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高杉早苗・佐野周二主演『風の女王』1938年を見る [ドラマ]

Queen of the wind (1938)
https://www.youtube.com/watch?v=pEgLqXNjSD4

原作は片岡鉄兵。新潮社が発行した大衆雑誌『日の出』に(当該映画公開の前年)連載したもの。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E3%81%AE%E5%87%BA_(%E9%9B%91%E8%AA%8C)

監督は佐々木康、脚本は野田高梧。

内容を煎じ詰めれば、会社というコップのなかに嵐を吹き込んだ「女王」様の話。

「女王」様の役を高杉早苗。コップのなかの面々は、女王様の姉役で三宅邦子。姉の同僚で友人でもありライバルでもある女性に森川まさみ。取締役専務を佐野周二。専務を大学時代から知る社員を笠智衆。

「女王」様は、ピアニストのたまご。姉とは対照的に、父親の古い道徳観とまじめに働いても貧しい現状に不満をもっている。

姉の通う化粧品会社では、こんど仏蘭西に女性従業員を留学させる計画がある。そのポストをめぐってひそかな動きがある。

「女王」様の姉は、その有望なひとり。そこに笠智衆がからむ。笠智衆は、信じられないくらいにモテル役である。笠は野望をもっている。“自分の”女をフランスに渡らせ、帰ったなら、その女と美容院を展開して大儲けしようというもの。そのために、「女王」様の姉に、そのライバルに手を伸ばす。そして、その魔手に女たちはかかり、笠との結婚を望むようになる。が、しかし、頓挫する。

専務は、そうしたひそかな動きが社内にあるのを知り、有力候補である「女王」様の姉を休日に会社の外に呼び出す。姉はすでに笠智衆から専務の女癖の悪さを聞いていて、誘惑を警戒して妹を連れていく。そして、自分への特別な個人的関心のゆえに、フランスへ派遣させられることを憂慮し、依頼を断る。辞職するとまで言う。

その会見の後、「女王」様が姉に言う。「誘惑を警戒しているが、誘惑は蹴とばし、フランス行きだけ受ければいいではないか」。そして、専務と個人的に姉のことで連絡を取り合い、その関係を深めていく。

専務には妻がある。病床について3年になるという。専務の女癖のわるさについての話は笠による中傷である。彼は貞淑な妻を大切に思っている。そして、他の女性との関係を慎重に取り扱っている。ところが、人間の弱さがある。聖書でいう「罪(sin)」である。

「女王」様の様子を見ていると、現在から見ても、大胆である。自分の目的を達成するために利用できるものはなんでも利用していこうという態度である。その態度は、父親をはじめ古い価値観をもつ者たちと衝突するところとなる。しかし、結局のところ、「女王」様は、自分の蒔いたものを刈り取ることになる。

「女王」様の奔放な考えや態度の根底にあるのは彼女の読んだ本の影響のようである。石坂洋二郎の『続 若い人』を読んでいる場面が出てくる。書籍(本のタイトル)がクローズアップされる。その画像から察するに1937 (昭和12)年に改造社から出た鈴木信太郎装丁の初版のようだ。女王様の奔放さは、それに多大の影響を受けてのことのようである。

石坂洋次郎「若い人」をよむ  妖(あや)しの娘・江波恵子
http://www.yoshidapublishing.com/booksdetail/pg539.html

石坂洋次郎の逆襲 三浦雅士著
https://www.tokyo-np.co.jp/article/3444


当該映画をざっと見て、B級・三文映画と思った。そして、もう一度見て、そうでもないと感じた。もうすこし時間をかけて撮影すれば(長尺で撮れば)、そして笠智衆ではなく上原謙あたりの本当の二枚目が演技すれば、『良人の貞操』のような質の高いメロドラマになったように思う。とはいえ、短い時間の中に、よくこれだけの内容を詰め込んだものだと思う。

山本嘉次郎監督映画『良人の貞操』
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2020-12-11


ちなみに、当時の価値(道徳・倫理)観をめぐる映画として、当該映画と同じ高杉早苗・佐野周二主演の『愛より愛へ』と併せて考えるとオモシロイように思う。

島津保次郎 監督『愛より愛へ』1938 を見る
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2021-01-24

風の女王 [DVD]

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  • 出版社/メーカー: ケイメディア
  • 発売日: 2012/03/01
  • メディア: DVD




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田中絹代・佐野周二主演『花籠の歌』1937年を見る [ドラマ]

The song of the flower basket (1937)
https://www.youtube.com/watch?v=JJx-mB9ydPs

監督は、五所平之助、脚本は野田高梧である。

昨日更新した『花』で華道新進家元を演じたのと打って変わって、この映画で田中絹代はトンカツ屋の看板娘を演じている。雑誌に紹介されるほどの小町娘の役だ。だが、市場から早朝届く荷物を背負うたくましい場面もある。ずっと年下の妹役として高峰秀子もでている。

トンカツ屋といっても酒食も提供する店で、場所は東京・銀座。店はたいへんな繁盛ぶりである。絹代さんは日本髪を結った着物すがたでキビキビと客対応している。物干しを取り込みに二階に上がると、窓からは「クラブ白粉」「明治チヨコレート」というネオンサインが見える。場所は銀座だが、貧相なといってもいい古い日本家屋が、その舞台である。

この時期の松竹映画は、どれを見てもだいたいそうだが、結婚問題がからんでくる。絹代さんは店に出入りする学生(佐野周二)と相愛の関係になっている。その友人で一癖も二癖もありそうな「お経あげて儲ける」学生を笠智衆が演じている。

映画のテンポがたいへんいい。その点でセリフのはたす役割は大きい。料理の腕を上海で仕込んだ腕のいい中国人コック役を徳大寺伸 。そのたどたどしい日本語はいかにもそれらしい。どこの訛りか分からないが方言を話す中居(出雲八重子)が色を添える。店主(河村黎吉)は外国航路でコックをしていたという。河村は明治30年に深川に生まれたというから、その言葉は生粋の江戸言葉かもしれない。

江戸言葉
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E8%A8%80%E8%91%89

高峰秀子はちょい役だが台詞がある。義兄(佐野周二)が警察に連行され、そのことで姉が突っ伏して泣いているところに「ただいま」と帰ってきて、カバンとコートを投げ出し、長火鉢の角に足をのせて温めて、それから何事が起きたのだろうと怪訝な顔をしつつ鼻歌をうたいながら洗面器をもってタオルを肩にかけて部屋を出てしまう。

映画と役者たちの実生活が重なると思われるオモシロイ場面がある。

妹(高峰秀子)が、二階から降りてきて「いってまいります」と言う。それに返事することなく父親(河村)と姉(田中)は食事をしている。その姉の肩に手をかけて、ちいさな声で「お姉さん」と言いながら財布を開ける。姉は何も言わずにそそくさと帯の間から財布をだし、妹の広げた財布にお金を入れる。そして、「あんまりつかっちゃだめよ」と睨む。

そこで妹が言う。

「いつになったらスターになれるんだろうなあ」

そこに河村黎吉が追い打ちをかける。「しっかりやらなきゃだめだよ」

脚本に際して、映画スター田中絹代と天才子役高峰秀子との関係が考慮されているのだろう。

高峰秀子(ウィキペディア)には次のように記されている。《1936年(昭和11年)、松竹は撮影所を蒲田から大船に移す。12歳の秀子は子役から娘役への転換期にあっていたが、同年に五所監督のメロドラマ『新道』に田中絹代演じるヒロインの妹役という大役に抜擢される。田中からは実の妹のように可愛がられ、鎌倉山にあった「絹代御殿」と呼ばれる豪邸に泊まり込んで撮影所通いをするようになった[9][10]。実生活では、函館大火で破産した祖父の力松一家が秀子を頼って上京し、千駄ヶ谷に家を借りて住まわせ、秀子の肩に9人の生活がかかることになった[9]。》
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B3%B0%E7%A7%80%E5%AD%90

なんだかわからないがなんとも味わいのあるいい映画である。


以下、当方未読

シナリオ構造論

シナリオ構造論

  • 作者: 野田高梧
  • 出版社/メーカー: フィルムアート社
  • 発売日: 2016/07/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)




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吉屋信子原作映画『花』1941年を見る [ドラマ]

Flower (1941)
https://www.youtube.com/watch?v=MkEMDVHRlZA&t=47s

「吉屋信子原作 東日・大毎連載」。

「後援・賛助 全日本華道協会」「全日本華道協会 東京大会出瓶流名」として草月流にはじまり35の流派の名が示される。さらに、「挿花指導 草月流華道家元 勅使河原蒼風」の名。

まさに「華道」のドラマである。

田中絹代が新進の華道家元の役をしている。映画のなかに「花」が登場する。白黒であるがゆえに、かえって匂う美しさを感じる。

絹代さんと歯科医役:上原謙の恋物語である。成就しそうでありながら、しないで終わるのがいいところなのだろう。視聴する者たちが「じれったが」って、ちょうどいいのだろう。

ふたりが照れる場面では、見ているこちらまで照れてしまう。なにしろ美男美女である。

そこに、桑野通子が謙さんの妹役でからむ。

笠智衆も謙さんの親友役ででる。じれったい男だなと結婚を促す。

笠智衆と謙さんの場面で、恋の行方のおおよそが分かると思う。
1:04:35~1:07:50


ついでながら・・・
『開戦前夜』で、笠智衆・上原謙のからむ場面。
ここでも親友どうしである。
監督も吉村公三郎で同じ。
https://www.youtube.com/watch?v=bcrTl_lozog
38:50~50:40

以下、当方未読

映画監督吉村公三郎 書く、語る

映画監督吉村公三郎 書く、語る

  • 出版社/メーカー: ワイズ出版
  • 発売日: 2014/12/02
  • メディア: 単行本




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『秘話ノルマントン号事件 仮面の舞踏』1943年を見る [ドラマ]

The Masquerade (1943)
https://www.youtube.com/watch?v=_j8TdP5GEPc

歴史的事件に基づいた映画である。

「秘話」とあるが、大部分は創作であるように思う。

『ウィキペディア』の「ノルマントン号事件」の項に概要として次のように示されている。

《ノルマントン号事件(ノルマントンごうじけん、英語: Normanton Incident)とは、1886年(明治19年)10月24日にイギリス船籍の貨物船、マダムソン・ベル汽船会社所有のノルマントン号(Normanton、より英語に忠実な表記は「ノーマントン」)が、紀州沖で座礁沈没した事から始まった紛争事件である。日本人乗客を見殺しにした疑いで船長の責任が問われたものの不問となり、船長らの人種差別的行為と不平等条約による領事裁判権に対する国民的反発が沸き起こった》。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E5%8F%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6

いわゆる「鹿鳴館時代」の話である。欧化政策に馴染んで喜んでいる人々とそれに反発する人々のことが描かれている。その中心に「ノルマントン号事件」を置いている。

イギリス領事を日本人が仮装して演じている。鹿鳴館でのダンスも示される。ほんとうに「仮装」舞踏会である。

裁判の場面もある。その裁定が不当であり侮辱的であったことが強調される。不当な扱いを受ける日本人のために弁論するカッコいい役を佐分利信が演じている。

結局のところ、当該映画で言いたいことは、1:33:48からの場面にちがいない。「この屈辱を忍んで五十余年」の字幕がでてからである。イギリス国旗が掲揚されている施設が爆破され、地面に落ちたユニオンジャックが日本兵に踏みにじられる。そして、それから『終』とでる。


追記:ノルマントン号に乗船して水死した友人をとむらう席で、詩吟がなされる。先に更新した「坂本武主演 高原の月」でも爺ちゃんが詩を吟ずる場面があるが、当該映画でも詠われる。「風は蕭蕭として易水寒し 壮士一たび去りて復た還らず」と詠う。荊 軻(けいか)という西暦前3世紀の人物の漢詩が元になっているようだ。始皇帝を殺す刺客として出向くときに「生還を期さない覚悟を詠んだ」ものだそうである。

荊軻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%8A%E8%BB%BB#%E8%8D%8A%E8%BB%BB%E3%81%AE%E6%97%85%E7%AB%8B%E3%81%A1

史記 「風蕭蕭兮易水寒」 現代語訳
https://kanbunjuku.com/archives/486

以下、当方未読

条約改正―明治の民族問題 (1955年) (岩波新書)

条約改正―明治の民族問題 (1955年) (岩波新書)

  • 作者: 井上 清
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2021/01/28
  • メディア: 新書



日本条約改正史の研究―井上・大隈の改正交渉と欧米列国

日本条約改正史の研究―井上・大隈の改正交渉と欧米列国

  • 作者: 藤原 明久
  • 出版社/メーカー: 雄松堂出版
  • 発売日: 2004/07/01
  • メディア: 単行本




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桑野・高杉・高峰主演『蛍の光』1938年を見る [ドラマ]

【疑似カラー&疑似ステレオ】 映画『蛍の光』(1938年公開)
https://www.youtube.com/watch?v=fFHTCJ8nUEM

サイレントとトーキーを折衷したような映画で、おもしろい。

「女学校」に在籍する者たちがどんな生活をしていたかを知ることができる。生徒どうし、生徒と担任との関係、さらには、試験時の生徒と各科目(古文、歴史、幾何、英語、物理、漢文)の先生たちとの関係がほの見える。医務室(保健室)の使われ方も分かる。友人どうしでの旅行のようす、卒業式のようすも示される。

高等女学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%A5%B3%E5%AD%A6%E6%A0%A1

女学校
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E5%AD%A6%E6%A0%A1

当時の「女学校」生は卒業と同時に結婚が想定されていたものらしい。高杉早苗の役(早苗:芸名と役名が同じ)は、資金援助を受けていた知人の息子(要介護の病人)のもとに嫁いでいくよう設定されてある。つまり、その男性は「許嫁」ということになるが、本人は「売られていく」と自覚している。あくまでも親の義理を守るカタチでの結婚であるからだ。

しかし、逃げる。許嫁との結婚を嫌うだけでなく、早苗には好きな男性がいる。それで、なにか「苦しいことがあれば相談にのる」と言ってくれていた退職した担任(桑野通子)の元に走る。

その苦しさは、その好きな男性が親友:三枝(高峰三枝子)の結婚を願う男性であることからきている。

担任は、本人の意向を汲んで本人に代わって折衝する。訪ねてきた早苗の父親に結婚をおしつけるのは無理であると説く。それに対する早苗の父(坂本武)の対応は、「いかにも」の感がする。義理ある人に背を向けた娘に対する親の対応としては、それが常道だったのだろう。
(51:36~55:35)

担任は、早苗の父親だけでなく、早苗に愛情を抱く男性(夏川大二郎)とも折衝する。彼女に結婚の意志はないと伝え、会うことも許さない。(56:40~59:30)

夏川大二郎は、三枝(高峰三枝子)と早苗の双方から結婚を望まれている役。しかし、早苗も三枝も、結局のところ、親友への遠慮から彼を遠ざける。

製作者としては、友情は恋愛愛情に勝るということを言いたいもようである。

最後は自殺未遂ののち体調が悪化した三枝の臨終である。その場に(三枝の親は同席せず)親友の早苗と担任が駆けつける。

だいぶ乱暴な話である。思うに、結局のところ高杉早苗と高峰三枝子を見るための映画のようである。


蛍の光 [VHS]

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  • 出版社/メーカー: 松竹ホームビデオ
  • 発売日: 1993/05/20
  • メディア: VHS




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佐野周二主演『荒城の月』1937年を見る [ドラマ]

The moon of ruined castle (1937)
https://www.youtube.com/watch?v=Fp93d5nCe7k

滝廉太郎の伝記映画。「荒城の月」を作曲する労苦が示される。小学校訓導の友人とその妹、友人の教え子とその姉との交流を中心に据えて、その臨終までが扱われる。

「荒城の月」は明治34年発表で、滝の死はその2年後だが、映画では完成と同時に亡くなるかのように描かれている。創作された部分が多いのだろう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%A7%E5%BB%89%E5%A4%AA%E9%83%8E

滝は、肺結核で夭折する。23歳である。ペニシリンが普及するようになるまで、「肺病」で命を落とす人はたくさんいた。知人(90歳)の兄上も肺結核で亡くなったと聞いている。太平洋戦争の後、ペニシリンが一般に出まわるようになるまで、肺結核は罹患した以上ほぼ確実に人の命を奪う「死病」だった。

日本初の抗生物質「碧素」(ペニシリン)開発物語
https://note.com/n_hashimoto/n/n00f654e5cd05

タキは身体の不調を意識している。それゆえ結婚に踏み切る自信がもてない。友人の妹に「あなたとのことも、僕のからださえ丈夫だったら・・」と言う。それでも、友人の妹は自信をもって自分を迎え入れてくれるまで「いつまでもお待ちしておりますわ」と言う。

タキを佐野周二、友人の妹を高杉早苗が演じている。翌年に撮影された『愛より愛へ』でも共演しているが、当該映画とそれとでは二人の男女のカラーが異なる。比較してみるとオモシロイ。

島津保次郎 監督『愛より愛へ』1938 を見る
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2021-01-24


荒城の月 [VHS]

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  • 出版社/メーカー: 松竹ホームビデオ
  • 発売日: 1993/05/20
  • メディア: VHS




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坂本武主演『高原の月』1942年を見る [ドラマ]

Moon in the plateau(1942年)
https://www.youtube.com/watch?v=7ePY4oLCwhI

牧歌的な映画である。

山小屋の管理をしている(らしき)お爺さんのところに、南洋に行っている(軍人ではなく軍属の)息子夫婦の子ども(男)がやってくる。母と子で船に乗ったが、乗船中に母親は亡くなる。

その子の姉は師範学校を卒業するところで、お爺さんと弟の近くの学校への赴任を希望する。

そこでの暮らしが、のどかに描かれる。

お爺さん役を坂本武。昨日更新した『愛より愛へ』でおせっかいでヒョウキンな会社経営者とはまったく役柄がちがう。一刻者を演じている。

姉役を、高峰三枝子。こちらもまた『愛より愛へ』で、おきゃんな雰囲気のお嬢様を演じていたのが、打って変わって師範出の女先生を演じている。

同じく、佐野周二も、誠実で真面目な学校の先生を演じている。『愛より愛へ』での口のわるい、何かといえばまぜっかえす(高峰の兄を演じた)役柄とは異なる。

当時の役者は、なんでもできる感がある。それでこそ、“役”者なのだろう。役柄しだいでなんにでもなる。

戦争中の映画である。たいへん牧歌的なのだが、終わりのほうで一挙に戦時色が出る。そこからは、取って付けたようなセリフになる。(1:18:00~)

そして、最後の最後、爺ちゃんは孫に詩吟を聞かせる。延々と視聴者もそれに付き合わされることになる。詩吟は、藤田東湖の『 回天詩 』である。孫に(と同時に視聴者に)その漢詩の精神を注入したかったようである。

ちなみに、正剛・松岡先生は、自身のブログ0997夜『ヴィクター・コシュマン著 水戸のイデオロギー』の中で、次のように書いている。(以下、抜粋)
https://1000ya.isis.ne.jp/0997.html
******
 ここにおいてついに水戸イデオロギーは、尊王攘夷を広く天下に知らしめる決断をもったのである。そのリーダー格となったのが藤田東湖だった。

 東湖もいったん江戸の一室に幽閉されていたのだが、ここにおいて起爆する。弘化元年5月、39歳になっていた東湖は有名な『回天詩』を綴る。

  三たび死を決して而も死せず。
  二十五回刀水を渡る。
  五たび閑地を乞うて閑を得ず。
  三十九年、七処に徒(うつ)る。

 こう、始まって、「皇道なんぞ興起せざるを患(うれ)えん。斯の心奮発して神明に誓う。古人云う、斃(たお)れてのち、已(や)むと」に終わる。この言いっぷりこそ、その後の明治の軍人と昭和の軍人が手本としたものである。

****抜粋ここまで****

というわけで、一見のどかで牧歌的な映画も、実は軍事色がつよかったということである。


藤田東湖 回天詩 日本漢詩選 詩詞世界
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi3_07/jpn141.htm


以下、当方未読

水戸イデオロギー―徳川後期の言説・改革・叛乱

水戸イデオロギー―徳川後期の言説・改革・叛乱

  • 出版社/メーカー: ぺりかん社
  • 発売日: 2021/01/25
  • メディア: 単行本




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島津保次郎 監督『愛より愛へ』1938 を見る [ドラマ]

愛より愛へ So Goes My Love (1938)
https://www.youtube.com/watch?v=rXWHMpNmBqo

主演は関口知宏の祖父:佐野周二と香川照之の祖母:高杉早苗。自分の祖父母をスクリーンで見ることができるというのはどういう気分だろう。どちらも優秀な俳優である。祖父母の写真さえろくに残っていない当方からみると羨ましいかぎりである。

ふたりは同棲している。美耶子(高杉)との結婚を茂夫(佐野)の父は許さない。彼女が女給であることなど、家柄に合わないと言うのが主な理由だろう。それで、茂夫は家を出て、ふたりでアパート暮らしをしている。当時のアパート生活は上流の人たちにとって好奇の対象であったことがわかる。

茂夫は就職できないでいる。現在のところ、実質的に女に食わせてもらっている。茂夫は自分を不甲斐なく思い、そのことを美耶子にぶつける。美耶子は、ふたりの生活を幸福と思っていると言うが、茂夫はそれをウソだろうと言う。茂夫の苛立たしさを引き受けて美耶子は泣く。そうこうしながら、お互いの気持ちを確かめている。

そこで気持ちがぶれると、即刻どちらかがアパートを出て、結ばれることなく終わるのだろう。

ところが、そうならない。

最終的には、茂夫の妹(高峰三枝子)の奔走もあってハッピーエンドに終わる。美耶子は誰が見ても魅力的な女性なのである。茂夫の伯父の邪魔立ても、結果として良い方向に作用する。

最終的に、父親の言葉で、話は決まる。

「わしは今までだって、許さんと決めたわけじゃない。あいつがイイカゲンな浮ついた気持ちでさえないということが分かったなら、いつでも許してやるつもりでおった」

結ばれるに至るまでに、紆余曲折、邪魔立てなどあるものの、ハッピーエンドに終わる恋物語・恋愛譚の典型であろう。紆余曲折で振り切られ、邪魔立てに屈していては結婚など到底できない。


ダフニスとクロエー (岩波文庫 赤 112-1)

ダフニスとクロエー (岩波文庫 赤 112-1)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1987/03/16
  • メディア: 文庫



潮騒 (新潮文庫)

潮騒 (新潮文庫)

  • 作者: 三島 由紀夫
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2020/10/28
  • メディア: 文庫





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島津保次郎監督『男性対女性』1936年 [ドラマ]

Men vs Women (1936年)
https://www.youtube.com/watch?v=1t0sl1PD8t0

この時期の作品としては長尺である。当時流行していたレビューやキャバレー (cabaret )での出しものを視聴者に見せる意図があったようだ。そのために時間をだいぶ用いている。ターキー(水の江滝子)のレビューの様子も見ることができる。

『男性対女性』というタイトルは茫漠としているが、扱われているのは「幸福」の問題である。幸福はどこにあるかというお話しである。

ドラマは二つの家族のからみ合いで描かれる。貿易商の長男(佐分利信)とレビュー興行をてがける劇場経営者の長女(田中絹代)との関係を中心に話は展開する。貿易商は劇場経営者に資金援助(投資)している。佐分利信は、人類学を大学で指導教授している。絹代さんは、佐分利に恋愛感情をもっているが、佐分利は煮え切らない。愛していないのではなく、幸せにできるかどうかに自信がもてないのだ。もっぱらアプローチするのは絹代さんの方である。佐分利は、絹代さんが幸せになれるのであれば、なんであれソレでいいと思っている。

貿易商の次男(上原謙)はフランス帰りの演劇研究家。帰国して絹代さんの父の劇場の演出をすることになる。そこで働く照明担当の女性(配光部主任:桑野通子)と仕事をとおして親しくなっていく。彼女は、絹代さんの「妹」的存在である。父親を亡くして上流階級から零落したのだろう。母親(飯田蝶子)はそのことを気に病んでいるが、彼女は今を溌溂と生きている。

貿易商と劇場経営者(の二つの家族)を手玉にとって自分の利益をむさぼる男に河村黎吉。田中絹代の弟で、自分の家で働く女中(地方の牧場主の娘)に恋愛感情をもっている大学生を磯野秋雄。絹代さんに執心する男爵家の息子に斎藤達夫が扮している。

両家ともに事業に失敗して家産が傾く。劇場経営者にとって救いの手立てとなるのは男爵の資金援助を得ることだが、娘(絹代さん)が男爵家の縁談を反故にするので、劇場も屋敷もひと手に渡ることになる。父親は自殺する。世間体をばかり気にしていた母親は、すでに家出して(元・女中の牧場に身を寄せて)いた息子のもとで暮らすことになる。貿易商は、最後の頼みの綱であった工場が火災で失われる。敗残者として事業から手を引くことにする。

劇場は閉鎖となっていたが、男爵の所有となって再開する。男爵に劇場を取得するよう働きかけたのは河村黎吉のようだ。そこに、実力のある演出家として上原謙が招かれる。しかし、劇場支配人が河村であることを知ると、上原は即刻、演出を降りるという。河村は上原を呼び留めて「おとなしく雇われた方がいいよ。ここはね(自殺した経営者よりも)条件がいいんだから」と言う。そこからの展開がすごい。また、オモシロイ。

佐分利信と絹代さんとの関係は、周囲をじれったがらせる。二人の気持ちにあるのは相手への思いやりだ。それが、ふたりを逡巡させる。(2:00:04~2:01:55)

絹代さんが、家屋敷を失って泣き悲しむ母親に話す場面がある。「幸福なんていうものは、おおきなうちや(**)の飾りのなかにあるもんじゃありません。わたしたちきっと幸せに暮らせてよ」「しげる(弟)のように、あの牧場で好きな人と一緒にくらしているのが一番いいんだわ」。

そう言う絹代さんは、その後、そのとおりの行動にでる。

ハダカ(無一物)になることのできる人間は強い。ハダカになる覚悟のある人間は強い。たとえ、家運がどうなろうとも、その覚悟があれば個人として幸福でいることはできる。



男性対女性[VHS]

男性対女性[VHS]

  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 1992/02/21
  • メディア: VHS




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佐分利信主演『都会の奔流』を見る [ドラマ]

The urban torrent (1940年)
https://www.youtube.com/watch?v=GLeQfyo-z94

『都会の奔流』というタイトルだけでは、何の映画か分からない。都会生活、都会人の暮らしの一断面を描いているのだろうくらいは想像できる。都会ならではの何らかのゴタゴタに巻き込まれて苦しむ話だろうかなど思いを巡らすこともできるが、よく分からない。

カンタンにまとめれば、「不良少年の更生の物語」である。

少年とはいえ、大学生である。この映画でも主演の佐分利信はかっこよさを独り占めである。知人の舎弟(三井秀男:後の三井弘次)を自宅にひきとり、真人間になるよう助ける。

聞く耳をもたなければ、信頼を得て聴く耳をもつようになるまで待つ。しっかり自制を保ち、おだやかに親切に接する。すこしでも良い変化を遂げれば、すなおに喜ぶ。信頼を大きく裏切られても、自分の預かった人間の不祥事は自分の責任として、潔く受け入れる。

不良少年が、どうしようもないダメ人間であるだけに、佐分利信はいよいよ輝きを増す。今日でも、その点は同じかもしれない。困った問題が起きたときに、自分のことを心から心配してくれる人たちに相談しない。しないばかりか、ヤクザな連中に相談してしまう。それで、ますます泥沼にはまっては、信頼を寄せる人たちを泣かせてしまう。

映画ラストで、自分の不良行為がつぐないえない結果に至ったと思えた時の、少年の行動が見ものである。それが、またまた重大な結果になるのだが、それに対するチンピラと佐分利の対応が対照的である。そこに輸血が関係してくるのだが、当時の人々の「血」に対する見方が分かってオモシロイ。

また、少年の父親の病気と死から映画はスタートすると言っていいが、故人の「霊」「遺志」が丁重に扱われていく。それなくしては、いくら旧友とはいえ、不良少年を引き取ることにはならなかっただろう。故人は死んだとはいえ、生き残った者らに影響を与えていく。

当方に言わせれば、「不良少年更生の物語」であり、「霊」と「血」に対する当時の見方が分かる映画である。


都会の奔流 [VHS]

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  • 出版社/メーカー: 松竹ホームビデオ
  • 発売日: 1997/08/09
  • メディア: VHS




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