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黒人は人間? ローマ法王の回答 [スピリチュアルな話題]

アメリカの人種差別デモが勢いを増している。

昨日更新したニューヨーク在住の医師加藤友朗氏が言うように、そこに居なければそのヒドサが分からないものがある。分からなければ、そこにいる人と同様な見方をもったり同情したりすることはできない。できる人は、並々ならぬすばらしい想像力の持ち主ということになるだろう。しかし、それで本当に分かるなら、報道関係の特派員や現地リポーターは不要となるにちがいない。

日本人で、留学などで海外に出た人は、一様に愛国者になって帰ってくるような話も聞く。日本にいては受けることのなかった差別を実際に受け、実際の差別を目の当たりにし、いやおうなく日本人であることを自覚させられ、日本に帰ってくるという話だ。

激しい感情が渦巻いているようすはニュース映像を見れば分かる。が、やはり現地で問題の渦中にある当事者や関係者のほんとうの気持ちを理解するのは、なかなか難しいにちがいない。

人種差別の問題は根っこが深い。

最近読んで興味ふかく思った話がある。もちろん、黒人差別に関する話だ。たしか、苫米地英人氏の本だと思う。氏はカトリック系の上智大学出身なので、その辺の事情・情報に通じていて、書いたにちがいない。書籍タイトルとページ数を、いま提示できないのが残念なのだが、そこには、驚くべきことが記されてあった。

それは、黒人を人間とみなすべきかどうかについて、アフリカに派遣された宣教師が、ローマ法王にお伺いを立てたところ、その回答が、人間として扱う必要はナイという結論だった"という”話だ。(記憶に拠って書いているので「という」と書いておく)。

ネット上にも、同様の内容がでているかと調べたら、「ヤフー知恵袋」に出ていた。ただし、その回答者は、どの会議でいつ宣言されたのかを明確にしていない。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1031567330

また、次の質問への回答をみていくと、当方が読んだ苫米地氏の本に見た内容を裏付けるものに思える。(どちらの質問も、ベスト解答者は同一人物のようである)
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1412478959


これまで当該ブログで「ノアの洪水」、「ノアの箱舟」について書いてきた。聖書の記述にある出来事(つまり「ノアの洪水」)を事実であるとすれば、現在地球上にいる人間は皆、ノアの子どもたち、セム、ハム、ヤペテの子孫ということになる。その子孫のなかから、人種的なちがいが生まれてきたことになる。であれば、人種、肌の色、言語は違えど、人類はみな共通の祖先をもつ兄弟のハズなのだ。

そのハズなのだが、実際のところ「人類は兄弟」というのは美しい願望であり標語になってしまっている。それでも、世界をよくよく見ていくと、国籍、人種、肌の色は違っていても、文字通り兄弟のように暮らしている人たちもいる。口先だけでなく、聖書福音書にあるキリストの教えに従っている人たちだ。ちなみに、福音書には次のようなイエス自身の言葉がある。命令といってよい。

あなたたちは,ラビ(先生)と呼ばれてはなりません。あなたたちの先生はただひとりであり,あなたたちは皆,兄弟だからです。また,地上の誰をも父と呼んではなりません。あなたたちの父はただひとり,天にいる方だからです。 また,指導者と呼ばれてもなりません。あなたたちの指導者はキリストひとりだからです。あなたたちの間で一番偉い人は奉仕者でなければなりません。マタイ23:8~11
https://wol.jw.org/ja/wol/b/r7/lp-j/nwtsty/40/23#study=discover

このイエスの言葉に則して言えば、ローマ法王を「父:ポープ」と呼んで最高の権威を与え(「ローマ法王・教皇」は英語でthe Pope、その語源はギリシャ語で「父」)、その人間的(で、聖書に基づかない)見解に従ったことが、黒人差別の(はじめとは言わないまでも)問題を大きくした要因になったと言っていいように思う。

歴史的に見るなら、黒人問題についてのカトリック教会の責任はたいへん大きいと言える。

舊新約聖書―文語訳クロス装ハードカバー JL63

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  • 作者: 日本聖書協会
  • 出版社/メーカー: 日本聖書協会
  • 発売日: 1993/11/01
  • メディア: 大型本




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