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道徳を内面化し実践できるようになるには・・(「日新公いろは歌」のこと) [言葉*ことば*コトバ]

「アクセス解析」を見ると、どんな記事が読まれているか知ることができて面白い。時には、自分で書いたものであるのに、その内容を忘れていたりする。

今朝見ると、『薩摩藩の幼児児童教育とNASA航空宇宙局の教育』という記事が目に留まった。内容は、歴史家 磯田道史氏のインタビューを掲載したものだ。
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2015-10-05

以下のような引用がある。

*************

―道徳教育はあったんですか?

磯田 これも文字でなく、「日新公(じっしんこう)いろは歌」(日新公は島津の殿様)というのを毎日毎日、それこそ大人になるまでに何万回も唱えました。ちなみに最初の「い」は「いにしえの道を聞きても唱えても わが行ないにせずばかいなし」といって、「どんな昔の教えを聞いても自分で実践しなければなんの意味もない」という意味。やはりすごく実践的な教えですね。

―それをひたすら暗記する?

磯田 文字が読めなくてもリズムで暗唱できるようになっていますが、郷中教育では、例えば「『義』とは何か」といったテーマで議論を繰り返したりして、そうした日常生活の規範を、それぞれが内面化していくんです。

****引用ここまで****

道徳が内面化されて、それを実践できるようになるには、「大人になるまでに何万回も唱え」る必要があるようである。

それを読んで、『聖書』にある次の言葉を思い出した。「(神様の教えが)あなたの心に入っていなければなりません。 7 あなたはその言葉を自分の子にしっかり教え,家で座るときも,道を歩くときも,寝るときも,起きるときもそれについて話さなければなりません。 8 それを思い起こすためにあなたの手に結び,額にある帯のようにしなければなりません。 9 それをあなたの家の戸口の柱と門に書きなさい」(申命記 6:6-9)
https://wol.jw.org/ja/wol/b/r7/lp-j/nwtsty/5/6#study=discover

『子は親の鏡、親は子の鑑』というが、親の立派な模範を見、かつ、繰り返し繰り返ししっかり教えられ躾られた子供は、鏡のように親の姿を映し出す。親の評価を高める。

これは、どんな家においても同じだろう。(『M子さま』騒動で最近話題の)ウエは皇族の宮家からシモジモの家まで、すべてにおいてである。


先に引用した『日新公(じっしんこう)いろは歌』をすべて紹介・解説しているサイトを見つけた。それを示したくての今回の更新である。

日新公いろは歌について島津義弘.com
http://www.shimazu-yoshihiro.com/shimazu/shimazu-irohauta.html



島津日新公いろは歌

島津日新公いろは歌

  • 作者: 高城書房編集部
  • 出版社/メーカー: 高城書房
  • 発売日: 2021/10/16
  • メディア: 新書



西郷大久保稲盛和夫の源流 島津いろは歌

西郷大久保稲盛和夫の源流 島津いろは歌

  • 作者: 斎藤 之幸
  • 出版社/メーカー: 出版文化社
  • 発売日: 2000/06/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



開高健『ベトナム戦記』はウソ報告? [言葉*ことば*コトバ]

過日(6/16) 、小林亜星のことを記した時に、古い『サントリーオールド』ウィスキーの宣伝を「ユーチューブ」からリンクした。小林作曲・歌(スキャット)の『夜がくる』の動画はいろいろ種類があるが、開高健の出るものを取り上げた。

1979年 サントリーオールドCM
https://www.youtube.com/watch?v=DBzhhTzTXBY

当方から見れば開高は父親の世代にあたり、世界を駆けまわるカッコいい作家だった。純文学の気の遠くなるような言葉の世界を紡ぐかと思えば、世界各地に赴いてフィッシングに興じ、その紀行をルポに記した。

ルポのなかには(当方未読だが)『ベトナム戦記』もある。当方の得てきた情報・知識では、最前線に出向いて九死に一生を得るような経験もしたように聞いていた。しかし、前線の話しは、「想像(妄想)」の産物であり、「真っ赤なニセモノの叙述」であるという。

「開高健」でネット検索したら、『“うつ病作家” 開高健の実像を暴く』という記事がヒットした。記事を読むと、「開高健」という躁うつ病の持ち主が、鬱状態から自己のバランスを保つために文学的作品を書き、躁状態に海外に飛び出てルポをものしたということになる。

“うつ病作家” 開高健の実像を暴く
https://readyfor.jp/projects/next-japan2018/announcements/69792

執筆者は「仁平宏」となっている。信ぴょう性は、開高についての記述や、執筆者の経歴からいってたいへん高い。それゆえに、開高健・諸作品の文学的価値がどうのこうのということは(ことさら当方の思いのなかでは)ナイが、その事実関係(特にルポの)については、開高自らが経験したことももちろんあるだろうが、他者から聞いたこと読んだことなどを併せて、真実らしく想像をめぐらして記述したモノであることを肝に銘じておく必要がある。

記事の信ぴょう性を確かめるため、仁平宏氏のプロフィルも併せて調べた。二つのサイトに出ていた。ひとつは上記記事の掲載サイトである。もうひとつは、仁平氏のメルマガ『ベトナム半世紀の歩みと未来~ある現地定住者より~』の自己紹介部分である。

ベトナム半世紀の歩みと未来~ある現地定住者より~
https://www.mag2.com/m/0001671624

その経歴からいくと、開高文学はともかくとして、まちがいなく、ベトナムについて知るうえでの第一人者といっていいように思う。

ネットをめぐっていると思わぬ記事、思いがけない人に出会う。


ベトナム戦記 (朝日文庫)

ベトナム戦記 (朝日文庫)

  • 作者: 開高 健
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 1990/10/01
  • メディア: 文庫



下記イメージ書籍について、仁平氏は(『“うつ病作家” 開高健の実像を暴く』で)次のように記している。

《日本で、ベトナム報道の過熱化が始まったのは、一匹狼の岡村昭彦がベトナム戦争の報道と写真でメディア界に躍り出たからである。彼は、1962年にPANA通信社(時事通信社)の契約特派員として南ベトナム政府軍に従軍した。ベトナム取材の成果は、1964年6月12日号の『ライフ』誌上に『醜いベトナム戦争』と題して9ページの写真特集が掲載された。/ 岡村は、1965年3月に「南ベトナム従軍記」を脱稿、ベストセラーになった。彼自身の思想や意見は一切挿入せず、形容詞や副詞のない乾いた文体であり、むしろ恫喝的だ。/ 開高は、岡村以上の迫力ある筆力とスコープ力を朝日から暗黙に要求されていた。》


南ヴェトナム戦争従軍記 (岩波新書 青版 548)

南ヴェトナム戦争従軍記 (岩波新書 青版 548)

  • 作者: 岡村 昭彦
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2021/06/21
  • メディア: 新書



岡村昭彦と死の思想――「いのち」を語り継ぐ場としてのホスピス

岡村昭彦と死の思想――「いのち」を語り継ぐ場としてのホスピス

  • 作者: 高草木 光一
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2016/01/27
  • メディア: 単行本


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「獅子の子落とし」なんてアマイ! [言葉*ことば*コトバ]

「獅子の子落とし」という言葉がある。

デジタル大辞泉によれば・・

《獅子は、子を生むとその子を深い谷に投げ落とし、よじ登って来た強い子だけを育てるという言い伝えから》
自分の子に苦難の道を歩ませ、その器量を試すことのたとえ。

大辞林 第3版によれば・・

〔獅子は子を産んで三日たつと、その子を千仞(せんじん)の谷に蹴落とし生き残った子ばかりを育てるという言い伝えから〕
我が子に試練を与え、その才能を試すこと、また厳しく育てるたとえにいう。


と、あるが、ユーチューブを見ていたら、「獅子の子落とし」なんてアマイ!と思える動画があった。

第一、ライオンが、こどもを厳しく扱うようすは、あまり見ない。やはりネコの仲間なのだと思う。ネコっ可愛がりという印象である。

下のURLは「ナショナルジオグラフィック」による撮影。撮るほうもよく撮ったと思う。

まだ羽のそろわないヒナが崖から飛ぶというか落ちていく映像には、ふるえた。

わが子に、これができる親は凄いし、飛ぶ子どもも凄い。


とはいえ、どうぞだれもマネなさいませんように・・


Arctic Geese Chicks Jump Off Cliff to Survive | Hostile Planet
https://www.youtube.com/watch?v=H1S6UCX4RAA

以下、当方未読

くらべてわかる野鳥 文庫版 (ヤマケイ文庫)

くらべてわかる野鳥 文庫版 (ヤマケイ文庫)

  • 作者: 叶内 拓哉
  • 出版社/メーカー: 山と渓谷社
  • 発売日: 2016/10/21
  • メディア: 文庫



だるい [言葉*ことば*コトバ]

朝晩涼しくなって、これまでの暑さはなんだったんだという感じだ。

そう思っていて、陽が差すと、やはり暑い。たいへん暑い。

そして、気温の変化が大きいせいか、からだがだるい。


ところで、「だるい」という言葉は、日本語なのだろうか。

調べると「怠い(だるい)」と出ているので日本語のはずだが、英語のdullが日本語に入ってしまったのではないかと感じる。

goo辞書「だるい」https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%80%A0%E3%81%84/

英辞郎 「dull」https://eow.alc.co.jp/search?q=dull

犬の名前によくある(最近はあまり聞かないが)「ポチ」の由来について以前聞いたことがある。斑点のある犬(ダルメシアン)種を英語ネイティブが名付けるときに用いて「Spotty」と呼んだ。その" s"音が聞きとりにくいために、日本人には「ポチ」と聞こえた。それが、犬一般を表すものと思い、犬を名付ける際に日本人も「ポチ」と呼ぶようになったという。実際のところホントかどうか知らないが、それと同じようにである。

「だるい」と聞くと、当方のアタマなかでは、「dull い」イメージが浮かんでくる。からだの調子が「どんよりとして、さえない」という感じが、それに対応する。


そして、ことわざの All work and no play makes Jack a dull boy. が出てくる。

これは「よく遊び、よく学べ」の意のコトワザだが、直訳すると「勉強ばかりで遊ばないと男の子は a dull boyになる」である。

当方の場合、a dull boy ではなく、a dull ジジイ だが、いずれにしろ、「遊び」が足りないのかもしれない。

諺の出どころ(出典)は、サミュエル・スマイルズの『自助論』らしい。「天は自ら助くる者を助く」で有名な本である。その本に、「よく遊び、よく学べ」が出ているとは知らなかった。
https://www.alexander-es.com/all_work_and_no_play_makes_jack_a_dull_boy.html


と、いうわけで、ダルい・ダルじじいは、遊ばないといけないようである。

遊びにも、Self-Help の精神が必要のようだ。

さて、なにをして遊ぼうか。


Self-Help

Self-Help

  • 出版社/メーカー: Independently published
  • 発売日: 2019/02/22
  • メディア: ペーパーバック



スマイルズの世界的名著 自助論 知的生きかた文庫

スマイルズの世界的名著 自助論 知的生きかた文庫

  • 出版社/メーカー: 三笠書房
  • 発売日: 2002/03/21
  • メディア: 文庫



中原中也賞詩人アーサー・ビナードの心配 [言葉*ことば*コトバ]

「滞日27年」の詩人・作家アーサー・ビナードの記事を以下に全文引用する。

ガイジンが日本人と日本語の行方を心配している。

三島由紀夫が言った謎の言葉「緑色の蛇」を思い出した。

三島由紀夫は「テロリスト」か
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2015-01-14

「八犬伝」」のエッセンスを画像にすると・・・
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2012-11-19


(以下、引用)

滞日27年、詩人アーサー・ビナード氏の「直感」 「日本語は消滅に向かっている」
毎日新聞2017年11月29日 東京夕刊

英語優位の愚民政策 知らずにだまされ チチンプイプイ

先日、トランプ米大統領が来日した。日本人以上に日本語と格闘してきた米国詩人、アーサー・ビナードさん(50)は何を感じたのか。滞日27年の経験から、今はっきりこう言える。「日本人は間違いなく変わってきた。僕の目から見れば悪い方へ」。どんなふうに?【藤原章生】

広島市の自宅からちょくちょく上京するが、東京都内は自転車で回る。自宅の留守番電話に取材依頼の伝言を残すと、しばらくして公衆電話から応答があった。「今、東京を自転車で移動中なんです」。携帯電話を持ったことがない。不便では?と聞くと、「僕なりの抵抗、拒否運動なんです。米国人もそうだけど、日本人は生まれた時から広告を浴びせられている。昨日久しぶりに電車に乗ったら、気持ち悪くて。今は中(なか)づりだけでなく、画面で広告を流し、僕が一切興味のない、買いたくもない物を見せられる」。ここで言う「広告」とは宣伝だけではなく、わかりやすくまとめ上げられた「ニュース」も含んでいる。

ビナードさんは理屈より直感を大切にする。日本との縁もそうだ。ひょんなことからイタリア語とインドのタミル語を現地で学んだ末、米国の大学で英文学の卒論を書いていた時、たまたま漢字を目にした。22歳。「強いウイルスが体内に入り込んだような衝撃」を受け、すぐに百科事典で中国語と日本語を見比べた。中国語は石畳のようにびっしりした印象だったが、日本語は「クネクネ道」のようで、そのごちゃごちゃ感に引き込まれた。卒業式も待たずに来日し、以来、詩歌、落語などあらゆる日本語を人並み外れた努力で吸収し、詩やエッセーで数々の文学賞を受けてきた。

そんな「直感の人」は今の日本をどう見るのか。例えば最近のトランプ米大統領の来日劇。

「そもそも来日に意味があるかを冷静に考えた方がいい。トランプ大統領がハワイから米軍の横田基地に降り立ち、銀座でステーキを食べ、ゴルフをしたことに意味なんてあるのか」

安倍晋三首相とトランプ大統領の親しげな映像が流れたが、「パフォーマンスに意味はない。大事なのは、日本政府は買えと言ったものを武器でも何でも買ってくれるとトランプ政権が受けとめたこと。見返りのように、トランプが去った後、今度は米軍と自衛隊が合同演習をして『北朝鮮をけん制』と報じていたけど、けん制できたかなんてわからないよ。それを『けん制』と言い切るのは広告でしょ。僕らは思考停止のまま、そんな結論をのみ込み導かれていく」。

どこへ。「日本はやはり属国なんだ」という達観へ?

大好きな宮沢賢治の詩など美しい日本語がいつまでも残ってほしいと願うビナードさんにとって一番の気がかりは日本語の衰退だ。「言語の延命には二つの条件がある。民族のアイデンティティー、平たく言えば自国に根づく心と、その言語による経済活動です。でも日本ではいずれも弱まっており、日本語は消滅に向かっている」とみる。

経済が日本語をどう衰えさせるのか。「来日以来、経済を語る言葉が劇的に英語、カタカナばかりになった。『先物』くらいは残っているけど」

デリバティブといった用語だけでなく、日常会話でアウトソーシングやインバウンド、デフォルトといった言葉を当たり前のように私たちは使う。経済だからいいかと思っているが、「米国の先住民の言葉が絶滅に向かったのは、貨幣から時間の表記、契約まで何もかも英語を強いられたから。中身や衝撃度がわかっていないのにTPP(環太平洋パートナーシップ協定)という言葉だけが独り歩きし、わかった気分になっているうちに、チチンプイプイとだまされる」。日本語が追いやられるだけでなく、人が自分の言葉で考えなくなるという危惧だ。

でも日本と植民地の先住民とは違うのでは。そう応じるとビナードさんはこう言った。「日本は属国のままで、米国から独立しているとは思えないから」

安倍政権に対する日本人の反応にも属国らしさが表れているという。「安保法制などで国会を軽んじ、内閣で何でも進めようとする安倍さんに国民がさほど抵抗しないのは、みな日本が米国から独立していないと思っているからですよ。安倍さんはチェーン店の店長みたいな人だから言っても仕方ない、言うなら本社、アメリカだと思っているんです。プーチン(露大統領)らが日本の外交にあまり興味がないのも、日本を独立国家だと思ってないからでしょ。いい政治をしてたとは思えないけど、僕が来日した頃は、例えば米通商代表部の代表だったミッキー・カンターとやり合った橋本龍太郎みたいに、独立はあり得ると考えていた人がまだいた。今は皆無じゃないかな」

日本語延命のもう一つの条件、民族のアイデンティティーもずいぶん衰えたとみている。10年ほど前、ビナードさんはある文字を見て、はっとした。「和のえほん」「和テイスト」。自分が日本に来た1990年代、普段使われる「和」といえば和の精神、調和が先に来たが、いつの間にか「日本」という国そのものを指すことが多くなった。ここは日本なのに、なぜあえて「和」と銘打たねばならないのか。日本人は自分たちの文化を「よそ者の目」で見始めたのでは。そんな仮説を立てると、いろんな事が納得できたという。

着物ブームは一見、グローバリズムへの反動、伝統の見直しに映るが、あくまでもエキゾチシズム(異国趣味)であり、コスプレに近い感覚。外国人が見て喜ぶ東洋趣味に近い感覚になっている、と。「一方でハロウィーンが定着し、政府は家畜番号みたいなマイナンバーという言葉を喜んで使う。この前、区役所で、ホワッツ・ユア・マイナンバー(あなたの私の番号は何番?)って英語で聞かれて、本当に吐きそうになったよ」

そして、文部科学省による小学校の英語教育。「英語を学ぶのはいい。でも僕が見るに、日本語は英語より劣っているという印象を子供たちに無意識に植えつけている気がする。文科省の英語教育は中高を見ればわかる通り悲惨だから、二流の英語人が育っていく。日本語力が弱まり、きちっとした言葉を持たない民があふれる。そんな愚民政策に対する議論がもっとあっていいのに、本当に少ない。このままでは『飛んで火に入る日本語の虫』だよ」

そのジョークは今ひとつだが、要は、自分たちの国を自分たちで好きなようにつくろうという真の意味での独立を日本人は諦めているのではないかということだ。「じゃあ、どうすればいいのか。そう言うと、みな足し算で考えるでしょ。安倍さんじゃないけど、対案を出せと。でも引き算でいい。政治宣伝から普通の広告まで、垂れ流される映像、情報を拒否し、スマホも持たない運動を僕は広げたい」。そして静かに考えようと。

https://mainichi.jp/articles/20171129/dde/012/040/002000c?fm=mnm

■人物略歴
Arthur Binard
1967年、米ミシガン州生まれ。詩集「釣り上げては」で中原中也賞、「日本語ぽこりぽこり」で講談社エッセイ賞。近著「知らなかった、ぼくらの戦争」(小学館)が評価され、10月に坪内逍遥大賞奨励賞。

「緑色の蛇」アメリカ・ドルと戦争
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2008-03-22-1


五衰の人―三島由紀夫私記 (文春文庫)

五衰の人―三島由紀夫私記 (文春文庫)

  • 作者: 徳岡 孝夫
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1999/11
  • メディア: 文庫



首相の「こんな人たち」発言は致命的 [言葉*ことば*コトバ]

都議選の際、秋葉原で首相が発した言葉「こんな人たち」は、致命的な一言となったようだ。

仙台市長選の自民党敗北、内閣支持率の続落・・・



今、菊池寛の短編小説、「三浦右衛門の最後」を思い出している。

〈「館(やかた)の三浦右衛門をよくも手込めにあわせおった」という致命的(フェータル)な独言をいった〉ために、ついには肢体を切断され命を奪われるに至る話である。

大江健三郎さんは、菊池のこの作品を、特に取り上げて、『考える書き方ー菊池寛の短編』と題する講演で論じたことがある。「観察と考えることがその人間的な本性であるような人」と評すると同時に、日本的情緒的な思考停止に陥らない人物であったというのが、その論点だったと思う。


(以下、「青空文庫」から)


三浦右衛門の最後
http://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/490_19862.html



三浦右衛門の最後

三浦右衛門の最後

  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 2012/09/27
  • メディア: Kindle版



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白鳳と蓮舫 どっちが強い [言葉*ことば*コトバ]

ばかなタイトルをつけたが、どちらも話題の人である。お許しを願いたい。

1048勝を達成して、両手を挙げて観客の歓声に応える白鳳の写真がスポーツ新聞をはじめ大きく出ている。パッと見て、「日本人じゃないな」と思う。「これじゃ相撲レスラーだよな」と思う。

悪気はない。ずっと相撲の世界を見てきた(姿態からなにもかも日本人ソノモノの)当方が、そう感じるまでのこと。

白鳳は、よく日本文化を勉強しているという。最近、『名刀に挑む』という本には、作刀家である著者の鍛冶場に白鳳が足を運んで大槌を振ったことが示されていた。さらに、その本に、「刀を鑑賞する作法なども熱心に学ばれています」とあるし、「白鳳関は、日本人以上に日本の文化を大切にしようと考えておられるようにお見受けしました」ともある。


名刀に挑む 日本刀を知れば日本の美がわかる (PHP新書)

名刀に挑む 日本刀を知れば日本の美がわかる (PHP新書)

  • 作者: 松田 次泰
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2017/05/16
  • メディア: 新書



最近の白鳳のインタビューからも、日本語がだいぶ上手になっているのが分かる。日本語に堪能になると(つまりは、日本文化への理解も深まると)、顔立ちも日本人そのものになってくる。顔の表情など感情表現も日本人らしくなる。

モンゴル人も日本人も同じく「モンゴロイド」である。そもそも顔立ちが日本人にちかい白鳳であるから、もう十分日本人として通用しそうだが、それでも、やはり、何かの折には、直感的に、チガウと感じてしまう。それが、両手を挙げての歓声に応えた様子だ。

もっとも、これは、「現代」に乗り遅れて、スマホどころか携帯も持たずタブレットも所持しない古い日本人の反応であって、最近の純日本人・相撲取りたちも、同じ場面であれば、白鳳同様に、両手を挙げて声援に応えるだろうようにも思う。

たぶん、相撲取りのロールモデルとして、勝っても負けても態度表情が変わらなかったという双葉山が当方のアタマに想定されてあることによる反応なのだろう。故・春日野理事長が、双葉山が70連勝を逸したのちの態度がそれまでと全く変わらないので驚いたと語っていた(と思う)が、その姿を理想の日本人、あるべき相撲取りの姿として思い見ているのだろう。たぶん、それは時代錯誤である。白鳳が、ヘンなのではなく、当方がヘンなのだと思う。それでも、日本文化の担い手として相撲界を考えるなら、古い姿を守る姿勢を保持して欲しく思いもする・・・。

70周年特別企画シリーズ 相撲(1) 大横綱・双葉山 2016年 07 月号 [雑誌]: 相撲 増刊

70周年特別企画シリーズ 相撲(1) 大横綱・双葉山 2016年 07 月号 [雑誌]: 相撲 増刊

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: ベースボール・マガジン社
  • 発売日: 2016/07/14
  • メディア: 雑誌


白鳳にくらべると、民進党代表の蓮舫の方が、日本語が上手だ。そうでなければ、代表などつとまらない。今、国籍が二重だったとか、日本人であることを証明しろとか騒がれている。当方からすれば、日本人であるより、女であることを証明しろと騒がれないほうが不思議なくらいだ。

(最後の一文は、フェミニストをはじめいろいろの方面から問題視されそうだが、レトリックのひとつであると了解してほしい。それくらい、日本人かどうかなどで「お騒ぎあるな」ということだ)。

蓮舫女史の、政治的見解や人格についてはいろいろ意見があるだろうが、日本語に堪能であることは誰にも否定できないにちがいない。表情も日本人である。外国人(台湾?)の面影がどこにあるだろう?。日本人らしくないところがあるとすれば、名前くらいだろう。

そして、その発言は日本の国益を願ってのことであるに違いない。であれば、仮にその発言がズレているとしても、敬意をもって聞くに値するのではないか。日本のためを標榜しながら国賊的行為に及ぶ、国籍上の純日本人もいるのであるから、なおさらである。


平安時代、京に住まう人の3割は、外国人が占めていたと(たしか、司馬遼太郎「空海の風景」に)あった。外国の文化摂取に忙しくあった当時の日本にとって外国人は貴重な人的資源だった。その人たちが、日本を豊かにし、そのまま日本に定住して、混血して今日に至っているのではないだろうか。当方はむかし、たまたま知り合った人に、(その人は国粋主義者で、いざ事があれば木刀を持って皇居守護に向かうと言っていた)、「お前は紛れもない大和民族の顔をしている」と言われたことがあるが、DNAを調べるなら、いろんな人種のものが混じっているにちがいない。(そもそも、『聖書』の教えからいけば、人類はみな共通の祖先であるアダムとエバに行き着く)。

別に、蓮舫女史のファンでもなければ、民進党を支持するわけでもない。ただ、蓮舫女史をふくめ、多様性を受け入れられない社会では困るよなという思いである。そして同時に、日本の文化“も”守っていきたいよなという思いである。

東京都小笠原村に住む外国人の血をひく人たち
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2006-09-23

モンゴロイド
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%89


空海の風景〈上〉 (中公文庫)

空海の風景〈上〉 (中公文庫)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1994/03/10
  • メディア: 文庫



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週刊誌ネタは信用できない?(新谷学著「週刊文春 編集長の仕事術」から) [言葉*ことば*コトバ]

いま、週刊文春編集長:新谷学の新刊『編集長の仕事術』を読んでいる。たいへん熱のある人物で、読者にサプライズをもたらすべく、また、世の人が知りたいと思う???に答えるべく、日夜励んでいる様子がわかる。

「週刊文春」編集長の仕事術

「週刊文春」編集長の仕事術

  • 作者: 新谷 学
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2017/03/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



つい最近、その週刊『文春』が週刊『新潮』の「中刷り」広告の中身を盗んだとか盗まないとかいうニュースが報じられた。『新潮』が印刷会社に持ち込んだ「中吊り」の内容を見て、スクープ記事があれば『文春』発行に間に合わせて同様の記事を掲載しようとしたらしい。いわゆる、「スクープ潰し」をねらったもので、印刷会社の職員が『文春』に流していたようなハナシだ。

電車内に示される「中吊り」広告は、それぞれの会社にとって死活問題である。スクープ記事があれば、売れ行きもおおいに違ってくる。

ところで、当方は週刊『文春』も『新潮』も好きではナイ。両誌とも実際に読んでいないので、あくまでも感情的な反応、印象にすぎない。それでも、理由をあげるなら、中吊り広告(新聞にも掲載されるが)の表現に、あまりにも「売らんかな」の意向が示されて、ゲンナリしてくるのである。むかしからのいい方でいえば、まさに「売文業」という感じがするのである。それに加え、扇情的な内容、写真を掲載するようにもなっている。“以前であれば”掲載しなかったであろうもの、「低劣な」と良識派から言われそうなものをである。もっとも、上記書籍には、週刊誌は「人間の業の肯定」であると落語についてそのように述べた立川談志の言葉が取り上げられていた。

そのようなわけで、政権与党にとって好ましくない問題を、野党議員が「週刊誌ネタ」をもとに指摘し批判すると、取るに足りないものとして退けられ、軽く扱われるのであろうか。

2か月前、加計学園との関係を福島みずほ議員から指摘されたときの首相の反応も、「週刊誌ネタ」を取り上げて何を言うか・・というものであった。

加計学園!安倍晋三3/13 福島みずほ:参院・予算委員会
https://www.youtube.com/watch?v=38xlBcKlwrg

「第2の森友学園」とウワサされる加計学園と安倍首相の関係についてhttp://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-03-14

それでも、冒頭にしめした『編集長の仕事術』を読むと、小泉純一郎政権(2001年ー2006年9月26日)誕生の’01年あたりから、ニュースメディアとしての週刊誌の地位は大きく変化してきている、とある。その第3次小泉改造内閣で、官房長官を安倍現・首相は務めた(2005年10月31日 ー2006年9月26日 )。そうであれば、身をもってその変化を知っているはずである。(***以下に引用)

にもかかわらず、「週刊誌ネタ」として、追求・批判を軽んじ退けたのは、あえて意図的に、ソレ以前の価値判断をもちこんで、週刊誌をオトシメることによって、自分の立場を守ろうとしたということなのかもしれない。

ちなみに、上記書籍(p96、97)において新谷は、マスコミのヒエラルキーについて「NHK、大手新聞、テレビのキー局などが上位グループ。週刊誌は最下層、・・捜査当局なんて門前払いだった」と述べた上で、週刊誌の地位が劇的に変化・向上した経緯について触れ、「情報の世界では、『ネタ」を持っている者だけが主導権を握ることができる」と記している。

新谷のいう「ネタ」は、「ファクト(真実)」と言い換えることもできそうだ。『ウィキペディア』の新谷学の項目には、その「主張」として、次のように示されている。

週刊文春編集長として安倍政権に『親』でも『反』でもなく書くべき事は書くで『メディアはファクト(真実)で戦え』と主張している。 甘利大臣のスクープも官邸中枢から『TPP調印へ出席させるまで待ってほしい。』と言われてたが突っぱねた。そのことについて報じるべきファクトがあるのに「書かない」と言う選択肢は無いと述べている。朝日新聞への寄稿において安倍晋三首相は理念型政治家なのでメディア側の親安倍と反安倍が分かれていて産経の愛読者と朝日の愛読者では互いに見聞きしたい情報で批判し合うだけで建設的な議論が無いと述べている 。 マスコミはファクトで闘うべきだが朝日新聞は『ファクトより論』の傾向があり、靖国神社や沖縄問題で安倍首相の批判の仕方が旧態依然であり、好きな人は来るが嫌いな人は来ないので安倍首相にも「またか」として聞き流されているとしている。 朝日新聞が安倍政権を批判するなら反論出来ないスクープを出すべきで、それが朝日新聞が特報した森友学園問題だったと評価している。  [14]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E8%B0%B7%E5%AD%A6
[14]報道機関はファクトで武装し戦え / 2017年4月24日
http://www.asahi.com/articles/ASK4G2VZMK4GUTFK001.

つまり、週刊誌であろうが、「記者クラブ」から締め出されることもあるフリーランス(記者)であろうが、反論できないファクト・「ネタ」を持ってさえいれば、ヒエラルキーの頂点に立つこともできるということのようである。

田中龍作ジャーナル
皇室の政治利用 「安倍スピン」に乗せられるな
http://tanakaryusaku.jp/2017/05/00015843

さてさて、これからどのような「ファクト」が出てくるのであろうか。



以下URL記事に、安倍首相夫人のFacebookに投稿された写真(ファクト)が・・・
麻生氏も苦言。安倍首相に関わりが深い、第2の「森友学園」疑惑
MAG2NEWS 2017.04.21
http://www.mag2.com/p/news/247099

****以下、引用****

「週刊文春」編集長の仕事術
p96、97から

90年代は、今とはくらべものにならないくらいメディアのあいだにヒエラルキーがあった。NHK、大手新聞、テレビのキー局などが上位グループ。週刊誌は最下層だ。ほとんど相手にしてもらえない。捜査当局なんて門前払いだった。

それが劇的に変わったのが、『NHK紅白歌合戦』のプロデューサーを務めた人物の横領をスクープした2004年だった。NHKのチーフプロデューサーが番組制作費を実績のない会社社長に払い、一部をキックバックして懐に入れていた問題を中村竜太郎記者がスクープし、「NHK紅白プロデューサーが制作費8000万円を横領していた!」と報じた。そのときの担当デスクが私だった。

NHKは発売の2日前に会見してこの問題を発表。スクープ潰しの常套手段だが、我々がNHKの内部資料など、決定的な証拠を持っていたため、新聞やテレビ各局の社会部記者が「レクチャーしてほしい」と列をなした。我々が新聞やテレビの記者にレクチャーする!かつてを思うと、まさにコペルニクス的転回であった。

それ以前にもヒエラルキーが崩れ始める変化を感じていた。小泉純一郎政権誕生と同時に特集班デスクとして週刊文春に戻った2001年だ。当時、田中眞紀子氏や鈴木宗男氏らのスキャンダルが国会をにぎわしていた。週刊文春がスクープを握っているときには、新聞、テレビなどともずいぶん協力した。

田中眞紀子氏の秘書給与疑惑の際は、文春と新潮が同着となるとわかったため、発売前にTBSに「明日発売の週刊文春によると」というかたちで報じてもらったり、共同通信に「週刊文春の報道でわかった」という記事を書いてもらったりした。

こうした戦略、戦術は今も受け継がれており、甘利大臣のスクープもまさにその延長線上にある。情報の世界では、「ネタ」を持っている者だけが主導権を握ることができる。自分でリングを設定し、自分でルールを作ることができるのだ」。
p96、97
****引用ここまで****


権力に迫る「調査報道」 原発事故、パナマ文書、日米安保をどう報じたか

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  • 作者: 高田昌幸
  • 出版社/メーカー: 旬報社
  • 発売日: 2016/11/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



始動! 調査報道ジャーナリズム: 「会社」メディアよ、さようなら (彩流社ブックレット)

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  • 出版社/メーカー: 彩流社
  • 発売日: 2017/04/24
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「 しようがない。雨の日はしょうがない 」 [言葉*ことば*コトバ]

久しぶりの雨である。雨音がはげしい。乾ききった地面も潤う。

NHKの『みんなのうた』で、小室等がうたっていた歌がある。聞きおぼえて、なんとなく口ずさんでしまう。そんな歌だ。

「しようがない。雨の日はしょうがない」と歌う。

歌のタイトルは、ネット検索して分かった。『雨が空から降れば』。

https://www.nhk.or.jp/minna/songs/MIN197610_01/

『みんなのうた』で、1976年に放映されたということだから、それからもう40年経っている。それこそ、「しようがない」である。

別役実の作詞とは知らなかった。

『ユーチューブ』で、検索したら、曲をカバーした人のものが出た。すぐ聞くのをやめた。チガウと感じたからだ。やはり、本人のものがいい。本人のものもある。

小室等「雨が空から降れば」:おんがく白書【HD】
https://www.youtube.com/watch?v=I5j9ooqeCLA

雨が空から降れば 小室等 坂崎幸之助
https://www.youtube.com/watch?v=zMVUou5bRPE

小室等&こむろ ゆい ♪ 雨が空から降れば
https://www.youtube.com/watch?v=dTwLyoZtePc

本人も言っているが、むかしより、いいと思う。年齢とともに、積み重なり、よくなっていくものもある。というより、そういうものであるはずだ。よくなって当然なはずだ。そう思う。


人生を肯定するもの、それが音楽 (岩波新書 新赤版 (888))

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  • 作者: 小室 等
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2004/04/20
  • メディア: 新書



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三遊亭円歌、亡くなる [言葉*ことば*コトバ]

円歌が亡くなった。85だという。

古今亭志ん朝が亡くなったとき、「志ん朝くん、あとは任せてくれ」と言っていたのを思い出す。

2001年だというから、けっこう経つ。

どんどん、人は歳をとり、亡くなっていく。


円歌の高座『中沢家の人々』を、いちど聞いた。寄席ではなく、ホールで。

〈このあいだ嫌な客に会ったね。いちばんまん前にいた客。「待ってました、『山のあな』」・・・。忘れちゃったよバカバカしい〉とマクラを振っていた。

センテンスをみじかくとった伝法な語り口で、その合間に「ウソだよ!」などと、話を切る。たいへん勢いがあった。

笑いにつぐ笑いで、最後まで笑いっぱなしだった記憶がある。客の呼吸を心得ているというのであろう。息を吸うときに、口のなかに笑いのタネを投げ入れられるという風だった。


三遊亭円歌・中沢家の人々
https://www.youtube.com/watch?v=yqYhnevfC78


中沢家の人々・完全版

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  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: 日本コロムビア
  • 発売日: 2015/02/25
  • メディア: CD



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あくびの出るハナシ [言葉*ことば*コトバ]

きょうはどういうわけかあくびが出る。まわりの人たちも、あくびをしていておかしい。気温のせいか、気圧のせいか・・・。

あくびを教えてもらう必要はない。自然に出る。それを、わざわざお金を取って教えた時代があるらしい。もっとも、落語で聞いたのだから、あくまでもオハナシにちがいない。

『あくび指南』
https://www.youtube.com/watch?v=iBBznsQeBAo


昨日、そういえば落語の話で終わった。三遊亭円朝全集を紹介(イメージで)した。紹介しておきながら、当方は読んでいない。読みたいとは思っているのだが、読みそびれている。全集は、つい最近、岩波から新しく出たように思うのだが・・・。

落語というと、落とし話で、オチのある笑えるものをまずは思い浮かべるが、円朝が創作し、演じて著名なものは、『文七元結』、『塩原多助一代記』のような、オチのない物語性の高いものだった。

文七元結 古今亭志ん朝(約1時間20分)
https://www.youtube.com/watch?v=CC1k8ewG8Ys

落とし話を得意にしていた古今亭志ん生も、本来的には落とし話より人情噺を好んでいたという。三遊亭円楽(先代)が、『ラジオ名人寄席』で玉置宏さんを相手に話していたのを聞いた。また、セガレの志ん朝や住み込み弟子の志ん駒が、製本がばらばらになるほど円朝全集を読み込んでいた師匠のことを話すのも聞いた。

円朝のながい噺を演じる際に、志ん生がマクラに振っていたと思うのだが、(実演を聞いたわけでない。録音で)、複数回に分けてかける長い噺の「つづき」を聴きたいために、雨嵐のなかも、寄席に出向いて行く人が、なんでこんなにまでして・・と、うらめしく思うほどの名人・上手の話をしていた。そうした噺家になりたいとの願望も強くあってのことではなかろうか。

明治の言文一致運動推し進めるうえで、円朝の創作(速記本)はおおきな役割を果たしたが、噺家、演者としても名人・上手であったようである。

そして、その円朝には、師匠がいた。しかし、落語家ではない。

以下の本に出ている。

***********
(以下、引用)

「今度の桃太郎は活きている。この気持ちでやり抜ければきっと名人になれる。役者がその身を無くし、剣術使いが剣を無くし、講釈師が口を無くしなけりゃ、ほんとの名人にはなれぬものだ。おまえも今の気持ちを忘れないで、進むようにすれば、大成すること請け合いである」と(師匠は)諭した。

円朝はこうして生まれ変わったのであった。円朝の妙技に人が恍惚として身を忘れるようになったのも、彼が大悟徹底してからのことである。

円朝が無舌居士と名乗ったのも、こうした師匠との因縁話からで、この居士号は師匠が滴水さんと相談して、選んでやったのである。


勘三郎×山田洋二=文七元結
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-09-20

滴水のこと(水上勉著「骨壷の話」から)
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-02-20


おれの師匠―山岡鐵舟先生正伝

おれの師匠―山岡鐵舟先生正伝

  • 作者: 小倉鐵樹
  • 出版社/メーカー: 島津書房
  • 発売日: 2007/08
  • メディア: 単行本



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山口謡司と杉本秀太郎 [言葉*ことば*コトバ]

お二方の名前をあげたのは、たまたま新聞に山口氏の新刊の紹介と杉本氏の訃報(毎日新聞「悼む」8/10)とが相前後して掲載されたため。お二方ともに和漢洋に通じておられ羨ましいかぎりに思えたから。

山口氏は、中国学で博士号をとり英仏の大学に留学して、『妻はパリジェンヌ』。このたび『にほんご歳時記』を出した。杉本氏は、フランス美術史の名著とされるアンリ・フォション『形の生命』の翻訳者であると同時に『太田垣蓮月』を刊行している。「達意の名文」家である。

とりわけ山口氏の記事(日経新聞「あとがきのあと」『にほんご歳時記』8/9掲載)中、目に留まったのは・・・

「漢文を習っていない学生が増えた。昔の文化を知らず、文献を読めなくなってきている」

その言葉から、『漢文のすすめ』を記した原田種成さんの言葉を想起した。

戦後、漢文教育を軽視したため、日本人の倫理観が薄くなり、国語も乱れるようになった。昔の学者は漢文で論じ、漢詩によって心情を吐露した。私は漢文こそ真の日本の古典であると思う。漢文力が欠如していると思想や歴史の資料を正確に理解できず、間違った研究が横行する。今こそ漢文教育を復活振興する必要がある。

***********

くわばらくわばら桑原武夫
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2006-06-06


にほんご歳時記 (PHP新書)

にほんご歳時記 (PHP新書)

  • 作者: 山口 謠司
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2015/07/16
  • メディア: 新書



妻はパリジェンヌ

妻はパリジェンヌ

  • 作者: やまぐち ヨウジ
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2005/06/24
  • メディア: 単行本



大田垣蓮月

大田垣蓮月

  • 作者: 杉本 秀太郎
  • 出版社/メーカー: 青幻舎
  • 発売日: 2004/11
  • メディア: 単行本



改訳 形の生命 (平凡社ライブラリー)

改訳 形の生命 (平凡社ライブラリー)

  • 作者: アンリ フォシヨン
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2009/02
  • メディア: 単行本



漢文のすすめ (新潮選書)

漢文のすすめ (新潮選書)

  • 作者: 原田 種成
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1992/09
  • メディア: 単行本



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同じナオキでも・・(百田と小室) [言葉*ことば*コトバ]

以下、ふたりのナオキを比較。

事の善し悪しは別にして、スケールがちがう

「チンピラ」と「豪傑」のちがいといったところか・・・

・・・と、言うより、比較になりませんね。

小室は怪物、百田はちんけな・・・

チンピラには、「どこで、しゃべっても、自分の発言に責任をもちなさい」と言いたい。


百田尚樹の場合・・・


百田尚樹氏:発言は「飲み屋でしゃべっているようなもの」
毎日新聞 2015年06月27日 21時50分(最終更新 06月27日 21時57分)
 ◇福岡大学同窓会会合で講演 自民勉強会での発言の弁明

作家の百田尚樹氏は27日、福岡市であった福岡大学の同窓会の会合で講演した。自民党の懇話会での発言について「報道陣が出た後の公開されていない内輪の席での会話を報道された。テレビやラジオの発言なら言い訳は通用しないが、飲み屋でしゃべっているようなもの。飲み屋では何でも言う。『あいつ殺したろうか』って、これ殺人未遂(になるのか)」などと弁明。「(沖縄の地元2紙を)つぶさないといけない」との発言をしたことについては「沖縄の新聞は大嫌い。これは本音」と笑いを誘った。

講演後に報道陣の取材に応じ、「沖縄の話は冗談で軽口」と主張し、「ニュアンスを考慮せず大騒ぎするのは卑劣」と報道を批判。安保法制の審議への影響について「野党が僕の発言をうまく利用している。汚い」と述べた。また、講演前に自身のツイッターで「本当につぶれてほしいと思っているのは、朝日新聞と毎日新聞と東京新聞」などとツイートしており、 理由について百田氏は「嫌いだから」と話した。【平川昌範、黒澤敬太郎】

***********

小室 直樹の場合・・・

「ウィキペディア」小室 直樹の項目
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AE%A4%E7%9B%B4%E6%A8%B9#.E3.83.86.E3.83.AC.E3.83.93.E7.94.9F.E6.94.BE.E9.80.81.E3.81.A7.E3.81.AE.E7.99.BA.E8.A8.80.E4.BA.8B.E4.BB.B6


テレビ生放送での発言事件

1983年1月26日、ロッキード事件被告田中角栄への求刑公判の日、テレビ朝日の番組「こんにちは2時」の生放送に出演した。小室は田中角栄の無罪を主張し、田中角栄を優秀な政治家と評価していた。番組で小沢遼子ら反角栄側2人と小室による討論を行った。ところが冒頭、突然立ち上がってこぶしをふり上げ、「田中がこんなになったのは検察が悪いからだ。有能な政治家を消しさろうとする検事をぶっ殺してやりたい。田中を起訴した検察官は全員死刑だ!」とわめき出し、田中批判を繰り広げた小沢遼子を足蹴にして退場させられた[17]。ところが翌日朝、同局はその小室を「モーニングショー」に生出演させた。その際さらに口調はパワーアップ、カメラの面前で「政治家は賄賂を取ってもよいし、汚職をしてもよい。それで国民が豊かになればよい。政治家の道義と小市民的な道義はちがう。政治家に小市民的な道義を求めることは間違いだ。政治家は人を殺したってよい。黒田清隆は自分の奥さんを殺したって何でもなかった!」などと叫び、そのまま放送されてしまった[18]。この事件以後、奇人評論家と評されることになった。


橋爪大三郎曰く、
「わたしが残念でならないのは、もしノーベル法学賞とか、社会科学賞というものがあったなら、(小室先生は)四つや五つもらってもいいくらいの国際的に非常にレベルの高い仕事をされている。」
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2010-11-02

【書考空間】小室直樹の世界 社会科学の復興をめざして
(評者:TOKYO FM 報道・情報センター 総合デスク 横山 茂)
http://www.tfm.co.jp/timeline/index.php?itemid=76148&catid=1485

【エン-ソフ】在野研究のススメvol.20 : 小室直樹
荒木優太 2015年04月20日 17:22
http://www.en-soph.org/archives/43685452.html

YOUTUBE 小室直樹 - 宗教 「日本教」
https://www.youtube.com/watch?v=xEyEUAvbUbo


小室直樹 日本人のための経済原論

小室直樹 日本人のための経済原論

  • 作者: 小室 直樹
  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2015/05/29
  • メディア: 単行本



数学嫌いな人のための数学―数学原論

数学嫌いな人のための数学―数学原論

  • 作者: 小室 直樹
  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2001/10
  • メディア: 単行本



日本教の社会学 (1981年)

日本教の社会学 (1981年)

  • 作者: 山本 七平
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1981/08
  • メディア: -



小室直樹の世界―社会科学の復興をめざして

小室直樹の世界―社会科学の復興をめざして

  • 作者: 宮台真司
  • 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
  • 発売日: 2013/10/25
  • メディア: 単行本



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ギャル語で「桃太郎」(日経MJ記事から) [言葉*ことば*コトバ]

日経MJ(5・25・p16)に紹介されていたギャル語で「桃太郎」

桃ぴっぴ

ニコニコ動画への投稿作品を紹介したもので、投稿者は コウノスケ さん

日本昔話をギャル語で吹き替えたらバイブスがアガった
桃太郎編
http://www.nicovideo.jp/watch/sm25936317

記事中に紹介されている活字に起されたものを以下に引用する。

昨日も紹介した「まんが日本昔ばなし」の市原悦子さんに、あの名調子で朗読してもらいたいところ・・
だけど、できるかなあ・・

**************

これ割りと昔めな感じなんだけどあるところにシア充なジーバーがいた的な感じ?

バーが川で洗濯してたら大きな桃が「ジャスティスウェーイ ジャスティスウェーイ」って流れてきたんだって

バアが桃をカッティンしようとしたら、桃の中からもぎゅいベビたんが出てきたんだって

そのころアチコチの村に鬼ぴっぴがやって来てけっこうヤンチャしてたらしいよ。桃ぴっぴはバイブスぶち上げてクラブGASHIMAに向かったらしい


クラブGASHIMAにバトリに行くんすよ

一緒していいすか?


アポなしでしゃーす。俺とラップバトルしようぜ?

まぁいんじゃね?その勝負乗ったわ

またちょづいてるって噂聞いたらすぐシメに来るかんな

萎えぽよピーナッツなんで勘弁。ギッたモンも返します


桃ぴっぴはゲトったブリンブリンを船に積んで村に帰ったらしいよ。本間充だね。

はいしまいしまい。

*************

脚注

シア充:幸せで充実している様子

ジーバー:老夫婦

「ジャスティスウェーイ ジャスティスウェーイ」:「どんぶらこっこ」を現代風にアレンジ

カッティン:切る 

もぎゅい:かわいい

バイブス:気分(テンション)

クラブGASHIMA:鬼ケ島

バトリ:戦い

しゃーす:失礼します

ちょづいてる:調子に乗っている

萎えぽよピーナッツ:落ち込んでいる

ギッた:盗んだ

ゲトった:手に入れた

ブリンブリン:宝石などの総称

本間充:「リア充」の最高形

しまい:おしまい



桃太郎 (新・講談社の絵本)

桃太郎 (新・講談社の絵本)

  • 作者: 齋藤 五百枝
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2001/05/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



日本昔話1 桃太郎ほか Long-ago Stories of Japan (ラダーシリーズ Level 1)

日本昔話1 桃太郎ほか Long-ago Stories of Japan (ラダーシリーズ Level 1)

  • 作者: カルラ・ヴァレンタイン
  • 出版社/メーカー: IBCパブリッシング
  • 発売日: 2009/06/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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日本昔ばなし 市原悦子 差別用語を用い、NHKでご難 [言葉*ことば*コトバ]

直接見ていないのだが、女優の市原悦子さん(79)が出演したNHKの番組で「かたわ」「毛唐」という言葉を口にし、アナウンサーが後で謝罪する一幕があったそうである。

以前、水木しげるサンが、やはりNHKのインタビュー番組に出演し、遠野の河童の話をした際、きちがいを連発し、きちがいと言うたびごとに、女性アナウンサーが、お詫びのひとことをはさんでいるのを、直接見たことがあるが、ニュース記事によると・・・

いずれも体が不自由な人や外国人に対する表現で、メディアなどでは使用が避けられている。しかしネット上では市原さんの発言を非難する声はほとんどなく、「前後の文脈上問題ない」「差別意識はない」と擁護する意見が多い

・・・と、ある。

市原悦子がNHK番組で差別語連発 有働アナ謝罪、視聴者からは擁護や評価の声
J-CASTニュース 5月23日(土)17時38分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150523-00000003-jct-soci


公共放送で、それを見ている視聴者のなかには、差別用語の対象となる方(めくら、おし、びっこ、かったい、きちがい・・)が実際にいて、差別を受けたとの感情をもち、直接NHKに抗議してくることも多々あるのだろう。だが、しかし、特に、民俗学の範疇にある事象は、古来の言い方が残っていて、古老にインタビューしたなら、むかしからの表現がぽんぽん出てくるだろう。むかし話や妖怪談義などもその範疇だろう。差別語であるからこそ、リアリティーをもって語れるし、リアリティーをもって受けとめることができるということもある。古来からの感情をもこめて正確に表現しようとすると、他の言葉では代替できないということもありうる。

これは教科書に出ていたことだ。うろおぼえだが、女性詩人のダレだったか、「美しいことば」というテーマであったように思うのだが、正確なことばはうつくしいという論点で書いていた。そこでは、教養を感じさせる老夫人に、ご主人の安否を尋ねた際、「ちんぼにできものができて」と答えるのを聞いて、幼児語が用いられて、どぎまぎしたものの、聞き手によけいな憶測をさせない、いい表現であると思う・・というようなことを書いていた。

差別するための差別発言がある。事実であるなしは別にして、相手をオトシメルための発言だ。良心にしたがって発言しているだけなのに、「アカ」というレッテルを貼ったりする手合いの取り扱いだ。単におとしめられるどころか、チャップリンは、「黄金狂時代」「独裁者」を発表したことを理由に「赤狩り(レッドパージ)」にかかって、自由の国アメリカを追放されたのではなかったか。最近、どこぞの国の首相も、「日教組」という言葉をそのように用いなかっただろうか。「売国奴」「自虐史観」。中身など関係ナイ。気にくわない相手を、決めつけて、オトシメ、自分を有利な立場におこうとするたぐいの発言である。

赤狩り(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E7%8B%A9%E3%82%8A

日教組ヤジは氷山の一角…安倍首相こそ「息吐く様に嘘つく」
日刊ゲンダイ 2015年2月24日
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/157480


「おりこうさんネ」と言って、相手をバカにすることもできる。「ばばあ」と言って老婦人をいたわることもできる。

人によって好き嫌いはあるだろうが、落語家?の毒蝮三太夫が、スーパーを回って歩くラジオ番組がある。いまでもやってるかどうか知らないが、長くつづいたところをみると、人気番組ではなかったのだろうか。そこで、毒蝮は老婦人たちをつかまえて「ばばあ、長生きしろよ」とやっていた。その発言を受ける老婦人たちは、毒蝮から「おばあちゃん、長生きしてね」なんていわれたら、気持ちがわるくてしようがなかったろう。

問題とすべきなのは、発言ソノモノ(表現)よりも、そこに込められた意図、発話の動機であるように思う。それを、度外視して、言葉だけを取り上げ、訂正やら反省やらする(促す)のは、ヘンに思える。差別用語を用いることと、実際の差別は、分けて考える必要がある。その点をこそ、差別すべきといえる。

そもそも差別用語は、放送各社の内部規定で定められてあるモノであるように聞いている。そうであれば、各社ごとに差別用語とされるものがあり、各社にとっての差別用語は、いわゆる自主規制対象用語ということになる。であれば、その旨を記してテロップで流せばいいように思う。今、現に、発話している最中に、そのつど訂正されるのでは、人前で話し演じる超ベテランといえどもカタマッテしまう。

市原さん、たいへんお気の毒であります。お疲れ様でした。


きだみのると「気違い部落**」
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-03-15


やまんば: 女優市原悦子43人と語る

やまんば: 女優市原悦子43人と語る

  • 作者: 市原悦子
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2013/09/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



毒蝮流! ことばで介護 (講談社+α新書)

毒蝮流! ことばで介護 (講談社+α新書)

  • 作者: 毒蝮 三太夫
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2014/04/22
  • メディア: 新書


つづく


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