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山姥の言葉・金太郎の妄想 [音楽・ミュージック]

へんなタイトルと思われるだろう。昨日の更新を見てくださった方は、母親のことを書くつもりなのだろうと分かるだろうけど、そうでなければ、何かおかしなことを書くのだろうと、この更新も見ることはないだろう。

自分との対話のようなつもりで、書いているので、それはそれでいいのだが、それでも、書いている以上、読んでもらえたら嬉しい。

母親のことは、これから山姥ということにする。

山姥からきかれたことがある。音楽はどうなの?

音楽的素養があるかどうかを尋ねられた。山姥はたいへんいい声であったそうなのだが、子どものときにジフテリアを病んで喉がダメになったと思いこんでいた。当方は、山姥の声をわるいとことさら思ったことはないが、いい声だとも思わなかった。そう考えると、子ども時代にジフテリアを病み、死因が咽頭癌だから、のどで一生くるしんだことになる。

当方の高校の担任は音楽教諭だった。ブラスバンドでは県下で有名な学校で、その当時関東でも1,2を争う学校であったと聞いていた。担任は、そのブラスバンド部の顧問で、実質的な指導者だった。つまり、言いたいのは、担任はカタチだけの音楽の専門家ではなく、音楽的素養の有る無しを見たり、育てたりする目があると考えていいだろうということだ。

担任に、音楽の授業で歌わされたことがある。フォスターの『金髪のジェニー』を英語で歌う。みんなで一斉に2,3度歌っただろうか。それから、とつぜん担任が提案した。「名前を呼ぶからみんなの前で歌え。歌った順に退席していい」。それで、最初に声がかかったのが当方だった。よく声が出ていたのだろう。そして、英語の発音、イントネーションに関しては、クラスでも一目置かれていたので、一斉に歌っていても、上手く聞こえたのではなかろうか。だからといって、自分は歌が得意だなどと思ったことはないし、人前で披露しようと思ったことも無い。とはいえ、そのことを思い出すと、50人いるクラスでトップの歌唱力があると見做されていたのカモ・・と、妄想するのである。

当方の音楽的素養について、さらに述べると、こんなことがある。面映ゆいことだが、一時期、人前で講演などしていた時期がある。多くの話し手の講演を聞いてきた(聞き手として信頼していいと思われる)年配の女性から、褒められたことがある。「あなたのように、上手に間をとることのできる話し手はこれまでにいなかった」と言う。お世辞であったとしても、それは嬉しいことだった。また、ピアノ教室を運営している女性からは「あなたは一つの音を十に聞き分けられる」と言われもした。どちらも、一生ものの誉め言葉である。二人ともに、ウソは言わないことを旨としている方たちである。

ウソではないにせよ、お世辞に過ぎないとも言えようが、当方の思いの中では、ずっと響いている。だから、その言葉に、いい歳をして、誘いだされたのかもしれない。そんなこんなで、なんだか歌が歌いたいのである。

先に述べた方とは異なるがピアノ教室を主宰している知人が、老人ホームの慰問に家族で出向いている。今は、コロナ禍で中断していると思うが、当方も参加させてほしいと、ひそかに思っている。お年寄り相手だからというわけではないが、北原白秋の歌曲が好きなので、コミカルなものから抒情的なものまで、童謡から歌曲的なものまで、歌わせてくれないものかと妄想しているのである。

北原白秋作詞の歌詞一覧 - 歌ネット - UTA-NET
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北原白秋をうたう [第2集]

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