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柳家小三治師匠の独演会に [アート・美術関連]

久しぶりに小三冶師匠の噺を聞いた。むし暑い日で、会場も暑かった。

当方は、いわゆる小三冶の「おっかけ」である。当地での落語会の折には、必ず出向くようにしている。落語会の案内チラシを記念に保存してあるので、たしかめたら平成16年が最後になっている。どうりで、「久しぶり」と感じるわけだ。

師匠もそのことをマクラに振った。出囃子で登場し高座に上がる。開口一番、「心配しているんです・・・」と言う。こちらは思わず、「何を?」と驚く、当惑する。すると、「何って・・・」と、その後をつなぐ。その間(ま)のために、思わず引き込まれる。最近読んだ好奇心に関する本に、「情報の空白」の話が出ていた。それだなと、思った。

好奇心は知識に連動
http://kankyodou.blog.so-net.ne.jp/2016-05-31-1

師匠も記録を調べて過去7、8年当地に来ていない。それで、まとめ役がいないのではないかと心配しているというのだ。一度、事情があって、独演会に行きそびれたことがある。それから、もうすでに7、8年経過しているのを思い出した。


平成16年の「柳家小三冶一門会」のとき、いっしょに来たのは柳家喜多八だった。最近、亡くなった。ニュースで知ったとき、師匠もつらいだろうなと思った。今回、つれてきたのは、その弟子の柳家ろべえ。どうぞよろしくと師匠じきじき挨拶していた。

平成16年というと今から12年前になるが、その間もテレビで師匠の姿は見ている。2008年10・14のNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』100回記念は小三冶師匠だった。そのときはじめて師匠がリウマチ病みで、薬を手放せないことなど知った。山のような薬を飲みつつ、夏の真っ盛りの寄席で奮闘しているようすも見た。

それから8年。ホール・ステージ上に壇がきずかれ座布団が敷かれる。高座にあがるとき少したいへんそうで、「師匠お年を召されたな」の印象を持った。はなし始めたのは、『粗忽長屋』。死人の噺だ。会場にいる自分のファンであれば、当然喜多八の死を知っていて、そのことをまくらに振ってかける噺といえば、これしかないということだったのだろうと勝手に思った。以前、米朝師匠がテレビ出演していて、弟子が亡くなった直後の高座でのことを思い出したりした。

米朝、逝って、心配、無くなる 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2015-03-20


中休みを経て、後半。あい変わらず会場はむし暑い。(もしかすると、師匠の要望で空調の温度が高めに設定されていたのかもしれない。体調維持のために、あまり体を冷やせないということを聞いている)。「きょうは何をかけるのだろう。『青菜』かもね・・」などと(客席2列目で)話していたら、まくらなしに突然「植木屋さん、ご精がでますな」と始まった。『青菜』である。季節は夏、お屋敷住まいの大旦那と出入りの植木屋の暮しぶりをめぐる噺だ。

『青菜』はいちど聞いている。平成15年9月。そのときの枕は、「自分はタレント活動など見向きもせずにやっているが、テレビなどというものは・・」というような話しで、ついたまたま「(そんなことを言っているが、ほんとのところテレビにも出たいんでしょうがぁ・・の意を含んで)またまた」と5列目の席で、口走ってしまい、にらまれた感がしたのを覚えている。ついでに「見てろよ」と言われた気もした。

それからタイヘンだった。落語を聞いて失神しそうになった。あたまがクラクラした。血流がどうかしてしまったのだろうと思う。笑死寸前の思いをした。あとで知ったことだが、師匠は、平成15年/2003年7月・イイノホール「円朝祭」 で演じた『青菜』で、第54回 芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)を受賞している。その直後の高座を経験できたということになる。

それから13年。『青菜』はさらに成長をとげた。ユーチューブ上、師匠の演じる『青菜』を見ることができる。それはさらに古く1991年8月のクレジットが打ってある。当方が初体験した『青菜』より、さらに10年以上前になるが、それとはまったく比較にならない。はるかに出来がよくなっている。

今回、あたまがクラクラすることはなかったが、旦那さんの風格はいや増し、お屋敷はいよいよ広くなり、植木のあいだをくぐる風はさわやかにながれて、植木屋の路地裏の暮しとの対照も自然になった。

植木屋も、クマさんハッツァンのまったく無知といった風情ではなく、それだけのお屋敷に出入りを許されるだけの人品を備えた人物になっている。たまたま経済的にゆるさないので植木屋を稼業とし、路地裏に住まいはしているが、人間として向上していきたいという願いをもつものとして描かれている。

全体に上品になった、品格があがったと言っていいように思う。旦那の風格にいたっては、米朝さん晩年の『百年目』の大旦那を思い出したりしていた。

はじめて聞いた『青菜』のときには、ただただ笑って聞いていただけなのだが、今回は、人間としてもっと大きくならんといかんなあと感じて聞いていた。人間としてもっと向上せなあかん・・と。

どういうわけか、関東人のくせに関西弁になって・・・。


【落語】柳家小三治/青菜(1991年8月)
https://www.youtube.com/watch?v=peJ_iAcpKrc

中国のテレビドラマ「宮廷画師 郎世寧」を見ながら思ったこと 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2015-04-14


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