「小説家 大岡昇平」菅野昭正著(書評 辻原登) [読んでみたい本]
毎日新聞・書評欄「今週の本棚」に、菅野昭正著「小説家 大岡昇平」が紹介されている。
評しているのは 辻原登。
冒頭
敗戦から70年を経て、「戦後文学」と呼ばれる中で、大岡昇平はいま最も読まれるべき作家である。特に戦争との関わりにおいて、そして「文学とは何か」を考えるにおいて。
と、始まる。(以下、「つづく」部分に全文掲載)
象徴派に傾倒する小林秀雄や中原中也の衣鉢を受け継がず、周囲の者らが直行するなか、ひとりカニのように横行してスタンダールにならい、田舎の土蔵のナマコ壁の十文字のように隙間を埋めてはさらに分厚く塗り重ね、スタンダールもびっくりの写実実証の世界を戦後日本文学に持ち込んだ大岡昇平は、戦争文学の偉観となるレイテ戦記を著した。
うちにも全集がある。火鉢を机のわきにおいて執筆中の大岡の写真がある。寒い時期、手をあぶっては、作業をつづけたのであろう。執念だなあと思う。
・・・などと、いかにも読んだように書いているが、実は、読んでいない。冒頭を読み出して圧倒されただけ。作品の中身は冒頭ひと段落を読めばわかる。
筑摩書房の濃紺背革の全集(旧版)の厚さは、8センチくらいあるのではないか。別に、半畳ほどあるレイテ島の地図も付録になっている。それを見ながら読んでいくのだ。
司馬遼太郎の生前の談話を聞いたことがある。氏は、日露戦争の記録(軍編纂?)を、古書店で入手して読んだが、読むに値しなかったと言っていた。価値ナシの根拠も言ったように思う。たしか、自画自賛に終始するものだからと言っていたように思う。小説以上にロマンティックだったにちがいない。事実が土塁のように積み上げられた大岡の戦記とは違っていたのだろう。
大岡昇平の魅力は、そうした面だけではない。さらにある・・。
いずれにしろ、おもしろい文学は、おもしろい人間からしか出ない。
松岡正剛は大岡をどのように看做していたか
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2013-08-04
『税金は金持ちから取れ』(武田知弘著) [読んでみたい本]
アベノミクス利益、自民へ“還流”・・という『毎日』の記事を先に更新したが、
その後、ネット上をぶらぶらしていたら「週刊 金曜日」のコラムに目がとまった。
日本弁護士会前会長の宇都宮健児氏の記事だが・・
以下、全文引用
************
【宇都宮健児の風速計】 税金は金持ちから取れ
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?cat=8
『税金は金持ちから取れ』という本が「金曜日」から出版されている。
著者の武田知弘さんは、ノンキャリア職員として大蔵省(現財務省)に勤務した経験の持ち主であり、具体的資料を交えて税金についてわかりやすく解説している。
折しも、八月一〇日、消費税率を二〇一四年四月に八%、二〇一五年一〇月に一〇%に引き上げる「社会保障と税一体改革関連法」が成立してしまった。
貧困と格差が拡大し、社会保障費が膨らむ中で、安定した社会保障の財源を確保するということが、消費税増税の理由となっている。
しかしながら、貧困や格差の解消をめざすのであれば、富裕層に対する課税を強化し、社会保障を通じて富の再分配を行なうことが求められているはずである。
わが国では一九八九年に三%の消費税が導入され、九七年には消費税率が三%から五%に引き上げられている。そして、これらの直後にはいずれも法人税と所得税が引き下げられている。
武田さんの試算によると、二〇一〇年の国税収入は三七・四兆円であるが、一九八八年レベルの法人税率・所得税率に戻せば、概算でも六〇兆円以上の税収が見込まれ、これに現在の消費税収入を合わせれば、約七〇兆円の税収となるということである。
下げた法人税・所得税の税率を一九八八年レベルに戻せば、消費税を引き上げる必要などまったくないのである。
また、日本には個人金融資産が約一四〇〇兆円あり、不動産などと合わせれば、約八〇〇〇兆円の資産があると推測されている。これに一%の富裕税を課せば、概算でも約八〇兆円の税収となる。資産の少ない人(一億円以下程度)の課税を免除するとしても、少なくとも二〇兆円以上になるという。
武田さんによれば、金持ちというのは、税金に関して非常によく勉強しており、政治家に多額の献金を行なう一方で減税の働きかけをしてきているので、高額所得者や資産家は減税され続け、平均層以下の給与所得者ばかりが増税され続けてきているということである。
私が貧困問題の講演を行なうときは、最近では必ず武田さんの本を紹介するとともに、私たちも税金について勉強して、財界・政治家・官僚・マスコミなどにだまされないようにしよう、と呼びかけている。
(9月7日号)
その後、ネット上をぶらぶらしていたら「週刊 金曜日」のコラムに目がとまった。
日本弁護士会前会長の宇都宮健児氏の記事だが・・
以下、全文引用
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【宇都宮健児の風速計】 税金は金持ちから取れ
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?cat=8
『税金は金持ちから取れ』という本が「金曜日」から出版されている。
著者の武田知弘さんは、ノンキャリア職員として大蔵省(現財務省)に勤務した経験の持ち主であり、具体的資料を交えて税金についてわかりやすく解説している。
折しも、八月一〇日、消費税率を二〇一四年四月に八%、二〇一五年一〇月に一〇%に引き上げる「社会保障と税一体改革関連法」が成立してしまった。
貧困と格差が拡大し、社会保障費が膨らむ中で、安定した社会保障の財源を確保するということが、消費税増税の理由となっている。
しかしながら、貧困や格差の解消をめざすのであれば、富裕層に対する課税を強化し、社会保障を通じて富の再分配を行なうことが求められているはずである。
わが国では一九八九年に三%の消費税が導入され、九七年には消費税率が三%から五%に引き上げられている。そして、これらの直後にはいずれも法人税と所得税が引き下げられている。
武田さんの試算によると、二〇一〇年の国税収入は三七・四兆円であるが、一九八八年レベルの法人税率・所得税率に戻せば、概算でも六〇兆円以上の税収が見込まれ、これに現在の消費税収入を合わせれば、約七〇兆円の税収となるということである。
下げた法人税・所得税の税率を一九八八年レベルに戻せば、消費税を引き上げる必要などまったくないのである。
また、日本には個人金融資産が約一四〇〇兆円あり、不動産などと合わせれば、約八〇〇〇兆円の資産があると推測されている。これに一%の富裕税を課せば、概算でも約八〇兆円の税収となる。資産の少ない人(一億円以下程度)の課税を免除するとしても、少なくとも二〇兆円以上になるという。
武田さんによれば、金持ちというのは、税金に関して非常によく勉強しており、政治家に多額の献金を行なう一方で減税の働きかけをしてきているので、高額所得者や資産家は減税され続け、平均層以下の給与所得者ばかりが増税され続けてきているということである。
私が貧困問題の講演を行なうときは、最近では必ず武田さんの本を紹介するとともに、私たちも税金について勉強して、財界・政治家・官僚・マスコミなどにだまされないようにしよう、と呼びかけている。
(9月7日号)
「税金を払わない巨大企業」富岡幸雄著 [読んでみたい本]
日経産業新聞(11・21)の「気になる2冊」に紹介されていた一冊・・・
(以下、日経産業新聞から全文引用)
日本の法人税は高く、成長を阻害している。そんな「常識」に疑問を呈した書。金融や商社、自動車などの大手企業の実効税負担率は軒並み低いとの計算を示し「大企業は国に税金を払っていない」と断じる。企業活動がグローバル化する中、税制が追いつかず、大企業の「避税」を招いていると指摘。「自分さえ儲(もう)かれば、日本経済が空洞化しても関係ない」が経営者の本音と嘆く。見えにくい税の議論だが、90歳近い著者の指摘は鋭く、わかりやすい。
**********
上記書籍のアマゾン・ブックレビューでは、トンデモ本扱いでさんざんな目にあっているが、ほんとに、さんざんな目に値するトンデモ本なのか、見てみたいところ。
以下は、Google検索、上位にある読後感を掲載したブログ。併せて読んでみたい。
**********
「こーぞーの金融日記」
2014年09月24日
富岡幸雄氏の『税金を払わない巨大企業』読後感
http://blog.livedoor.jp/shinkozo/archives/40978417.html
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(以下、日経産業新聞から全文引用)
日本の法人税は高く、成長を阻害している。そんな「常識」に疑問を呈した書。金融や商社、自動車などの大手企業の実効税負担率は軒並み低いとの計算を示し「大企業は国に税金を払っていない」と断じる。企業活動がグローバル化する中、税制が追いつかず、大企業の「避税」を招いていると指摘。「自分さえ儲(もう)かれば、日本経済が空洞化しても関係ない」が経営者の本音と嘆く。見えにくい税の議論だが、90歳近い著者の指摘は鋭く、わかりやすい。
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上記書籍のアマゾン・ブックレビューでは、トンデモ本扱いでさんざんな目にあっているが、ほんとに、さんざんな目に値するトンデモ本なのか、見てみたいところ。
以下は、Google検索、上位にある読後感を掲載したブログ。併せて読んでみたい。
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「こーぞーの金融日記」
2014年09月24日
富岡幸雄氏の『税金を払わない巨大企業』読後感
http://blog.livedoor.jp/shinkozo/archives/40978417.html
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『国家と秘密ー隠される公文書』加藤陽子評 [読んでみたい本]
上記書籍、久保享、瀬畑源著の書評を
(毎日新聞11・16)に、東大教授加藤陽子が書いている。
「情報公開法・公文書管理法の空洞化憂慮」と題されている。
(以下、全文引用)
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本書のカバーの帯には、「本文書ハ焼却相成度(アイナリタク)」の部分を拡大した敗戦時の通達の写真が載せられている。評者もまた史料を見ている際、「本達ハ速カニ確実二焼却スベシ」と記された紙片を目にしたことがある。日本人は史料を焼くのがつくづく好きな国民なのだと長嘆息して天を仰ぐが、考えてみれば正倉院の古文書として八世紀初頭の戸籍などはきちんと伝来しており、国民性では説明がつかない。
副題を「隠される公文書」とする本書の姿勢は明快だ。自分たちの業務に必要な文書だけを残し、国民への説明責任を負う自覚はついぞ持たないできた日本の官僚制の特質がまずは丁寧に語られる。よって、行政を担う者は情報を隠すものだと腹をくくったうえで、国民は、国家に記録を残させ情報を開示させることが肝要と説く。言論が萎縮しがちな昨今にあって、久々の直球ど真ん中の提言である。
この本は、昨年末に成立した特定秘密保護法に対し、二人の歴史研究者が抱いた深い危機感から生み出された。同法はすでに運用基準や政令が閣議決定され、今年12月の施行を待つばかりとなっている。
この法が、国民の目から重要な情報を隠し、結果責任も問われない方途を行政に与えるものとなること自体大きな問題だが、著者たちの懸念は必ずしもそこだけに向けられているのではない。
近代中国の経済史を専門とし、世界の公文書館を多数見てきた久保と、象徴天皇制の研究者であり、公文書管理法を語らせたら右に出る者がいない瀬畑。二人の著者が真に危惧しているのは、特定秘密保護法の運用が始まることで、近年ようやく上手くまわり始めてきた、民主主義の根幹を支える二つの大切な法や制度に大きな空洞や例外が生じてしまうのではないかとの点にある。大切な法とは、2001年から施行された情報公開法と、11年から施行された公文書管理法に他ならない。
情報公開法によって国民は、行政機関の職員が職務上作成しあるいは取得し、組織的に使用し、機関内に保存している文書を開示請求することが、権利として認められることとなった。ことの重要性は、特定秘密保護法の制定過程の文書を開示請求し、それをPDFファイル化して公開した毎日新聞による実践が最も雄弁に物語る(10月13日付電子版)。今や私たちは、特定秘密保護法を準備した内閣情報調査室に対し、内閣法制局が示した疑問点が何だったか知ることができるのだ。法制局は、秘密の範囲を拡大し、厳罰化を図ろうとする内閣情報調査室の立法の根拠が薄弱だとみていた。
このような開示請求も、そもそも文書が作成され保存されていなければ意味がない。情報公開の前に立ちふさがる、「文書を作らず、残さず、手渡さず」の霞ヶ関文化を打破するために制定されたのが公文書管理法だった。これにより、行政機関の職員には文書の作成義務が課され、ファイル管理簿への登載も義務づけられた。情報公開と公文書管理の二つが、この3年でようやく動き始めていた。
特定秘密保護法を危惧する声に対して政府は、特定秘密を載せた文書も行政文書なのだから情報公開請求が可能とし、また保存期間が満了すれば公文書管理法に従って国立公文書館等に移管されるから心配ご無用と述べていた。これらの答弁が、情報公開と公文書管理の現状からみて、いかに真理からかけ離れたものであるかについても、本書は詳細に解き明かす。権力を注視する極意を教える貴重な一冊といえるだろう。(加藤陽子評)
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公文書(記録)が「大切にされてこなかった」“背景”:加藤陽子東大教授
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2012-03-06
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町村信孝「秘密保全」PT座長(日本記者クラブ会見)ビデオ
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-10-08-2
小林多喜二ら『特高』犠牲者の血と町村信孝PT座長の父
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2008-05-04
「秘密」をアメリカ並みにしたいのなら、まずは「情報公開」の方から
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2013-11-15
戦後日本の構造をこれほどよく示す話を聞いたことがない
(西山事件当事者談話)
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-10-09
videonewscom
http://www.youtube.com/watch?v=JqIUh9V7hA4
秘密保護法ができれば政府の違法行為を暴くことは不可能に
日米密約を暴いた西山太吉氏が法案を厳しく批判
沖縄密約漏えい(西山)事件
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/archive/c2305197846-1
『法とジャーナリズム 第3版』学陽書房 [読んでみたい本]
本書は憲法21条で保障された「表現の自由」にかかわる法分野を、ジャーナリズムと法律の観点から考察する「言論法」の解説書だ。やや専門的に聞こえるが、解説の分かりやすさから研究者や学生のテキストとして使われているだけでなく、第一線の新聞記者にも利用されている。
10年前に初版が出版され、特定秘密保護法の来月施行を前に緊急改訂された。同法の主要条文を網羅し、「新たな秘密保護法制」として1項目を立て、6ページにわたって問題点を詳しく論じている。
著者は同法の特徴を「政府が隠したいと思う情報を秘密指定し、『秘匿』するための法制度になっている点と指摘する。「政府の秘密を『監視』する制度こそが秘密保護法で根幹であるべきなのだが、現実はそうなっていない」として、行政による表現活動の恣意的取り締まりと、官僚組織内で進む無制限な情報隠しに警鐘を鳴らす。
また、違法な秘密取得行為の条件とされた「著しく不当な方法」は「恣意的な取締りを可能にするマジックワード」で、「外務省沖縄密約事件」を例に、法と倫理の混同による取材行為の制約に懸念を示す。
(以上、毎日新聞書評欄11・16p11から引用、筆者は「な」氏)
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町村信孝「秘密保全」PT座長(日本記者クラブ会見)ビデオ
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-10-08-2
小林多喜二ら『特高』犠牲者の血と町村信孝PT座長の父
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2008-05-04
「秘密」をアメリカ並みにしたいのなら、まずは「情報公開」の方から
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2013-11-15
戦後日本の構造をこれほどよく示す話を聞いたことがない
(西山事件当事者談話)
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-10-09
videonewscom
http://www.youtube.com/watch?v=JqIUh9V7hA4
秘密保護法ができれば政府の違法行為を暴くことは不可能に
日米密約を暴いた西山太吉氏が法案を厳しく批判
沖縄密約漏えい(西山)事件
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/archive/c2305197846-1
土光さんと稲森さん [読んでみたい本]
日経新聞の読書面に、山岡淳一郎著「気骨」と大西康之著「稲森和夫 最後の闘い」が紹介されている。
「気骨」は専修大学教授の西岡幸一が書評し、「稲森和夫 最後の闘い」には特にクレジットがない。
丁度、紙面の表裏に位置して掲載がなされてある。過去と現在の再建屋が軒を並べているようでオモシロク感じた。
土光敏夫というと「メザシの土光」というイメージがあるが、そのことを西岡は(最後の段落で)次のように記す。
「土光さんを行政改革の聖徒に押し上げる上でNHKがタイミングよく放送したドキュメンタリーの貢献は大きいといわれる。メザシを美味しそうに頬張るなど、市井の老夫婦と変わらない土光夫妻のつましい生活を描いたものだが、利害関係者との情報戦の中で仕掛けられたものだった、と(著者は)明かす。」
つまり、当時、「メザシの土光」を信じた人はダマサレタということになるのだろうか・・・
うちのオフクロなぞは、その番組を見て・・・
「ご本人は会社の帰りに料亭でイイものをたらふく食べて、翌朝、そんなに食べられますか。本人はメザシでもいいけど、奥さんが可哀そう・・」
と、言っていたが、ソノ感想が正解だったのかもしれない。
しかし、読んでみないことにはワカラナイ。
稲森和夫は、「甘えた企業」日本航空を再建した手腕が高く買われている。
すでに複数、書籍が出ているが、当該書籍は類書とは異なり、「近距離から観察した迫力満点のカリスマの姿が浮かび上がってくる」「具体的なエピソードをちりばめた」「独自の存在意義がある」モノなのだそうである。
チラと短い書評を読んで、「日本航空」も「日本国」もオンナジではないかとの印象をもった。
「日本国」を再建し飛翔させる上での参考になるやもしれない。
「気骨」は専修大学教授の西岡幸一が書評し、「稲森和夫 最後の闘い」には特にクレジットがない。
丁度、紙面の表裏に位置して掲載がなされてある。過去と現在の再建屋が軒を並べているようでオモシロク感じた。
土光敏夫というと「メザシの土光」というイメージがあるが、そのことを西岡は(最後の段落で)次のように記す。
「土光さんを行政改革の聖徒に押し上げる上でNHKがタイミングよく放送したドキュメンタリーの貢献は大きいといわれる。メザシを美味しそうに頬張るなど、市井の老夫婦と変わらない土光夫妻のつましい生活を描いたものだが、利害関係者との情報戦の中で仕掛けられたものだった、と(著者は)明かす。」
つまり、当時、「メザシの土光」を信じた人はダマサレタということになるのだろうか・・・
うちのオフクロなぞは、その番組を見て・・・
「ご本人は会社の帰りに料亭でイイものをたらふく食べて、翌朝、そんなに食べられますか。本人はメザシでもいいけど、奥さんが可哀そう・・」
と、言っていたが、ソノ感想が正解だったのかもしれない。
しかし、読んでみないことにはワカラナイ。
稲森和夫は、「甘えた企業」日本航空を再建した手腕が高く買われている。
すでに複数、書籍が出ているが、当該書籍は類書とは異なり、「近距離から観察した迫力満点のカリスマの姿が浮かび上がってくる」「具体的なエピソードをちりばめた」「独自の存在意義がある」モノなのだそうである。
チラと短い書評を読んで、「日本航空」も「日本国」もオンナジではないかとの印象をもった。
「日本国」を再建し飛翔させる上での参考になるやもしれない。
「食魔亭」主人小泉 武夫先生の憂い [読んでみたい本]
いつも舌づつみをうって幸せそうな発酵学者の小泉先生にも憂いがある。
ご実家が事故原発に近い先生は、食指の動かないモノ(原発)にも関心をもたざるをえなかった。
毎日書評欄(7月21日)掲載の先生の言葉によると・・・
「私が生まれたのは福島県いわき市に接する田舎町で、東京電力福島第1原子力発電所から約40キロ圏内である。250年も続いてきた酒造蔵に生まれ、小さい時からそこに育ち、山も川も美しく、空気もうまかった。その古里が2011年3月12日の福島原発の水素爆発で、全てが一変し地獄模様になってしまった。無念でならぬ。」
先生は、「原発事故後、それに関わる何十冊という本を読んだ中で心に残る三冊を以下に述べる」と、記し、次の書籍をまず紹介する。
上記書籍についての小泉先生のコメントは、以下のとおり・・・
最初の一冊は『福島原発の真実』である。著者は前福島県知事。現職の時から東京一極集中に異議を唱え、原子力発電所の存続さえ問題視していた立場にあったので、実に迫力ある内容で福島原発の事故を解剖している。その内容とは、国が操る「原発全体主義政策」の病根を嘘(うそ)と欺瞞(ぎまん)の塊としてとらえ、プルサーマル凍結から核燃料税の攻防、さらには原子炉運転の停止に至るまでを鋭く抉(えぐ)って、これらのことの根源や病巣が今回の原発事故を引き起こしたのだ、としている。中でも国と東京電力とのただならぬ癒着や、信頼の置けない原発政策に対して、国や東京電力に向かって全面対決してきたのには強い信念が読み取られるのである。
他の2冊は
(毎日新聞9面今週の本棚「この3冊」から部分引用)
ご実家が事故原発に近い先生は、食指の動かないモノ(原発)にも関心をもたざるをえなかった。
毎日書評欄(7月21日)掲載の先生の言葉によると・・・
「私が生まれたのは福島県いわき市に接する田舎町で、東京電力福島第1原子力発電所から約40キロ圏内である。250年も続いてきた酒造蔵に生まれ、小さい時からそこに育ち、山も川も美しく、空気もうまかった。その古里が2011年3月12日の福島原発の水素爆発で、全てが一変し地獄模様になってしまった。無念でならぬ。」
先生は、「原発事故後、それに関わる何十冊という本を読んだ中で心に残る三冊を以下に述べる」と、記し、次の書籍をまず紹介する。
上記書籍についての小泉先生のコメントは、以下のとおり・・・
最初の一冊は『福島原発の真実』である。著者は前福島県知事。現職の時から東京一極集中に異議を唱え、原子力発電所の存続さえ問題視していた立場にあったので、実に迫力ある内容で福島原発の事故を解剖している。その内容とは、国が操る「原発全体主義政策」の病根を嘘(うそ)と欺瞞(ぎまん)の塊としてとらえ、プルサーマル凍結から核燃料税の攻防、さらには原子炉運転の停止に至るまでを鋭く抉(えぐ)って、これらのことの根源や病巣が今回の原発事故を引き起こしたのだ、としている。中でも国と東京電力とのただならぬ癒着や、信頼の置けない原発政策に対して、国や東京電力に向かって全面対決してきたのには強い信念が読み取られるのである。
他の2冊は
日本の原子力施設全データ 完全改訂版―「しくみ」と「リスク」を再確認する (ブルーバックス)
- 作者: 北村 行孝
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/02/21
- メディア: 新書
(毎日新聞9面今週の本棚「この3冊」から部分引用)
読んでみたい本(周五郎と一郎の本) [読んでみたい本]
毎日新聞書評欄(6・30)に川本三郎が取り上げている。
きちんと先行研究に目をとおしたもので「周五郎論集成の観がある」のだそうである。
奥野健夫、上野遼、渡辺京二らとともに「佐藤忠男が高く評価されているのが注目される。佐藤氏こそ大衆文学が低く見られていた時代に名著『長谷川伸論』や『苦労人の文学』などで、純文学と大衆文学の垣根を取払った先駆者なのだから。斎藤氏(著者)は周五郎を論じながら先行する研究に敬意を払っている」
と、ある。
最後の段落は、
「氏の筆はとどまるところを知らない。若き日の周五郎が読んだ本にはイギリスの作家ゴールズワージーがあった。この作家の『フォーサイト家年代記』は美智子皇后の大学卒論のテーマである。こうした余談も楽しい。書き下ろしの力作。」
もうひとつは、一郎の本。
著者(松田 賢弥)は、小沢一郎の「妻・和子の『離縁状』をスクープした」人物なのだそうである。「淋しき家族の肖像」という副題が付いている。
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2012-06-20
三面記事をのぞく興味というより、カネがあって一見シアワセそうに見えながらその実ソウデハナイ現代の家族の縮図のようなものが見出されるのではないかという思いがある。
きっと砂をかむようなサビシイ風景が広がってあるように思える。その向こうになにかリトルプリンスが見た夕焼けのような風景が、あるいは透けて見えてくるかもしれないという一縷の望みを抱いて読んでみたい。
「中国文化史大事典」大修館書店 [読んでみたい本]
本日の日経新聞文化面「文化往来」で紹介されている。
記事には「中国文化を網羅 『読んで面白い』大事典」と題されてある。
そこには、
〈歴史や文学から美術、科学技術、服飾など幅広い領域をカバーする中国文化の事典。
事典の企画立案かは1992年で、20年かけて発刊にこぎつけた。
大修館書店は「東京と関西の研究者に専門や学閥を超えて協力してもらい、網羅的な事典に仕上がった。対中関係が微妙な時期にある今だからこそ、多くの人に手にとってほしい」と話している。〉
と、書かれている。
先に更新した明治書院「新釈漢文大系 別巻 漢籍解題事典」は108年ぶりの刊行で、ある意味「満を持し」て登場したモノでありながら、レビューでは良い評価を得ていない。
だから、この書籍も「手にとって」「面白い」かどうか見てみないと実際のところ「面白」くないかもしれない。
『西洋古典叢書』(京都大学学術出版会) [読んでみたい本]
毎日新聞書評欄(6・16)によると、
「偉業の百冊目」が出たのだという。
「西洋古典叢書 ヘシオドス 全作品」 である。
岩波の「日本古典文学大系」や明治書院の「新釈漢文大系シリーズ」のような、西洋古典をとりあげたシリーズはないものかと思っていたがのだが、ちゃんと出ていることを知った。
『西洋古典叢書ファンクラブ』
DELPHICAさんのサイト
http://homepage2.nifty.com/delphica/classic/index.html
『西洋古典の英訳と和訳の本』
Tomokazu Hanafusaさんのサイト
http://www.geocities.jp/hgonzaemon/translations.html
『漢籍解題事典』(明治書院) [読んでみたい本]
毎日新聞・書評欄(6・16)に、
明治書院は、新釈漢文大系シリーズ(全120巻)の別巻として、『漢籍解題事典』(内山和也著・9450円)を刊行した。多くの日本文化に影響を与えてきた漢籍について、その内容や版本・注釈書の種類などを解説したものが『漢籍解題』である。同種の事典では、同社の『漢籍解題』(桂胡邨著)以来108年ぶりの刊行。711作品を収録、選者・編者名索引など検索も便利になった。
と、あるのを見て、手元に置いておきたくなった。
ところが、アマゾンのブックレビューをみると、ナルホドと思える批判の言葉が購入者(やんばるくいな氏)から上げられている。
ひとことで言えば、「日本の読者にとって、こうもツカイモノにならない本を作ってよくも恥ずかしくないな!」といった論調である。
「新釈漢文大系という、初学者がよってたち、研究者のハンドブックとしても使われることがある叢書の掉尾を飾るこの巻がなぜこうも使えない本になってしまったのか、非常に残念である」
さらには、
「本来編集に当たるはずであった長沢(規矩也)氏も泉下で嘆いていることであろう。猛省されたし。 」とまで、書かれてある。
その辺を踏まえた上で、利用していくという方法もあるだろうが、くいな氏のあげた批判が、たとえやんばるの森から上げられた小さな声にすぎないとしても、それが道理にかなっているものであれば、即刻改訂するのが出版社の良心というものだろうと思うが、いかがなものだろう。
英対話力:宮永國子著(青土社) [読んでみたい本]
日本人の英語に関する著作は、玉も石も含めて、また日本人、外国人の著作ともども、山ほどあるが、本書は一味違っている。
一般に、学校英語における「文法」重視が批判され、ネイティヴとの会話力の養成が急務というのが、現在の主流だろう。
だが著者は、文法、とりわけ、英文の構文法を軽視しない。文法は語の並べ方の問題ではなくて、何をどう表現するか、に決定的だからであり、発話の基本は語ではなく、文章だからだ。
同時に著者は、発話者同士の間に形作られる対話の空間に、焦点を当てる。何語であっても、それこそがコミュニケーションの基礎であることは、違いなかろうが、その空間の性質は、日本語と英語では異なる点がいくつかある。
特に英語では、対話者一人一人が、積極的にその空間造りに参加する、強い意志を持ち続けることの必要性が、強調される。
また、その意志を具体化するために、どのような英語独特の工夫や技術があり得るのか、実際の例に即しながら、著者は平易に説いていく。
文化人類学の研究者としての著者の学問的な背景も、随所に生きていて、小さな本だが、学ぶところは多い。(村)
《以上、「毎日新聞」(’13・6・9)書評欄から》
Kuniko Miyanaga
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「日高六郎・95歳のポルトレ」黒川創著 [読んでみたい本]
以下、井波律子による書評。
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戦後という異郷を生きた知識人の軌跡
日高六郎は独自の姿勢によって、戦後日本の社会運動に関わってきた正真正銘の知識人にして、すぐれた社会学者である。本書は、一九七〇年代末、十代のころ、日高夫妻と出会い、以来三十有余年、彼らと親交のある作家、黒川創が聞き手となり、その問いかけに答えて、日高六郎がみずからの生の軌跡をいきいきと語ったもの。対話の進行とともに、日高六郎の考え方や感性の「原形質」が浮き彫りにされるさまは、圧巻というほかない。
日高六郎は一九一七年(大正六年)、五人兄弟の四男として中国の青島(チンタオ)で生まれた。父は東京外国語専門学校(現在の東京外国語大学)で中国語(北京語)を学び、北京の日本公使館に勤務したのち退職、独立して貿易商となる。中国人との信頼関係を何より重視する気骨のある人物であり、母は白粉(おしろい)けのない聡明な女性だった。また、東京文理科大学に入学、学生新聞の主筆となった、十歳余り年上の長兄のもたらす知識も、日高六郎に陰に陽に影響を与えた。
こうした家庭に育った彼は、多様な人種が共存する都市、青島のインターナショナルな雰囲気もあって、十代の初めからクロポトキンやトルストイを読んだという。青島時代にスポットをあてた冒頭のくだりは、青島という「外地」つまりは異郷において幼少期を過ごしたことが、日高六郎のユニークな感性を養ったことを明らかにする。
旧制中学卒業後、旧制東京高校を経て、一九三八年、東京帝国大学文学部に入学して社会学を専攻、卒業後、陸軍に召集されるが、病気のため除隊、一九四二年、東大の副手となる。以来、一九六九年、全共闘運動のさなか、東大に機動隊が導入されたことに抗議して、東大教授を辞職するまで、二十七年にわたって在職した。在職したとはいえ、日高六郎は社会学の旗手として活躍する一方、さまざまな社会運動にコミットしつづけた。その間、彼は一貫して一元化的な発想を否定し、多種多様な考え方が共存しうる磁場を求める姿勢を崩さなかった。あの青島の町がそうであったように。
こうしてみると、日高六郎は長らく在籍した東大に対して、ひいては戦後日本の社会状況に対しても、つねに一体化できず、違和感を抱きつづけてきたように見える。彼にとって、青島が根本的に異郷であるのと同様、日本もまた異郷にほかならなかったのであろう。
日高六郎は東大辞職後の一九七一年、パリに居を移すが、三年後、暢子夫人が日本赤軍への協力容疑で逮捕されるというハプニングがおこる。容疑は数日で晴れたものの、帰国のやむなきに至り、十五年間、長期滞在のビザがおりず、パリに戻ることができなかった。その間、京都の大学で教鞭(きょうべん)を取り、ようやく一九八九年、パリに戻る。かくして十七年が経過するが、夫妻ともども体調すぐれず、二〇〇六年また京都へ。まさに波瀾万丈(はらんばんじょう)の軌跡である。
しかし、こうした軌跡を語る口調は、「春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)」といいたくなるほど、穏やかそのものだ。日高六郎は「僕は、戦前、戦後を見てきた。つまり、僕にとっての戦後史というものも、僕という人間を通じて、体内をくぐって現われる戦後史だからね。単純に言えば、体内にある感覚や判断が、僕の思想であったり、ものさしであったりする」という。
何物にもよらず、自らの身体感覚によって、九十五年の歳月をみじんの湿っぽい感傷もなく、晴朗に生きぬいてきた、この知識人のポルトレは稀有(けう)の輝きに満ち、まことに感動的である。
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パリ郊外に住む90歳の社会学者は、今の日本をどう見ているか・・・
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-01-10-1
『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹著) [読んでみたい本]
毎日新聞(12・23)に「猪瀬新都知事の素顔」と題して特集記事が出ている。
副題として「最多433万8936票を背景に 『変人』が挑む首都改革」とある。
読んでいると、田中角栄が総理就任したときほどではないにしても、同様の熱気を感じさせないでもない内容である。やはり、得票434万票は、たいへん大きいといえるのだろう。
当方は、作家・猪瀬直樹の良い読者ではない。良いも悪いも、全然読者ではない。それでも、副知事就任前後から、テレビなど出演している猪瀬氏の、ズバズバ直言する印象はおおきく残っている。道路公団の民営化問題あたりで、反対派とやりあっているところを見ての印象だろうと思う。
最近、選挙で取り上げられるマニフェストとその後の「総(でもないらしいが)クズレ」を見ていると、「マニフェストなんざ関係ねえや、その人間が(政党が)出来るか出来ないかだけ!」という気持ちにもなってくる。
昨日の猪瀬特集記事では、「決めたことはやる」との副題もついていて、猪瀬直樹の信条として取り上げられている。なんでも、今年、東京マラソンを完走し、その後も練習として、月80キロのノルマを自らに課し、雨のなか傘をさしてでも走っているのだそうである。
たしかに、仕事をしてくれそうな予感はある。ただ、猪瀬氏の「ズバズバ直言」し「決めたことはやる」印象は、別な言葉で言うなら「傲岸不遜」とも近似する。
(こうして書いていて思うに、当方は、どうも、「変人」は嫌いではないのだが、「変人」に熱狂的な人気が加わることに対しては、気味のワルさを感じてしまう傾向があるようである。この選挙戦中、猪瀬氏を応援するサプライズゲストとして元首相小泉純一郎も駆けつけたというから、その気味のワルさは倍加する。)
当選翌朝、報道陣に次のように語ったという。
「民意が権力を正当化する。改革をもっとスピードアップしてやってくれというのが民意。やるべきことはすぐやる」「都議会と話し合いをする時も、民意が僕を代弁しているということを尊重していただきたい」
その民意の結集で、ヒットラーの台頭が許されたことなど思うところから、気味の悪さが頭をもたげてくるように思う。
もっとも、ヒットラーとの近似を知ったなら、猪瀬氏は、かえって喜ぶかもしれない。
話が逸れた。猪瀬氏の著作のことを書くつもりであったのだ。
猪瀬氏が、「勝つ戦いしかやらないーとささやかれ」る論拠として、特集記事に紹介されていたのだ。
そこには、「猪瀬氏の初期の作品に『昭和16年夏の敗戦』がある。なぜ、日本の指導者層は負けると分かっていた対米英戦争を始めたのかを、日本型官僚組織の病理を見据えて検証した内容だ」と、ある。
「日本型官僚組織の病理を見据え」ると、何が見えるのか。それは、「負けいくさ」ということになるのだろう。「負けいくさ」の原因と今日につづく遺伝的病理も見えるのだろう。それを、顕微鏡下で、観察するとさらに何が見えるのだろう。
「勝ちいくさ」しかしないという猪瀬氏の病理もついでに垣間見えるかもしれない。
副題として「最多433万8936票を背景に 『変人』が挑む首都改革」とある。
読んでいると、田中角栄が総理就任したときほどではないにしても、同様の熱気を感じさせないでもない内容である。やはり、得票434万票は、たいへん大きいといえるのだろう。
当方は、作家・猪瀬直樹の良い読者ではない。良いも悪いも、全然読者ではない。それでも、副知事就任前後から、テレビなど出演している猪瀬氏の、ズバズバ直言する印象はおおきく残っている。道路公団の民営化問題あたりで、反対派とやりあっているところを見ての印象だろうと思う。
最近、選挙で取り上げられるマニフェストとその後の「総(でもないらしいが)クズレ」を見ていると、「マニフェストなんざ関係ねえや、その人間が(政党が)出来るか出来ないかだけ!」という気持ちにもなってくる。
昨日の猪瀬特集記事では、「決めたことはやる」との副題もついていて、猪瀬直樹の信条として取り上げられている。なんでも、今年、東京マラソンを完走し、その後も練習として、月80キロのノルマを自らに課し、雨のなか傘をさしてでも走っているのだそうである。
たしかに、仕事をしてくれそうな予感はある。ただ、猪瀬氏の「ズバズバ直言」し「決めたことはやる」印象は、別な言葉で言うなら「傲岸不遜」とも近似する。
(こうして書いていて思うに、当方は、どうも、「変人」は嫌いではないのだが、「変人」に熱狂的な人気が加わることに対しては、気味のワルさを感じてしまう傾向があるようである。この選挙戦中、猪瀬氏を応援するサプライズゲストとして元首相小泉純一郎も駆けつけたというから、その気味のワルさは倍加する。)
当選翌朝、報道陣に次のように語ったという。
「民意が権力を正当化する。改革をもっとスピードアップしてやってくれというのが民意。やるべきことはすぐやる」「都議会と話し合いをする時も、民意が僕を代弁しているということを尊重していただきたい」
その民意の結集で、ヒットラーの台頭が許されたことなど思うところから、気味の悪さが頭をもたげてくるように思う。
もっとも、ヒットラーとの近似を知ったなら、猪瀬氏は、かえって喜ぶかもしれない。
話が逸れた。猪瀬氏の著作のことを書くつもりであったのだ。
猪瀬氏が、「勝つ戦いしかやらないーとささやかれ」る論拠として、特集記事に紹介されていたのだ。
そこには、「猪瀬氏の初期の作品に『昭和16年夏の敗戦』がある。なぜ、日本の指導者層は負けると分かっていた対米英戦争を始めたのかを、日本型官僚組織の病理を見据えて検証した内容だ」と、ある。
「日本型官僚組織の病理を見据え」ると、何が見えるのか。それは、「負けいくさ」ということになるのだろう。「負けいくさ」の原因と今日につづく遺伝的病理も見えるのだろう。それを、顕微鏡下で、観察するとさらに何が見えるのだろう。
「勝ちいくさ」しかしないという猪瀬氏の病理もついでに垣間見えるかもしれない。