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滑落死・救急活動・阿波踊り [生き方・人生]

最近2度入院した。カテーテルと内視鏡による最新・細心の医療の提供を受けた。

そういう医療を受けた目でニュースを見ると違和感を覚えることがある。山で滑落して亡くなった話を聞く。命を捨てるつもりで高峰に向かうわけではもちろんないはずだが、可能性として落命する場所に足を運ぶ。そして、重力の法則にしたがって落ちる。なんらかのかたちで医療を受ける。が、即死も多い。

かたや医療従事者が懸命の思いで助けようとする命があるなか、足を一歩ふみはずしてあえなく落とす命もある。

当方の違和感とはつまり「医療って何だろう」という素朴な疑問のようだ。

最近『川越救急クリニック』の動画を見た。埼玉は医師が他県にくらべ少ないのだそうだが、そうした中で24時間急患を受け入れるクリニックの活動に焦点を合わせている。医師、看護師、救急救命士たちの奮闘はすばらしい。

【密着】24時間命を守る!“救急クリニック” 医師たちの奮闘 『every.特集』
https://www.youtube.com/watch?v=KZnH4kCOjD0

だが、その奮闘は、見ようによっては、自分の力を発揮できることに生きがいを感じてのことなんだろうなと思う。これは、もっと平たく言うと、「好きでやってんだよな」ということになる。

こういう結論にもっていくつもりはなかったが、書いていると思わぬ方向に思いが運ばれることがある。そんなことを書いたら医療従事者の尊い仕事を軽んじることになりそうである。

とはいえ結局のところ、煎じ詰めるとやはり「好きでやってんだよな」ということになりそうである。少なくとも当方にはそう見える。

好きで山に登って滑落しヘリコプターで運ばれてきた阿呆(登山に興味がまったくない人から言わせれば、タダの阿呆である)を懸命に救う医師もまた好きでければ務まらない仕事だろう。外科医に関しては10時間立ちっぱなしで手術などという気の遠くなるような話も聞く。

ある活動の尊さを自己犠牲によるものかどうかで計る考えがある。(もちろん自己犠牲であるだけでなく、他を利するものである必要があるが)その尺度でいくなら犠牲の多い活動の方が尊いことになる。ところが、周囲から犠牲の多いと思われる活動に生きがいを感じ、満足している人もいる。要するに、好きで自己犠牲をやっているわけである。これもまた、考えようによっては、好き好んでフツウの人であれば敬遠することに、進んで関わりあいをもっている阿呆である。

なんだか阿波踊りのような話になってきた。

「踊る阿呆に、見る阿呆、同じ阿呆なら、踊らにゃそんそん」である。

なんだかよくわからなくなってきたが、なんであれ本当に好きなことをやっている人は(阿呆であれなんであれ)活き活きしていて、傍目から見て魅力的ではある。

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