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残暑ー彼岸ー漱石ー生と死の境ー老成 [スピリチュアルな話題]

きょうは日差しが出てめっぽう暑い。勘弁してくださいという感じだ。

とはいえ、風がすこし秋めいてきた。暦のうえでは秋なのだから当然と言えば当然だが、この残暑の厳しさを思うと、「暑さ寒さも彼岸まで」は、ことし通用するだろうかなど考えてしまう。

「彼岸過迄(彼岸過ぎまで)」という漱石の小説がある。タイトルは、それくらいまでには書き終えることができるだろうという思いから、つけたという。

むかし、そう聞いた時には、いい加減な付け方をするものだと思った。

漱石先生も案外お気楽なものだなと軽く考えていたが、そこに自身の死も念頭にあったと考えると、当方のほうが軽かったと言わざるをえない。漱石の思いには、それまでに書き終えられるだろうかという思いと同時に、それまで生きていられるだろうかという思いも深いところで揺曳していたにちがいない。

ウィキペディアを見ると、その作品背景として次のように記されてある。

漱石は1910年の夏に病を悪化させ、危篤状態になった(修善寺の大患)。この1年半ののちに「彼岸過迄」の連載が始まったのだが、漱石は連載開始に当たり、初日(1月1日)に、「彼岸過迄に就て」という題の序文を発表している。これによれば、長く休んだために面白いものを書かなくてはいけないと感じているとしている。また、「彼岸過迄」という題名は、元日から始めて彼岸過ぎまで書くつもりだったので名づけたことがわかる。// 漱石は修善寺の大患のほかにも、発表前年の11月に、生後2年の五女ひな子が死亡している。また、江藤淳は漱石がこの時期に文壇で孤立化していたと指摘している[1]。

そして、連載が開始(1912年1/1)されてから5年後、1916年暮れに49歳で亡くなっている。

上記引用に「修善寺の大患」とある。漱石の人生を語るときについて回る言葉だ。ベートーヴェンの「ハイリゲンシュタットの遺書」のようなものだ。

修善寺温泉で吐血して生死のふちをさ迷った。その大患後の作品であれば、漱石の思いに、いのちの秋風が吹いていても不思議ではない。

「彼岸過迄」「行人」「こころ」「道草」「明暗」と代表作がつづくが、どんどん暗くなる。思索がふかくなる。「坊ちゃん」を書いた人とは思えないところに行く。

死は避けて通れないものだけに、それを真向に見つめると、人生への思索は深まるのだろう。

50歳など今では元気いっぱい働きざかりである。「老成」という言葉は似あわない。しかし、漱石は「いつも重厚、鈍重」な印象を漱石門下の面々に与えるたいへん深い人であったようだ。

「夏目先生の印象記」津田青楓
https://kankyodou.blog.ss-blog.jp/2013-03-17

むかしの人は、はやく老成した。「人生50年」と言われていたころ(日本人の平均寿命は1947年に初めて50歳を超えた)は、はやく老成せざるを得なかったのだろう。

明治の50歳は、令和の90歳に相当するかもしれない。

3;HATABI:子どもの日
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2012-05-06

「彼岸過ぎまで」 / 死ぬのは気持ちいい?
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2017-03-19


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