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酔いどれ天使:黒澤明 [ドラマ]

酔いどれ天使 黒澤明の酔いどれ天使 』を初めて見る機会を得た。

ドラマの凝縮度に感嘆せざるをえない。90分ほどの時間に、よくこれだけの内容を詰め込んだものだと思う。

蚊のわくようなドブ川に面した汚い外科医院。そこにやってくる筋肉質のわかいヤクザ。ドアに手をはさんだというが、実は手に銃弾を受けている。医師は、早速手荒な手術にかかる。

威勢のいい、その界隈では顔のきくヤクザは、肺に穴が空いていると診断される。若い肉体は急速に弱っていく。と、同時に、ヤクザとしても、どんどん落ち目になっていく。

 

若いヤクザ松崎に三船敏郎。そんな松崎をバカ呼ばわりしながらも同情する近所でも評判の「飲んだくれ」医師に志村喬。

「あの松崎という野郎を見ていると、どうも若い時の自分が思いだされて・・。アイツも可哀想だよ。肺がヤラレテイルだけではなく、芯がヤラレテイル。無茶なツラしてそっくりかえっているが胸のうちは風が吹きぬけてるみてえにサビシイにちがいねえ。凝り固まったアクにはなっちゃいねえが・・」

「グレルにはグレルなりのワケがあるんでね」と、自称「天使」は、つきまとうようにして松崎を助けるが、松崎は、シマを横取りしたヤクザに刺されて死ぬ。

全体にシリアスで暗い映画であるが、「酔いどれ天使」真田医師の人間味(humor)、17歳の女学生(クガヨシコ)の結核の癒えていく様子と快活さが救いとなっている。

 

この映画は1948年(昭和23年)製作。

斜陽 年表によると、前年1947年には、「山口良忠判事が闇米を買わず配給のみに頼っていたために餓死」「戦災孤児救済のために『鐘の鳴る丘』放送開始」「ララ物資などによる学校給食開始」「財閥解体」「太宰治の小説にしたがい元皇族らに「斜陽族」の呼び名」・・といった項目があげられている。

要するに、『酔いどれ天使』は、戦後のドサクサ混乱期のド真ん中で製作された映画ということだ。

年表からも、当時の世相が推し量られるが・・・

堕落論 当時多くの人は、坂口安吾が「堕落論」で肯定した精神を背負って(励まされて)生きていかざるを得なかった。皇軍の兵士は闇屋になり、特攻兵を見送った貞潔な女たちはパンパンになった。「生きよ堕ちよ。ソレでイイんだ!」安吾は叫んだ。

しかし、この映画の視点はより高く、かつ、醒めている。謳われているのは「理性」。「理性があれば結核だって、他のことだって克服できる」と黒澤は女学生と「酔いどれ天使」に語らせている。

ドブ川が流れ、よどみにはメタンガスがあぶくをあげ、ダンスホールの女はツバを吐き、結核患者は吐血し、夢のなかでは棺おけが登場し、若いヤクザは骨壷に納まってしまう。

ある人々が言うように、たしかに「キタナイ」黒澤映画ではあるが、映画の中で謳われているものは、たいへん「美しい」。


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