ムハンマド風刺画を「再・掲載」、再・襲撃情報も・・ [スピリチュアルな話題]
フランスの週刊紙「シャルリーエブド」を覚えておられるだろうか。預言者ムハンマドを風刺したために、イスラム過激派にその編集部が襲撃され、12人が殺害された。
その事件から5年が経つが、再びムハンマドの風刺画を掲載し、「シャルリーエブド」は売れに売れているという。そして、十分考えられることだが過激派による 再・襲撃の情報もあるという。
日本でも、「悪魔の詩 訳者殺人事件」というのがあった。1991年「ムスリム社会では冒涜的であると受けとられ、激しい反発を招いた」『悪魔の詩』の翻訳者:筑波大学助教授の五十嵐一氏が筑波大学のキャンパス内で殺されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%AE%E8%A9%A9%E8%A8%B3%E8%80%85%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
出版されたことで殺人に発展した事件として、(当方の知るところでは)ほかに嶋中事件というのがある。深沢七郎の小説「風流夢譚」が皇室に対して不敬であるとして、出版社社長宅が襲撃され家政婦が殺害されている。こちらも、ある意味、宗教がらみと言ってイイだろう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B6%8B%E4%B8%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6
「言論の自由」「表現の自由」というものがある。しかし、それが他者のこころを傷つけることもある。その辺の絡みはむずかしい。その点、フランスはある意味、先進国と言っていいだろう。
本日(9/21)の「朝日新聞」に、パリ支局長:疋田多揚氏のレポートが出ていた。
興味深いので以下に引用してみる。
****以下、全文引用****
冒涜さえ自由
フランスの礎
フランスの週刊紙「シャルリーエブド」が今月、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を再掲載した。2015年1月にパリの同社編集部がイスラム過激派に襲撃され12人が殺害された事件のきっかけとなった作品だ。イスラム教徒の反発をよそに多くのフランス人は掲載を当然と受け止めている。
同紙は普段の3倍にあたる20万部を2日に発行。朝から売り切れる店が続出し、さらに20万部増刷した。紙面に掲載された世論調査によれば、59%の市民が表現の自由を理由にムハンマドの風刺画掲載を支持すると答えた。
マクロン大統領は4日、「フランス人であることは、風刺する自由を擁護することだ。冒涜の自由も保障されている」と同紙を擁護した。
パキスタンでは風刺画掲載への抗議デモが起き、エジプトのスンニ派最高権威機関アズハルは「共存を妨げるものだ」と非難した。イスラム過激派が再び同紙編集部を襲うとの情報もある。
フランスで宗教への冒涜が罪でなくなったのは1791年。フランス革命の2年後にあたる。教会が絶対王制への権威を支え、宗教は権力そのものだった。だから民衆の破壊行為は教会にも向かった。
風刺画は当時からあった。ルイ16世を豚に見立てた作品が描かれ、聖職者も格好の題材になった。民衆にとっての真実を提示する、一種の抵抗手段だった。
その後もカトリックとの闘争を経て、ようやく1905年に政教分離法を制定するに至る。二度と政治権力が脅かされない、宗教の影響を徹底排除するための工夫だった。国家は個人の内面に踏み込まず、いかなる宗教的価値も代表しないとされる。いまのフランスの骨格をなす仕組みだ。
*****引用ここまで*****
つづく部分に 東大、宗教社会学准教授が次のタイトルで記している。併せて引用する。
傷つく人 置き去りでいいのか
東京大の伊達聖伸准教授(宗教社会学)は「表現の自由を行使して宗教と国家を切り離してきた歴史性ゆえに、政教分離は冒涜の自由と深く結びつけれられている」と指摘する。
政教分離は20世紀になって、イスラム教徒を社会にどう統合するかという文脈で使われるようになる。公共の場所である学校でスカーフを着用していいのか、顔以外を全て覆う女性用水着「ブルキニ」を海岸で認めるべきか。禁止論者の論拠となったのが政教分離だ。
ただ、シャルリー紙が取り上げるのはイスラム教だけではない。昨年末んは、クリスマスを前にストライキでマヒする国鉄を揶揄しようと、素っ裸で駅に立ち尽くす子どものキリストを掲載。日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告がレバノンに逃亡した際は、トランクに押し込まれたさまを滑稽に描いた。
自由に批判できる市民の共和国、という理念は、こうして今日に引き継がれている。
しかし、その理念を理由に傷つきうる人の存在を忘れていいのかという問題は残る。異なる歴史と文化を持つ人々が共存する中で、表現の自由がどこまで普遍的なのかを改めて問いかけている。
****引用、ここまで****
「ライシテ」を理解しないとフランス人を理解したことにはならないように思っている。「ウィキペディア」に、その説明がある。当方いまだ不分明である。歴史もふくめてよくよく勉強しないと、芯から分からないように思う。
ライシテ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%86#%E3%83%A0%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%89%E3%81%AE%E9%A2%A8%E5%88%BA%E7%94%BB
創刊90年、語学雑誌として最も古い 「ふらんす」
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2015-04-21
・・と、書いて、最後に東大准教授の著書を紹介しようと、著者名でAmazon・検索したら、驚いたことに、以下の「ライシテ」関連本を著していることが分かった。准教授は「ライシテ」を専門とされているのであろう。これは、読んで学びなさいということにちがいない。
その事件から5年が経つが、再びムハンマドの風刺画を掲載し、「シャルリーエブド」は売れに売れているという。そして、十分考えられることだが過激派による 再・襲撃の情報もあるという。
日本でも、「悪魔の詩 訳者殺人事件」というのがあった。1991年「ムスリム社会では冒涜的であると受けとられ、激しい反発を招いた」『悪魔の詩』の翻訳者:筑波大学助教授の五十嵐一氏が筑波大学のキャンパス内で殺されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%AE%E8%A9%A9%E8%A8%B3%E8%80%85%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
出版されたことで殺人に発展した事件として、(当方の知るところでは)ほかに嶋中事件というのがある。深沢七郎の小説「風流夢譚」が皇室に対して不敬であるとして、出版社社長宅が襲撃され家政婦が殺害されている。こちらも、ある意味、宗教がらみと言ってイイだろう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B6%8B%E4%B8%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6
「言論の自由」「表現の自由」というものがある。しかし、それが他者のこころを傷つけることもある。その辺の絡みはむずかしい。その点、フランスはある意味、先進国と言っていいだろう。
本日(9/21)の「朝日新聞」に、パリ支局長:疋田多揚氏のレポートが出ていた。
興味深いので以下に引用してみる。
****以下、全文引用****
冒涜さえ自由
フランスの礎
フランスの週刊紙「シャルリーエブド」が今月、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を再掲載した。2015年1月にパリの同社編集部がイスラム過激派に襲撃され12人が殺害された事件のきっかけとなった作品だ。イスラム教徒の反発をよそに多くのフランス人は掲載を当然と受け止めている。
同紙は普段の3倍にあたる20万部を2日に発行。朝から売り切れる店が続出し、さらに20万部増刷した。紙面に掲載された世論調査によれば、59%の市民が表現の自由を理由にムハンマドの風刺画掲載を支持すると答えた。
マクロン大統領は4日、「フランス人であることは、風刺する自由を擁護することだ。冒涜の自由も保障されている」と同紙を擁護した。
パキスタンでは風刺画掲載への抗議デモが起き、エジプトのスンニ派最高権威機関アズハルは「共存を妨げるものだ」と非難した。イスラム過激派が再び同紙編集部を襲うとの情報もある。
フランスで宗教への冒涜が罪でなくなったのは1791年。フランス革命の2年後にあたる。教会が絶対王制への権威を支え、宗教は権力そのものだった。だから民衆の破壊行為は教会にも向かった。
風刺画は当時からあった。ルイ16世を豚に見立てた作品が描かれ、聖職者も格好の題材になった。民衆にとっての真実を提示する、一種の抵抗手段だった。
その後もカトリックとの闘争を経て、ようやく1905年に政教分離法を制定するに至る。二度と政治権力が脅かされない、宗教の影響を徹底排除するための工夫だった。国家は個人の内面に踏み込まず、いかなる宗教的価値も代表しないとされる。いまのフランスの骨格をなす仕組みだ。
*****引用ここまで*****
つづく部分に 東大、宗教社会学准教授が次のタイトルで記している。併せて引用する。
傷つく人 置き去りでいいのか
東京大の伊達聖伸准教授(宗教社会学)は「表現の自由を行使して宗教と国家を切り離してきた歴史性ゆえに、政教分離は冒涜の自由と深く結びつけれられている」と指摘する。
政教分離は20世紀になって、イスラム教徒を社会にどう統合するかという文脈で使われるようになる。公共の場所である学校でスカーフを着用していいのか、顔以外を全て覆う女性用水着「ブルキニ」を海岸で認めるべきか。禁止論者の論拠となったのが政教分離だ。
ただ、シャルリー紙が取り上げるのはイスラム教だけではない。昨年末んは、クリスマスを前にストライキでマヒする国鉄を揶揄しようと、素っ裸で駅に立ち尽くす子どものキリストを掲載。日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告がレバノンに逃亡した際は、トランクに押し込まれたさまを滑稽に描いた。
自由に批判できる市民の共和国、という理念は、こうして今日に引き継がれている。
しかし、その理念を理由に傷つきうる人の存在を忘れていいのかという問題は残る。異なる歴史と文化を持つ人々が共存する中で、表現の自由がどこまで普遍的なのかを改めて問いかけている。
****引用、ここまで****
「ライシテ」を理解しないとフランス人を理解したことにはならないように思っている。「ウィキペディア」に、その説明がある。当方いまだ不分明である。歴史もふくめてよくよく勉強しないと、芯から分からないように思う。
ライシテ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%86#%E3%83%A0%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%89%E3%81%AE%E9%A2%A8%E5%88%BA%E7%94%BB
創刊90年、語学雑誌として最も古い 「ふらんす」
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2015-04-21
・・と、書いて、最後に東大准教授の著書を紹介しようと、著者名でAmazon・検索したら、驚いたことに、以下の「ライシテ」関連本を著していることが分かった。准教授は「ライシテ」を専門とされているのであろう。これは、読んで学びなさいということにちがいない。
ライシテから読む現代フランス――政治と宗教のいま (岩波新書)
- 作者: 伊達 聖伸
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2018/03/21
- メディア: 新書
フランスにおける脱宗教性(ライシテ)の歴史 (文庫クセジュ)
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2009/05/01
- メディア: 単行本