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コロナ禍中の宣言と「オオカミ少年」 [ニュース・社会]

東京4000人越え、日本全体で1万2000人を越えたという。

医療機関のひっ迫が唱えられはするが、現場の声が実感として伝わるようにされていないように感じる。

それよりも、飲食店の店舗営業が何時までとか酒を出すの出さないのということの方が、大きく伝わってくる。それはその業界にとって死活問題なのだろうが、医療機関が機能しなくなり、通常の医療にも影響が出て(たぶん既に出ていると思うが)、行えるはずの手術を待たなければならないとかになれば、それはイノチと直結してくる。トリアージも視野に入ってくる。

神戸の大震災のとき、医療機関に運ばれた全身痙攣しているケガ人を見て、経験ある医師が、若い医師にむかって、(手当をするのは)「ムダだ、よせ」と言っているのを見た記憶がある。なんとかしたくても、ひっ迫した状況になれば、そうならざるをえない。その「無駄だ、よせ」と言われるのが、あなたであり、わたしである可能性があると明瞭に伝わってこないと、医療機関のひっ迫について語ってもムダなような気がする。

また、宣言を出したり、ひっこめたりのくり返しは、有名なイソップ童話の「オオカミ少年」の叫びにも似て、叫びを聞く側が、「オオカミなんて所詮イヌの兄貴みたいなもんだ」ということになれば、叫びに応じて飛び出してくることもなくなる。「小学校の運動会もできないコロナ禍」で行われている世界運動会(オリンピック)は「コロナなんてインフルの兄貴分みたいなもので、ひいたらひいたでナンとかなるサー」と思わせる要因になっているかもしれない。

そうでもなければ、人が密集する事態にはならないだろう。三密はまもられ、感染者は減っていくはずだ。ブレーキとアクセルを一緒に踏むようなことをしている矛盾が、皆の判断を迷わせ狂わせているように思う。「ブレーキもアクセルも、運転には欠かせない有用な機能なのだから、どちらも踏んでいる以上、全体として有効な結果が出るのでしょう」というような矛盾した判断がみんなを欺いているようにも思う。

根拠の筋道だった、終始一貫した、説明を尽くした、効果の有無の明確なものであればイイが、そうではない宣言は、どれほど声高に叫んだとしても、「オオカミ少年」のウソとたいして変わらないということなのかもしれない。


オオカミがきた (イソップえほん1)

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  • 出版社/メーカー: 岩崎書店
  • 発売日: 2009/09/26
  • メディア: 単行本




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