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警察に「青切符」を切られる(通行禁止違反・禁止場所・右折)

一昨日、友人の家に向かうために、いつも通る道を右折すると、警官が立っていて、おいでおいでをしている。

そこは、坂を登り切ったところにある十字路で、橋をわたりさらに100㍍ほどいくと小学校がある。橋の手前を川に沿って右に曲がるとゆるやかな下りになっている。警官に招かれるまま、そこを30㍍ほど入ったところで車を停める。

珍しいところで検問をしていると思った。免許証を提示してそれで済むものと思った。

ところが、窓を開けると、若い警官が「標識を見ませんでした?」という。見ていないと言うと、通学路の下校時間に合わせて午後3時から4時半まで右折禁止になっているという。

いつもいろいろな時間に通っているがまったく知らずにきた。「そんな標識あるの?」と言うと、「戻って見てみましょう」という。それで、車を降りてついていくと、確かに十字路に標識は立っている。坂を上がってくる目線からいって位置がすこし高く感じる。坂を上がること、右折すること、人の通行があればそちらに注意がいって、見落としていたようだ。

警官は、右折禁止であるのに、ここの道を入ってくる方が多いので取り締まりをしていると言う。警官は3人いて、他のひとりは当方の先に停車した運転者と話をしている。ちょうど坂を降りきったあたりに車1台分程度のスペースがあり、そこで足留めされている。

警官は、「ゲンニン」という言葉を繰り返して、「ゲンニン」した以上、立場上それに応じた処分をせざるを得ないと言う。どうも警察用語であるらしい。「現認」のようだ。たとえ、自分の身内であっても「現認」した以上、処分せざるをえないのだと言う。

標識を見落としたとはいえ、禁止されている行為をしたので、違反は違反である。「(反則金は)いくらなの」ときくと、「7000円」と言う。最低賃金900円として8時間の労働、一日分がふいになる。

「進入路の手前にいて手を交差するなどして侵入しないよう教えてくれればいいのに」と言うと、「3時前、10分ほど立っていた」と言う。それでは、まるで、右折禁止の交通規制が始まると同時に、十字路を下った場所で待ち構えていたということになる。目的は、あくまでも違反者検挙であることが分かった。「なんだ小遣い稼ぎか、点数稼ぎなんだ」ということを思わず言ってしまう。

本来であれば、そうではなく、規制時間中十字路に立って、下校する子どもを見守り、誤って侵入しそうな車があれば、入らないよう注意したり指導するのが仕事であろう。ところが、そうではなく、侵入してくるのを待って「青切符」を切る。当方に言わせれば、本来の自分の職務を怠って、その責任を転嫁しているようなものである。

指導警告で放免されることを願ったがダメであった。あくまでも「ゲンニン」の一点張りである。納得がいかないことを伝えると、そうであれば、「もっと時間がかかりますよ」という。パトカーで拘束されることが示唆される。「受け入れないとどうなるの」と言うと、刑事事件として扱われるという。反則金を払えば、それで刑事事件扱いは免れると言う。言葉遣いは丁寧であるが、警察の権威を借りて脅されているような気分である。

面倒くさくなって、免許証を渡す。30分ほどたって、「交通違反告知書・免許証保管証」なるものを持ってくる。「青切符」である。当方は、実物をはじめて見る。事故らしい事故は、自転車の高校生にぶつけられたことがあるだけだ。その時も切符をきられた記憶はない。徐行して本屋をさがしている当方の車のフロント部分に、停止線、停止標識を無視して、高校生がぶつかった。あとで、車の前をすり抜けられると思ったと彼は言っていた。午後2時から夜8時ほど警察署に留められた記憶があるが、なんのお咎めもなかったように思う。その時以降、無事故無違反である。平成24年に「自動車安全センター」に発行してもらった「無事故無違反の証」には「平成5年5月27日から」とあり、そこには『19年』と記されている。現在までであれば約30年ちかい。

以前、パトカーに停車させられたことがある。深夜ということもあって、なにかの不審人物と見做されたようだ。一瞬だが、サイレンまで鳴らされた。その時、免許証を提示すると「なんだゴールドじゃないか」と(犯罪とは関係ないのだから当然だが)すぐさま放免された。

以前、わが家の横に停めていた車を当て逃げされたことがある。その時、知り合いのご老人(元警察署長、元警察学校長)に電話すると、ひとこと「交通課長に相談なさい」と言う。警察に出向いて相談すると、それまでなかなか動いてくれないかなかった警察が動いて解決したことがある。当て逃げなど、ちいさい事件事故はめんどうくさいようだ。それ以来、交通問題でなにかあれば交通課長という言葉がひらめく。

それで、のちのちに備えて、警官たちと交通課長の氏名を尋ねた。すると、取り締まりに当たっていた3人の警官はすぐ近くの交番に勤務していることが分かった。わが家もその交番の「巡回連絡」の担当区域になっている。警察官が、通学時間に交差点に立って、子どもたちを見守る場面がTVで放映されることがある。横断歩道を渡るときには警棒をもって自動車の面前に立って、子どもたちを保護する。ほほえましい光景である。そのような仕方で、現場に立ち、指導警告して欲しかった。

ところが、そうではなく、下校時間に合わせて指定されたと思われる時間に、潜むようにして待っていて検挙することを善しとした。違反者の検挙は多少なりとも規制の大切さを地域住民に知らせるものとなり、その福祉に貢献するかもしれないが、同時に、違反者も地域住民である。火が熱いことを教えるために火傷まで負わせる必要はない。しかも当日、子どもたちが下校してきたのは4時ちかくになってからである。地域ボランティアの老人が交差点に立つために、当方と警官の横を歩いていった。つまり、3時からの規制開始も、指定するには早いように思われる。もし規制時間が4時からであったなら、当方が検挙されることもなかった。

昨日、おなじ時間帯に出向いて観察すると、まとまって歩く子どもの姿はない。今日は休日かと思ったほどだ。その車道の幅も狭すぎるわけではない。交互通行が十分できる。一昨日、当方が車輛の横で警官と話している横を他の車両が徐行しつつ通り過ぎていった。坂道であり、子どもをみかければ自ずと徐行する。規制時間中10台ほどあった。そもそも規制をかける必要のある道だろうかと当方には思える。

「青切符」をもらった後で、警察の取り締まりについて調べると理不尽で不当な取り締まりがまかり通っていることが分かった。それで、憤慨している方の少なくないことも分かった。警察が、市民の安全や福祉、利益のために身を挺するというのはタテマエであって(実際にそうしてもいるが)、ウラのあることも分かった。

以下の記事をみると、今回当方が経験したことと重なる。地域住民のために働く敬愛されてきた交番の「おまわりさん」、「世界に誇る交番」がノルマ達成のために地域住民を(少々言葉がわるいが)食い物にするまでになってしまった。そうなったのは「反則金」として徴収されたカネが名前を変えて、自治体に交付される「交通安全対策特別交付金」のためのようである。それは、標識など交通安全施設拡充のためということになっているが、実際のところは警察の天下り先を潤すものとなっているそうなのである。

本来あるべきものが、あるべきところから外れ、あるべきそもそもの姿を示さないと言うのは、要するに腐っているということになろう。上は皇室から下は交番まで腐ってしまった。困ったものである。

自分の犯罪を棚に上げてよく言うよと叱られそうだが、このたび当方の身から出たことは、規制を犯した以上犯罪にはちがいないのだが、犯罪を犯したというより、なにか不運な出来事に巻き込まれた、はめられたという気分の方が大きいのである。

国家権力を使った "交通違反取り締まり"という名の弱いものいじめ!警察の本当のあるべき姿とは?
https://ameblo.jp/u-taka-jp/entry-12493048876.html

交通違反で理不尽な取締りが多い理由は交付金?
https://xn--110-rf4b302pzd3bcnm.com/road-traffic-law/reasons/

世界に誇る日本の交番
https://nezu3344.com/blog-entry-3380.html#more

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