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週刊誌ネタは信用できない?(新谷学著「週刊文春 編集長の仕事術」から) [言葉*ことば*コトバ]

いま、週刊文春編集長:新谷学の新刊『編集長の仕事術』を読んでいる。たいへん熱のある人物で、読者にサプライズをもたらすべく、また、世の人が知りたいと思う???に答えるべく、日夜励んでいる様子がわかる。

「週刊文春」編集長の仕事術

「週刊文春」編集長の仕事術

  • 作者: 新谷 学
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2017/03/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



つい最近、その週刊『文春』が週刊『新潮』の「中刷り」広告の中身を盗んだとか盗まないとかいうニュースが報じられた。『新潮』が印刷会社に持ち込んだ「中吊り」の内容を見て、スクープ記事があれば『文春』発行に間に合わせて同様の記事を掲載しようとしたらしい。いわゆる、「スクープ潰し」をねらったもので、印刷会社の職員が『文春』に流していたようなハナシだ。

電車内に示される「中吊り」広告は、それぞれの会社にとって死活問題である。スクープ記事があれば、売れ行きもおおいに違ってくる。

ところで、当方は週刊『文春』も『新潮』も好きではナイ。両誌とも実際に読んでいないので、あくまでも感情的な反応、印象にすぎない。それでも、理由をあげるなら、中吊り広告(新聞にも掲載されるが)の表現に、あまりにも「売らんかな」の意向が示されて、ゲンナリしてくるのである。むかしからのいい方でいえば、まさに「売文業」という感じがするのである。それに加え、扇情的な内容、写真を掲載するようにもなっている。“以前であれば”掲載しなかったであろうもの、「低劣な」と良識派から言われそうなものをである。もっとも、上記書籍には、週刊誌は「人間の業の肯定」であると落語についてそのように述べた立川談志の言葉が取り上げられていた。

そのようなわけで、政権与党にとって好ましくない問題を、野党議員が「週刊誌ネタ」をもとに指摘し批判すると、取るに足りないものとして退けられ、軽く扱われるのであろうか。

2か月前、加計学園との関係を福島みずほ議員から指摘されたときの首相の反応も、「週刊誌ネタ」を取り上げて何を言うか・・というものであった。

加計学園!安倍晋三3/13 福島みずほ:参院・予算委員会
https://www.youtube.com/watch?v=38xlBcKlwrg

「第2の森友学園」とウワサされる加計学園と安倍首相の関係についてhttp://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-03-14

それでも、冒頭にしめした『編集長の仕事術』を読むと、小泉純一郎政権(2001年ー2006年9月26日)誕生の’01年あたりから、ニュースメディアとしての週刊誌の地位は大きく変化してきている、とある。その第3次小泉改造内閣で、官房長官を安倍現・首相は務めた(2005年10月31日 ー2006年9月26日 )。そうであれば、身をもってその変化を知っているはずである。(***以下に引用)

にもかかわらず、「週刊誌ネタ」として、追求・批判を軽んじ退けたのは、あえて意図的に、ソレ以前の価値判断をもちこんで、週刊誌をオトシメることによって、自分の立場を守ろうとしたということなのかもしれない。

ちなみに、上記書籍(p96、97)において新谷は、マスコミのヒエラルキーについて「NHK、大手新聞、テレビのキー局などが上位グループ。週刊誌は最下層、・・捜査当局なんて門前払いだった」と述べた上で、週刊誌の地位が劇的に変化・向上した経緯について触れ、「情報の世界では、『ネタ」を持っている者だけが主導権を握ることができる」と記している。

新谷のいう「ネタ」は、「ファクト(真実)」と言い換えることもできそうだ。『ウィキペディア』の新谷学の項目には、その「主張」として、次のように示されている。

週刊文春編集長として安倍政権に『親』でも『反』でもなく書くべき事は書くで『メディアはファクト(真実)で戦え』と主張している。 甘利大臣のスクープも官邸中枢から『TPP調印へ出席させるまで待ってほしい。』と言われてたが突っぱねた。そのことについて報じるべきファクトがあるのに「書かない」と言う選択肢は無いと述べている。朝日新聞への寄稿において安倍晋三首相は理念型政治家なのでメディア側の親安倍と反安倍が分かれていて産経の愛読者と朝日の愛読者では互いに見聞きしたい情報で批判し合うだけで建設的な議論が無いと述べている 。 マスコミはファクトで闘うべきだが朝日新聞は『ファクトより論』の傾向があり、靖国神社や沖縄問題で安倍首相の批判の仕方が旧態依然であり、好きな人は来るが嫌いな人は来ないので安倍首相にも「またか」として聞き流されているとしている。 朝日新聞が安倍政権を批判するなら反論出来ないスクープを出すべきで、それが朝日新聞が特報した森友学園問題だったと評価している。  [14]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E8%B0%B7%E5%AD%A6
[14]報道機関はファクトで武装し戦え / 2017年4月24日
http://www.asahi.com/articles/ASK4G2VZMK4GUTFK001.

つまり、週刊誌であろうが、「記者クラブ」から締め出されることもあるフリーランス(記者)であろうが、反論できないファクト・「ネタ」を持ってさえいれば、ヒエラルキーの頂点に立つこともできるということのようである。

田中龍作ジャーナル
皇室の政治利用 「安倍スピン」に乗せられるな
http://tanakaryusaku.jp/2017/05/00015843

さてさて、これからどのような「ファクト」が出てくるのであろうか。



以下URL記事に、安倍首相夫人のFacebookに投稿された写真(ファクト)が・・・
麻生氏も苦言。安倍首相に関わりが深い、第2の「森友学園」疑惑
MAG2NEWS 2017.04.21
http://www.mag2.com/p/news/247099

****以下、引用****

「週刊文春」編集長の仕事術
p96、97から

90年代は、今とはくらべものにならないくらいメディアのあいだにヒエラルキーがあった。NHK、大手新聞、テレビのキー局などが上位グループ。週刊誌は最下層だ。ほとんど相手にしてもらえない。捜査当局なんて門前払いだった。

それが劇的に変わったのが、『NHK紅白歌合戦』のプロデューサーを務めた人物の横領をスクープした2004年だった。NHKのチーフプロデューサーが番組制作費を実績のない会社社長に払い、一部をキックバックして懐に入れていた問題を中村竜太郎記者がスクープし、「NHK紅白プロデューサーが制作費8000万円を横領していた!」と報じた。そのときの担当デスクが私だった。

NHKは発売の2日前に会見してこの問題を発表。スクープ潰しの常套手段だが、我々がNHKの内部資料など、決定的な証拠を持っていたため、新聞やテレビ各局の社会部記者が「レクチャーしてほしい」と列をなした。我々が新聞やテレビの記者にレクチャーする!かつてを思うと、まさにコペルニクス的転回であった。

それ以前にもヒエラルキーが崩れ始める変化を感じていた。小泉純一郎政権誕生と同時に特集班デスクとして週刊文春に戻った2001年だ。当時、田中眞紀子氏や鈴木宗男氏らのスキャンダルが国会をにぎわしていた。週刊文春がスクープを握っているときには、新聞、テレビなどともずいぶん協力した。

田中眞紀子氏の秘書給与疑惑の際は、文春と新潮が同着となるとわかったため、発売前にTBSに「明日発売の週刊文春によると」というかたちで報じてもらったり、共同通信に「週刊文春の報道でわかった」という記事を書いてもらったりした。

こうした戦略、戦術は今も受け継がれており、甘利大臣のスクープもまさにその延長線上にある。情報の世界では、「ネタ」を持っている者だけが主導権を握ることができる。自分でリングを設定し、自分でルールを作ることができるのだ」。
p96、97
****引用ここまで****


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