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食肉の起源

先の記事で、宮崎駿さんの食へのコダワリについて記したが、人間が動物の肉を食べること(食肉)の起源について聖書が示していることをお伝えしようと思う。

 

ノアの大洪水の後、全地球的な洪水から方舟(はこぶね)によって保護され、神の見地から見て悪が一掃され清められた地上に方舟から降り立ったノアとその家族に、神は次のように言われる。

「神はノアとその子らとを祝福して彼らに言われた。『生めよ、ふえよ、地に満ちよ。地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、海のすべての魚は恐れおののいて、あなたがたの支配に服し、すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。さきに青草をあなたがたに与えたように、わたしはこれらのものを皆あなたがたに与える。しかし肉を、その命である血のままで、食べてはならない。あなたがたの命の血を流すものには、わたしは必ず報復するであろう。いかなる獣にも報復する。兄弟である人にも、わたしは人の命のために、報復するであろう。」

(日本聖書協会 口語訳 創世記9章1~5節)

エデンにおいてアダムとエバが創造されてから、ノアの洪水まで、人間の食料として神によって許可されていたものは「青草」であったことがここに記されてある。(別の翻訳で「緑の草木」と訳されているものもある。)

聖書の示すところによればノアの洪水の前までは、植物や果実を食料としていたことがわかる。肉食はノアの洪水の後である。

ここで注意したいのは「しかし、肉を、その“命である血”のままで、食べてはならない」という言葉である。

「命である血」とあるが、聖書には、一貫して「命=血」と見做す神の見方が示されている。血は命の象徴として用いられている。血は、神によって神聖視され、特別なものと見做されており、特別なもの・神性なものと見做すべきことが神の民には求められていた。

人間は、神の意思を考慮に入れて血を用いるべきであって、勝手に用いることがあってはいけないということを聖書は一貫して示している。

 

では、屠殺した動物の血はドノヨウニ取り扱われたかというと、後の時代、モーセを通してイスラエル民族に与えられた律法のなかに次のように示されている。

「イスラエルの人々のうち、またあなたがたのうちに宿る寄留者のうち、だれでも、食べてもよい獣あるいは鳥を狩り獲た者は、その血を注ぎ出し、土でこれをおおわなければならない。

すべての肉の命は、その血と一つだからである。それで、わたしはイスラエルの人々に言った。あなたがたは、どんな肉の血も食べてはならない。すべて肉の命はその血だからである。すべて血を食べる者は断たれるであろう。」(レビ記17章13,14節 口語訳)

イスラエルに住む者たちは、動物を食べる場合、殺す際に出る血を地面に「注ぎ出し、土でおおう」ことが求められた。

血を地面に注ぐ行為は、「神の足台」(イザヤ66章1節)と見做されている大地に血を注ぎ出すことであり、それは、命の源であり、命を顧みておられる創造者に命をお返しするという象徴的な行為を意味していた。

このような規定は、神の民の間で、命を特別なものと見做して重んじる態度を培うものとなり、動物の命とその与え主である創造者へのふさわしい敬意を保たせたにちがいない。

 


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