これで膝と腰の痛みが全部吹き飛んだ…三浦雄一郎が考案「ヘビーウォーキング」の驚くべき効果 [健康関連]
これで膝と腰の痛みが全部吹き飛んだ…三浦雄一郎が考案「ヘビーウォーキング」の驚くべき効果
https://president.jp/articles/-/77996
三浦雄一郎の考案した「ヘビーウォーキング」の中身
50歳を超えてからは、「歩く」ことがトレーニングの基本になりました。
ランニングは脚への負担が大きいんですね。とくにぼくは膝を痛めていたものですから、走ると必ず膝が腫れました。
ということで、もうトレーニングはできない体になってしまったのかなと落ち込んでいたのですが、あるとき、本を詰め込んで10kgくらいになったリュックサックを背負って、家のまわりを歩いてみたら、無理なく歩くことができました。「よし!」ってことで、それからだんだん歩く距離を延ばしていきました。
また、当時は、東京・原宿に事務所があり、そこをベースに講演会などの仕事もしていました。
たとえば、新幹線で東京駅に帰ってくると、タクシーに乗って、途中の赤坂で降りて、原宿まで歩く。それが“エスカレート”してくると、東京駅から原宿まですべて歩いてみたりと、トレーニングとして意識的に長く歩くことを自分に課しました。
重さも増やしていきました。背中にリュックサックを背負う代わりに、足首にアンクルウェイト(重り)を巻いて歩くのです。最初は片足1kgから2kgでしたが、徐々に3、4、5kgと増やしていき、最後は10kgにも挑戦しました。
これをぼくは勝手に「ヘビーウォーキング」と呼んでいます。
歳を重ねたら「歩く」ことがトレーニングの基本
普段の仕事の行き帰りはもちろん、結婚式に出るときも、これは外しません。
しっかりスーツを着込んでピカピカに磨いた靴を履き、でも人知れず、足首には重りを巻いているなんて、おかしな姿だと思うでしょうね。でも、日常生活すべてがトレーニングと考えていましたから。
そうこうしているうちに、年齢と反比例するように体力は上がってきて、膝が痛い、腰が痛いという痛みが、どういうわけか全部吹き飛んでしまった。「ヘビーウォーキング」は足腰の治療にもひと役買っていたというわけです。
おかげで、70歳からの三度のエベレスト登頂への挑戦のときも、とくにジムに通って特別なトレーニングを受けたわけではなく、すべてこの重りをつけて歩くトレーニングを基本にすることで可能になりました。
もっとも、重りは日々の体調に応じて変化をつけました。今日は疲れたから3kgにしようとか、今日は頑張って8kgにしようとか、その日の気分、コンディションしだいで決めていました。
ぼくはエベレストに登るという夢のために、重りをつけて歩きましたが、歳を取って足腰が弱ってきた人には、毎日歩くだけでも効果的だと思います。
とにかく、歳を重ねたら「歩く」ことがトレーニングの基本だと思います。
何事もやりすぎは禁物
当時、ぼくは65歳。5年後の登頂から逆算すると時間はそれほどありません。
それこそ富士山を走って登れるくらいの体力をつけなきゃ、という気持ちがあったことで続けられた。
結果的に、それがぼくの一番の健康法になったと思います。
ぼくの場合は、走るよりも、先に紹介した、足に重りをつけた「ヘビーウォーキング」です。
このスタイルをやり抜いたことがよかったと思います。
歩くことは誰にでもできますし、体調しだいでは重りだってつけなくてもいい。
気の向いたときに歩き出せばいいし、無理する必要もない。
歩き終わったときの心地よい疲労感は格別です。体がリフレッシュするような気分に包まれ、また明日も歩きたいと思わせてくれます。
そうして体力がついて体重も減ってくると、体が軽くなって、スキーの調子もどんどん上がってきます。何をやっても元気に楽しめるから、人生そのものの次元が変わってきます。
ただし、やりすぎは禁物です。
ケガや病気を「治す楽しみがある」と考えられるか
ぼくにも経験がありますが、あせったり、急ごうと思ったりすると、どうしてもオーバートレーニングになり、結果として疲労が溜まって免疫が下がり、風邪をひきやすくなったり、病気の原因にもなったりします。
トレーニングを頑張りすぎて、膝や腰を痛めたり、また、病気になったりすると、「自分はもう歳なんだ……」と、どうしても悲観的な考え方になるのが中高年です。
その点ぼくの場合、ケガしたり、病気になったりしたら、「治す楽しみがある」と考えるようにしています。これだけちゃんと治療、療養したのだから、「明日はきっと、もっとよくなる」って。
まあ、楽天的なんですね。
でも、とかく悲観的になりがちな中高年にとって大事な心がまえではないかとも思うのです。
https://president.jp/articles/-/77996
三浦雄一郎の考案した「ヘビーウォーキング」の中身
50歳を超えてからは、「歩く」ことがトレーニングの基本になりました。
ランニングは脚への負担が大きいんですね。とくにぼくは膝を痛めていたものですから、走ると必ず膝が腫れました。
ということで、もうトレーニングはできない体になってしまったのかなと落ち込んでいたのですが、あるとき、本を詰め込んで10kgくらいになったリュックサックを背負って、家のまわりを歩いてみたら、無理なく歩くことができました。「よし!」ってことで、それからだんだん歩く距離を延ばしていきました。
また、当時は、東京・原宿に事務所があり、そこをベースに講演会などの仕事もしていました。
たとえば、新幹線で東京駅に帰ってくると、タクシーに乗って、途中の赤坂で降りて、原宿まで歩く。それが“エスカレート”してくると、東京駅から原宿まですべて歩いてみたりと、トレーニングとして意識的に長く歩くことを自分に課しました。
重さも増やしていきました。背中にリュックサックを背負う代わりに、足首にアンクルウェイト(重り)を巻いて歩くのです。最初は片足1kgから2kgでしたが、徐々に3、4、5kgと増やしていき、最後は10kgにも挑戦しました。
これをぼくは勝手に「ヘビーウォーキング」と呼んでいます。
歳を重ねたら「歩く」ことがトレーニングの基本
普段の仕事の行き帰りはもちろん、結婚式に出るときも、これは外しません。
しっかりスーツを着込んでピカピカに磨いた靴を履き、でも人知れず、足首には重りを巻いているなんて、おかしな姿だと思うでしょうね。でも、日常生活すべてがトレーニングと考えていましたから。
そうこうしているうちに、年齢と反比例するように体力は上がってきて、膝が痛い、腰が痛いという痛みが、どういうわけか全部吹き飛んでしまった。「ヘビーウォーキング」は足腰の治療にもひと役買っていたというわけです。
おかげで、70歳からの三度のエベレスト登頂への挑戦のときも、とくにジムに通って特別なトレーニングを受けたわけではなく、すべてこの重りをつけて歩くトレーニングを基本にすることで可能になりました。
もっとも、重りは日々の体調に応じて変化をつけました。今日は疲れたから3kgにしようとか、今日は頑張って8kgにしようとか、その日の気分、コンディションしだいで決めていました。
ぼくはエベレストに登るという夢のために、重りをつけて歩きましたが、歳を取って足腰が弱ってきた人には、毎日歩くだけでも効果的だと思います。
とにかく、歳を重ねたら「歩く」ことがトレーニングの基本だと思います。
何事もやりすぎは禁物
当時、ぼくは65歳。5年後の登頂から逆算すると時間はそれほどありません。
それこそ富士山を走って登れるくらいの体力をつけなきゃ、という気持ちがあったことで続けられた。
結果的に、それがぼくの一番の健康法になったと思います。
ぼくの場合は、走るよりも、先に紹介した、足に重りをつけた「ヘビーウォーキング」です。
このスタイルをやり抜いたことがよかったと思います。
歩くことは誰にでもできますし、体調しだいでは重りだってつけなくてもいい。
気の向いたときに歩き出せばいいし、無理する必要もない。
歩き終わったときの心地よい疲労感は格別です。体がリフレッシュするような気分に包まれ、また明日も歩きたいと思わせてくれます。
そうして体力がついて体重も減ってくると、体が軽くなって、スキーの調子もどんどん上がってきます。何をやっても元気に楽しめるから、人生そのものの次元が変わってきます。
ただし、やりすぎは禁物です。
ケガや病気を「治す楽しみがある」と考えられるか
ぼくにも経験がありますが、あせったり、急ごうと思ったりすると、どうしてもオーバートレーニングになり、結果として疲労が溜まって免疫が下がり、風邪をひきやすくなったり、病気の原因にもなったりします。
トレーニングを頑張りすぎて、膝や腰を痛めたり、また、病気になったりすると、「自分はもう歳なんだ……」と、どうしても悲観的な考え方になるのが中高年です。
その点ぼくの場合、ケガしたり、病気になったりしたら、「治す楽しみがある」と考えるようにしています。これだけちゃんと治療、療養したのだから、「明日はきっと、もっとよくなる」って。
まあ、楽天的なんですね。
でも、とかく悲観的になりがちな中高年にとって大事な心がまえではないかとも思うのです。
タカサカモト『自分の頭で考える。それを原点に生きてきた』(週刊女性2024年2月13日号) [生き方・人生]
上記雑誌の「人間ドキュメント」を読む。タカサカモトさんへのインタビュー記事だ。「タカサカモト?高坂元?坂本隆?知らないなあ・・」と読み始める。
自分の時間を生きるということに素直にしたがってきた方のようだ。そうするための苦労もあったようだが・・
次のような見出しが出ている。
*サッカー王国の「天才」との出会い
*夕焼けが見えない都会生活への戸惑い
*「人生で一番見たかった景色」
*メキシコのタコス屋で汗水流した日々
*人生の迷走から一転、ブラジルで「飛び込み営業」
*「子育てこそが夢だった」
*メジャーリーガーにも広がった活動の場
*人生の迷走から一転、ブラジルで「飛び込み営業」 から少し抜粋してみる。
*********
「自分の時間を生きると決め、その感情に素直に従って生きてきました。ところが次第に世の中の「主流」からズレていき、結局はどこにもたどり着かず、遅かれ早かれ人生に行き詰ってしまうのではないかと、とはいえ4年間、回り道をしてきて、今さらシレッと就職活動をやってしまったら、これまで自分が歩んできた道のりに対する冒瀆ではないかと感じたんです」
考え抜いた結果、リクルートスーツには袖を通さなかった。だからといって明確な道筋が決まっていたわけではない。直美さんとはすでに婚約していたから、何かしらの生活の糧も得なければならない。まさしく「自分の頭で考える」という原点に立ち返らざるを得なかった。そうして迷走を続ける中で、動画の中のネイマールに出会い、半ば衝動的にブラジルに飛んだのだ。
夫婦で移住する計画で、現地で日本語を使える仕事を探したが、うまくいかなかった。そこで思い立ったのが、ネイマールんが所属するサントスFCへの飛び込み営業だった。
形式や前例を重んじる日本とは異なり、海外では行動力で道が切り開ける場合がある。もっともこれは、相手を説得するだけのスキルやアイデア、そして情熱が伴って初めて成立するのだが、タカさんはそれにぴったり当てはまった。
同クラブのスタジアムを見学中に見かけたスタッフらにいきなり声をかけ、自分の思いを熱弁したのだ。
「サントスFCが日本語の公式サイトを開設してくれて、うれしく拝見しました。ところが日本語の間違いが残念ながら散見されます。せっかくの素晴らしい取り組みがもったいないので、修正したほうがいいし、僕なら解決できます」
すると日本に帰国してから1か月後(後略)
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自分の頭で考える時間を与えてくれないのが今の時代ではないか。それはつまり自分のいのちを生かさせてくれないということにちがいない・・など考えながら上記記事を読んだ。
著者の本にも目をとおしてみたいところである。