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ダ・ビンチの素描と鏡文字(小佐野重利著「絵画は眼でなく脳で見る」から) [アート・美術関連]

レオナルド・ダ・ビンチの素描や鏡文字について、これまでも当該ブログに書いてきた。

「レオナルドxミケランジェロ展」の案内パネルには次のように記されていた。「Dicegno ディゼーニョという言葉は、文字通りデッサンやドローイングを意味するだけでなく、まだ頭の中にあるアイデアや構想、つまりデザインも意味していました。頭に浮かんだイメージが、素早く正確な形になって現れるのが、素描であり、そのため素描には、しばしば完成品では失われてしまうような生まれたばかりのみずみずしい形や活き活きした線が見られます」

レオナルドxミケランジェロ展(三菱一号館美術館)から
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2017-09-04

《 レオナルド・ダ・ヴィンチの「解剖手稿A」 》
https://kankyodou.blog.ss-blog.jp/2018-07-24

みすず書房から出版された 小佐野重利著「絵画は眼でなく脳で見る」に、ダ・ヴィンチについて記されている。以下は、その素描と鏡文字に関する部分。

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一般に、言語を司る機能領野が左脳に偏る場合が多いという事実はあるが、この実験結果から、言語機能のすべてが片側の脳半球に偏在してはいないこと、左脳と右脳を連結する太い神経線維の束(脳梁)によって左右の脳が連結、協同していることが裏付けられる。特に、左利きの頭頂葉の活動についてみると、左手で鏡文字を書くときは左脳だけが活動し、利き手でない右手で鏡文字を書くと左右の脳が活動したということは、右利きの人より、左利きの人の方が脳部位をバランスよく、かつ一部位だけに負荷をかけないようにして活動させていると推測される。

レオナルド自身が両利き(左手が利き手で、右手でも筆記ができるという意味)であったと仮定しても、左手による鏡文字の筆記は彼にとっては、右手による普通文字よりも素早く書けたし、また読みの速度も速かったのではないだろうか。というのは、1983年には、左利きの左手による鏡文字による筆記およびその読みの速度が右利きによる鏡文字の筆記および読みの速度より早いことや、左利きの利き手による鏡文字の筆記には右手による鏡文字および右利きの鏡文字より書き間違い(書き損じ)が少ないことが報告されているからだ。

レオナルドの『絵画論』のなかの素描理論で特に有名なのが、構図上の着想をスケッチする際の迅速かつ粗放さを勧める文章(出典略)である。「物語を素描(スケッチ)するには迅速でなくてはならず、また人物の四肢もあまりに仕上げられていてはならない。ただ四肢の配置だけで満足しなさい。そうすれば暇なときに気に入るとおりに、それを仕上げることができる」と。

同じことが、彼の脳裡に浮かんださまざまな着想を書き記した鏡文字による手稿にもいえよう。たしかに、レオナルドの境遇(公証人の庶子)と左手の反転文字との関係を論じることは一理あるが、それだけではあるまい。西洋における読書習慣が中世末に大転換を迎えたことはよく知られている。いわゆる音読から黙読に変わるとともに、書記法にも単語の区切りや草書(筆記)体の創出が見られた。まさにレオナルドの時代は、書記行為は知性の営為に直結していた。しかも、脳裡に浮かぶ着想は、瞬時に消え去る傾向がある。画家の書記行為は思いついた瞬間に脳裡から消え去る着想を迅速に書き留めることであった。このためには、すばやく書き記すことが必要であり、レオナルドにとっては左利きの利点を活かして右から左に、しかも字画を反転させて文字を綴ることが、より効率的であった。事実、彼の書記の内容は時には極めて簡潔な問いや他愛のない思いつきであり、また同じような内容が時を経て再び書き留められている。すなわち、自らのメモを「素早く」読み返し、その同じ論題を観察と実験を通して再考し、書きとめ、より真理に近づこうとするレオナルドの知性の営みが浮かび上がる。/ やや脱線したようだが、例えば・・・

(以上「終章 実験美術史の試み 科学的調査や分析化学を取り込んだ実験美術史の可能性」p113-115から)

絵画は眼でなく脳で見る――神経科学による実験美術史

絵画は眼でなく脳で見る――神経科学による実験美術史

  • 作者: 小佐野重利
  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 2022/04/12
  • メディア: 単行本




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