SSブログ

あくびの出るハナシ [言葉*ことば*コトバ]

きょうはどういうわけかあくびが出る。まわりの人たちも、あくびをしていておかしい。気温のせいか、気圧のせいか・・・。

あくびを教えてもらう必要はない。自然に出る。それを、わざわざお金を取って教えた時代があるらしい。もっとも、落語で聞いたのだから、あくまでもオハナシにちがいない。

『あくび指南』
https://www.youtube.com/watch?v=iBBznsQeBAo


昨日、そういえば落語の話で終わった。三遊亭円朝全集を紹介(イメージで)した。紹介しておきながら、当方は読んでいない。読みたいとは思っているのだが、読みそびれている。全集は、つい最近、岩波から新しく出たように思うのだが・・・。

落語というと、落とし話で、オチのある笑えるものをまずは思い浮かべるが、円朝が創作し、演じて著名なものは、『文七元結』、『塩原多助一代記』のような、オチのない物語性の高いものだった。

文七元結 古今亭志ん朝(約1時間20分)
https://www.youtube.com/watch?v=CC1k8ewG8Ys

落とし話を得意にしていた古今亭志ん生も、本来的には落とし話より人情噺を好んでいたという。三遊亭円楽(先代)が、『ラジオ名人寄席』で玉置宏さんを相手に話していたのを聞いた。また、セガレの志ん朝や住み込み弟子の志ん駒が、製本がばらばらになるほど円朝全集を読み込んでいた師匠のことを話すのも聞いた。

円朝のながい噺を演じる際に、志ん生がマクラに振っていたと思うのだが、(実演を聞いたわけでない。録音で)、複数回に分けてかける長い噺の「つづき」を聴きたいために、雨嵐のなかも、寄席に出向いて行く人が、なんでこんなにまでして・・と、うらめしく思うほどの名人・上手の話をしていた。そうした噺家になりたいとの願望も強くあってのことではなかろうか。

明治の言文一致運動推し進めるうえで、円朝の創作(速記本)はおおきな役割を果たしたが、噺家、演者としても名人・上手であったようである。

そして、その円朝には、師匠がいた。しかし、落語家ではない。

以下の本に出ている。

***********
(以下、引用)

「今度の桃太郎は活きている。この気持ちでやり抜ければきっと名人になれる。役者がその身を無くし、剣術使いが剣を無くし、講釈師が口を無くしなけりゃ、ほんとの名人にはなれぬものだ。おまえも今の気持ちを忘れないで、進むようにすれば、大成すること請け合いである」と(師匠は)諭した。

円朝はこうして生まれ変わったのであった。円朝の妙技に人が恍惚として身を忘れるようになったのも、彼が大悟徹底してからのことである。

円朝が無舌居士と名乗ったのも、こうした師匠との因縁話からで、この居士号は師匠が滴水さんと相談して、選んでやったのである。


勘三郎×山田洋二=文七元結
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-09-20

滴水のこと(水上勉著「骨壷の話」から)
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-02-20


おれの師匠―山岡鐵舟先生正伝

おれの師匠―山岡鐵舟先生正伝

  • 作者: 小倉鐵樹
  • 出版社/メーカー: 島津書房
  • 発売日: 2007/08
  • メディア: 単行本



トラックバック(1) 
共通テーマ:日記・雑感

トラックバック 1