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1;HATABI:憲法記念日。 [ニュース・世相]

きのうの夕方、新聞を開いてハタと気がついた。

「今日は憲法記念日だ」。

すこしく出かける用事があり、それから外出したのだが、車で街中を走りつつ、むかしのことを思い出した。

以前(いまでも、そう称してマチガイではななかろうが)、国民の祝日は「旗日(HATABI)」と呼ばれていた。旗日には各家庭の軒先に日の丸を飾ったものだ。軒先には小旗を掲げることができるよう、わざわざ小さな金具も用意されていた。特別、国家主義とか愛国心とかあまりこだわりなく習慣として旗をかかげていたのではなかろうか。今日は祝日だ!旗日だ!という印のようなものであったにちがいない。晴れた青空にはためく日の丸にはすがすがしいものがあった。

ところが、昨日はまったく掲げられていない。今どきの人は、憲法記念日の理念などというムズカシイことに思いをはせることもなく、国民の祝日という意識もほとんどなく、「今日はヤスミだ!」で、終わってしまうのだろう。

もっとも、かく言うわが家では、むかしも今もその習慣がない。

父親が船員であった関係で、1万トン級の船尾に掲げられた超巨大日の丸(畳の数にして8畳くらいはあったと思う)があったが、それは押し入れの収蔵品で、日の目を見ることのない日ノ丸だった。

父親は戦争で友人の爆死を間近に見ている人なので、戦争と日ノ丸との関係を慮って、愛国的・国家主義的慣行として敬遠・忌避していたのかもしれない。


前置きがながくなってしまった。

日本国憲法の前文についての記述のある、最近読んだ、本田靖春の本「我、拗ね者として生涯を閉ず」から引用してみる。

戦後命からがら植民地であった韓国から引き揚げ、戦後のどさくさを食うや食わずで生き延び、「由緒ただしい貧乏人」であることを自称していた本田は、戦後、豊かになったような気になり、マイホームを追い求め、中流意識を持ち、欲ボケして、世に満足してしまった、かつての貧乏の「お仲間たち」に語りかける。

*************

私は人生のどの時期をとってみても、自前の家を持とうという考えはなかった。そんなもののためにエネルギーを費やすのは、ご免である。戦後の苦しさに耐えて、歯をくいしばって働いてきた国民に、政治が少しは報いるところがあるだろう。

生活の基本は住まいである。そのうち、通勤に便利な場所に、質のよい賃貸の公共住宅が、手頃な家賃で豊富に提供されるようになる。ならなければ政治にそれを要求すればいい。いまにして、甘かった、と思うのだが、そんな楽観的な考えでいたのである。

愚かにも、私は日本の政治を信じていたということになる。私のいう政治とは、国民の意思によって変わりうる政治である。したがって、政治を信じるということは、取りも直さず、民衆を信じるということにほかならない。

ところが、お仲間たちは、自分のちいさなしあわせだけを求めて、めいめいに走りだしたのである。それが、私の目から見たマイホーム熱というものであった。

困ったことに、といっても私の考えからしての話であるが、ウサギ小屋が増えるにつれて、それを取得した人々の意識が保守化しはじめた。

地価は日を追って上がる。坪10万円で買ったものが、ついこのあいだは15万円になったと聞いたばかりなのに、今日、小耳にはさんだところでは、20万だという。

そんな異常さの中で、お仲間たちは暗算を楽しむようになった。坪単価に持っている土地の坪数を掛けると、生涯働いても得られるかどうかわからないような金額が出てくる。実際に売るとなると、値段は低くなるのだが、そういうことは考えない。

また、その土地には自分が住んでいるのだから、おいそれと売るわけにもいかないのだが、そんなことも素っとんでいる。頭の中を占めるのは、数字の妄想である。

ふむふむ、これはわるくないーというので、お仲間たちは自分の出自を忘れて、いっぱしの資産家にでもなったような錯覚にとらわれた。これが都市周辺における保守化のはじまりである。

「国民の9割が中流」というのは、その延長線上にある。中流意識はいいかえるなら、いまの生活に対する満足感の表明であろう。政治を変えようなんて意識が、働くはずがない。

ここにおいて私は、9割のお仲間が、あっちだかどっちだか知らないが、遠くへ行ってしまったことを悟らされた。

「我、拗ね者として生涯を閉ず」p30-31から抜粋

(中略)

「豊かさ」が諸悪の根源、といったのではあまりにも言葉が過ぎるが、「豊かさ」を追い求めるあまり日本人は欲呆けしてしまった、とはいえるであろう。そして、暖衣飽食は社会の精神性を失わせていったのである。

保守化、そのあとを受けた政治的無関心は、この国の将来を危うくしている

共産党を除く政党の「オール保守化」の産物である自・自・公連立政権の下で、憲法改正を視野に入れた憲法調査会が両院に発足したというのに、愚民たちはまったくの無反応である。いってみても詮方ないとは思うが、しかし、いわざるを得ない。お仲間たちよ、日本国憲法の前文をしっかり読んでみなさい、と。そこには次のように書かれている。

〈日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する〉

これは、私を含めた、戦後の日本人の誓いであった。その誓いをあなた方は、関係ないとでもいうのであろうか。

保守派は「一国平和主義」を嗤う。百歩譲って、その言を受け入れるとしよう。そこで反問する。「一国飽食主義」よりはるかに上等ではないか、と。

いまの日本人は、恐怖も欠乏も実感がない。コソボを例に引くまでのこともなく、圧迫と偏狭は地球上のあちこちで続いている。そうした現実に目を向けないで、おのれの欲望の充足にのみふけっている日本人が、どうして国際社会で名誉ある地位を占められようか。

危険を承知でいうと、いまの不況がもっと長く続けばよい、と私は思っている。規制緩和、自由化が進めば、弱者には辛い社会になる。お仲間たちは、痛い目に遭わないとわからない。21世紀はそこからの仕切り直しである。

「我、拗ね者として生涯を閉ず」p34-5から抜粋

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