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「目」に関するオモシロイ本 [自然に親しむ]


奇想天外な目と光のはなし

奇想天外な目と光のはなし

  • 出版社/メーカー: 雷鳥社
  • 発売日: 2022/03/21
  • メディア: 単行本



著者は〈大学の電気工学科で、光の見え方や感じ方を扱う「視覚心理学」の研究を行う一研究者〉。〈大学卒業後は、東京三鷹にある国立研究所で航空灯火について研究をして〉きた。〈本書は、・・光や目にまつわる不思議でアッと驚く話を紹介しながら、普段、何気なく見ている世界を新しい角度で眺めてもらえたらという思いで書〉いた、と「まえがき」にある。

読みはじめて思うことは、生物学などで、生命の始めについて記す時に、ほぼ必ず「進化論」が事実とされていることである。あくまでも「論」であり「説」であるはずなのだが、そうではなく、事実として示される。それが前提となって後の論議が進められる。本書も例に漏れることなく、chapter1は「目の進化」となっている。

もっとも、そのように一般的に信じられているから、メンドウクサイことにならないよう、そういうことにしておこうというのが多くの著作家の思いであるように思う。当方高校時の生物の教科書の冒頭に進化論の記述があったが、先生は、「ここは自分で読んどけ」と言って、そこを飛ばしてしまった。

先生のメンドクサイの主要な理由は「どうせ試験(受験)に出ないし、出さないからな」だったように思うが、言外に「みんながそう言ってるんだからそれでいいだろう」であったように思う。

当方から言わせれば、「うまくできてる(造られている)な」と思うところも、一般的に「うまく進化した」で済まされてしまう。たとえば、聖書によると人の死は「罪の報い」であり、人間の罪のもたらした結果とされている。それでも、瀕死の状態にあるときに脳内麻薬(β-エンドルフィン)が働いて、痛みがほとんどなく、恍惚感すらあるという。そのように聞くと当方は、神様は「罪の報い」として人間を死ぬ定めに置かれたものの、うまく楽に死ねるようにしてくださったのだと思うのだが、そうしたことも一般に、進化による生理的変化とされてしまう。

「彼岸過ぎまで」 / 死ぬのは気持ちいい?
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2017-03-19

本書(上記イメージ書籍)に、以下の記述があった。

生物学の大きな発展に貢献した『種の起源』の著者であるダーウィンは、動物の進化を考える上で脊椎動物のカメラ眼については頭を悩ませたといいます。なぜならば、自然選択によって進化してきたと考えるには、カメラ眼があまりにも複雑で完璧だと感じたからだそうです。〈(p24/ chapter1「目の進化」section03「複雑なカメラ眼の成り立ち」)。

ダーウィンが、それまでの生命のはじまりについての定説をそのまま踏襲していたなら、「頭を悩ませ」る必要はなかった。そして、「進化論」を提唱することもなかったはずである。ダーウィンはメンドウクサイことが好きな人であったようだ。また、メンドウクサイことを、公にすることのできる時代になっていたということなのだろう。

アイザック・ニュートンの頃は、まだメンドウクサイ時代だった。ダーウィンより150年ほど前に生まれたニュートンは、メンドウクサイことになるのを避けた。当時、定説とされて一般に受け入れられているものについて、あえて異議を唱えなかった。それはカトリック教会で唱えられている「三位一体」についてだ。その教義が誤りであることを、聖書を読んで知ってはいたが、ニュートンは発表せずにいたという。

ダーウィンはメンドウクサイことを唱え、それは社会に受け入れられていったが、その考えの生み出したものは「適者生存」であり、「弱肉強食」であり、「無神論」である。

ダーウィンはなにかとメンドウクサイ人である。おかげで皆、苦労することになった。

話が長くなった。上記書籍は、なにはともあれ「光や目にまつわる不思議でアッと驚く」オモシロイ本である。

『奇想天外な目と光のはなし』入倉 隆著 雷鳥社
https://kankyodou.blog.ss-blog.jp/2022-06-03

舊新約聖書―文語訳クロス装ハードカバー JL63

舊新約聖書―文語訳クロス装ハードカバー JL63

  • 作者: 日本聖書協会
  • 出版社/メーカー: 日本聖書協会
  • 発売日: 1993/11/01
  • メディア: 大型本




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