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どうしてみんな「天国」へ [スピリチュアルな話題]

一昨日の更新に伊良部のことを取り上げた。

彼の死後10年目についての記事を読んでのことだ。

その記事タイトルは『天国へ旅立ち10年…伊良部秀輝さんを改めてリスペクトする』である。

どうして、伊良部が「天国」へ旅立ち、天国にいると分かるのだろうと不思議である。

だいたい、その道で際立った才能をもつ人物は「鬼才」などと呼ばれ、いわば「鬼」扱いになる。「野球の鬼」とか「文学の鬼」とか・・である。

そして、鬼がいるのは「地獄」と相場が決まっている。であるのに、死んだ人についてコメントが求められると、みんな「天国」へ旅立つことになり、天国から愛する者たちを見守っていることになる。

むかしは、「故人も、草葉の陰で・・・」などと言ったものである。


・・と、ここまで記して、以前におなじような記事を当該ブログで更新したような気がしてきた。

調べると、4年前に書いている。

「故人も地獄に落ちてさぞ本望でしょう」
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2017-03-06

過去記事を覚えているということは、まだボケてはいないようである。


以下URLは、落語「らくだ」の長演である。

三遊亭圓生 らくだ
https://www.youtube.com/watch?v=wlMpd1ipvhs

ふつう後半をカットして演じられることがおおいが、全体を演じている。さすが圓生「落語の鬼」である。1時間超の噺を飽くことなく聞くことができる。

「らくだ」は主人公のあだ名で、長屋の憎まれ者。「らくだ」が死んで発見されるところから話は始まる。その死を皆がよろこぶ。とはいえ、死人がでれば葬儀をだす必要が生じる。この落語は、弔いをめぐる噺である。

死者が、即物的に扱われる。本来であれば、死んだ人は「ほとけ」として宗教的に扱うべきことを皆承知している。しかし、宗教性よりも、葬儀をだすための出費や犠牲のことに思いが向けられ、長屋の住人が右往左往するところが面白い。

それにしても、人の死を笑いにしてしまうとは・・・。

落語の精神は強靭である。


六代目三遊亭圓生 その8

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