たちにこういったーー食事のときいちばん気のきいたことをいった者にはジャムかママレードをたっぷりおまけにあげるよ。ウェンデル少年はママレードが大好きだから、おかげでたちまち言葉が鋭くなったものだ。70年後、アメリカ合衆国最高裁所判事としていかめしい会議の席に出たときも、ときどきピリッとした警句を飛ばす。あとで記録から削除したものだ。学者だからといって冗談ひとついわずにもったいぶっている必要はないさ、といつもいっていた。髪が真白になってからのことだが、ある晩、ワシントン市で茶番劇を見物に行った。その晩のショーはーーさあ、何といっていいかーーまず、かなり手きびしいものだった。ホームズ判事が大笑いに笑う。十何列まで聞こえる大声だ。そのうちふと、隣にいる男に声をかけた。まるきりの他人である。「わしはね、いつも神に感謝してるんだ。趣味が下等でよかったよ」

忘れては困る。そういったのは名声嘖々たる大法学者、つい近ごろ、イギリス人でないのにイギリス法学協会会員に推された最初の人物なのだ。どえらい学者でありながら一面ごく普通な人ーーアメリカ社会ひろしといえども、こんな人物はまず少ないだろう。

1857年のことだ。彼が法律を勉強しはじめたのを見て父親はゾッとした。何しろ弁護士というととかく見下げられた時代である。「それはやめてくれ、ウェンディ」と父親はいった。「法学なんぞやったら偉いものになれないぞ!」

ところがウェンディは法律をやっても偉くなれると思っていた。そこで一所懸命、あの有名なブラックストーンの『イギリス法注解』を勉強した。まるで小説でも読むように読みふけった。どのページの面白くてたまらない。

ウィリアム・ブラックストン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3

1861年、ハーバード大学卒業の直前に南北戦争がはじまった。さっそく法律の本は戸棚に投げこみ一兵卒として出征する。ダブダブのパンタロン、空色の胴着、真赤な帽子ーーズワーブ兵を真似たといわれる例のヤンキー軍の軍服である。今ならとても戦争に不向きな仕度だろうが、オリバー・ウェンデル・ホームズはその格好でちゃんと戦った。戦傷を受けること前後3回。一度は敵弾に心臓のそばをやられた。担架で運ばれるところを見て、通りかかった軍医がこういったーー「そいつは見てやっても暇つぶしだ。どうせ死んでる!」

果して死んだか?ところが大違いで、このボストン育ちのヤンキー兵は死ぬどころかどんどん成長していた。結局は身長6フィート3インチとなるが、それまであと1インチか2インチ足りなかった頃、国家のため最初の偉勲を樹立した。というのは、その2、3年あとの1864年、大統領リンカーンの命を危うく救ったのは彼らしいからである。

北軍の司令官グラント将軍がリッチモンドの攻撃に手を焼いているとき、ジュバル・アーリーの指揮する南軍の一隊が遠く北上してバージニア州アレクサンドリアへ迫った。ワシントンまでもうわずか20マイルである。

北軍の部隊はスティーブンズ要塞へ集結した。必死に敵を食い止めようとした。大統領リンカーンはまだ前線へ出たことがなかったが、この形勢にスティーブンズ要塞へかけつけた。そして胸壁に近い屋根の上に立っていると戦闘の火蓋が切って落された。リンカーン大統領はヒョロリと痩せた背の高い人物だ。誰でもひと目でそれとわかる。その大統領が敵からまともに見えるところに立っているのだ。

そこへひとりの将官が近づいてこう言った。「大統領閣下、そこはおどきになる方がよろしいかと存じますが」。だがリンカーンは取り合わない。そのうち、5フィート向うで胸壁から首を出した兵士がヨロヨロするとバッタリ倒れて死んだ。3フィート先でもまた1名やられた。

その時突然、リンカーンのすぐ後ろから大声でどなりつけた奴がある。「バカ、すぐ下りろ!戦列を離れるんだ!」びっくりしたリンカーンが振り向くと若いホームズ大尉だった。燃えるような目でハッタと睨みつけている。「やあ、ホームズ大尉か」とリンカーンはニッコリしていった。「民間人にいうときは言葉遣いがちがうんだね」そしてリンカーンはよしよし、と首をたてに振りながら敵弾の届かないところへ出た。

この話がひろまると当然オリバー・ウェンデル・ホームズは英雄あつかいされたが、本人はすぐ打ち消した。「英雄だなんてやめてくれ。ただ軍人の義務を果しただけの話さ。別に大したことじゃない」

果して大したことではなかったろうか?さあ、そうかもしれない。だが、それよりもっと大したことに、この青年士官、戦争がすむとさっさと手を洗って、まるで何もなかったように母校へもどった。法律をマスターしたところであまり金は儲からないーーそれをちゃんと承知の上で母校へもどった。何しろ、「1年やって看板代が出たら弁護士は大成功」と諺があった時代である。

ところがオリバー・ウェンデル・ホームズはその看板代もかせげなかった。事実、30歳になっても食って行けない有様である。31歳で幼馴染のファニー・ディクスウェルと結婚するが、花嫁も花婿も金は1セントしかなかった。やむを得ず父ホームズ博士と同居して3階の寝室に住む。まる1年間、花嫁が暮しを切りつめ切りつめしてようやく移転にこぎつけた。移転した新居というのが、何と、薬屋の2階の二間か三間、炊事するにも火口1個のガス台しかない。

天才といわれたホームズ博士の息子だが、まだスタート・ラインを踏み切っていなかったのだ。

手のあいている暇をみつけて、彼は法学の偉大な古典、ジェイムズ・ケントの『アメリカ法注解』全4巻の改訂と現代化にかかった。大へんな仕事である。判例は幾万とあるし裁判所の意見も無数である。それをことごとく研究して注釈を加えなければならない。1年、また1年とつづけたが、いつになっても完成の見通しが立たない。とうとう自分でも不安になってきた。いやしくも男子たる者は40歳までに名を成すべしーーこれが彼の信念だ。しかも、もう39歳である。

「どうだろう。ファニー、40までにまとまるかな?」と、よく妻にいったものだ。時計が真夜中の12時を打つと、デスクから目を上げてきくのである。すると編物を膝においてファニーが必ずこう返事した。「大丈夫よ、ウェンデル、きっとまとまるわ」

結局、仕事はようやく完成した。40回目の誕生日のかっきり5日前、アメリカ法制史にそびえたつ金字塔といわれる彼の大著は出版になったのだ。ホームズ夫妻はシャンパンを抜いてお祝いした。

それで動きだしたのがハーバード大学である。さっそく年俸4500ドルの教授になって教えにこないか、と話があった。うわぁ、法学教授か、こりゃすてきだぞ、と彼は思った。目もくらむ光栄である。しかし、そこは抜け目ないヤンキーかたぎのボストン子だ。さっそく友人のジョージ・シャタックに相談をかけた。

「その話、逃がすなよ」シャタックはいった、「ただし、条件をひとつ付けるんだ。もしこのマサチューセッツ州の最高裁判事になるチャンスが出てきた場合は辞任する権利を保留する、とね」。こいつ、とんだことをいう!最高裁判事がきいてあきれる!ホームズは大声を立てて笑い出したが、結局シャタックの意見に従った。

それが生涯第一の幸運になる。3か月するとシャタックがハーバード大学へかけこんで、講義中のホームズ教授を引きずり出した。「おい、ビッグ・ニュースだぞ!オーティス・ロードが辞任したんだ。マサチューセッツの最高裁の判事の席がひとつ空く。知事は君を任命する気なんだが、それには正午までに諮問委員会へ名前を提出しなけりゃならん。もう11時だぞ!」

あとたった1時間しかない。ホームズは帽子をひっつかんだ。ふたりで往来をかけ出した。知事官邸へかけつけたのである。その1週間あと、彼はマサチューセッツ州最高裁判所判事に就任した。あの電光石火の一撃でぼくの一生は変わったね、と彼は述懐している。まさに生涯の転機になったのだ。

ホームズが「大反対屋」と異名を取ったのはマサチューセッツ州最高裁判所判事として在任中である。とかくほかの判事の意見に遠慮なく反対することが多かったからだ。たとえば1886年、労働組合は商店にピケットを張る権利があるか、の問題が起った。ホームズ自身は生涯に1度も筋肉労働の経験がないのだが、断然、その権利を擁護して一歩もあとへ退かない。そして意見書を提出すると、「これでもう法律畑で昇進する見こみはなくなったな」と友人たちにいった。将来の見こみがなくなると承知しながら、断然、自説をまげないのだ。何しろ一身の利害で意見を曲げたことは生涯に一度もない。彼にとっては、信念に徹するーーそれが唯一の問題だった。



D・カーネギー 人生のヒント―5分間人物伝 (知的生きかた文庫)

D・カーネギー 人生のヒント―5分間人物伝 (知的生きかた文庫)

  • 出版社/メーカー: 三笠書房
  • 発売日: 2020/09/27
  • メディア: 文庫




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当該 姉妹ブログのこと [本・書評]

当該ブログには姉妹ブログがある。べつに別にしなくて良かったのだろうが「読書」関連のブログを独立させておきたくなって作った。そのほとんどは、アマゾンの該当書籍ページに掲載したレビューをそのまま載せてある。

Amazonへのレビュー投稿は、古いところでは2004年くらいから始めている。平野レミさんの父上(威馬雄)の書いた『くまぐす外伝』(ちくま文庫)、S.N.ウィリアムス 『英文パラグラフの論理』(研究社)、『舊新約聖書 文語訳』(1993年日本聖書協会)、深沢七郎『楢山節考』(新潮文庫)あたりからである。しかし、その時期のものは姉妹ブログには掲載していないと思う。

Amazonのレビューは、読書記録として始めたもので、以前は古いものも順次遡って見ることができたが、それがアマゾンのシステム上の都合で出来なくなってしまった。それで、仕方なしに自分のブログを必要としたということもある。おなじ理由で中には、Amazonのレビュアーを辞めてしまった方もいる。

姉妹ブログのタイトルは、これまで「環虚洞:百学連環」としていたが、その前は「環虚洞:必冊読書人」としていた。「百学連環」とはエンサイクロペディア:百科事典の明治期における翻訳である。当方のハンドルネーム環虚洞との関連で、頭の文字と末尾の文字が同じになってオモシロイと思ってきたが、ブログタイトルとしては大人しすぎてツマラナイ。「必冊読書人」の方が、その点ではオモシロイ。そのタイトルは、当初「一日必冊読書人」としようかと思ったのを、テレビの人気番組のタイトルに倣って、短くしてしまったのだ。つまり、毎日1冊は読むぞという心意気であったのだ。

このたび、これまでのタイトルの頭に「一日十冊」を加えた。「一日10冊平行して読んでやれ!」くらいの気持ちである。「一〇十〇百〇〇〇」という語の連なりもイイ。実際に、1日に10冊を読み切るのは難しい。そもそも、そんなバカな真似をしてもしようがないと思うが、そのくらいの気概はあってもイイ。大人しすぎ、お行儀良すぎてはツマラナイ。それで、タイトルを変えることにした。

『環虚洞 / 一日十冊 百学連環』
https://kankyodou.blog.ss-blog.jp/

どうぞ、よろしく、お願いいたします。

くまぐす外伝 (ちくま文庫)

くまぐす外伝 (ちくま文庫)

  • 作者: 平野 威馬雄
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2020/08/07
  • メディア: 文庫



英文パラグラフの論理―A programmed approach to logical writing & rapid reading

英文パラグラフの論理―A programmed approach to logical writing & rapid reading

  • 作者: S.N.ウィリアムス
  • 出版社/メーカー: 研究社出版
  • 発売日: 2020/08/07
  • メディア: 単行本



楢山節考 (新潮文庫)

楢山節考 (新潮文庫)

  • 作者: 七郎, 深沢
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2020/08/07
  • メディア: 文庫



舊新約聖書―文語訳クロス装ハードカバー JL63

舊新約聖書―文語訳クロス装ハードカバー JL63

  • 作者: 日本聖書協会
  • 出版社/メーカー: 日本聖書協会
  • 発売日: 1993/11/01
  • メディア: 大型本




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現代日本社会は江戸時代を引きずっている [本・書評]

たいそうなタイトルをつけたが、半藤一利氏と出口治明氏との対談から成る「明治維新とは何だったのか」という本を読んで、そのように感じたまでのことである。

半藤一利
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%8A%E8%97%A4%E4%B8%80%E5%88%A9
出口治明
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E5%8F%A3%E6%B2%BB%E6%98%8E

明治維新とは何だったのか――世界史から考える

明治維新とは何だったのか――世界史から考える

  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2018/06/15
  • メディア: Kindle版



「現代日本社会は江戸時代を引きずっている」というのは、書籍の内容そのものというより、お二方の言葉の端々から得た印象だ。江戸時代が終わって150年以上経つが、われわれの精神はそう簡単に変わらないのだなと感じた。

半藤さんの「父の実家は越後」で、「長岡藩」の出身のようだ。その点、「ウィキペディア」の来歴には「先祖は長岡藩士」とはっきり示されている。祖母から聞いた話をしているのだが、(半藤さんは昭和5年生まれの90歳だから)その御ばあさまは江戸時代のお生まれかもしれない。今から150年前まで、存命の方々の家系を3代も遡れば入ってしまうのだ。

対談を読んでいて、半藤さんの意識のなかで、そのアイデンティティは「長岡藩士の末裔」ということになっているように感じた。かくいう当方も、世代としては、半藤さんの子どもに相当する世代だが、出身地を問われると、実際の誕生地ではなく「水戸です」と答えてきた。水戸藩の出身、水戸藩士の末裔という意識がどこかにあるのだと思う。だから、徳川慶喜の話が出れば自分の殿様のような気分がする。

以下、すこし引用してみる。

「半藤:私も子供の頃から皇国史観という名のいわば『薩長史観』を学校で教え込まれていましたが、父方の祖母には逆のことを教わりましたよ。父の実家は越後なんですが、夏休みに遊びに行くと、祖母が『東京には勲章をつけた偉い奴がたくさんいるみたいだけど、あの連中はみんな泥棒だよ。無理やり喧嘩を売ってきて、七万四千石の長岡藩から五万石を盗んでいったんだ。おまえは、あんな奴らを尊敬することはないだぞ』という話をされたものですよ(p89,90)」

「半藤:そうなんですが、薩摩の人たちは『長州とは一緒にしてくれるな』と言うらしいんですよ(笑)。地元の新聞なんかを見ても、『俺たち薩摩には長州のようなこすっからいところはない。正々堂々と明治の時代を作ったんだから、薩長などと一括りにしないでほしい』といったことが書いてあるようなんです(笑)。僕は『何を言ってるんだ』と思って、そういう言葉には耳を貸さないことにしてますけど。(p71)」

「半藤:・・略・・勝(海舟)さんはべつに尻尾を振って政府に入って高官になったわけじゃありません。『日本のために頼む』と言われて、仕方なく『西郷のためなら手伝うか』と重い腰を上げたんですよ。それを悪くいうから、私は福澤諭吉が嫌いなんです(笑)。それでその私が慶応大学出身者に嫌われている(笑)。(p105,106)」

つまり、そのように現に生きている人間が江戸時代を引きずっているのであれば、その帰属する社会も当然ながらなんらかの影響を受けているはずである。そのような(引きずられた精神を意識するしないにかかわらず所持する)個々の人間が、IT社会、グローバル時代を、現に生きているのだからおもしろい。

余談だが、最近、若い世代に聞いた話。落語が分からないし興味もないという。若い人の皆がみなというわけではないだろうが、落語は江戸の粋のようなものだ。それを聞いて、すこし寂しく思った。

「明治150年記念事業」について(徳川慶喜とからめて)
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2017-05-09


江戸三百藩大全 全藩藩主変遷表付 (廣済堂ベストムック287号)

江戸三百藩大全 全藩藩主変遷表付 (廣済堂ベストムック287号)

  • 出版社/メーカー: 廣済堂出版
  • 発売日: 2015/03/02
  • メディア: ムック




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羊は声を聞き分ける (『牛たちの知られざる生活』ロザムンド・ヤング著 から) [本・書評]


牛たちの知られざる生活

牛たちの知られざる生活

  • 作者: ロザムンド・ヤング
  • 出版社/メーカー: アダチプレス
  • 発売日: 2018/07/31
  • メディア: 単行本



上記イメージ書籍は、動物をあつかった肩のこらない本で、主にウシ、ほかにブタやニワトリ、ヒツジなど家畜のことが記されている。しかし、読んでいくと、「家畜」などと呼んでいいものかという気になってくる。悪口雑言として「畜生」という言葉が用いられもするが、放牧された環境のなかで社会生活をおくる彼・彼女たちの暮らしぶりをみると、人間と変わらぬ感情をもち個性をもって生きていることに、敬意さえ呼び起こされる。

以下に引用するのは、「羊」について記された部分。それは、聖書中の言葉を想起させる。ヨハネの福音書10章にある、羊が羊飼いの声を聞き分けて、その後に従うという記述である。

****以下引用*****

羊は愚かだとか鈍感だとか言われることが多いが、断じてそんなことはない。ジョージ・ヘンダーソンは、著書の『ファーミング・ラダー(農場経営入門)』のなかで、こんな鋭い指摘をしている。「通説とは違い、羊は農場で飼われている動物のなかでも、とびきり知的な生き物だ」

わたしはかつて孤児になった子羊を譲り受けたことがある。母親のミルクがじゅうぶん出なかったため、生まれた二頭のうち一頭が、初乳を飲んですぐの生後二時間ほどでここに連れてこられたのだ。わたしは子羊をエレンと名づけた。エレンを連れてきた農場の主人は、特徴のあるしわがれ声をしていた。六週間後、彼がふたたびうちの農場を訪ねてきたとき、エレンはその声を覚えていて、彼に駆け寄って出迎えたのだ。それから何年かして、わたしがうっかり膝をぶつけて痛さに跳びはねていると、エレンは食事を放りだして、心配そうにわたしに駆け寄ってきた。そして、わたしが(ほんとうはまだ痛かったが)もう痛くないからだいじょうぶだと言ってきかせるまで、食事に戻ろうとはしなかった。(p32)


記憶が正確で長期にわたるのは、羊も同じだ。羊が少なくとも五十人の人間を識別できるというのは、いまでは一般に認められた事実であるようだ。わたしの経験では、羊は出会った人間をすべて記憶している。羊が人間を見分ける上で決め手になるのは声だが、見た目や歩き方や身長も判断材料にしているように思う。(p102)

*****引用ここまで*****

著者は、イギリスで牧場(Kite's Nest Farm)を営んでいる女性。初版は2003年。昨年再販され、たちまち話題になり、タイムズ紙などイギリス各紙で2017年ベスト・ブックに選ばれた、と『訳者あとがき』にある。

10年以上の時を経て、日の目を見ることになった理由として、翻訳した石崎比呂美さんは次のように記している。

****以下引用(ひとつの段落を分割)****

いまの時代に注目されるようになった理由はどこにあるのでしょうか。

ひとつには、本書が、経済重視、効率重視の風潮に疑問を投げかけていることがあるかもしれません。工場的な農場で飼育される「牛」を、「人間」もしくは「労働者」と置き換えれば、身につまされる人も多いかもしれません。

もうひとつの理由には、動物でも人間でも、ひとりひとりをじっくり見ることで見えてくるものがあるという著者のまなざしがあげられます。

レッテルを貼ってひとくくりにするのではなく、それぞれの個性と多様性を認めることが、本書で描かれるカイツ・ネスト・ファームのような生き生きとした社会を作る、そんな気がしてなりません。

****引用ここまで****


ドリトル先生ものがたり 全13冊セット 美装ケース入り (岩波少年文庫)

ドリトル先生ものがたり 全13冊セット 美装ケース入り (岩波少年文庫)

  • 作者: ヒュー ロフティング
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2000/11/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)




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人間は「情報のカタマリ」、つまり「本」みたいなモノ [本・書評]

図書館の除籍本をもらった。読書感想文の書きかたについての本だ。

中学生を対象にしたもので、書き方だけでなく、本との出会い方も示されている。


読むことは生きること―読書感想文の書き方 中学生向き

読むことは生きること―読書感想文の書き方 中学生向き

  • 作者: 紺野 順子
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2000/05
  • メディア: 単行本



本との出会いについて、次のように記されている。

〈私たちは、毎日の暮らしのなかで多くの人と出会い、おたがいに影響しあいながら生きている。さりげない出会いもあれば、なかには、一生の方向を決めてしまうほど、大きな意味をもつ人との出会いもある。本との出会いも、またこうした人との出会いに似ている。なんとなく手にし、忘れ去っていく本との出会いもあるが、人の生涯を決めてしまうほどの「一冊の本」との出会いもある。 / それほど決定的なものでないにしても、すぐれた読書感想文を書くためには、書くに値するすぐれた本との出会いが必要だろう。つまらない人とつまらない時間を共にしても、なんの「感動」も残りはしない。つまらない本を読んでも、読書感想文を書こうという気持ちにはならないだろう。感想文を書くには、「感動」する本との出会いが、まずなければならない。(p24)〉


〈それでは、自分ならではの一冊に出会うためには、どうしたらいいのだろう。その一番いい方法は、ともかく、たくさんの本を読むことだ。読まなければ何もはじまらない。たくさん読むことは、たくさんの出会いのチャンスを作ることになる。 / なんだ、そんなことかと思うかもしれないが、すばらしい人との出会いも、家に引きこもっていて、人と会おうとしなければ、絶対におこり得ない。本に積極的に近づくことなしに、本との出会いはない。(p28)〉


以上のところを読んで、一冊の本を思い出した。徳岡 孝夫著『五衰の人』だ。


五衰の人―三島由紀夫私記 (文春文庫)

五衰の人―三島由紀夫私記 (文春文庫)

  • 作者: 徳岡 孝夫
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1999/11
  • メディア: 文庫



そこで徳岡は、ジャーナリストとして自分が接した人物のなかでも三島はとりわけ面白い人物であったと(読みかじったことを思い出したまま記すので、表現は正確ではないが)記していた。それを読んで、やはり面白い本を書く人間は、面白いものなのだ、と思ったのを覚えている。

また、安部公房のことも想起した。ドナルド・キーン博士によると、安部はきわめつけ面白い人物であったそうだが(これも、テレビで見た談話のなかでの発言で、聞きかじったもの)、その安部が、人間を、「情報のカタマリ」と評していたのを思い出す。

人間は、皆、「情報のカタマリ」であり、それなりに面白いはずなのである。そのオモシロさが分かるほどまでに、胸襟を開いて話すことが難しい時代になった。たいへん残念である。


追記:いま、NHKの「あの人に会いたい」という番組をユーチューブ(https://www.youtube.com/watch?v=7vJF19xQDDI)で確認したら、「情報のカタマリ」ではなく、「無限の情報」と(5分38秒)言っていた。それでも、無限の情報のカタマリが人間だと言っても、安部から怒られることはないように思う。

安部公房伝(あべねり著)
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2011-06-06


安部公房伝

安部公房伝

  • 作者: 安部 ねり
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/03/01
  • メディア: 単行本




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《 評伝 渡部昇一 「知の巨人」の人間学 》松崎之貞著 を読んで [本・書評]


「知の巨人」の人間学 -評伝 渡部昇一

「知の巨人」の人間学 -評伝 渡部昇一

  • 作者: 松崎 之貞
  • 出版社/メーカー: ビジネス社
  • 発売日: 2017/10/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



上記書籍を読んだ。

へんなたとえだが、読んでの印象は、以下のようなものだ。

株式相場の動きがまったく予想できず、皆が皆、こぞって市場から逃げを打ち、「売れ」「売れ」「売れ」という時に、皆が捨てた株を拾って「買い」に走るには、たいへんな勇気がいる。それを余裕をもって行うには、株式市場とそれをとりまく環境への該博な知識・情報、それに自分の拾った株が必ず上がるという希望が必要だ。

「評伝」にみる渡部さんの生き方をみていくと、まさに、ソレがデキタ人、と感じる。しかも余裕をもって、である。

インテリと称する人々がこぞって皆、「左」に傾いて論じているときに、その逆を行く。時には、ほかに誰も論じていないことを、ひとり唱える。それで、「保守」だの「右翼」だの言われ、批判・非難もされるが時間の経過とともに、渡部さんの唱えた「異論」の確からしいことが明らかになっていく。

「異論を唱える」根拠は、一種のカンといっていい。だがそれは、動物的なカンではなく、総合的な知識・教養から来るものだ。その背後には処世上の自・他の経験も大きな位置を占める。だから、青臭いだけの話にならない。論議に血が通う。表紙・袖にも記されている「互いにかけ離れた二項をスパークさせ、意想外の論を展開する閃き(セレンディピティ)・・」も、関係しているように思う。

当該書籍には、渡部さんの「論争」史の要約や唱えた論議のバックグラウンドが記されている。また、その生い立ち、思想形成のメンター(師)となった人々も紹介されている。渡部さんとたいへん身近に接してきた著者ならではの逸話も紹介され、たいへん人間味のある渡部像を得ることもできる。これからその著作を読もうという方にとっては、よい読書案内ともなっている。

「知の巨人」と称され尊敬されてきた人物は数多いが、渡部さんは当代の(和漢だけでなく、洋にも通じた)安岡正篤といっていいのではないか、(岡崎久彦氏は安岡を「昭和の碩学」と呼んだが)そのように思う。

渡部さんに倣って、右や左といった立場を超えて、さらに次元の高い論議を言挙げできるようになりたいものである。そのためには、気の遠くなるような血の通った教養が必要であるが、本書は、そのような動機付けを与えてくれる本でもある。

目次:「知の巨人」の人間学 -評伝 渡部昇一 // 松崎之貞著
http://kankyodou.blog.so-net.ne.jp/2017-12-27



教養のすすめ

教養のすすめ

  • 作者: 岡崎 久彦
  • 出版社/メーカー: 青春出版社
  • 発売日: 2005/06/22
  • メディア: 単行本




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『夫・車谷長吉』 高橋順子著 文藝春秋 [本・書評]


夫・車谷長吉

夫・車谷長吉

  • 作者: 高橋 順子
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2017/05/12
  • メディア: 単行本



車谷長吉の作品をいちど読んだことがある。間もなく店を閉めるというデパートの書籍売り場でのことだ。『 赤目四十八瀧心中未遂 』の書き出しを見て、これはたいした才能だと思った。

すごい作品には、その世界に引きずり込む力がある。冒頭から立ちこめ醸しだされるモノがあって逆らえないほどになる。

それほどのモノを感じたが、それきりでよした。そして、それ以来、一作も読んでいない。それでも車谷長吉の名は忘れずにいた。のちに、NHK教育テレビの白洲正子の追悼番組かなにかで、女性歌人の某と一緒に出ているのを見て当人を知る。坊主頭の板前のような男だった。

その男について書いた本が、上記書籍だ。作者は妻・高橋順子。大岡信と一緒に日本の詩人を代表するかのように海外に出かける人だ。東大の仏文をでている。

東大出の現代詩人と泥臭い小説家の組み合わせは不思議である。読みはじめて、思いに浮かんだイメージは「掃き溜めに鶴」。もちろん、車谷がハキダメで、妻の高橋さんがツルだ。

その異類婚姻譚ともいうべき作品が本書である。高嶺の花に憧れているなら、あきらめる前に一度よんでおくといい。蓮の花も、掃き溜めのドロに落ちてくることもありうることを知ることができる。

思うに、高橋さんが居なければ、 『塩壷の匙 』も『赤目・・』も上梓できなかったのではないか。構想のままで終わってしまうということもあったのではないか。ちょうど、森敦が名伯楽として多くを文壇に送り出しながら、自らはながらく書けずにいたのを、のちに養女となった森富子の助けで『月山』を産み出せたのとおなじようにである。

ある時、長吉は妻の順子さんに憎まれ口をたたく。「わたしは生命と引き換えに小説を書いている。あなたの書いている書評なんかは三日の生命だ。頭のいい人が上手にまとめてる。それだけだ」。

実際、長吉は「生命と引き換えに小説を書いてい」た。むかし話しの『鶴女房』が自分の羽をむしって、機をおるように。その現場、本来であれば覗いてはいけないモノが、長吉の「狂気」であり、「脅迫神経症」であったにちがいない。

覗き見られた鶴女房は、夫の元を去るが、長吉はずっと妻の元に留まる。妻もまた、「この世のみちづれ」として夫の世話を焼く。

長吉の印象はキタナイ。まるで。黒澤映画『醉いどれ天使』の最後のような最期を遂げる。生イカをノドに詰まらせて死ぬ。妻はその最期を見届ける。

「掃き溜めに鶴」。掃き溜めもなければ、鶴もさまにならず絵にもならない。そのように、長吉と順子さんは、写真フィルムのネガとポジのような関係を結ぶ。それはときどき逆転もする。「この世のみちづれ」はそれぞれ、そのようにして直木賞を川端康成賞を読売文学賞を三好達治賞を受賞していく。

その織り成す絵柄をみるのが、本書の醍醐味といえるかもしれない。


「どくとるマンボウ」こと北杜夫氏の躁鬱病
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-04-30

「酔いどれ天使:黒澤明
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-02-11


高橋順子詩集 (現代詩文庫)

高橋順子詩集 (現代詩文庫)

  • 作者: 高橋 順子
  • 出版社/メーカー: 思潮社
  • 発売日: 2001/04
  • メディア: 単行本



森敦との対話

森敦との対話

  • 作者: 森 富子
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2004/08
  • メディア: 単行本



酔いどれ天使[東宝DVD名作セレクション]

酔いどれ天使[東宝DVD名作セレクション]

  • 出版社/メーカー: 東宝
  • メディア: DVD Audio




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「読書のとっかかりが分からない」人へのアドバイス(出口治明氏の談話から) [本・書評]

雑誌に「読書を極める!」と題した特集があり、図書館で読み、手元に置きたく思っていた。週刊ダイアモンドの2015年10月17日号だ。

「読書」を極める! 闘う書店、使い倒せる図書館の歩き方 週刊ダイヤモンド 特集BOOKS

「読書」を極める! 闘う書店、使い倒せる図書館の歩き方 週刊ダイヤモンド 特集BOOKS

  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2016/02/22
  • メディア: Kindle版



一昨日たまたま『アマゾン』を覗いたら、マーケットプレイスで10円以下の値段で出品されている。即、クリックした。それが、本日午前中にとどく。佐藤優、齋藤孝をはじめ多くの読書の達人ともいうべき人たちの記事が出ている。

本日午後、NHK-FMのトーキングウィズ松尾堂を聞いていたら、「グリとグラ」の作者ともうお一方がゲストとして呼ばれ、話している。
http://www4.nhk.or.jp/matsuodo/

もう一人のゲストは「実業家」と紹介されている。低く柔らかい声でのんびり話す男性だ。姓は「出口さん」と呼ばれている。もしかして・・・と思い、午前に届いた雑誌をみるとライフネット生命保険の会長兼CEOの「出口さん」の記事が出ている。

番組の最後に、「今日のお客様は実業家の出口治明さん」と名前が示された。雑誌の「出口さん」も治明さんである。同一人物であった。

雑誌記事には「手繰り寄せるように興味のある本を読む」とタイトルされ、「あくまで自分の好奇心から始めることが重要」とある。そうすれば、自ずとオモシロイ本に出会えるというわけだ。

山口昌男の遊びについて
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2015-01-03


「出口さん」の「本好き」は折り紙付きと言ってイイ。記事に出ている「出口さん」の写真のキャプションには「幼稚園のころから本好きだった。両親に 『なぜ、僕を本屋の息子に生んでくれなかったのか」 と問い詰めたこともある。67歳になった今も 『いつかは書店で働いてみたい』 と語る」とある。

記事中に、オモシロイ提案がある。「読書のとっかかりが分からない。教えてほしい」と聞かれた場合のアドバイスだ。それは「サイコロを振って3の目が出たら、(新聞)書評欄の右から3番目にある本を読めばよい」。

それを「1カ月も続けたら、自分が興味や関心のある分野が浮かび上がってくるはず」と、言う。


「出口さん」の姓名で『アマゾン』を検索したら、たくさんの著書があることを知った。そのうちの一冊は、いま図書館にリクエストしている本だ。他の本の評判も総じて良い。いろいろ目をとおすと、膨大な読書量に支えられた読書に関する他のアドバイスも見いだせるにちがいない。



人生を面白くする 本物の教養 (幻冬舎新書)

人生を面白くする 本物の教養 (幻冬舎新書)

  • 作者: 出口 治明
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2015/09/30
  • メディア: 新書



本物の思考力 (小学館新書)

本物の思考力 (小学館新書)

  • 作者: 出口 治明
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2017/03/30
  • メディア: 新書



人類5000年史I: 紀元前の世界 (ちくま新書)

人類5000年史I: 紀元前の世界 (ちくま新書)

  • 作者: 出口 治明
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2017/11/08
  • メディア: 新書




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村上春樹 “怪現象” について [本・書評]

印刷しすぎて!? 村上春樹の『騎士団長殺し』バカ売れでも“大赤字”の怪現象
2017年7月30日
http://news.livedoor.com/article/detail/13407515/

のニュース。

怪現象でもなんでもない。ただ、刷りすぎただけのハナシである。騒ぐ方がおかしい。

今、書籍関係の新聞広告には、20万冊とかの数字が出て、いかにも売れているかの印象を与えるが、実際に売れた数ではなく、刷った数であることを、しばらく前に聞いた。

どれほど売れたにしても、刷った数の方が、売れた数より多ければ、印刷・製本等にかかった費用がその分ムダになることは当然で、膨大な数を刷ったツケが「赤字」として回ってきたという、あまりにも当然の話だ。

広告にある、○○万部の数字を見るたびに、当方は、「ああ紙がもったいない」と思う。所詮、ブックオフに回って、叩き売られるのはまだイイほうで、多くは、読まれることなく断裁されて、そのままゴミになるばかりである。


以前、村上春樹“現象”について、著者ご本人が、自分の著作が10万部売れたあたりから、ワケがわからなくなったようなことを(どう表現していたか具体的な記述は忘失)、書いていたように思う。

以下の記事など見ると、村上春樹“現象”は、丸っきり出版社・書店・マスコミの印象操作であることが分かる。春樹さんの作品の持つ魅力や力そのものを実のところ理解していない人たちが、他の人が○○万部読読んでいることへの同調圧力から手にして、分かったかのように騒ぐのに乗じ、さらに新刊に際して、印象操作の追い討ちをかけたものの、表面的にしか理解できない人たちが、長距離ランナーでもある春樹さんに、ついには振り切られてしまったというのが、『騎士団長殺し』があまり売れないこと、理解されていないことの理由であるように当方は思う。

「村上春樹現象」という捏造された幻想…読書イベントはたった9人、語り合いなく静かに解散2017.04.01
http://biz-journal.jp/2017/04/post_18547_2.html

かく言う当方は、春樹さんとのイイ出会いをしなかったせいもあって、そのメインの作品すら読まずにきた。ブックオフで『中国行きのスロウボート』を手に入れ、読み始めたものの、途中でヤメテそれ以来読んでいない。それでも、第三の新人たちを扱った評論はオモシロイと感じた。分析しながらよく読んでいると感じた。その点、大江健三郎さんの作品と似ている。小説はさほどでもないが、評論はオモシロイ。大江さんの場合も、『飼育』『死者の奢り』を読みかじった程度であるから、そもそもが、お二方ともに、その文学全体を評価できる立場に当方はない。

若い読者のための短編小説案内 (文春文庫)

若い読者のための短編小説案内 (文春文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2004/10/01
  • メディア: 文庫



それでも、以下の論評を見ると、本当にその文学の(つまりは、春樹さんの人間、作家としての)成長を見守り、共に生きてきた人々(本物のハルキスト)にとっては、振り切られそうになっても追い続けないといけない作品なのではないかと思う。

村上春樹「騎士団長殺し」は期待通りの傑作だ 「文芸のプロ」は、話題の新作をどう読んだか
http://toyokeizai.net/articles/-/160447


そもそもが、小説や文学をカネ儲けの種にするのがヘンなのである。カネ儲けの種になるのがヘンなのである。その点、丸山健二の意見が正しく思う。それは、売れない作家の負け惜しみの感がないでもないが、文学などというものは、その程度のものであるように思う。

『卑小なる人間の偉大なる精神』 丸山健二
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2012-02-20

それでも、そこにイノチを懸けざるを得ないのが、作家(の業)というもので、その作品に理解共鳴賞賛する人がじわじわ増え、そして去り、残された(渡部昇一さんが「20世紀イギリス最大の小説家と言われるアーノルド・E・ベネットの言葉を引用して語る)「ア・パショネット・フュー(a passionate few)」のおかげで、その作品が古典として生き残るのであろうように思う。

渡部昇一『書痴の楽園』 #45 知の巨人のラストメッセージ① ~巨人が愛した作家たち〜
https://www.youtube.com/watch?v=uj2_S8okMlU


どんなに優れた作家でも、現行の作家の現行の作品は、汗や糞尿とあまり変わることのない、今生きていることを証明するモノでしかないように思う。

イノチ懸けでしていることが、糞尿と同じではさびしいが、せいぜいソンナモンと深沢七郎なら言いそうだ。

所詮雲子
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2006-03-03

楢山節考 (新潮文庫)

楢山節考 (新潮文庫)

  • 作者: 深沢 七郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1964/08/03
  • メディア: 文庫



笛吹川 (講談社文芸文庫)

笛吹川 (講談社文芸文庫)

  • 作者: 深沢 七郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/05/11
  • メディア: 文庫



みちのくの人形たち (中公文庫)

みちのくの人形たち (中公文庫)

  • 作者: 深沢 七郎
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2012/05/23
  • メディア: 文庫



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列車の旅に『勉強の哲学』を持参 [本・書評]

きょうはしばらくぶりにJRを利用して東京方面に出た。列車の旅である。

と、言っても、見慣れた風景の中を走るので、本を持参した。一度、通読して、オモシロイと思い、2度目を読むつもりで、持ち出した。千葉雅也著『勉強の哲学』。


勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために

  • 作者: 千葉 雅也
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2017/04/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



哲学者の書く、勉強を哲学した本であるが、たいへん読みやすい。そして、たいへん時流に合っている。

今は、情報過多の時代で、勉強をするにはウッテツケの時代ではあるが、それだけに、どこで勉強のキリをつけたものか、どう限度を設けるべきかがモンダイになってくる。

当方は、その限度の設け方を教示してくれる本として重宝に思った。

(以上は、ほとんど「群盲象をなでる」の類のハナシで、もっと広く深い内容の一部を切り取っただけである。それでも、著者は、読書とはそんなもんだと教えてもいる。目次を読んだって読書だという見方も示されてあるので、お叱りを受けることもないだろう。)


読んでの印象は、「このノリ(本書中で、「ノリ」はキーワードのひとつである)はどこかで、覚えがあるぞ」、というもの。内容ではなく、その記述スタイルについてであるが、須原一秀というオモシロイ本を書く人物がいた。『高学歴男性におくる 弱腰矯正読本:男の解放と変性意識』などという本を書いていた。その著作すべてに、一通り、目をとおしたいと思うほどであったが、残念なことに、自殺してしまった

高学歴男性におくる 弱腰矯正読本―男の解放と変性意識

高学歴男性におくる 弱腰矯正読本―男の解放と変性意識

  • 作者: 須原 一秀
  • 出版社/メーカー: 新評論
  • 発売日: 2000/01
  • メディア: 単行本



今、もしかしてと思って検索したら、『勉強の哲学』の著者は、立命館大学院で教鞭をとっている。須原一秀も、(ウィキペディアをみると)、立命館大で非常勤講師をしていたようだ。なんらかの影響を受けたということがあるのだろうか。

巻末(というより、カバー袖)に、プロフィル写真が出ているが、これがスゴイ。とてもアカデミックな世界の住人には思えない。長髪のななめ横顔、横目でにらむ感じである。両親が美術教師で、当人ももともと芸術関係に進む意図があったというから、その芸術的センスによって選ばれた写真であることはまちがいないが、しかし、それにしても・・・、と思う。

こちらも、どこかで、見た覚えがある。自殺した画家の描いた作品だ。どこがどうというでなく、全体から立ちのぼってくる印象として、当方がそう感じるというまでにすぎないが・・・、

その人物は、鴨居玲。


鴨居玲展 図録 いのち・生きる・愛

鴨居玲展 図録 いのち・生きる・愛

  • 作者: 大阪市立美術館
  • 出版社/メーカー: 日動出版
  • 発売日: 1991
  • メディア: 大型本



いろいろな意味で、オモシロく、そして、コワイ作家が出たぞ、という感じ。


「クレヨンしんちゃん」作者の死因について・・・
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2013-06-01


自死という生き方―覚悟して逝った哲学者

自死という生き方―覚悟して逝った哲学者

  • 作者: 須原 一秀
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2008/01
  • メディア: 単行本



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「心頭滅却すれば火もまた涼し」と鉄舟の辞世の句「腹張りて 苦しき中に 明烏」(宇野全智著『禅と生きる』山川出版から) [本・書評]

下記書籍〈はじめに〉に、「禅的生き方の“いろは”として、読んでいただければと思います」と記されている。著者自身の経験とからめながら、禅に関わる用語や修行について知ることのできる入門書となっている。

そこに「心頭滅却すれば火もまた涼し」についての説明が出ていたので、引用してみたい。


禅と生きる ―生活につながる思想と知恵 20のレッスン

禅と生きる ―生活につながる思想と知恵 20のレッスン

  • 作者: 宇野 全智
  • 出版社/メーカー: 山川出版社
  • 発売日: 2017/06/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



**以下、引用**

「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉があります。織田信長に攻められた禅僧が、火を放たれた境内で言い残した言葉と伝えられています。

私がこの言葉を初めて聞いたのは中学生の時ですが、その意味を「修行して精神を鍛えた禅僧は、たとえ火の中にあっても熱さを感じることはないのだ」と教えられました。本当にそんなことがあるのだろうかと信じられなかったのですが、ずいぶん経った頃、先輩の僧侶が「あれは、火の中にあっても熱さを感じないというのではなく、逃げ回ることもせず、じたばたせずに、熱いなあ!と熱さと一体になった心境を言ったものだよ」と教えてくれました。私の目に、炎に包まれながら「熱いなあ」と座禅をする禅僧の姿が浮かびました。その姿は清清しく、潔いものだったのではないか。この時、私は、禅の修業が目指すものがよく分かった気がしました。  〈9 「心頭滅却すれば火もまた涼し」は本当か 出口のない迷路のなかで〉から

***引用、ここまで***

上の部分を読んで、山岡鉄舟の辞世の句が禅的発想に基づくものであることが分かった。

鉄舟は胃がんで亡くなったが、辞世の句は「腹張りて 苦しき中に 明烏(アケガラス)」。

そのくだりを、『おれの師匠(鉄舟の大往生)』から引用してみる。

OD>おれの師匠―山岡鐵舟先生正伝

OD>おれの師匠―山岡鐵舟先生正伝

  • 作者: 小倉鉄樹
  • 出版社/メーカー: 島津書房
  • 発売日: 2014/07
  • メディア: 単行本


**引用、ここから(読みやすいように文字等改変)**

むんむん暑い夜もだんだん更けてきた。師匠は褥(シトネ)に背をもたせて静かに座っておられる。その時よく出入りしていた梶金八さんが団扇(ウチワ)をとって静かに背後から風を送っていた。するとこれに気がついた師匠は

「後ろから煽ぐのは梶さんではないか。やめてくれ。」

と止められた。

おいおい時刻も移り19日の払暁になって、明烏の鳴き声を聞かれると師匠は

腹 張りて 苦しき中に 明烏

と一句辞世を吟じられた。この辞世は門人一同に物議をおこした。先生ほどの大物の辞世に「苦しい」なんて言葉のあるのは訝(イブカ)しいものだ。また事実はあの通り悠々とされているのだからこれは却って世に出さぬ方がよいと一決されてそのまましまってしまった。

その後天龍寺の俄山和尚が來錫されたとき、中条さんが応接すると

「鉄舟居士臨終の際、何か遺偈などありませんでしたか。」

と質問されたので、元来虚言のつけぬ中条さんは渋々ながら「明烏」の一句を示された。

俄山さんはこれを見て大いに感心し、

「流石は鉄舟居士の遺偈だ」

と深く嘆賞されて其の解説をされたので、家人および門下一同はじめて安心したものだった。

(かつて某大政治家が不慮の変にあったとき、苦しい息の下から「男子の本懐だ」ともらされたという新聞記事を見て小倉老人、「いかがですか」と聞かれたら「どうも痛んで困る」くらいの返事がなぜ出来ないのだろうね、あれだけ正直な大政治家でも、これが本当とすればまだ至らぬものと見えると漏らされていた。)

男子の本懐 (新潮文庫)

男子の本懐 (新潮文庫)

  • 作者: 城山 三郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1983/11/25
  • メディア: 文庫


午前7時半 師匠は浴室に赴かれ、からだを清めてからかねて用意の白衣と着換えた。

9時頃いちど病床に正座したが、すぐ立って四尺ばかり前方へ進み、宮城に向かって結跏趺坐された。入定のご用意だ。気息はだいぶ切迫の体である。

奥方はさすがに耐え難きありさまで師匠の背後にまわり、右肩に軽く手と顔を当てて歔欷(キョキ)するばかりであった。師匠はこれに気付かれて、静かに右方を振り向かれ

「いつまで何をぐずぐずしていますか。」

と微笑まれて再び正面に向きなおられた。すると嗣子の直記さんが進み出て、

「お父上、後事はなにとぞ御気にめされず大往生をお願いいたします。」

と申し上げると

「フフン・・・、よく申した。」

と軽くうなずかれたが

「衣食には心配のないようになっている。おとなしうしておれ。」

そこへ土方宮内大臣が、勅命を奉じて勲二等の勲記ならびに勲章を捧持して來邸、関口隆吉さんと松平定教さんが応待、直記さんの介添えで拝受された。しかしその時は師匠の言語はもはや不調で、かすかに双眼を開かれて、目礼されたように見えたばかりである。このご臨終には、「静かに昼寝がしたいから」という師匠の言葉で近親者や親しい人達のほかはみな隣室に遠慮していたが、それでもかなり大勢の人だった。寂として水を打ったような中に何処ともなく歔欷の音がもれてくる。

森厳な、はりさける空気の中に師匠は全く静かに瞑目大往生をとげられた。午前9時15分である。享年53歳。

前日来二階につめきって居た勝(海舟)さんは

凡俗頻煩君、看破塵世群。辨我處去。精霊入紫雲

という詩をささげて自邸に帰り、連日被を覆うて哀悼されたということである。

(後略)
***引用ここまで***

山岡鐵舟先生臨終図(全生庵蔵)
http://www5d.biglobe.ne.jp/~mutoryu/page1/siryo/shoga.htm


鉄舟随感録

鉄舟随感録

  • 作者: 山岡 鉄舟
  • 出版社/メーカー: 国書刊行会
  • 発売日: 2001/05
  • メディア: 単行本



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