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『八重の桜』の新島八重は幕末のジャンヌダルク? [ニュース・世相]

地デジ放送が始まって、「これ幸い」とテレビとは縁を切った。

実は、テレビがきらいなのではなく、好きでコマルほどなのである。

テレビがあると、どうしても見てしまう。見ると、本を読む時間を奪われる。

それで、自衛手段として、テレビとは縁を切ったわけなのだ。おかげで、たしかに、以前に倍して本を読めるようになったが・・・。


そういうわけで、NHK大河ドラマに、誰が登場しようが何が取り扱われようが、関係ない。すくなくとも、関係ないフリをしていられるようになった。

ただいま放映中の『八重の桜』については、そういうことで、新聞等で知ることとなった。


最近、『八重の桜』関連本の広告に、「幕末のジャンヌダルク」などと書かれていた。

思わず、「時代」のにおいを、嗅ぎつけたように、思った。

これも、一種の右傾化傾向を示す、あるいは、さらなる右傾化を促す「時代精神」を醸成するモノにちがいないと、感じた。

刀を腰に差し、鉄砲を構える八重の姿から連想するのは・・・

http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/about/introduction.html

「男女共同参画社会」の実現を盾に、女性・自衛官を集めようとの企てにNHKは加担してのことか・・、など想像をたくましくさせるものがある。

直接、戦地に出向くには至らぬまでも、「銃後の妻」予備軍としての心理的備えをさせるつもりか、など思ったりもする。

原作が、特別あるのかと思ったが、「八重の桜」という著作はナイようである。いろいろな資料にあたって、シナリオを作成したのであろう。

昨日、更新した保坂正康も、新島八重のことを書いている。保坂は、どのような視点で、どのように八重を評価し、記述しているのだろうか。興味あるところである。


最近、これも感じることであるが、自衛隊とアメリカ軍との共同演習が行われた(る)という報道を耳にすることが以前より多いような気がする。自分はNHKラジオしか聞いていないので、NHKでの放送であることはマチガイない。

どうも、政府は、NHKに干渉しているのではないかと感じる。実際はどうか知らない。たまたま、そのような事実があり、それを単に報道しているだけなのかもしらない。

しかし、これまで、(特に、安倍晋三が、自民党・森政権で副官房長官のとき)、そのような、メディアへの圧力を加えた話があるのは確かなようである。(以下、URLは、ジャーナリスト坂本 衛のサイト)

http://www.aa.alpha-net.ne.jp/mamos/tv/nhk2.html


「時代」を醸成する役割を放送メディアが担い、そうして時代の渦がつくられ、メイルストロムのような大渦になり、気がついた時には、逃げ出すことができなくなる。

http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2006-04-23


「時代」を象徴するバケモノ(大渦)を「運命」と呼ぶなら、

「運命は、従う者を潮にのせ、逆らう者を曳いてゆく」


八重と新島襄

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  • 作者: 保阪 正康
  • 出版社/メーカー: 毎日新聞社
  • 発売日: 2012/11/10
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  • 発売日: 2012/09/13
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佐々木さとみと南総里見八犬伝との関係 [ニュース・世相]

お天気キャスター佐々木聡美と「南総里見八犬伝」との関係?

聡美は、現代の「伏姫」?


はっきり言って、

なんの関係もない。

では、なぜ取りあげるのか・・・

佐々木聡美のシャレに引っかかったのである。


聡美女史が、「お天気お姉さん」としてラジオに出ているのをしばらく聞いているが、オモシロイ。なかなか気のきいたことを言う。落ち浮いた(今、「落ち着いた」と書くつもりが、ヘンな変換をしたのは当方の無意識のなせる業にちがいない。だが、「落ち浮いた」の方が適切かもしれない)声で、お天気の解説をし、身の回りの四季の話題などを興味深くきかせてくれるのだが、どうもなにかしらシャレを言いたくなってしまうタチらしく、そのシャレがなかなかイイのである。なかなかオモシロイ・ギャルである。

先日も、〈おいしいトウモロコシの茹で方〉を教示していて、たいへん参考になり、当宅では今夏実践予定である。

(もっとも、何ごとかをオモシロガル感覚というのは人さまざまで、当方のオモシロイは他の人のオモシロイにならない場合も多い。ちなみに、毎日新聞連載の「あさって君」は、自分には合わない。読まないように見ないようにと、いつも自分に言い聞かせて見ないようにしているのだが、ついぞ見てしまってガッカリすることも多い・・。「あさって君」のファンには申し訳ないが、当方の気持ちは「あさって」の方を向いてしまうのである。)

ちなみに、今日(6.15)は、「ショウガの日」なのだそうである。お昼のNHKの放送「ふるさとラジオ」で話していた。また、ショウガナイことを言うのだろうと思っていたら、もっと洗練されたところで、シャレを言う。しょうがのことをハジカミというが、今日が、ショウガの日であることの根拠として、某地にある「ハジカミ神社」を引き合いに出して、

「ジンジャー神社」などと、シャレも、英語で・き・た。

「そうきましたか」と、してやられて気分である。

してみると、聡美女史も曽野・米沢につづく「バズーカ」の一人かもしれない。


聡美女史は、千葉に育ったらしいので、もし南の方なら、「南総聡美」ということになる。

http://www.weathermap.co.jp/casters/sasaki.php

ブログ等を見ると、なかなかの美人である。自分のブログにヘンなのは載せないだろうと、意地悪でグーグルの画像検索などしたら、やっぱり美人のようである。

http://blogs.weathermap.co.jp/tokoro/archives/2010/06/post_880.html

http://www.youtube.com/watch?v=QMFnGDpG6sw

美人におやじギャグは、似合わないので、これからも洗練されたところで励んでください。

調子に乗ってはじけないように!はじけて、八つの霊玉が出たらタイヘンなので・・・

もっとも、ほんとにそうなったら、やっぱり、聡美は「ふせひめ」だったということになるのカナ・・・

************

ウィキペディア「南総里見八犬伝」の項目
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E7%B7%8F%E9%87%8C%E8%A6%8B%E5%85%AB%E7%8A%AC%E4%BC%9D#.E4.BA.BA.E5.90.8D


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3;HATABI:子どもの日 [ニュース・世相]

葬儀に花輪を飾っていたころの話。

花輪とはパチンコ店の開店のときなどに「祝開店」と書かれて、店のまわりに置かれるアレである。

ただ、葬祭で用いられる花輪のまんなかには、供物を置くカゴがあって、ソコには缶詰や酒などが入れられていた。もちろん、葬祭用の花輪は、祝い事の花輪と異なり黒白基調の配色がなされていた。


葬祭時、その「祝開店」に当たるところに、「子ども一同」と書かれていたことがあった。

「子ども・・」とあるので、「幼稚園の先生でも亡くなりましたかね・・」と思わず口に出したら、ナニをトボケタことを言うとばかりに、「親からみれば、みんな子どもだからね」と言われてしまった。それは、親の葬儀に、子ども一同で、花輪を献花したということだった。

なるほど、親からみれば、子どもが70になろうが、子どもである。


いまは、みんなオトナになるのが遅い。老成しない。いつぞや、ダレの寄稿だったか忘れたが、映画監督の小津安二郎がその年齢よりはるかに老成していたと書いていた人がいた。言いたかったのは、今の人は老成しない。いつまでたっても子どもだ、自分もそうだが・・・という話であった。

なるほど、そうであろうと思う。

司馬遼太郎が「菜の花の沖」に記したダレソレは、10歳になるまえに、いつまでも親のスネをかじってばかりはいられない、と丁稚奉公に出たという話である。今は、60になっても親のスネをかじって平気な人もいる。

親も親で、いつまでも子どもを子ども扱いでいる。そのことは、振り込め詐欺に引っ掛かる老人の多さからワカル。親も、オトナであるなら、「自分でまいた種は自分で刈り取れ」とばかりに突き離しそうなものである。ところが、そうしない。そうしない理由のひとつとして考えられるのは、親もまた、子どもだから、ということになろう…。

かくして、今のご時世、ミンナ子どもでオトナがイナイということになる。

であれば、子どもの日は、国民あげての祝日。まさに「国民の祝日」であるといえる。


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1;HATABI:憲法記念日。 [ニュース・世相]

きのうの夕方、新聞を開いてハタと気がついた。

「今日は憲法記念日だ」。

すこしく出かける用事があり、それから外出したのだが、車で街中を走りつつ、むかしのことを思い出した。

以前(いまでも、そう称してマチガイではななかろうが)、国民の祝日は「旗日(HATABI)」と呼ばれていた。旗日には各家庭の軒先に日の丸を飾ったものだ。軒先には小旗を掲げることができるよう、わざわざ小さな金具も用意されていた。特別、国家主義とか愛国心とかあまりこだわりなく習慣として旗をかかげていたのではなかろうか。今日は祝日だ!旗日だ!という印のようなものであったにちがいない。晴れた青空にはためく日の丸にはすがすがしいものがあった。

ところが、昨日はまったく掲げられていない。今どきの人は、憲法記念日の理念などというムズカシイことに思いをはせることもなく、国民の祝日という意識もほとんどなく、「今日はヤスミだ!」で、終わってしまうのだろう。

もっとも、かく言うわが家では、むかしも今もその習慣がない。

父親が船員であった関係で、1万トン級の船尾に掲げられた超巨大日の丸(畳の数にして8畳くらいはあったと思う)があったが、それは押し入れの収蔵品で、日の目を見ることのない日ノ丸だった。

父親は戦争で友人の爆死を間近に見ている人なので、戦争と日ノ丸との関係を慮って、愛国的・国家主義的慣行として敬遠・忌避していたのかもしれない。


前置きがながくなってしまった。

日本国憲法の前文についての記述のある、最近読んだ、本田靖春の本「我、拗ね者として生涯を閉ず」から引用してみる。

戦後命からがら植民地であった韓国から引き揚げ、戦後のどさくさを食うや食わずで生き延び、「由緒ただしい貧乏人」であることを自称していた本田は、戦後、豊かになったような気になり、マイホームを追い求め、中流意識を持ち、欲ボケして、世に満足してしまった、かつての貧乏の「お仲間たち」に語りかける。

*************

私は人生のどの時期をとってみても、自前の家を持とうという考えはなかった。そんなもののためにエネルギーを費やすのは、ご免である。戦後の苦しさに耐えて、歯をくいしばって働いてきた国民に、政治が少しは報いるところがあるだろう。

生活の基本は住まいである。そのうち、通勤に便利な場所に、質のよい賃貸の公共住宅が、手頃な家賃で豊富に提供されるようになる。ならなければ政治にそれを要求すればいい。いまにして、甘かった、と思うのだが、そんな楽観的な考えでいたのである。

愚かにも、私は日本の政治を信じていたということになる。私のいう政治とは、国民の意思によって変わりうる政治である。したがって、政治を信じるということは、取りも直さず、民衆を信じるということにほかならない。

ところが、お仲間たちは、自分のちいさなしあわせだけを求めて、めいめいに走りだしたのである。それが、私の目から見たマイホーム熱というものであった。

困ったことに、といっても私の考えからしての話であるが、ウサギ小屋が増えるにつれて、それを取得した人々の意識が保守化しはじめた。

地価は日を追って上がる。坪10万円で買ったものが、ついこのあいだは15万円になったと聞いたばかりなのに、今日、小耳にはさんだところでは、20万だという。

そんな異常さの中で、お仲間たちは暗算を楽しむようになった。坪単価に持っている土地の坪数を掛けると、生涯働いても得られるかどうかわからないような金額が出てくる。実際に売るとなると、値段は低くなるのだが、そういうことは考えない。

また、その土地には自分が住んでいるのだから、おいそれと売るわけにもいかないのだが、そんなことも素っとんでいる。頭の中を占めるのは、数字の妄想である。

ふむふむ、これはわるくないーというので、お仲間たちは自分の出自を忘れて、いっぱしの資産家にでもなったような錯覚にとらわれた。これが都市周辺における保守化のはじまりである。

「国民の9割が中流」というのは、その延長線上にある。中流意識はいいかえるなら、いまの生活に対する満足感の表明であろう。政治を変えようなんて意識が、働くはずがない。

ここにおいて私は、9割のお仲間が、あっちだかどっちだか知らないが、遠くへ行ってしまったことを悟らされた。

「我、拗ね者として生涯を閉ず」p30-31から抜粋

(中略)

「豊かさ」が諸悪の根源、といったのではあまりにも言葉が過ぎるが、「豊かさ」を追い求めるあまり日本人は欲呆けしてしまった、とはいえるであろう。そして、暖衣飽食は社会の精神性を失わせていったのである。

保守化、そのあとを受けた政治的無関心は、この国の将来を危うくしている

共産党を除く政党の「オール保守化」の産物である自・自・公連立政権の下で、憲法改正を視野に入れた憲法調査会が両院に発足したというのに、愚民たちはまったくの無反応である。いってみても詮方ないとは思うが、しかし、いわざるを得ない。お仲間たちよ、日本国憲法の前文をしっかり読んでみなさい、と。そこには次のように書かれている。

〈日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する〉

これは、私を含めた、戦後の日本人の誓いであった。その誓いをあなた方は、関係ないとでもいうのであろうか。

保守派は「一国平和主義」を嗤う。百歩譲って、その言を受け入れるとしよう。そこで反問する。「一国飽食主義」よりはるかに上等ではないか、と。

いまの日本人は、恐怖も欠乏も実感がない。コソボを例に引くまでのこともなく、圧迫と偏狭は地球上のあちこちで続いている。そうした現実に目を向けないで、おのれの欲望の充足にのみふけっている日本人が、どうして国際社会で名誉ある地位を占められようか。

危険を承知でいうと、いまの不況がもっと長く続けばよい、と私は思っている。規制緩和、自由化が進めば、弱者には辛い社会になる。お仲間たちは、痛い目に遭わないとわからない。21世紀はそこからの仕切り直しである。

「我、拗ね者として生涯を閉ず」p34-5から抜粋

************


我、拗ね者として生涯を閉ず

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  • 作者: 本田 靖春
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2005/02/22
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「極道の女」岩下志麻の秘密 [ニュース・世相]

岩下志麻が叙勲というニュース。

「極道の女」も勲章をもらえるのか?

極道は勲章をもらえるような道なのだろうか?

など、本人自身やその徳性とは別のレベルでのくだらない思いを抱いた。

もっとも代表作である「極道・・」もふくめ岩下の出演するマトモな作品を見ていない。たしか、「スパイ ゾルゲ」で、監督で夫の篠田正浩 と一緒に出演しているのをチラと見たていどで、名の知られている女優であることは認めるが、演技のことなどなんの評価もできない。

ただ、最近、舌(ベロ)の研究をしていたら、おもしろいところで、岩下志麻が取りあげられていた。舌と顔の向きとの関係を示しているサイトだ。

岩下志麻の顔(頭)の角度は上向きでイースター島にあるモアイ像のようであるという・・

どれほど確かな信ぴょう性のおけるものかワカラナイ。学会を名乗っており、責任者も歯科医であるようなので、それなりに注目してよかろうと思っているのだが、どんなものか?

カラダ全体の動きを首(頭)の向きが統御するという体育の理論がある。そういう研究があるのであれば、もっとカラダのなかで小さい部位をなす舌がおおきな働きをすると考えられなくもない。

聖書にも、舌の働きの大きさについての記述がある。全身を統御する舵のような役割をするようにも言われている。その用い方次第で多大の問題を起こすことは実際にある。それはもっぱら言語の機能を象徴するものとして語られているのだが、他の機能、第三の機能があるという。

以下のURLに記されているが、どんなものか?

どれほど確かなものと評価するかは各自の自己責任で!

日本舌機能学会のページ

http://www.zetukinou.net/010020.php

もうひとつ別のサイト:舌と肩甲骨がくっついているという肩甲舌骨筋にかんするモノ。

http://aidavoice.exblog.jp/10219703/


舌は下でなく上に “舌の吸盤化”で、あなたの脳力・人生が開花する!

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スパイ・ゾルゲ [DVD]

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  • 出版社/メーカー: 東宝
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カジノに開国を迫られている?法制化の動き? [ニュース・世相]

日経新聞(4・20)に〈米カジノ大手日本進出意欲〉と見出し、記事、そして、MGMリゾートインターCEOの顔写真が出ている。

ちいさな囲み記事で、いかにも、バクチの元締めに関する記事にふさわしい。カジノとは、つまり、ていのいい賭博場のこと。であれば、日本の法律では取り締まりの対象で、大っぴらにはできないはず。

しかし、記事によると「(カジノ解禁に向けた)法制化の動き」があるようなのである。副見出しにも「法制化の動き見守る」と、ある。

**********

カジノや国際会議場、劇場などで構成する統合型リゾート運営大手の米MGMリゾートインターCEOのジェームズ・J・マレンCEOは19日、日本経済新聞の取材に応じ、「(カジノ解禁に向けた)日本の法制化の動きを見守っている。実現すれば、大変なチャンス」と日本進出に意欲を示した。

マレンCEOは「日本は鉄道や空港などの交通網、教育を受けた人材、自然環境など統合型リゾートが成功する環境が整っている」と指摘。日本に進出する際には「不動産開発やホスピタリティー、エンターテインメントなどの分野で適切な日本のパートナーと組み、当社の資本を入れて事業に取り組みたい」と話した。今後、日本企業と交渉に入る。カジノ解禁が犯罪増加につながるといった見方には「経済活性化や雇用創出といったメリットのほうが大きい」と強調。「会議なども誘致し世界の人が日本に訪れるユニークな場を提供したい」と語った。(4・20・11面)

**********

TPPどころではない。カジノまで、日本に開国を迫っている。

マレンCEOのこれからの動きを予想すると・・・

カジノに前向きな石原慎太郎をとおして橋下大阪市長にすりより、貴乃花相撲協会理事の助けを得て、吉本興業と手を組む。そして、華々しいオープニングセレモニーの司会は、これはもう、アノ島田紳助・・・。

以上は、ジョウダンだが、(実は、ほんとにそうなるかもという思いも少なからずアル。以下のURLは当該ブログ過去記事だが、その根拠となるモノ)

本日、TPPに関する「謹啓 内閣総理大臣 野田佳彦様」という意見広告が出た。(同じく日経18面)

本人に手紙で出せばいいものを、新聞で日本全国に知らしめ、要するに言いたいことは「ドジョウよ泥(土壌)から出てこい!くやしかったら出てきて答えやがれ!」というのを、敬語を使って穏当な体裁を整えた、まあスゴイといえばスゴイ手法の宣伝がなされていた。「ちゃんと答えないかぎりTPPなんぞ許さん!」というオドシのようでもある。

結局、どんな場合もおおむねそうであるように思うのだが、正論を声高に主張するAサイドもBサイドも、実は自分に利益を誘導しようとすることを考慮しただけの、煎じつめればズルイものでしかなかったりする。だから、正論には、ある意味、警戒が必要である。だいいち、どこまでいっても、主張の根拠となるほとんどの部分が“人間の都合”である。本当に地球のことを、地球の将来のことを考えてモノを言っているのだろうか。河川に棲むわかさぎ、あゆ、かえる、そしてドジョウのことを考えてもの言ってますかと問いたい。セシウム汚染は河川にすむ生き物の方をより汚染しているもようだ。土壌もドジョウも汚染されて、食えるはずのものも食えない状態になっているというのに・・・で、ある。

相撲協会の賭博汚染と財政再建
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2010-06-22

雇用偽装等による経済成長
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-02-23


賭博者 (新潮文庫)

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  • 作者: ドストエフスキー
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1969/02
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旧新約聖書―文語訳

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 日本聖書協会
  • 発売日: 1996/12
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「第九」もいいけど・・ [ニュース・世相]

毎年恒例、年末には『第九』と相場が決まっている。

特に、今年は、震災もあって、『絆』のたいせつさが謳われているだけに、友愛を呼び掛ける『第九』の「オー、フロイデン」は御誂え向きの楽曲といえよう。

だが、どうも当方はソノヨウナ流行にすなおに乗れないのである。ウソ臭さを感じてしまうのである。動機は悪くないはずであろうけれど、「24時間テレビ」のその時ばかりの愛の大合唱と同様、なんとなく辟易してしまうのである。

当方のこころのどこかがヤンデいるのでソノヨウニ感じてしまうということもあるのかもしれない。

だが、そればかりではないようにも思うのである。

本来、人間は孤独なもので、その孤独のほどは、銀河鉄道の列車にひとり残されたジョバンニのようなもので。石炭袋のような漆黒の闇のなかから聞こえてくるせロのようなやさしい声だけが唯一のすくいのような世界であると当方は思うのである。

そこまで、孤独を実感している人間が互いに身を寄せようと意志の疎通をはかろうとするところから「絆」は生まれてくるように思うのである。

そこまで行き着かない人間が、ただ肩を並べて「絆」を合唱するのは非常にモロイものであるように思うし、ウソ臭くも思えるのである。

『第九』もいいけれど、もっと卑近なものかもしれないけれど、サントリー・オールドの「ロン・ドン・ディドン・シュビダドン・デーェエエオー」の、人間本来の、虚ではない充足した孤独のなかから、隣を愛せるならばその方がホンモノのように思えるのである。


人間みな兄弟

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  • アーティスト: 小林亜星,今田勝,今剛,三井明夫,タイム・ファイブ,小形眞子,数原晋グループ,矢田部正,サイラス・モズレー
  • 出版社/メーカー: 日本クラウン
  • 発売日: 2000/08/23
  • メディア: CD



新編 銀河鉄道の夜 (新潮文庫)

新編 銀河鉄道の夜 (新潮文庫)

  • 作者: 宮沢 賢治
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1989/06
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「無縁社会」は終ったのか [ニュース・世相]

3・11以前、「無縁社会」が大きく社会問題化されていた。毎年の自殺者数が30000を超える日本に、血の通った人と人とのキズナの復興が必要であるかのように報じられてもいた。

3・11以降、東北の巨大地震・津波による被害を見聞きして、多くの人が同情を寄せるだけでなく、ボランティアに出向き、多額の義捐金が呼びかけに応じ寄せられてもきた。

「無縁社会」は3・11を機に、徐々に終息し終焉をむかえるであろうか?

そうであると良いのだが、実際にはそのようにはならないと思う。被災地の方たちは、徐々に忘れられていくことを怖れているが、結局のところ、今寄せられている同情の波は、被害の大きさを映像をとおし見聞きした面々のかもし出した一時的なムードに終るように思える。

実際そうでないと良いのであるが、かんたんに言えば、心にうったえる情感あふれる映画をみているときのムードに今あるのであろうと思う。映画が終わり、照明が点灯し、周囲の席やそこをしめる面々の顔が見え、一場の夢が終ると、隣席の客の二の腕が鬱陶しく思えるという寂しさに立ち戻るように思われる。

今日、3・11から3ヶ月経過したということで発表された死者数・行方不明者数の合計は毎年の自殺者数30000人に及ばない。及ぼうが及ぶまいが、個々の死はいたまれるべきで、そのご家族の痛みに同情を禁じえないが、これまで、毎年、今回の地震・津波の死者数よりも多くの被害者が人知れずひとりひとりと数を加えついには30000を超えてきていたのである。しかし、どれほどの同情や気遣いが示されてきただろうか。どれほどの援助が自死者の遺族に示されてきただろうか。

キズナが本物であるかどうかが試されるのはこれからということになるのだろう。

************
朋友はいづれの時にも愛す 兄弟は危難の時のために生る(文語訳聖書)

真の友はどんな時にも愛しつづけるものであり、苦難のときのために生まれた兄弟である(新世界訳聖書)

友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる(新改訳聖書)

どのようなときにも、友を愛すれば 苦難のときの兄弟が生まれる(新共同訳聖書)

以上、箴言17章17節から


旧新約聖書―文語訳

旧新約聖書―文語訳

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 日本聖書協会
  • 発売日: 1996/12
  • メディア: 単行本



小型聖書 - 新共同訳

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 日本聖書協会
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新改訳聖書―注解・索引・チェーン式引照付

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: いのちのことば社
  • 発売日: 2005/10
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中国人のケンカの仕方 [ニュース・世相]

中国人の喧嘩の仕方について以前読んだことがある。残念ながら出典を忘れてしまったのでお伝えできない。それによると・・・

中国人は、喧嘩の際、できるだけ声をはり上げるのだそうである。そうして、自分の主張を声をかぎりに叫ぶのだそうである。

ソノヨウニして互いにヤリアウ。

そうすると、まわりに野次馬ができ、野次馬連中が喧嘩するふたりのそれぞれの肩を持つようになり、多数を味方につけた方が喧嘩で勝ちを納めるということになるのだそうである。

きっと、ディベートは、日本人より中国人の方が本質的に得意なことであろう。ハーバードのサンデル教授の「白熱教室」が東大安田講堂で開かれ、その模様が放映されたが、教授は、日本人はシャイであると友人から聞かされ教室が白熱するものかどうか心配していたもようである。実際、登壇するときの教授の顔には(ほかにもその要素はあったと思うが)ありありと不安が現れていた。教授が、中国で、「白熱教室」を開くことを考えるならもっとずっと樂であったにちがいない。


今回の「日本領海侵犯当て逃げ事件?」に関する中国政府側の対応をみていると、やはり中国政府は、ソノヨウナ、日本とは異なる「シャイでない」中国人の政府なのだなと思う。

ディベートで思い出したが、オウム事件のとき、大活躍した「アア言えば上祐」とさえ言われた御仁のオウム真理教擁護の際のやり方に中国政府は似ているようにも思える。

国際社会のなかで、これから、今回のように、中華風のやり方を、世界中で吹きまわしていく塩梅なのであろうか。なにか様子をみていると、アヘン戦争以来の欧米列強(そして、日本)の抑圧と搾取をここにきて取り返そうというつもりであるように見えなくもない。しかし、それで本当に、野次馬(諸外国)を自分の味方につけることができると思っているのであろうか・・・


話しは変わる・・・

先日、スーパーで試食している中国人女性をみかけた。ふたりでやってきて惣菜売り場の試食用の食材を食べていた。ケースを開けると、爪楊枝で二三個立てつづけに口に放り込み、頬張ったままなにやら批評をしているようであった。その態度がいかにも自然で、コレが中国人のふるまいのきわめてフツウのことなのだろうナと感じさせられるものであった。しかし、率直なところ、受けた印象は"下品”といえるものだった。

日本にだって、上品な人もいれば下品な人もいる。ある個人を見て、その国の民度を測るというのはオロカなことではある。それでも、日本人であれば、きっと、周囲の目というものをある程度意識しつつ、それが本来自由で権利のあることでも抑制的にふるまうものである。食べたいと思ったとしても試食ケースに手を伸ばさない人もいるのではないだろうか。すくなくともこれまではそうであったろう。それではいけないという風潮になってきて、最近は変わりつつあるようである。日本人は、これからそのような点では中華風を評価しないといけないのかもしれない。

それでも、個人的には、やはり上品でありたいなと(なんであれ行き過ぎはいけないが)当方は思うのであるが・・・
これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

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ディベートの達人が教える説得する技術 ~なぜか主張が通る人の技術と習慣~

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闇の男上祐史浩―終らないオウム真理教

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  • 出版社/メーカー: 同時代社
  • 発売日: 1999/12
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所ジョージ「目がテン!」で、何食わぬ顔 [ニュース・世相]

先ほど放映された「目がテン!」のテーマは「熱中症」。

「収録」されたものが放映されたのであれば・・の話だが、

大江健三郎一家からも愛される「イヤミのない」笑いを提供するトコロさんに限って「まさかそんなことはあるまい」と思うが・・、

先日の「トコロ熱中症救急搬送騒ぎ」は、視聴率アップのための演技だったのではあるまい・・などという余計な思いも生じてくる。

「生」放送であれば、そのことへのコメントが一言あっていいはずだからである。


まあ「収録」であっても「生」であっても、「熱中症」について多くを学ぶことができケッコウではあった。


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所ジョージさんが熱中症で病院へ 事務所「快復した」 [ニュース・世相]

トコロが、畑で草をむしっていたトコロ、熱中症にヤラレタ。

自分で救急を呼んで、点滴を受けた。


「所さんの目がテン!」で、熱中症はまだ取り扱っていないのだろう。

早速、取り上げて、本人に

「いやあ、まいりましたあ。ご心配おかけしました。『目がテンテキ』」

と、経験談を語らせねば・・・

http://www.ntv.co.jp/megaten/

(以下は、asahi.comのニュース)
**************

2010年8月4日13時46分

タレントの所ジョージさん(55)が3日夜、熱中症になり、救急車で病院に運ばれたことがわかった。

所属事務所によると、所さんは3日午後7時ごろ、東京都世田谷区の仕事場の近くの畑で草むしりをしている最中に気分が悪くなり、自分で119番通報。病院で軽い熱中症と診断され、点滴を打って帰宅した、という。

事務所のスタッフは「4日朝から通常通り事務所に顔を出しており、もう快復している」と話している。仕事への影響はないという。


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「申し訳ありません」をめぐって:岩見隆夫 [ニュース・世相]

『サンデー毎日』の連載記事に〈岩見隆夫の「サンデー時評」〉というコラムがある。

6・28号のテーマは「『申し訳ありません』をめぐって」と、ある。


JALに搭乗した岩見さんは、以前あったサービスがなくなったことに気づく。

その点を指摘すると、客室乗務員は「申しわけありません」を繰り返すばかりであった、という。

その「申し訳ありません」をめぐって、岩見さんは、書いている。


本来ことばは、「使う側と聞く側の信頼関係を保」ち、「どんな言葉を使えばお互いに信頼し合えるか」を思案し用いるべきものであろうはずなのに、JALで経験した「申し訳ありません」からは、「一片の説明意欲も説得の姿勢も感じられ」ず、不満を残すものであったという。

岩見さんは、「謝罪言葉はやりとりを封じる効果があるから、そこで話は終わる。だが、お客に不満は残り・・・不信も芽生える」と、書いている。


そして、昨今の経済事情を鑑み、さまざまなサービスが簡素化され、人員が削減され、限られた人員で客への対応が迫られるているのであろうとJALの客室乗務員に思いやりを示し、その点は「どこの企業でもやっていることだから、お客にも理解できる」と書いて・・・、

そうであれば、「いろいろ簡素化しておりまして、ご理解を」と言えば、客の方も「そうか、となるのではないか」と記している。


結論として、「言葉を工夫し、気持ちを通じ合うように」することの大切さが指摘されるのだが、

論を結ぶに際し、岩見さんは、「言葉を選び、書き、話し、演説することを、信条にしていた」「雄弁家の三木武夫元首相」をひきあいに出す。

「三木武夫元首相からこんな話を聞いたことがあった。ある会合で、三木さんが、

『どうしたらいい文章が書けるのかねえ』

と問いかけると、作家の井上靖さんが、

『いい文章を読むことです』とこともなげに言い、感じ入ったという。」


このような言葉を「こともなげに」言い、「感じ入」る精神の持ち主であれば、おのずといい言葉の使い手になれるのかもしれない。




詩集 北国

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井上靖全詩集 (新潮文庫)

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「世も末だ」 ひったくり 捕らえてみれば 警察官 [ニュース・世相]

「ひったくり 捕らえてみれば 警察官」

たしかに、「世も末だ」。

高校生が言おうが言うまいが、

たしかに、世は、末期症状を呈している。


ひとりの男を知っている。

直接その男から話を聞いた。

新宿で、地上げ屋をやっていた。

どこかの「組」に属してもいたらしい。

男は、「不動産屋に勤めている」と奥さんには言っていた。

古い家屋敷を売り払うよう、住民に圧力をかけ、下の者に、「10万くらいわたして、『ぶんなぐってこい』とやっていた」のだという。


警察にもだいぶ顔がきいたらしく、駐車違反をしても、警官が呼びに来てくれたという。

「〇〇さん・・ダメですよ・・コマリマスヨ・・」。

そんなこんなで切符をきられたことはナイという。


ある日、男の留守中、奥さんのもとに訪問があった。

奥さんは、帰宅した「不動産屋」の夫に、ソレを伝えた。

「今日、来た人がネ、今はネ、『終わりの日』なんだって・・」


男は、その言葉にたいへん納得したのだそうである。

男は、その後、聖書を学び、「不動産屋」の“足を洗い”、全身を水に沈めて(バプテスマを受け)クリスチャンになった。

男は今、「今は、『終わりの日』です。まもなく神がすべての悪を一掃し、善良な人が真の幸福を永遠に享受できる時代がやってきます」と田舎の町で伝道している。


***********
+そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。(口語訳聖書)

+そして、王国のこの良いたよりは、あらゆる国民に対する証しのために、人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです。(新世界訳聖書)

(以上、マタイ24章14節。

24章は、エルサレムの神殿の見える場所で、「世の終わりにはどんな前兆がありますか」(3節)との弟子たちの問いにイエスキリストが答えた部分。

3節にある「終わり」は、原本のギリシャ語の意味からいくと「クライマックスとなるジ・エンドに向かって進行していく一定の期間」を示し、14節にある「最後」「終わり」は、まさに「ジ・エンド」そのもののこと。

それでも、「世の終わり」の期間の「ジ・エンド」は、地球の終わりではありません。ダニエル書2章44節には、以下のようにあります。)

+それらの王たちの世に、天の神は一つの国を立てられます。これはいつまでも滅びることがなく、その主権は他の民にわたされず、かえってこれらのもろもろの国を打ち破って滅ぼすでしょう。そしてこの国は立って永遠に至るのです。(口語訳聖書)


***********
「世も末だ」と捕まえた高校生、容疑者は窃盗捜査の主任

愛媛県警松山南署刑事1課の巡査部長、野村尚史 ( なおふみ ) 容疑者(29)が4日夜、岡山市内でひったくりをしたとして逮捕された事件で、同県警は5日未明に記者会見し、野村容疑者が同署で窃盗事件などの捜査を担当する盗犯係主任を務めていることを明らかにした。
 
平岡公明・県警首席監察官は「盗犯(担当)の刑事がこういう事案を起こしたことは申し訳なく、極めて遺憾」と陳謝した。
 
発表では、野村容疑者は2002年4月に採用後、機動捜査隊などを経て08年4月から現職。05、06年に窃盗の容疑者逮捕で本部長表彰を計2回受けていた。
 
野村容疑者は今月1日、運転免許証をなくしたため、再交付を受けるとして有給休暇を取った。同日午後から、上司らが携帯電話で連絡をとろうとしたものの、通じず、2~4日は無断欠勤。再交付手続きはしていなかった。
 
1日に家を出た際は、2万円ほど持っていたが、逮捕時の所持金はほとんどなかった。銀行のカードローンで約250万円の借り入れがあったという。
          ◇
4日夜、岡山市内で野村容疑者を取り押さえた同市北区の私立関西 ( かんぜい ) 高3年の伊井飛鳥さん(17)と1年の宝来隆太郎さん(15)が5日、報道陣の取材に答え、「無我夢中で追いかけた」などと当時の様子を振り返った。
 
野村容疑者が警察官と知った伊井さんは「世も末だな」、宝来さんは「本当は悪い人を捕まえるはずなのに」とあきれ顔だった。

- 読売新聞 [06/05(金) 13:20]

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おちおちホームレスもできない [ニュース・世相]

解雇された非正規労働者に居場所を提供することがなされてきた。「派遣村」が設立され、年末年始の間、厚生労働省の講堂までも提供された。

しかし、今、解雇され行き場のない人々の居場所となった「村」が解散し、住人は、それぞれ生活保護を申請したり、申請に必要な住所を確保したり、といったことがなされているようである。

本日のニュースで、「もやい」の湯浅さんや「・・ユニオン」の関根さんらの頑張っている様子がでていたが、「村」が解散された今、解雇され行き場のない人々への世間一般の同情は、一時のブームで終わってしまうような気がしている。

そうであってはいけないのだが、「村」が解散し、気の毒な人々が個々にバラケていくうちに、同情していた人々もそれぞれの生活に追われ、関心も薄れ、結局、本当に気の毒な人々ほど、「自己責任」のお題目を唱えられつつ放り出され、元の木阿弥となりそうな感じがするのである。

せめて、そうであれば、最期の行き場所くらい安心・安全にして欲しいものだと思うのだが、昨今のホームレス襲撃のニュースである。

総理大臣のようにSPを付けろとは言わないが、安心して眠ることができるようなんとかしてあげたいものである。


「厚労省の講堂がダメなら、首相官邸を派遣村として、提供しましょう。SPもどうぞ」と首相が言うようであれば、首相のカブも上がることだろうが、きっと言っても誰も信じないだろう。「アノ口だもの。出てくる言葉もみんな曲がっているにきまっている」と胡散臭がられるに決まっている。政治家もソノ発言が胡散臭がられるようになってはもはや先がないように思われる。

お昼の某TV番組(たぶん『ピンポン』)で、「今年の経済を占うキーパーソンは誰か?」という問いかけがなされていた。ナントナク、お義理にでも、首相官邸にいる方の名が挙げられるものと思っていたら、ソレはオバマだという。

実際のところは、やはりそのとおりで「アソウ」と納得するしかないのだろうけど、もはやここまで信用・期待度が薄くなってしまっては、時の首相にはさっさと官邸は立ち退いていただいて、本当に官邸を「派遣村」に提供するような方に入っていただいた方がよいかもしれない。

かの(といってももちろんお会いしたことはないが)聖徳太子は、道端にライを病んだ乞食を見かけたとき、馬を降りて“自分の”外衣を与えたという美談がある。

やはり人の上に立つ人はそのくらいのことをあたりまえにおこない、まわりからも自然にそのくらいのことを期待できる雰囲気がないとダメなのでしょうね。

*************

ホームレス襲撃、容疑者のジーパンに血痕…DNAも一致

昨年6月、東京都国立市内の河川敷でホームレスの男性を襲ったとして殺人未遂容疑で逮捕された多摩市連光寺、フリーター高本孝之容疑者(36)が今月2日、無職の近藤繁さん(71)の他殺体が見つかった世田谷区内の現場付近に向かう際にはいていたジーパンに、近藤さんの血液が付着していたことがわかった。

警視庁は、高本容疑者が近藤さんの殺害に関与した有力な物証とみており、捜査員が高本容疑者を見失った同日夕の約15分間に犯行に及んだ可能性が高いとして月内にも殺人容疑で再逮捕する。同庁幹部が明らかにした。

同庁は昨年3月以降、多摩川沿いの高架下や河川敷で相次いだ計6件のホームレス襲撃事件について、同容疑者が関与していないか捜査を進めており、昨年6月に府中市内の高速道の高架下で、遺体で発見された福岡正二さん(74)の事件についても関係先から押収した衣類や鉄パイプ、包丁などの鑑定を進めている。
 
同庁幹部によると、同容疑者は2日午後4時に入所施設を自転車で出発。近藤さんが殺害された世田谷区喜多見の高速道路の高架下の空き地付近に行った後、同7時20分頃施設に戻り、3日早朝に逮捕された。この間、捜査員は同容疑者の行動確認を続けており、施設を出発した時と同じジーパンを逮捕時にもはいているのを確認していた。このジーパンに付いていた血液を同庁が鑑定した結果、近藤さんのDNAと一致した。

- 読売新聞 [01/06(火) 13:43]
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大横綱双葉山の八百長?について [ニュース・世相]

相撲界の八百長が真実か否かで騒がれているが、このような場合、先ずは八百長とはいかなるものかを定義して、論じないと不毛なことになる。

ということで、小学館日本国語大辞典で、「八百長」を調べたら・・・


「八百屋の長兵衛、通称「八百長」という人がある相撲の年寄とよく碁を打ち、勝てる腕前を持ちながら、巧みにあしらって常に一勝一敗になるように細工したところから起こるという」と語源についての記述があり

1:相撲、あるいはその他の競技で、前もって勝敗を打ち合わせておき、表面だけ真剣に勝負を争うように見せかけること。

2:転じて、一般に、前もってしめし合わせておきながら、さりげなくよそおうこと。なれあい。

・・・と、あった。


「前もって示し合わせて」あるかどうかが八百長であるかどうかを分ける、肝心な点となるようだが・・・

他にも、八百長かどうかを考慮するにあたっては、相撲の競技としての側面と同時に興行としての側面も併せて考えなければならないように思う。

正々堂々勝負してまったく示し合わせていなくても、取り口としてハタキコミによる勝敗ばかり見せられたなら、興行を見に来た客としては「八百長」と叫びたくなるにちがいない。そこまでいかなくとも、その競技は、ツマラナイものであるにちがいない。

双葉山は、わざと決着を長引かせたという。ある力士の証言によると、(たいへん驚いたということだが)土俵際で、腰が砕けそうになったときに、砕けそうになる腰を引き起こして土俵中央に戻してくれたことがあるそうである。双葉山としては、観客が勝敗そのものより、勝敗に至る攻防が充実しているかどうかに興を覚えることを承知していて、意図的に、対戦相手を助けたということであったらしい。

ちょうど八百屋の長兵衛が、相撲の親方相手に、一勝一敗の五分の攻防を演じたのと似ている。長兵衛は、親方のご機嫌をとって、自分の商売が後々うまくいくようにそうしたが、双葉山は、自分のためというより、観客のため、ひいては相撲界のためにそうしたといっていいだろう。

「前もって示しあわせて」はいなかったので、八百長ではないが、勝敗を“調整した”ということに注目するなら、八百長モドキと言えるように思う。

では、観客は、その八百長モドキをどう見做したかといえば、、手をたたいて喜んで見ていたはずである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

尻切れトンボではあるが、そのヘンを踏まえて、論じるのがよろしいように思う。


双葉山定次―相撲求道録 (人間の記録 (95))

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横綱の品格 (ベースボール・マガジン社新書 6)

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