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25年来の“書生”が見た立花隆さんの素顔 [本・書評]

《追悼》牛丼と立ち食いそばを愛した「知の巨人」…25年来の“書生”が見た立花隆さんの素顔 https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/e3-80-8a-e8-bf-bd-e6-82-bc-e3-80-8b-e7-89-9b-e4-b8-bc-e3-81-a8-e7-ab-8b-e3-81-a1-e9-a3-9f-e3-81-84-e3-81-9d-e3-81-b0-e3-82-92-e6-84-9b-e3-81-97-e3-81-9f-e3-80-8c-e7-9f-a5-e3-81-ae-e5-b7-a8-e4-ba-ba-e3-80-8d-e2-80-a625-e5-b9-b4-e6-9d-a5-e3-81-ae-e2-80-9c-e6-9b/ar-AALmUTJ?ocid=uxbndlbing

立花さん素顔の分かる記事だ。「25年来の“書生”」による記事である。

しかし、一番の素顔はご家族が知っていることだろう。父親・夫のことを書いてくれないものかと思う。

井上靖が亡くなったのち、息子さんが父親のことを書いていたのを読んだ。本にもなった。歳をとって温厚になったように思っていた父が娘(著者にとっては妹)のひと言ではげしく怒ったときに、往年の父親を思い出して嬉しくなったというようなことを書いていた(と、思う)。

グッドバイ、マイ・ゴッドファーザー―父・井上靖へのレクイエム

グッドバイ、マイ・ゴッドファーザー―父・井上靖へのレクイエム

  • 作者: 卓也, 井上
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1991/06/01
  • メディア: 単行本




当該記事でも、立花さんの怒りについて記されている。思えば、つまらない怒りである。テレビカメラで撮影されている時には、けっして見せないであろう姿である。だが、それがもっとも深い本質的なものと関係しているかもしれない。「ハムカツが80円だって」「なんでこんなに高いの?」「昔はもっと安かったよ」に、もっとも深い立花隆が隠されているカモしれない。

作家にとっては作品がすべてで、作品で評価して欲しいところではあろうけれど、読者としては、作品をうみだした人物の素顔も知りたいものである。

ご家族のみなさん、よろしくお願いします。

没後30年・井上靖を次女が語る「父の一生は盛大な炎をあげるキャンプファイヤー」
https://news.yahoo.co.jp/articles/8abf77bc38dba609fcb0b3e9c3ffae115f8cd41e?page=2



孔子 (新潮文庫)

孔子 (新潮文庫)

  • 作者: 靖, 井上
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1995/11/30
  • メディア: 文庫


 ジャーナリストで評論家の立花隆さんが、4月30日、80歳で亡くなりました。立花さんは東京大学などで教鞭を執り、多くのお教え子を各界に送り出す“先生”でもありました。『 山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた 』等の著作で知られる、サイエンスジャーナリストの緑慎也さんも、教え子の一人です。

 1996年に立花さんの講義を受講して以来、在学中はゼミ生として、その後は個人スタッフとして、“書生的な関係”で立花さんと接し続けてきた緑さんが振り返る、「知の巨人」の“意外な素顔”とは――。緑さんによる追悼原稿を掲載します。

◆ ◆ ◆

「ハムカツが80円だって」

 麹町の旧日テレの近くにあるカレー屋に行った時のこと、立花さんがメニューを見て、不機嫌な表情を浮かべた。注文を取りに来た店員に「なんでこんなに高いの?」と食ってかかった。

 紀尾井町の文藝春秋からも近く、筆者はその店に行くのは初めてだったが、立花さんは以前、何度か足を運んだらしかった。

「昔はもっと安かったよ」と立花さんに言われても、そこで働きはじめて日が浅い様子の店員は困惑するばかり。いくら値上がりしたと言っても、そんなに怒らなくてもいいはずだ。とりあえず注文して、店員が引っ込んだ後も「こんな高級な店じゃなかった」となかなか立花さんの怒りは収まらない。以前の安いカレー屋の思い出を返してくれという気持ちだったのかもしれない。

 1本1万円もするような高いワインを出す店に対しても厳しかった。店員を呼び、ワインの銘柄を次々と挙げて、これは知らないのか、あれも知らないのかと挑発し、店員のワインの知識を試すのだ。正直言って、たちの悪い客である。しかも、多くの場合、そういう店には出版社の接待で行く。喜んでもらおうと連れてきた編集者の面目も丸つぶれである。立花さんの個人スタッフとして同席していた筆者から見ても、店員や編集者が気の毒だった。

 一方、立花さんは大衆居酒屋のような安い店に行くと嬉しそうで「ハムカツが80円だって」などとニコニコしていた。

立花さんに振る舞ってもらった手料理

 思い返せば、学生時代に立花さんが初めて連れて行ってくれたのも、水道橋駅のガードレール下にかつてあった神戸らんぷ亭だった。当時はまだ『田中角栄研究』『宇宙からの帰還』『精神と物質』で有名なジャーナリズム界の大御所のイメージしかなく、いったいどんな高級店に連れて行ってくれるのだろうとドキドキしたものだが、牛丼チェーンで少し拍子抜けした。その後、何度も一緒に食事に行ったが、大半は松屋、なか卯、区役所の食堂、パン屋のイートインなどだった。「マクドナルドに連れて行けばいいよ」とは、私が初めて1人で立花さんに同伴して筑波の高エネルギー加速器研究機構に取材に行く前、立花さんの担当編集者に聞かされたアドバイスである。

 というと味を軽んじているようだが、立花さんは、安くてかつうまいものへのこだわりが人一倍強かった。それは1970年代、立花さんが一度ジャーナリストを辞め、新宿ゴールデン街で「ガルガンチュア」というバーを経営し、カウンターで何十種類もの料理を作って安く提供していた時代があるからだと考えられる。

 原価と商品価格の差に敏感に反応する癖が付いたのだろう。筆者が立花さんに振る舞ってもらった料理は炒め物が多かったが、驚いたのは手早さで、味付けもバランス良く、さすがと思わされた。

野菜ジュース、シャーペン……

 小さな紙パック入りの野菜ジュースへのこだわりも強かった。コンビニで全種類試して、一番いいのはこれだと熱っぽく語っていたものだ。政治、科学、哲学など、もっと考えるべきことはあるだろうに、限られた脳のリソースを、野菜ジュースの選択に使うのはもったいないと思いつつ、一見どうでもいいことへのこだわりが立花さんらしいところだった。

 一人で立ち食いそば屋で食べている姿を撮影され、「さびしい食生活」のようなひどい書き方をされたこともある。しかし、立花さんはちゃんと味わって食べていたのだと思う。「あそこのかき揚げはうまいよね」とか、どこの立ち食いそばがうまいかといった会話をよくしたものだ。東大駒場キャンパスに講義に行く前には渋谷駅の立ち食いそば屋、名古屋へ出張に行った帰りには新幹線プラットフォームの立ち食いきしめん屋に必ず立ち寄った。

「いろいろ試して、行き着いたんです」

 安いものへのこだわりは食にかかわるものだけではない。晩年愛用していたのはぺんてるのタフという200円くらいのシャーペンだった。芯のサイズは0.9mm径で、濃さは2B以上。何本も同じものを購入し、いつでも使えるように仕事場のあちこちに常備していた。

 机のペン立てにはモンブランの高級そうな万年筆もいくつも並んでいた。聞けば、高いものは10万円もしたという。「使わないのはもったいないじゃないですか」と聞いたが、「いろいろ試して、このシャーペンに行き着いた」と意に介さなかった。

 好んで使った椅子は、パイプ椅子だ。筆者が大阪の司馬遼太郎記念館に飾られていたふかふかのクッションの付いた読書用の椅子に憧れたという話をして、「立花さんは座れれば何でもいいですもんね」と言ったら、ムッとして「いろいろ試して、この椅子に行き着いたんです。ふかふかの椅子は眠くなる。座面が硬いと、仮眠してもすぐ起きれるんだよ」とパイプ椅子の利点を力説した。

 まず自分で食べて、使って評価する。求める機能や質が満たされるなら、値段や評判の高低は二の次。信じるのは自分の評価軸だけ。時の権力や科学研究の最前線に挑んだ根っこには、この姿勢があったと思う。

(緑 慎也)


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