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子孫に資産を残すことに無感心だった高祖父・渋沢栄一 相続税のいらない財産とは? [歴史雑感なぞ]

子孫に資産を残すことに無感心だった高祖父・渋沢栄一 相続税のいらない財産とは?
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E5%AD%90%E5%AD%AB%E3%81%AB%E8%B3%87%E7%94%A3%E3%82%92%E6%AE%8B%E3%81%99%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%AB%E7%84%A1%E6%84%9F%E5%BF%83%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E9%AB%98%E7%A5%96%E7%88%B6-%E6%B8%8B%E6%B2%A2%E6%A0%84%E4%B8%80-%E7%9B%B8%E7%B6%9A%E7%A8%8E%E3%81%AE%E3%81%84%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E8%B2%A1%E7%94%A3%E3%81%A8%E3%81%AF/ar-BB1fwGaX?ocid=msedgntp

上の記事によると、渋沢家五代目にあたる渋沢健氏のコラム連載がはじまるようである。栄一の遺した「ことば」に焦点があてられるようだ。

当方、水戸の出である。徳川慶喜を追い出した明治新政府にあって、その名誉回復に腐心し、公爵の位置に上らせることに渋沢栄一は骨折ったと聞いている。自分を一橋家の家来に取り立ててくれた平岡円四郎に対する恩義を忘れず、その娘さんを孫たちの書道の先生として遣わした人物である。旧主に対する恩義は半端なものではなかったろう。

『渋沢栄一の原点』を見る
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2021-02-15

当方の関心は、徳川慶喜のいのちを守るために西郷のもとに交渉に出向き、のちに西郷の依頼で明治天皇の侍従となった山岡鉄舟と渋沢の関係である。接点はあったにちがいないと思うのだが、まだ、直接そのことに触れる書物に出会ったことはない。

おれの師匠―山岡鉄舟先生正伝

おれの師匠―山岡鉄舟先生正伝

  • 作者: 小倉 鉄樹
  • 出版社/メーカー: 島津書房
  • 発売日: 2021/04/12
  • メディア: 単行本



夏目漱石の(三遊亭)円朝評(『その後の慶喜』ちくま文庫から) 
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2017-04-27


しかし、そのうち出会うだろうと楽しみにしている。

(以下、当方未読)

徳川慶喜公伝. 巻1 - 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953146


徳川慶喜公伝 (1) (東洋文庫 (88))

徳川慶喜公伝 (1) (東洋文庫 (88))

  • 作者: 渋沢 栄一
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2021/04/12
  • メディア: 単行本



山岡鉄舟先生正伝: おれの師匠 (ちくま学芸文庫, オ-34-1)

山岡鉄舟先生正伝: おれの師匠 (ちくま学芸文庫, オ-34-1)

  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2021/06/14
  • メディア: 文庫


【子孫に資産を残すことに無感心だった高祖父・渋沢栄一 相続税のいらない財産とは?】

NHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公で「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一。渋沢家五代目で渋沢健氏が衝撃を受けたご先祖様の言葉の数々とは? 

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60年前の1961年に、坂本九の「上を向いて歩こう」がヒット曲となりました。まだ日本は終戦からの途上国であり、物質的にはそれほど豊かではなかったかもしれません。ただ、「今日よりも、よい明日」への期待感があった時代です。

そして、現在の2021年、物質的には豊かになっている先進国日本は、どのような「明日」を描いているのか。その答えを求めているように、NHK大河ドラマ「青天を衝け」が放送されています。

 ただドラマが描いている渋沢栄一は現在の人間ではありません。1840年生~1931年没、今から100年~150年前ぐらい前に活躍した人物です。60年という「還暦」を経て、なぜ渋沢栄一が呼び戻されているのでしょうか。

青天を衝くためには、上を向いて歩く必要がある。

 もしかすると、このような必然性が潜在的な意識として日本社会で広まっているのかもしれません。

 高祖父(祖父の祖父)にあたる渋沢栄一は、およそ500の会社および600の社会的事業の設立に関与し、「日本資本主義の父」といわれます。その人物が提唱したのが「論語と算盤」。道徳と経済が合致すべきという考えです。

「資本主義の父」かもしれませんが、渋沢栄一は数多くの会社や膨大な不動産など資産を子孫に残すことに関心がなかったと。そう思って自分自身は育ちました。しかし、今から20年前に自分が40歳になったときに、実は曾々爺様は素晴らしい財産を残してくれていたことに気づきました。

 なぜなら、この財産は減ることない。相続税もかかりません。何故なら、その財産は「言葉」だからです。

 渋沢栄一は、自身の想いが詰まった言葉をたくさん残しています。異なる時代に発された言葉でありますが、今の時代の文脈に表現すれば、充分に活きてくる。

 つまり、減ることがないが、増える財産なのです。そして、この財産は子孫だけに残したものではなく、今の時代に生きている我々全員に残したものです。

 自分自身が生の渋沢栄一の言葉に触れたとき、最初に衝撃を受けたのが「元気振興の急務」という明治末期の講演禄です。現在と比べて元気が溢れていたとき。これが自分の明治時代のイメージでした。ただ、栄一は嘆いています。

『頃日来社会の上下一般に元気が銷沈して、諸般の発達すべき事柄が著しく停滞し来たやうである。これは要するに社会が稍々秩序的になつた共に、人々が何事にも慎重の態度をとるやうになって来たから。』

 ん?これは自分がイメージしていた明治と異なります。

『其の日其の日を無事に過されへすればそれでよいといふ順行のあるのは、国家社会にとつてももっとも痛嘆すべき現状ではあるまいか。』

 まるで、現在の事なかれ主義と全く同じであることに驚きを覚えました。

『我国の有様は、是迄やり来た仕事を大切に守って、間違いなくやつて出るといふよりも、更に大に計画もし、発展もして、盛んに世界列強と競争しなければならむのである。』

 勇ましい言葉です。「論語と算盤じゃ、皆、仲良くしよう」というイメージの穏やかな人物の口から出るような言葉ではない。

 渋沢栄一の言葉を読み返すと、このように怒りを感じることが多々あります。それは、もっと良い社会になれるはずだ、もっと良い会社になれるはずだ、もっと良い経営者や市民になれるはずだ。つまり、現状に満足していない、未来志向があるからです。渋沢栄一は、見えない未来を信じる力を持っていました。

 このコラムを通じて、渋沢栄一が残した古い時代の言葉を、今の時代に合わせながら、日本の現状、そして未来について読者の皆さまと一緒に考えたいと思っています。

 現在の日本は時代の節目に立っています。これまでの10年、20年、30年と比べると、これからの10年、20年、30年の日本社会の有り方は全く異なる可能性が高いと思っています。

 直近で我々が体験したことないスピード感、規模感の社会変革が起こるのです。

 その時代の変化によって変わるべきものは何か。そして変わらないものとは何か。これら答えを求めている社会が、封建時代からグレートリセット、近代社会というニューノーマルへの激変の時代を体験した渋沢栄一を求めているのかもしれません。

 ちなみに「上を向いて歩こう」は1963年に「Sukiyaki」として米Billboard Hot100にランクインします。2023年に「Eiichi」が米国で広く知られることないでしょう。ただ、「なんか最近の日本って違うよね」という認識が世界で広まっていることを期待しています。

(渋沢健)

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