「反骨精神持つ水戸っぽ」立花隆さん死去 [ニュース・社会]
立花隆さん死去 惜別「知の巨人」 「反骨精神持つ水戸っぽ」とニュースタイトルにあるので、「茨城新聞」の記事だろうと推測した。大当たりであった。
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E9%9A%86%E3%81%95%E3%82%93%E6%AD%BB%E5%8E%BB-%E6%83%9C%E5%88%A5-%E7%9F%A5%E3%81%AE%E5%B7%A8%E4%BA%BA-%E5%8F%8D%E9%AA%A8%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E6%8C%81%E3%81%A4%E6%B0%B4%E6%88%B8%E3%81%A3%E3%81%BD/ar-AALmx3P?ocid=msedgntp
「水戸っぽ」と立花さんを評しているが、「ウィキペディア」を見ると出身は長崎になっている。生れは確かに長崎だろうが、幼少・青年初期を過ごしたのは水戸なのだから「水戸っぽ」と言って差し支えなかろう。
いつぞや中学(茨城大学付属中)時代の先輩・後輩として梅宮辰夫と立花さんが、NHKの『旧友再会』に出演した。共に世話になった陸上部の恩師に出会ったり、隣り合わせのようにして住んでいた近所の寺(祇園寺)近くの食堂でカレーとラーメンを食べながら、「こうしてメディアに出ているとカネがあるように思われているけれど、カツカツでやっている」などとしみじみ話すのを聞いて、可笑しかった。ちなみに、そこは当方の母校の目の前で、その食堂には当方も入ったことがある。当時と店のなかの雰囲気が変わっていないので驚いたくらいだ。
「反骨精神」は「水戸の三ぽい」のひとつを持ち合わせていることを強調したかったのだろう。
水戸の三ぽい
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%88%B8%E3%81%AE%E4%B8%89%E3%81%BD%E3%81%84
記事の中には、作曲家の池辺晋一郎さんの言葉も引用されている。
《家が近所で幼なじみだった作曲家の池辺晋一郎さん(77)は「三つ年上で、私にとっては兄だった。毎日のように一緒に遊んだ。彼には兄がいたので、小さいお兄さんの意味で『ちっちゃん』と呼んでいた」と当時を懐かしむ。「当時から本が好きで、川又書店に弁当持参で行って、一日中本を読んでいた姿を思い出す」と語った》。
水戸のローカルな書店名を池部さんは出している。大きな書店である。今はどうか知らないが、当方が日参していた頃は、明治書院の『新釈 漢文大系』がしっかり揃って陳列されていた。立ち読みしていて、嫌がられた記憶はない。それでも、「弁当持参」には畏れ入る。とにかく、子どもの頃からたいへんな読書家であったということだ。
その点で、さらなる証言もある。
《小中高で同級生だった元城里町教育長の石原道明さん(80)=水戸市=は「小中学校時代、学校の図書館の本を全部読んだのではないか、という伝説があったほど読書家だった。当時から文筆家になる素地があった」と振り返る。「中学校の同窓会に呼ぶと、何度も来てくれた」》
立花さんは、ジブリの映画『耳をすませば』に父親役(声優として)で出演していたという。それが「ジブリの『最高のおやじキャラ』ランキング」で第3位にランクインしている。当方は見ていないが、茨城弁が、なんとも言えない味をだしているらしい。
立花隆さん死去、「ジブリ映画のお父さん役」で見せた“茨城弁”の柔らかな姿
https://nlab.itmedia.co.jp/research/articles/264086/
立花隆さん死去 惜別「知の巨人」 「反骨精神持つ水戸っぽ」
茨城新聞社 2021/06/24 05:00
評論家、ジャーナリストの立花隆さんが4月30日に80歳で亡くなった。訃報を受け、少年時代から親交のあった友人らは「読書が好きだった」「水戸っぽだった」とそれぞれ懐かしみ、日本のジャーナリズムにその名を刻んだ「知の巨人」の死を惜しんだ。
茨城県筑西市出身の陶芸家、板谷波山の孫で「波山先生記念会」理事長の板谷駿一さん(80)は、茨城大付属小・中学校、東京大で立花さんと同窓だった。あるとき、小学校が校庭のぬかるみに石炭殻をまき、転んでけがをする児童が出た。学校は慌ててまいた石炭殻を児童に拾わせた。立花さんは学校側の朝令暮改ぶりを学級新聞のコラムで批判したという。
「当時からジャーナリスティックな視点と反骨精神を持っていた。まさに水戸っぽだと思う」と板谷さん。4月に電話で水戸時代の話をしたばかりで、「もう会って彼の面白い話を聞けないかと思うと寂しい」と級友の死を悼んだ。
家が近所で幼なじみだった作曲家の池辺晋一郎さん(77)は「三つ年上で、私にとっては兄だった。毎日のように一緒に遊んだ。彼には兄がいたので、小さいお兄さんの意味で『ちっちゃん』と呼んでいた」と当時を懐かしむ。「当時から本が好きで、川又書店に弁当持参で行って、一日中本を読んでいた姿を思い出す」と語った。
小中高で同級生だった元城里町教育長の石原道明さん(80)=水戸市=は「小中学校時代、学校の図書館の本を全部読んだのではないか、という伝説があったほど読書家だった。当時から文筆家になる素地があった」と振り返る。「中学校の同窓会に呼ぶと、何度も来てくれた」
立花さんは2016年、著書「武満徹・音楽創造への旅」が、優れた芸術評論を顕彰する「吉田秀和賞」(水戸市芸術振興財団主催)を受賞した。受賞後、大学時代に吉田秀和さんの音楽評論に感化されたことを明かし、「吉田さんの文章には人を動かす力がある。その名を冠した賞をもらえたことは、一人の物書きとして光栄。二重三重の喜びがある」と笑顔で話した。
立花さんと同じ水戸一高出身の大井川和彦知事は「大きな存在を失った。高校の後輩として、立花さんの作品や執筆活動などに接する機会を失ったことは、大変残念」と悔やんだ。
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E9%9A%86%E3%81%95%E3%82%93%E6%AD%BB%E5%8E%BB-%E6%83%9C%E5%88%A5-%E7%9F%A5%E3%81%AE%E5%B7%A8%E4%BA%BA-%E5%8F%8D%E9%AA%A8%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E6%8C%81%E3%81%A4%E6%B0%B4%E6%88%B8%E3%81%A3%E3%81%BD/ar-AALmx3P?ocid=msedgntp
「水戸っぽ」と立花さんを評しているが、「ウィキペディア」を見ると出身は長崎になっている。生れは確かに長崎だろうが、幼少・青年初期を過ごしたのは水戸なのだから「水戸っぽ」と言って差し支えなかろう。
いつぞや中学(茨城大学付属中)時代の先輩・後輩として梅宮辰夫と立花さんが、NHKの『旧友再会』に出演した。共に世話になった陸上部の恩師に出会ったり、隣り合わせのようにして住んでいた近所の寺(祇園寺)近くの食堂でカレーとラーメンを食べながら、「こうしてメディアに出ているとカネがあるように思われているけれど、カツカツでやっている」などとしみじみ話すのを聞いて、可笑しかった。ちなみに、そこは当方の母校の目の前で、その食堂には当方も入ったことがある。当時と店のなかの雰囲気が変わっていないので驚いたくらいだ。
「反骨精神」は「水戸の三ぽい」のひとつを持ち合わせていることを強調したかったのだろう。
水戸の三ぽい
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%88%B8%E3%81%AE%E4%B8%89%E3%81%BD%E3%81%84
記事の中には、作曲家の池辺晋一郎さんの言葉も引用されている。
《家が近所で幼なじみだった作曲家の池辺晋一郎さん(77)は「三つ年上で、私にとっては兄だった。毎日のように一緒に遊んだ。彼には兄がいたので、小さいお兄さんの意味で『ちっちゃん』と呼んでいた」と当時を懐かしむ。「当時から本が好きで、川又書店に弁当持参で行って、一日中本を読んでいた姿を思い出す」と語った》。
水戸のローカルな書店名を池部さんは出している。大きな書店である。今はどうか知らないが、当方が日参していた頃は、明治書院の『新釈 漢文大系』がしっかり揃って陳列されていた。立ち読みしていて、嫌がられた記憶はない。それでも、「弁当持参」には畏れ入る。とにかく、子どもの頃からたいへんな読書家であったということだ。
その点で、さらなる証言もある。
《小中高で同級生だった元城里町教育長の石原道明さん(80)=水戸市=は「小中学校時代、学校の図書館の本を全部読んだのではないか、という伝説があったほど読書家だった。当時から文筆家になる素地があった」と振り返る。「中学校の同窓会に呼ぶと、何度も来てくれた」》
知の旅は終わらない 僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと (文春新書)
- 作者: 隆, 立花
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2020/01/20
- メディア: 新書
立花さんは、ジブリの映画『耳をすませば』に父親役(声優として)で出演していたという。それが「ジブリの『最高のおやじキャラ』ランキング」で第3位にランクインしている。当方は見ていないが、茨城弁が、なんとも言えない味をだしているらしい。
立花隆さん死去、「ジブリ映画のお父さん役」で見せた“茨城弁”の柔らかな姿
https://nlab.itmedia.co.jp/research/articles/264086/
立花隆さん死去 惜別「知の巨人」 「反骨精神持つ水戸っぽ」
茨城新聞社 2021/06/24 05:00
評論家、ジャーナリストの立花隆さんが4月30日に80歳で亡くなった。訃報を受け、少年時代から親交のあった友人らは「読書が好きだった」「水戸っぽだった」とそれぞれ懐かしみ、日本のジャーナリズムにその名を刻んだ「知の巨人」の死を惜しんだ。
茨城県筑西市出身の陶芸家、板谷波山の孫で「波山先生記念会」理事長の板谷駿一さん(80)は、茨城大付属小・中学校、東京大で立花さんと同窓だった。あるとき、小学校が校庭のぬかるみに石炭殻をまき、転んでけがをする児童が出た。学校は慌ててまいた石炭殻を児童に拾わせた。立花さんは学校側の朝令暮改ぶりを学級新聞のコラムで批判したという。
「当時からジャーナリスティックな視点と反骨精神を持っていた。まさに水戸っぽだと思う」と板谷さん。4月に電話で水戸時代の話をしたばかりで、「もう会って彼の面白い話を聞けないかと思うと寂しい」と級友の死を悼んだ。
家が近所で幼なじみだった作曲家の池辺晋一郎さん(77)は「三つ年上で、私にとっては兄だった。毎日のように一緒に遊んだ。彼には兄がいたので、小さいお兄さんの意味で『ちっちゃん』と呼んでいた」と当時を懐かしむ。「当時から本が好きで、川又書店に弁当持参で行って、一日中本を読んでいた姿を思い出す」と語った。
小中高で同級生だった元城里町教育長の石原道明さん(80)=水戸市=は「小中学校時代、学校の図書館の本を全部読んだのではないか、という伝説があったほど読書家だった。当時から文筆家になる素地があった」と振り返る。「中学校の同窓会に呼ぶと、何度も来てくれた」
立花さんは2016年、著書「武満徹・音楽創造への旅」が、優れた芸術評論を顕彰する「吉田秀和賞」(水戸市芸術振興財団主催)を受賞した。受賞後、大学時代に吉田秀和さんの音楽評論に感化されたことを明かし、「吉田さんの文章には人を動かす力がある。その名を冠した賞をもらえたことは、一人の物書きとして光栄。二重三重の喜びがある」と笑顔で話した。
立花さんと同じ水戸一高出身の大井川和彦知事は「大きな存在を失った。高校の後輩として、立花さんの作品や執筆活動などに接する機会を失ったことは、大変残念」と悔やんだ。