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成瀬巳喜男監督『桃中軒雲右衛門』 [ドラマ]

相撲界の聖人を「角聖」、剣道界の聖人を「剣聖」と称するのは知ってはいたが、桃中軒雲右衛門は、「浪聖」と称された人物であるという。浪曲界の聖人の略称である。

桃中軒雲右衛門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://www.youtube.com/watch?v=8adJv1G4Q8w

その「浪聖」を、月形龍之介が演じている。

むかしむかし東野英治郎よりも前、テレビで『水戸黄門』を演じるだけでなく、月形はその主題歌を歌ってもいた。思い起こせば「助さん角さんついてきな~」「俺がや~ら~な~あきゃ~、誰が~や~る」というだみ声がすぐに蘇ってくる。だから、歌う役者であることは承知していた。しかし、この映画のなかで、浪曲を吹き替えでなく、自分で歌っているのには驚いた。

『桃中軒雲右衛門』(1936年)
https://www.youtube.com/watch?v=8adJv1G4Q8w

原作は真山青果とあるが、小説として出されたものか劇作品として出ていたものか当方は知らない。なんとなくではあるが、新派劇としてすでに上演されていたものを映画作品とするために、成瀬がすこし手を加えて脚色演出したものであるように当方は感じる。セリフが、新派的で大袈裟な感じがする。

桃中軒雲右衛門とその妻に焦点が当てられる。こういう夫婦もあるのだというお話である。芸に生きる人間の物語である。と考えると、おなじく成瀬監督の『歌行燈』『白鷺』もその路線である。

大衆演芸の浪曲を「ひのき舞台」に引き上げた立役者として雲右衛門が描かれ、夫がそうなるよう自分を捧げた女としてその妻「つま」が取り上げられる。芸を高めるために双方が生きた。ひとりの人間としての女であるより、芸の肥やしに自らなったことを自負する。そんな女性を細川ちか子が演じている。

『ウィキペディア』の記事のなかに《1903年(明治36年)、桃中軒牛右衛門の名で雲右衛門に弟子入りしていた宮崎滔天や、福本日南、政治結社玄洋社の後援で「義士伝」を完成させる。武士道鼓吹を旗印に掲げ、1907年(明治40年)には大阪中座や東京本郷座で大入りをとった。雲右衛門の息の詰まった豪快な語り口は、それまで寄席芸であった浪曲の劇場への進出を可能にし、浪曲そのものも社会の各階級へ急速に浸透していくことになる》と、ある。

映画の中でも、玄洋社が出てくる。雲右衛門が息子に次のように言う場面がある。

《おまえ福岡に行ってみる気はないか。福岡には玄洋社の先生たちが残って男の気概を養うには適当な地だ。わしから頼めばみな喜んでお前を引き取ってくれる。そうせい。男子が世に立つに「弱い」というのは一等の欠点だ。わしなぞは今日まで生きてきたのは、ただ一つ「強情と我慢」だ。この気力が無かったら、わしなぞは、とうにどこかの並木の下で倒れていたかもしれんのだ。(息子の肩に手を置いて)一生の重荷を負うにこんな弱い肩じゃいかん。(息子の手をとって)こんな柔らかい手じゃいかん》54:10~

そうしたシーンを見ながら、頭山満(1855年誕生)が通った塾の「高場乱(おさむ)という変わり者のお婆さん」のことを思い出した。頭山は、後に「右翼の巨頭」「玄洋社の総帥」と言われるようになった人物である。

夢野久作が「頭山満先生」と題して書いた文章には次のようにある。

《この高場乱(おさむ)という変わり者のお婆さんの漢学の講義は天下一品の勇気にみちみちたもので、聞いているうちに日本魂と西洋魂の違いがハッキリとわかってくる。天子様のため・・・国家のためには命も何もいらないという、男らしい立派な魂が、身体中に満ち満ちてくるので、たった十人ばかりしかいない塾生の意気込みは一人一人天地を一呑みするくらい、盛んなものになってきた》。

凛としたたたずまい。小沢さんにも願いたい。
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2006-09-13

桃中軒雲右衛門の浪曲にも、その「変わり者のお婆さん」ような気概が満ちていたのだろう。

そうした気概の一端にこの映画で触れた気がした。


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