獅子文六原作『續 南の風』1942年を見る [ドラマ]
獅子文六原作 吉村公三郎監督・佐分利信主演『續 南の風』1942年を見る。
South Wind 2(1942)
https://www.youtube.com/watch?v=TNhrbVMaar8
望洋とした映画である。夢と錯覚の物語である。
斎藤達夫が、マレー人?と薩摩の西郷隆盛研究者の二役をしている。そのトボケタ味はなんとも言えない。
マレー人?27:00~47:15
西郷研究家54:23~59:26
佐分利信演じる主人公:宗像六郎太は宗教詐欺に会う。西郷隆盛にまつわる宗教を日本に広めることに肩入れする。多大の資金を投じる。「一生を投げ出すに足る」男の仕事と真剣に考えてのことだ。しかし、結局のところダマされる。
ダマしダマされるということの一つのカタチが示される。誰もダマそうとしてはいないのだが、結果として、みんなダマされている。
それでも、六郎太は懲りない。次の「一生を投げ出すに足る」男の仕事を探しているようだ。いのちを燃やす仕事が現にナイと、怪しげなものでも、人間それに掛(賭)けたくなるものらしい。
退屈するくらいなら、ダマされた方がイイらしい。❝仕事❞をさがして、ふたたび海を渡る。
その合間に(「魔物」である)女性との関係が描かれる。
高峰三枝子・水戸光子が、その役を果たす。
水戸は、「白魔女」といったところか?
相変わらず佐分利信はイイとこどり。
笠智衆は、引き立て役である。
The Lady in White - The Natural (5/8) Movie CLIP (1984) HD
https://www.youtube.com/watch?v=J0lof7tFKtE&t=9s
The Natural (7/8) Movie CLIP - Savoy Special (1984) HD
https://www.youtube.com/watch?v=2QGYIM-8y38
The Final Homerun - The Natural (8/8) Movie CLIP (1984) HD
https://www.youtube.com/watch?v=i94ldGNNSQ0&t=12s
South Wind 2(1942)
https://www.youtube.com/watch?v=TNhrbVMaar8
望洋とした映画である。夢と錯覚の物語である。
斎藤達夫が、マレー人?と薩摩の西郷隆盛研究者の二役をしている。そのトボケタ味はなんとも言えない。
マレー人?27:00~47:15
西郷研究家54:23~59:26
佐分利信演じる主人公:宗像六郎太は宗教詐欺に会う。西郷隆盛にまつわる宗教を日本に広めることに肩入れする。多大の資金を投じる。「一生を投げ出すに足る」男の仕事と真剣に考えてのことだ。しかし、結局のところダマされる。
ダマしダマされるということの一つのカタチが示される。誰もダマそうとしてはいないのだが、結果として、みんなダマされている。
それでも、六郎太は懲りない。次の「一生を投げ出すに足る」男の仕事を探しているようだ。いのちを燃やす仕事が現にナイと、怪しげなものでも、人間それに掛(賭)けたくなるものらしい。
退屈するくらいなら、ダマされた方がイイらしい。❝仕事❞をさがして、ふたたび海を渡る。
その合間に(「魔物」である)女性との関係が描かれる。
高峰三枝子・水戸光子が、その役を果たす。
水戸は、「白魔女」といったところか?
相変わらず佐分利信はイイとこどり。
笠智衆は、引き立て役である。
The Lady in White - The Natural (5/8) Movie CLIP (1984) HD
https://www.youtube.com/watch?v=J0lof7tFKtE&t=9s
The Natural (7/8) Movie CLIP - Savoy Special (1984) HD
https://www.youtube.com/watch?v=2QGYIM-8y38
The Final Homerun - The Natural (8/8) Movie CLIP (1984) HD
https://www.youtube.com/watch?v=i94ldGNNSQ0&t=12s
獅子文六原作『南の風』(瑞枝の巻)1942年を見る [ドラマ]
獅子文六原作・吉村公三郎監督・佐分利信主演『南の風』(瑞枝編)を見る。
South Wind (1942)
https://www.youtube.com/watch?v=sen1MH5RTzA
男爵家の次男坊を佐分利信が演じている。「18歳のとき冒険小説にかぶれてシンガポールに飛び出」した男だ。それから12年たった今、仕事を辞めて遊んでいる。お金もちである。家は、薩摩の出である。士族である。その男が惚れた女は、妹の友人。父親が株取引で失敗しておでん屋になった。ちゃきちゃきの江戸っ子という印象だ。夢見る男と現実家の女、その二人を中心に話は動く。
総じて、大味のゆるいコメディーといった印象の映画だ。
母親は、失業中の今、鹿児島に墓参りに行こうと息子を誘う。それに応じていった先で、母親から教えを受ける。「お国(薩摩)のならわし」である。母親は「男尊女卑」というが、男尊ではあるが、女卑ではないという話などする。士族のあるべき姿を教授される。
21:49~28:50
また母親から、知人で「九州きっての西郷研究者」のもとへ行くよう言いつけられる。そこで、「薩摩ん魂」「武士の魂」「敬天愛人」を学ぶ。
37:15~48:35
滞在中の旅館で、シンガポール時代の友人(笠智衆)に会う。そこで意気投合してある計画を始める。
望洋とした物語は、後編に続く。
South Wind (1942)
https://www.youtube.com/watch?v=sen1MH5RTzA
男爵家の次男坊を佐分利信が演じている。「18歳のとき冒険小説にかぶれてシンガポールに飛び出」した男だ。それから12年たった今、仕事を辞めて遊んでいる。お金もちである。家は、薩摩の出である。士族である。その男が惚れた女は、妹の友人。父親が株取引で失敗しておでん屋になった。ちゃきちゃきの江戸っ子という印象だ。夢見る男と現実家の女、その二人を中心に話は動く。
総じて、大味のゆるいコメディーといった印象の映画だ。
母親は、失業中の今、鹿児島に墓参りに行こうと息子を誘う。それに応じていった先で、母親から教えを受ける。「お国(薩摩)のならわし」である。母親は「男尊女卑」というが、男尊ではあるが、女卑ではないという話などする。士族のあるべき姿を教授される。
21:49~28:50
また母親から、知人で「九州きっての西郷研究者」のもとへ行くよう言いつけられる。そこで、「薩摩ん魂」「武士の魂」「敬天愛人」を学ぶ。
37:15~48:35
滞在中の旅館で、シンガポール時代の友人(笠智衆)に会う。そこで意気投合してある計画を始める。
望洋とした物語は、後編に続く。
島津保次郎監督『浅草の灯 』上原謙主演 1937年を見る [ドラマ]
島津保次郎監督『浅草の灯 』上原謙主演 1937年を見る。
The Lights of Asakusa (1937)
https://www.youtube.com/watch?v=o8PnK6FBZ5Q&t=2s
「浅草オペラとは、こういうものだったのだ」と、その面影をしのぶことのできる映画だ。
原作は浜本浩の同名小説。
ウィキペディア『浅草オペラ』(「ペラゴロ」の項)に以下のように記されている。
後年有名になる当時のペラゴロ青年に、浜本浩(のちに小説『浅草の灯』(1938年)を書いた)、今東光、サトウ・ハチロー、高田保らがいた。// また、「ペラゴロ」とまではいかなかったが、浅草オペラを愛好した青少年には、宮沢賢治、小林秀雄、今日出海、徳川夢声、東郷青児、川端康成らがいた。宮沢は田谷の名を織り込んだ詩『函館港春夜光景』(1924年作、『春と修羅 第二集』所収)を残し、『ブン大将』に影響を受けたオペレッタ『飢餓陣営』(1922年、通称『バナナン大将』)を書き、花巻農学校で上演している。なお川端の小説『浅草紅団』(1929年)は、浅草オペラの後の時代の浅草を描いた作品である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E8%8D%89%E3%82%AA%E3%83%9A%E3%83%A9
「浅草オペラ」と聞くと、当方は田谷力三や榎本健一を思い出す。当該映画のなかでは「 ベアトリ姐ちゃん」が歌われる。
上原謙は、オペラ歌手の一人で、たいへんな正義派の役。浅草辺のヤクザ者相手に啖呵をきるような役回りである。『怪傑ゾロ』を思わせる❝ような❞衣装で登場する。アラン・ドロンよりハンサムで、かっこイイ(と、評者は思う)。
当時の浅草のにぎわいを想起し、上原謙がただの「二枚目」ではないことを知るうえで大いに見るに値する。
追記:笠智衆が立派な二枚目で出ている。杉村春子がしっかり歌っている。貴重。
エノケンの「 ベアトリ姐ちゃん」
https://www.youtube.com/watch?v=1Z0UunzAWdY&list=RD1Z0UunzAWdY&start_radio=1
恋はやさし野辺の花よ (唄:田谷力三)昭和46年放送より
https://www.youtube.com/watch?v=Ol0ymFZkGzc
田谷力三『コロッケー(コロッケの唄)』益田太郎冠者』
https://www.youtube.com/watch?v=7OUlduFcG3U&t=6s
The Lights of Asakusa (1937)
https://www.youtube.com/watch?v=o8PnK6FBZ5Q&t=2s
「浅草オペラとは、こういうものだったのだ」と、その面影をしのぶことのできる映画だ。
原作は浜本浩の同名小説。
ウィキペディア『浅草オペラ』(「ペラゴロ」の項)に以下のように記されている。
後年有名になる当時のペラゴロ青年に、浜本浩(のちに小説『浅草の灯』(1938年)を書いた)、今東光、サトウ・ハチロー、高田保らがいた。// また、「ペラゴロ」とまではいかなかったが、浅草オペラを愛好した青少年には、宮沢賢治、小林秀雄、今日出海、徳川夢声、東郷青児、川端康成らがいた。宮沢は田谷の名を織り込んだ詩『函館港春夜光景』(1924年作、『春と修羅 第二集』所収)を残し、『ブン大将』に影響を受けたオペレッタ『飢餓陣営』(1922年、通称『バナナン大将』)を書き、花巻農学校で上演している。なお川端の小説『浅草紅団』(1929年)は、浅草オペラの後の時代の浅草を描いた作品である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E8%8D%89%E3%82%AA%E3%83%9A%E3%83%A9
「浅草オペラ」と聞くと、当方は田谷力三や榎本健一を思い出す。当該映画のなかでは「 ベアトリ姐ちゃん」が歌われる。
上原謙は、オペラ歌手の一人で、たいへんな正義派の役。浅草辺のヤクザ者相手に啖呵をきるような役回りである。『怪傑ゾロ』を思わせる❝ような❞衣装で登場する。アラン・ドロンよりハンサムで、かっこイイ(と、評者は思う)。
当時の浅草のにぎわいを想起し、上原謙がただの「二枚目」ではないことを知るうえで大いに見るに値する。
追記:笠智衆が立派な二枚目で出ている。杉村春子がしっかり歌っている。貴重。
エノケンの「 ベアトリ姐ちゃん」
https://www.youtube.com/watch?v=1Z0UunzAWdY&list=RD1Z0UunzAWdY&start_radio=1
恋はやさし野辺の花よ (唄:田谷力三)昭和46年放送より
https://www.youtube.com/watch?v=Ol0ymFZkGzc
田谷力三『コロッケー(コロッケの唄)』益田太郎冠者』
https://www.youtube.com/watch?v=7OUlduFcG3U&t=6s
溝口健二『宮本武蔵』伊丹万作『赤西蠣太』 [ドラマ]
「ユーチューブ」に《ねこむすめ》さんがアップしている古い映画を投稿の古い順に見ている。
『宮本武蔵』を見始めたら、著名な吉川英治原作ではなく菊池寛によるものだという。菊池寛原作が取り上げられるとは珍しいし、どんな映画に仕上がっているか興味があった。おまけに、監督は溝口健二である。しかも、田中絹代も出ている。
Musashi Miyamoto(1944)
https://www.youtube.com/watch?v=iwKjtyHG0CY
大いに期待したのだが、ツマラナイ。なにがツマラナイかというと、ツマル映画にするつもりが、そもそも溝口に無かったのでは・・と感じる。お役所から頼まれて製作を始めたものの、「ええい、ままよ」と投げ出した作品ではないか。そんな感じなのである。
それで、とうとう最後まで見ることなく、当方も投げ出したしだいである。
次に、見たのが、伊丹万作監督の『赤西蠣太』。志賀直哉原作を映画化したもので、有名である。今回見始めて知ったのだが、片岡千恵蔵が赤西と原田甲斐を二役で演じている。『鴛鴦(おしどり)歌合戦』で共演している志村喬も出ている。
Kakita Akanishi(1936)
https://www.youtube.com/watch?v=NgPtwJT2sYU
こちらは、最後までお付き合いすることができた。
伊達騒動、原田甲斐をめぐる一連の事件の裏話といった作品だが、まったくの創作である。だが、オモシロイ。本来であれば、もてないハズの男がもててしまった話である。もててしまったために、話が複雑になってしまった。
『赤西蠣太』をTVドラマ化したものを以前に見た。赤西役を北大路欣也、さざなみ役を鈴木京香。いいドラマに仕上がっていた。監督は市川崑である。
このたび、伊丹万作バージョンを見て、市川崑バージョンが、伊丹万作へのオマージュであると感じた。映画冒頭の撮影シーンは同じではないか。市川は伊丹をたいへんリスペクトしていたのであろう。
市川バージョンは、「テレビ東京」で放映されたが、だれか「ユーチューブ」にアップしれくれないものか。そちらもたいへん素晴らしい出来で、市川崑が亡くなったあと、追悼番組として放映されていた。
「やはりイイ作品は、イイ監督が、やる気をもって当たらないとダメだ」。そんなことを、今、考えている。映画にかかわらず、それは、すべてにおいて、真実ではなかろうか。
『宮本武蔵』を見始めたら、著名な吉川英治原作ではなく菊池寛によるものだという。菊池寛原作が取り上げられるとは珍しいし、どんな映画に仕上がっているか興味があった。おまけに、監督は溝口健二である。しかも、田中絹代も出ている。
Musashi Miyamoto(1944)
https://www.youtube.com/watch?v=iwKjtyHG0CY
大いに期待したのだが、ツマラナイ。なにがツマラナイかというと、ツマル映画にするつもりが、そもそも溝口に無かったのでは・・と感じる。お役所から頼まれて製作を始めたものの、「ええい、ままよ」と投げ出した作品ではないか。そんな感じなのである。
それで、とうとう最後まで見ることなく、当方も投げ出したしだいである。
次に、見たのが、伊丹万作監督の『赤西蠣太』。志賀直哉原作を映画化したもので、有名である。今回見始めて知ったのだが、片岡千恵蔵が赤西と原田甲斐を二役で演じている。『鴛鴦(おしどり)歌合戦』で共演している志村喬も出ている。
Kakita Akanishi(1936)
https://www.youtube.com/watch?v=NgPtwJT2sYU
こちらは、最後までお付き合いすることができた。
伊達騒動、原田甲斐をめぐる一連の事件の裏話といった作品だが、まったくの創作である。だが、オモシロイ。本来であれば、もてないハズの男がもててしまった話である。もててしまったために、話が複雑になってしまった。
『赤西蠣太』をTVドラマ化したものを以前に見た。赤西役を北大路欣也、さざなみ役を鈴木京香。いいドラマに仕上がっていた。監督は市川崑である。
このたび、伊丹万作バージョンを見て、市川崑バージョンが、伊丹万作へのオマージュであると感じた。映画冒頭の撮影シーンは同じではないか。市川は伊丹をたいへんリスペクトしていたのであろう。
市川バージョンは、「テレビ東京」で放映されたが、だれか「ユーチューブ」にアップしれくれないものか。そちらもたいへん素晴らしい出来で、市川崑が亡くなったあと、追悼番組として放映されていた。
「やはりイイ作品は、イイ監督が、やる気をもって当たらないとダメだ」。そんなことを、今、考えている。映画にかかわらず、それは、すべてにおいて、真実ではなかろうか。
木村恵吾監督『歌ふ狸御殿』1942(昭和17)年を視聴 [ドラマ]
木村恵吾監督『歌ふ狸御殿』1942(昭和17)年を視聴。
Singing raccoon palace(1942)
https://www.youtube.com/watch?v=hpJZvMrYJyo&t=198s
『歌ふ狸御殿』(うたうたぬきごてん)は、1942年(昭和17年)公開のオペレッタ映画。木村恵吾が脚本、監督。音楽は佐藤顕雄、古賀政男。作詞、サトウハチロー。[1]
歌ふ狸御殿
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E3%81%B5%E7%8B%B8%E5%BE%A1%E6%AE%BF
「カチカチ山・分福茶釜・シンデレラ」ベース・宝塚アレンジ「ファンタジー・オペレッタ」といった印象の映画で、特撮もあって楽しい。若いころの益田喜頓をみることもできる。
本作品以前のオペレッタ映画に『鴛鴦歌合戦(1939)』がある。そちらは「ジャズ・テイスト・オペレッタ」といった感じである。
『歌う狸御殿』が古賀政男系なら、『鴛鴦歌合戦』は服部良一系である。
『ウィキペディア(鴛鴦歌合戦の項)』には《音楽は服部良一門下の逸材でテイチクレコード専属の大久保徳二郎で、編曲とオーケストラの指揮を執った。テイチク専属の人気歌手ディック・ミネ、および服部の妹服部富子が特別出演。作詞とオペレッタ構成をおこなった島田磬也、および大久保、ミネのトリオは、当時のテイチクのヒットメーカー・チームであった》とある。
『歌ふ狸御殿』もいいが、『鴛鴦歌合戦』もいい。
だが、当方としては、見て楽しく、聞いて楽しく、思わず顔がほころぶ「鴛鴦歌合戦」が好きだ。
鴛鴦歌合戦
https://www.youtube.com/watch?v=32d3mCTh6Ao
鴛鴦歌合戦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%9B%E9%B4%A6%E6%AD%8C%E5%90%88%E6%88%A6#%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%83%88
Singing raccoon palace(1942)
https://www.youtube.com/watch?v=hpJZvMrYJyo&t=198s
『歌ふ狸御殿』(うたうたぬきごてん)は、1942年(昭和17年)公開のオペレッタ映画。木村恵吾が脚本、監督。音楽は佐藤顕雄、古賀政男。作詞、サトウハチロー。[1]
歌ふ狸御殿
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E3%81%B5%E7%8B%B8%E5%BE%A1%E6%AE%BF
「カチカチ山・分福茶釜・シンデレラ」ベース・宝塚アレンジ「ファンタジー・オペレッタ」といった印象の映画で、特撮もあって楽しい。若いころの益田喜頓をみることもできる。
本作品以前のオペレッタ映画に『鴛鴦歌合戦(1939)』がある。そちらは「ジャズ・テイスト・オペレッタ」といった感じである。
『歌う狸御殿』が古賀政男系なら、『鴛鴦歌合戦』は服部良一系である。
『ウィキペディア(鴛鴦歌合戦の項)』には《音楽は服部良一門下の逸材でテイチクレコード専属の大久保徳二郎で、編曲とオーケストラの指揮を執った。テイチク専属の人気歌手ディック・ミネ、および服部の妹服部富子が特別出演。作詞とオペレッタ構成をおこなった島田磬也、および大久保、ミネのトリオは、当時のテイチクのヒットメーカー・チームであった》とある。
『歌ふ狸御殿』もいいが、『鴛鴦歌合戦』もいい。
だが、当方としては、見て楽しく、聞いて楽しく、思わず顔がほころぶ「鴛鴦歌合戦」が好きだ。
鴛鴦歌合戦
https://www.youtube.com/watch?v=32d3mCTh6Ao
鴛鴦歌合戦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%9B%E9%B4%A6%E6%AD%8C%E5%90%88%E6%88%A6#%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%83%88
日活100周年邦画クラシックス GREATシリーズ 鴛鴦歌合戦 HDリマスター版 [DVD]
- 出版社/メーカー: Happinet(SB)(D)
- 発売日: 2012/09/04
- メディア: DVD
溝口健二監督『噂の女』田中絹代主演 1954年を見る
溝口健二監督『噂の女』田中絹代主演 1954(昭和29)年を見る。
Woman of The Rumor
https://www.youtube.com/watch?v=Z-nPyIPzick&t=330s
驚きである。こんなモダンな映画を戦後すぐの時期につくっていたとは・・
音楽を黛敏郎が担当している。あくまでも印象にすぎないが、1958年製作『死刑台のエレベータ』のマイルス・デイヴィスを起用したことに匹敵するように思う。しかも、それよりも前である。その音楽の斬新さに驚く。
https://www.youtube.com/watch?v=YlSGNvtvGVU
ところが、映画の中身は、日本の伝統、必要悪ともいうべき「廓(くるわ)」の世界である。
多くの大夫をかかえる老舗遊郭「井筒屋」の女将(田中絹代)は、面倒見がいい。他の店に移っていった女たち、逃げ出した女たちも、いずれ女将のもとに逃げ帰ってくる。女将は、行き場のない女たちを囲って稼がせてきた。その娘(久我美子)は自分の家を嫌っているが、その御かげで大学教育を受けることもできた。母親が病気のとき、座った帳場が落ち着きのいい居場所であることに気づいて愕然とする。
その母親と娘が、同じ男を好きになってしまう。
そのあたりの葛藤が描かれる。
溝口は世界に冠たる映画作りを明確に意識して作っていたのだろう。劇中劇として狂言『枕物狂』が挿しはさまれたりする。まさに日本の伝統文化である。伝統と斬新、伝統と破壊・・。
そうした意識の高さは、作品の質の高さにおのずと繋がるのだろう。
以下は、ヴェネツィア国際映画祭での日本映画受賞作品。
1951年 - 黒澤明監督『羅生門』が 金獅子賞を受賞。
1952年 - 溝口健二監督『西鶴一代女』が国際賞を受賞。
1953年 - 溝口健二監督『雨月物語』が銀獅子賞を受賞。
1954年 - 黒澤明監督『七人の侍』と溝口健二監督『山椒大夫』が銀獅子賞を受賞。
ヴェネツィア国際映画祭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%8D%E3%83%84%E3%82%A3%E3%82%A2%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%98%A0%E7%94%BB%E7%A5%AD#%E4%B8%BB%E3%81%AA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E9%96%A2%E4%BF%82%E3%81%97%E3%81%9F%E5%8F%97%E8%B3%9E
中国のTVドラマ「宮廷画師 郎世寧」を見ながら思ったこと
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2015-04-14
Woman of The Rumor
https://www.youtube.com/watch?v=Z-nPyIPzick&t=330s
驚きである。こんなモダンな映画を戦後すぐの時期につくっていたとは・・
音楽を黛敏郎が担当している。あくまでも印象にすぎないが、1958年製作『死刑台のエレベータ』のマイルス・デイヴィスを起用したことに匹敵するように思う。しかも、それよりも前である。その音楽の斬新さに驚く。
https://www.youtube.com/watch?v=YlSGNvtvGVU
ところが、映画の中身は、日本の伝統、必要悪ともいうべき「廓(くるわ)」の世界である。
多くの大夫をかかえる老舗遊郭「井筒屋」の女将(田中絹代)は、面倒見がいい。他の店に移っていった女たち、逃げ出した女たちも、いずれ女将のもとに逃げ帰ってくる。女将は、行き場のない女たちを囲って稼がせてきた。その娘(久我美子)は自分の家を嫌っているが、その御かげで大学教育を受けることもできた。母親が病気のとき、座った帳場が落ち着きのいい居場所であることに気づいて愕然とする。
その母親と娘が、同じ男を好きになってしまう。
そのあたりの葛藤が描かれる。
溝口は世界に冠たる映画作りを明確に意識して作っていたのだろう。劇中劇として狂言『枕物狂』が挿しはさまれたりする。まさに日本の伝統文化である。伝統と斬新、伝統と破壊・・。
そうした意識の高さは、作品の質の高さにおのずと繋がるのだろう。
以下は、ヴェネツィア国際映画祭での日本映画受賞作品。
1951年 - 黒澤明監督『羅生門』が 金獅子賞を受賞。
1952年 - 溝口健二監督『西鶴一代女』が国際賞を受賞。
1953年 - 溝口健二監督『雨月物語』が銀獅子賞を受賞。
1954年 - 黒澤明監督『七人の侍』と溝口健二監督『山椒大夫』が銀獅子賞を受賞。
ヴェネツィア国際映画祭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%8D%E3%83%84%E3%82%A3%E3%82%A2%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%98%A0%E7%94%BB%E7%A5%AD#%E4%B8%BB%E3%81%AA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E9%96%A2%E4%BF%82%E3%81%97%E3%81%9F%E5%8F%97%E8%B3%9E
中国のTVドラマ「宮廷画師 郎世寧」を見ながら思ったこと
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2015-04-14
山田・長谷川 主演『鶴八鶴次郎』成瀬巳喜男監督 1938年を見る [ドラマ]
山田五十鈴・長谷川一夫 主演『鶴八鶴次郎』成瀬巳喜男監督 1938年を見る。
Tsuruhachi and Tsurujiro (1938)
https://www.youtube.com/watch?v=9X09eEYhqfU
鶴八(山田)と鶴次郎(長谷川)は兄弟のように育つ。鶴八の母親は鶴次郎の師匠にあたる。ふたりともに好意をもっているが、それを上手に表現できない。かえって、芸のうえで喧嘩ばかりしている。
そういう関係にあるふたりの物語である。いわゆる「芸道もの」で、『歌行燈』や『桃中軒雲右衛門』につながる。
それにしても、誇り、プライドは困りものである。
見ていて三島由紀夫『豊饒の海』の第一部「春の雪」を思い出した。綾倉聡子と松枝清顕との関係をである。あちらもなにかと姉のようにふるまう聡子(さとこ)に対して、清顕は素直になれない。それが、悲劇へとつながっていく。
「春の雪」(三島由紀夫著)読了
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2013-01-05
こうした二人が結ばれるためには、『春琴抄』の佐助のように自分の目をつぶすほどでなければ無理なのだろう。
春琴抄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E7%90%B4%E6%8A%84
Tsuruhachi and Tsurujiro (1938)
https://www.youtube.com/watch?v=9X09eEYhqfU
鶴八(山田)と鶴次郎(長谷川)は兄弟のように育つ。鶴八の母親は鶴次郎の師匠にあたる。ふたりともに好意をもっているが、それを上手に表現できない。かえって、芸のうえで喧嘩ばかりしている。
そういう関係にあるふたりの物語である。いわゆる「芸道もの」で、『歌行燈』や『桃中軒雲右衛門』につながる。
それにしても、誇り、プライドは困りものである。
見ていて三島由紀夫『豊饒の海』の第一部「春の雪」を思い出した。綾倉聡子と松枝清顕との関係をである。あちらもなにかと姉のようにふるまう聡子(さとこ)に対して、清顕は素直になれない。それが、悲劇へとつながっていく。
「春の雪」(三島由紀夫著)読了
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2013-01-05
こうした二人が結ばれるためには、『春琴抄』の佐助のように自分の目をつぶすほどでなければ無理なのだろう。
春琴抄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E7%90%B4%E6%8A%84
監督・脚色:成瀬巳喜男『君と行く路』1936年を見る [ドラマ]
監督・脚色:成瀬巳喜男『君と行く路』1936年を見る。
The Road I Travel With You (1936)
https://www.youtube.com/watch?v=RhmVGkXVS2I
タイトルからいくと『君といつまでも』という感じで「ぼくは幸せだなあー」(これが分かる方は相当の年配の方にちがいない。加山雄三の楽曲名と歌詞を引用したのだが・・)となりそうだが、お話しは「君といつまでも」いるために、死を選ぶ話である。であるからして、暗い映画である。
だが、確かに暗い話ではあるのだが、それほど暗くも感じない。たぶん、醒めた突き放した視点でドラマを描いているからだろう。もっとメロメロ陰々滅々のお涙頂戴の映画にもなったはずだが、成瀬巳喜男の醒めた目には、現実はこのように映るのだろう。
結婚が、家と家との結びつきであった時代の話しである。そこに、恋愛結婚というものが登場した。むかしのように、結婚は結婚として割り切り、色恋は色恋の世界で別に楽しめばいいという時代ではなくなった。個人の意思を尊重すると家が破綻しかねない。しかし、若い人たちは、そんなことはお構いなしである。
そうした変化の時期には、いろいろな問題が生起したろう。心中やら刃傷沙汰やら起きたに相違ない。でも、みんな現実である。現実は現実として受け留めるしかないではないか。「いちいち、泣き笑いしていられまっか」という感じである。
なんとなくではあるが、以前見た映画ダスティン・ホフマン主演の「セールスマンの死」と印象が重なる。
芸者上がりで本家から別荘に男の子ふたりと追い出された女性(清川玉枝)が登場する。子どもたちは社会人、学生へと成長した。子どもたちはメカケの子、元芸者の子であることに引け目を覚えている。母親は、そのことを指摘されてさめざめと泣いたりするが、実のところはたいへん強い女性である。なにがあっても動じない強さを感じる。さめざめと泣くのはバランスを取るための調整機能を果たしているのだろう。転覆寸前でも、それでこれまで苦しい波濤を乗り越えてきたにちがいない。息子の死の報を聞いて驚きはしても動転はしない。
・・・と、書いて「清川玉枝」を『ウィキペディア』で調べたら、ナルホドと思える情報が出ている。清川の実際の人間性が役柄のなかに活きているのではないかと感じる。
《この間に東宝映画東京撮影所文芸課長や新東宝のプロデューサーを務めた伊藤基彦と結婚し、20年に及ぶ結婚生活ののち、1950年(昭和25年)6月に離婚。このとき久保田万太郎を間に立てて離婚披露パーティーを開いて話題をまいた[2]》。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E5%B7%9D%E7%8E%89%E6%9E%9D
「離婚披露パーティーを開」く、しかも、文壇・劇壇に重きをなした「久保田万太郎」先生を引っ張り出して、である。要するに、メタな視点をもっていたということである。自分のことを客観視し、演出して、笑いのタネにできるような人柄だったということだ。
この映画が陰々滅々のドラマにならなかったのは、監督の力量もあるが、この女優の資質にも依っているように感じる。
The Road I Travel With You (1936)
https://www.youtube.com/watch?v=RhmVGkXVS2I
タイトルからいくと『君といつまでも』という感じで「ぼくは幸せだなあー」(これが分かる方は相当の年配の方にちがいない。加山雄三の楽曲名と歌詞を引用したのだが・・)となりそうだが、お話しは「君といつまでも」いるために、死を選ぶ話である。であるからして、暗い映画である。
だが、確かに暗い話ではあるのだが、それほど暗くも感じない。たぶん、醒めた突き放した視点でドラマを描いているからだろう。もっとメロメロ陰々滅々のお涙頂戴の映画にもなったはずだが、成瀬巳喜男の醒めた目には、現実はこのように映るのだろう。
結婚が、家と家との結びつきであった時代の話しである。そこに、恋愛結婚というものが登場した。むかしのように、結婚は結婚として割り切り、色恋は色恋の世界で別に楽しめばいいという時代ではなくなった。個人の意思を尊重すると家が破綻しかねない。しかし、若い人たちは、そんなことはお構いなしである。
そうした変化の時期には、いろいろな問題が生起したろう。心中やら刃傷沙汰やら起きたに相違ない。でも、みんな現実である。現実は現実として受け留めるしかないではないか。「いちいち、泣き笑いしていられまっか」という感じである。
なんとなくではあるが、以前見た映画ダスティン・ホフマン主演の「セールスマンの死」と印象が重なる。
芸者上がりで本家から別荘に男の子ふたりと追い出された女性(清川玉枝)が登場する。子どもたちは社会人、学生へと成長した。子どもたちはメカケの子、元芸者の子であることに引け目を覚えている。母親は、そのことを指摘されてさめざめと泣いたりするが、実のところはたいへん強い女性である。なにがあっても動じない強さを感じる。さめざめと泣くのはバランスを取るための調整機能を果たしているのだろう。転覆寸前でも、それでこれまで苦しい波濤を乗り越えてきたにちがいない。息子の死の報を聞いて驚きはしても動転はしない。
・・・と、書いて「清川玉枝」を『ウィキペディア』で調べたら、ナルホドと思える情報が出ている。清川の実際の人間性が役柄のなかに活きているのではないかと感じる。
《この間に東宝映画東京撮影所文芸課長や新東宝のプロデューサーを務めた伊藤基彦と結婚し、20年に及ぶ結婚生活ののち、1950年(昭和25年)6月に離婚。このとき久保田万太郎を間に立てて離婚披露パーティーを開いて話題をまいた[2]》。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E5%B7%9D%E7%8E%89%E6%9E%9D
「離婚披露パーティーを開」く、しかも、文壇・劇壇に重きをなした「久保田万太郎」先生を引っ張り出して、である。要するに、メタな視点をもっていたということである。自分のことを客観視し、演出して、笑いのタネにできるような人柄だったということだ。
この映画が陰々滅々のドラマにならなかったのは、監督の力量もあるが、この女優の資質にも依っているように感じる。
成瀬巳喜男監督『桃中軒雲右衛門』 [ドラマ]
相撲界の聖人を「角聖」、剣道界の聖人を「剣聖」と称するのは知ってはいたが、桃中軒雲右衛門は、「浪聖」と称された人物であるという。浪曲界の聖人の略称である。
桃中軒雲右衛門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://www.youtube.com/watch?v=8adJv1G4Q8w
その「浪聖」を、月形龍之介が演じている。
むかしむかし東野英治郎よりも前、テレビで『水戸黄門』を演じるだけでなく、月形はその主題歌を歌ってもいた。思い起こせば「助さん角さんついてきな~」「俺がや~ら~な~あきゃ~、誰が~や~る」というだみ声がすぐに蘇ってくる。だから、歌う役者であることは承知していた。しかし、この映画のなかで、浪曲を吹き替えでなく、自分で歌っているのには驚いた。
『桃中軒雲右衛門』(1936年)
https://www.youtube.com/watch?v=8adJv1G4Q8w
原作は真山青果とあるが、小説として出されたものか劇作品として出ていたものか当方は知らない。なんとなくではあるが、新派劇としてすでに上演されていたものを映画作品とするために、成瀬がすこし手を加えて脚色演出したものであるように当方は感じる。セリフが、新派的で大袈裟な感じがする。
桃中軒雲右衛門とその妻に焦点が当てられる。こういう夫婦もあるのだというお話である。芸に生きる人間の物語である。と考えると、おなじく成瀬監督の『歌行燈』『白鷺』もその路線である。
大衆演芸の浪曲を「ひのき舞台」に引き上げた立役者として雲右衛門が描かれ、夫がそうなるよう自分を捧げた女としてその妻「つま」が取り上げられる。芸を高めるために双方が生きた。ひとりの人間としての女であるより、芸の肥やしに自らなったことを自負する。そんな女性を細川ちか子が演じている。
『ウィキペディア』の記事のなかに《1903年(明治36年)、桃中軒牛右衛門の名で雲右衛門に弟子入りしていた宮崎滔天や、福本日南、政治結社玄洋社の後援で「義士伝」を完成させる。武士道鼓吹を旗印に掲げ、1907年(明治40年)には大阪中座や東京本郷座で大入りをとった。雲右衛門の息の詰まった豪快な語り口は、それまで寄席芸であった浪曲の劇場への進出を可能にし、浪曲そのものも社会の各階級へ急速に浸透していくことになる》と、ある。
映画の中でも、玄洋社が出てくる。雲右衛門が息子に次のように言う場面がある。
《おまえ福岡に行ってみる気はないか。福岡には玄洋社の先生たちが残って男の気概を養うには適当な地だ。わしから頼めばみな喜んでお前を引き取ってくれる。そうせい。男子が世に立つに「弱い」というのは一等の欠点だ。わしなぞは今日まで生きてきたのは、ただ一つ「強情と我慢」だ。この気力が無かったら、わしなぞは、とうにどこかの並木の下で倒れていたかもしれんのだ。(息子の肩に手を置いて)一生の重荷を負うにこんな弱い肩じゃいかん。(息子の手をとって)こんな柔らかい手じゃいかん》54:10~
そうしたシーンを見ながら、頭山満(1855年誕生)が通った塾の「高場乱(おさむ)という変わり者のお婆さん」のことを思い出した。頭山は、後に「右翼の巨頭」「玄洋社の総帥」と言われるようになった人物である。
夢野久作が「頭山満先生」と題して書いた文章には次のようにある。
《この高場乱(おさむ)という変わり者のお婆さんの漢学の講義は天下一品の勇気にみちみちたもので、聞いているうちに日本魂と西洋魂の違いがハッキリとわかってくる。天子様のため・・・国家のためには命も何もいらないという、男らしい立派な魂が、身体中に満ち満ちてくるので、たった十人ばかりしかいない塾生の意気込みは一人一人天地を一呑みするくらい、盛んなものになってきた》。
凛としたたたずまい。小沢さんにも願いたい。
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2006-09-13
桃中軒雲右衛門の浪曲にも、その「変わり者のお婆さん」ような気概が満ちていたのだろう。
そうした気概の一端にこの映画で触れた気がした。
桃中軒雲右衛門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://www.youtube.com/watch?v=8adJv1G4Q8w
その「浪聖」を、月形龍之介が演じている。
むかしむかし東野英治郎よりも前、テレビで『水戸黄門』を演じるだけでなく、月形はその主題歌を歌ってもいた。思い起こせば「助さん角さんついてきな~」「俺がや~ら~な~あきゃ~、誰が~や~る」というだみ声がすぐに蘇ってくる。だから、歌う役者であることは承知していた。しかし、この映画のなかで、浪曲を吹き替えでなく、自分で歌っているのには驚いた。
『桃中軒雲右衛門』(1936年)
https://www.youtube.com/watch?v=8adJv1G4Q8w
原作は真山青果とあるが、小説として出されたものか劇作品として出ていたものか当方は知らない。なんとなくではあるが、新派劇としてすでに上演されていたものを映画作品とするために、成瀬がすこし手を加えて脚色演出したものであるように当方は感じる。セリフが、新派的で大袈裟な感じがする。
桃中軒雲右衛門とその妻に焦点が当てられる。こういう夫婦もあるのだというお話である。芸に生きる人間の物語である。と考えると、おなじく成瀬監督の『歌行燈』『白鷺』もその路線である。
大衆演芸の浪曲を「ひのき舞台」に引き上げた立役者として雲右衛門が描かれ、夫がそうなるよう自分を捧げた女としてその妻「つま」が取り上げられる。芸を高めるために双方が生きた。ひとりの人間としての女であるより、芸の肥やしに自らなったことを自負する。そんな女性を細川ちか子が演じている。
『ウィキペディア』の記事のなかに《1903年(明治36年)、桃中軒牛右衛門の名で雲右衛門に弟子入りしていた宮崎滔天や、福本日南、政治結社玄洋社の後援で「義士伝」を完成させる。武士道鼓吹を旗印に掲げ、1907年(明治40年)には大阪中座や東京本郷座で大入りをとった。雲右衛門の息の詰まった豪快な語り口は、それまで寄席芸であった浪曲の劇場への進出を可能にし、浪曲そのものも社会の各階級へ急速に浸透していくことになる》と、ある。
映画の中でも、玄洋社が出てくる。雲右衛門が息子に次のように言う場面がある。
《おまえ福岡に行ってみる気はないか。福岡には玄洋社の先生たちが残って男の気概を養うには適当な地だ。わしから頼めばみな喜んでお前を引き取ってくれる。そうせい。男子が世に立つに「弱い」というのは一等の欠点だ。わしなぞは今日まで生きてきたのは、ただ一つ「強情と我慢」だ。この気力が無かったら、わしなぞは、とうにどこかの並木の下で倒れていたかもしれんのだ。(息子の肩に手を置いて)一生の重荷を負うにこんな弱い肩じゃいかん。(息子の手をとって)こんな柔らかい手じゃいかん》54:10~
そうしたシーンを見ながら、頭山満(1855年誕生)が通った塾の「高場乱(おさむ)という変わり者のお婆さん」のことを思い出した。頭山は、後に「右翼の巨頭」「玄洋社の総帥」と言われるようになった人物である。
夢野久作が「頭山満先生」と題して書いた文章には次のようにある。
《この高場乱(おさむ)という変わり者のお婆さんの漢学の講義は天下一品の勇気にみちみちたもので、聞いているうちに日本魂と西洋魂の違いがハッキリとわかってくる。天子様のため・・・国家のためには命も何もいらないという、男らしい立派な魂が、身体中に満ち満ちてくるので、たった十人ばかりしかいない塾生の意気込みは一人一人天地を一呑みするくらい、盛んなものになってきた》。
凛としたたたずまい。小沢さんにも願いたい。
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2006-09-13
桃中軒雲右衛門の浪曲にも、その「変わり者のお婆さん」ような気概が満ちていたのだろう。
そうした気概の一端にこの映画で触れた気がした。
成瀬巳喜男監督『噂の娘』1935年を見る [ドラマ]
成瀬巳喜男監督『噂の娘』1935年を見る。
The Girl in the Rumour (1935)
https://www.youtube.com/watch?v=W4Rb8p6ckxg
酒屋のふたりの娘に焦点が合わされる。ひとりは昔ながらのイイ娘であり、もう一人はモダンガールである。
縁談が持ち上がり、ふたりで出向くが、相手方は当の見合い相手ではなく、その妹との結婚を望む。
しかし、相手方に、妹娘が嫁ぐことを父親は善しとしない。姉娘に対する気遣いのためだ。
姉は、その縁談を望ましく思っていた。自分が嫁ぐことで、家族の世話をする人を迎え入れることができる。その人とは、父の妾であり、妹の実の母親だ。年老いた父親の慰めともなる人を迎えることを嬉しく思っている。父親もそれを望み、祖父もそれを善しとしたが、話は思わぬ方向に進んでしまう。
しかし、妹娘は、父や姉の気持ちなどお構いなしに、相手方とおつきあいを始める。
だが、姉であれ、妹であれ、縁談がまとまれば、傾いている家運の隆盛につながるのはまちがいないことであった。
しかし、父親はそれを善しとしない。
そのような状況で話は展開していく。
一見、名のある旧家であっても、いろいろ問題を抱えていることが暴かれる。
そうした様子を、世間は興味本位で見ている。言葉を替えれば、興味本位でしか見ていない。その世間の視点を代表するものとして床屋のオヤジが登場する。
「世間とはその程度のものよ」と成瀬は言いたいのであろう。「噂」をまき散らすのは、だいたい「その程度の連中よ」と言いたいのであろう。
この映画について検索したら、たいへん高く評価している方がいる。
必見! 成瀬巳喜男特集、最高作『噂の娘』
藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019121300003.html
主演の千葉早智子は、この2年後成瀬と結婚している。経歴からするとモダンガールとはまさに千葉のような人だろう。その人が、昔ながらの女性を演じているところが、たいへんオモシロイ。
成瀬にとって、千葉の魅力とはいったいなんだったのだろう・・。
当方は、そこのところに興味がある。
千葉早智子 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89%E6%97%A9%E6%99%BA%E5%AD%90
以下、当方未読
The Girl in the Rumour (1935)
https://www.youtube.com/watch?v=W4Rb8p6ckxg
酒屋のふたりの娘に焦点が合わされる。ひとりは昔ながらのイイ娘であり、もう一人はモダンガールである。
縁談が持ち上がり、ふたりで出向くが、相手方は当の見合い相手ではなく、その妹との結婚を望む。
しかし、相手方に、妹娘が嫁ぐことを父親は善しとしない。姉娘に対する気遣いのためだ。
姉は、その縁談を望ましく思っていた。自分が嫁ぐことで、家族の世話をする人を迎え入れることができる。その人とは、父の妾であり、妹の実の母親だ。年老いた父親の慰めともなる人を迎えることを嬉しく思っている。父親もそれを望み、祖父もそれを善しとしたが、話は思わぬ方向に進んでしまう。
しかし、妹娘は、父や姉の気持ちなどお構いなしに、相手方とおつきあいを始める。
だが、姉であれ、妹であれ、縁談がまとまれば、傾いている家運の隆盛につながるのはまちがいないことであった。
しかし、父親はそれを善しとしない。
そのような状況で話は展開していく。
一見、名のある旧家であっても、いろいろ問題を抱えていることが暴かれる。
そうした様子を、世間は興味本位で見ている。言葉を替えれば、興味本位でしか見ていない。その世間の視点を代表するものとして床屋のオヤジが登場する。
「世間とはその程度のものよ」と成瀬は言いたいのであろう。「噂」をまき散らすのは、だいたい「その程度の連中よ」と言いたいのであろう。
この映画について検索したら、たいへん高く評価している方がいる。
必見! 成瀬巳喜男特集、最高作『噂の娘』
藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019121300003.html
主演の千葉早智子は、この2年後成瀬と結婚している。経歴からするとモダンガールとはまさに千葉のような人だろう。その人が、昔ながらの女性を演じているところが、たいへんオモシロイ。
成瀬にとって、千葉の魅力とはいったいなんだったのだろう・・。
当方は、そこのところに興味がある。
千葉早智子 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89%E6%97%A9%E6%99%BA%E5%AD%90
以下、当方未読