親子で陽性、5日で子は3.5キロ減…コロナで広がる経済格差「貧困家庭」放置の理由 [ニュース・社会]
先の更新で長々しい記事を書いた。それを書いた動機の一つに以下の記事を読んだことがある。
親子で陽性、5日で子は3.5キロ減…コロナで広がる経済格差「貧困家庭」放置の理由
9/7(火) 7:02配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/b6357c561f169088b3339ba2d048a2e6096098b0
本来、その記事は、『現代ビジネス』に掲載されたものだ。それをヤフー・ニュースが転載している。ヤフー・ニュースの方には、コメント欄があって、皆さんいろいろな意見を述べている。
最近、メンタリスト某氏が「生活保護」について発言して炎上したと聞く。実際、困っていてどうしようもない人はいるわけである。その状況から、いわゆる「自業自得」と思える場合もある。しかし、目の前で倒れる人がいる場合、放っておけるだろうか。
「隣人愛」の大切さが聖書に説かれる。その中にイエス・キリストの話した「サマリア人のたとえ」がある。行き倒れた人を助ける話だ。理由はともかく、その倒れた人を見過ごすことなく、見捨てることのなかった人が、その人の「隣人」であると、イエスはたとえを用いて諭した。
https://wol.jw.org/ja/wol/b/r7/lp-j/nwtsty/42/10#study=discover&v=42:10:29-42:10:37
しかし、実際のところ、どうだろう。できることなら他者と関わりあいになりたくない、かかわって面倒なことに巻き込まれたくない。まして、見知らぬ人であればなおさらだと思う人は少なくない。それは、今に限らず、むかしからそうだろう。そうだからこそ、サマリア人の善良さがこころに響くものとなるのだろう。
今、脈絡なく、思い出したことがある。以前に聞いた孔子の話をである。目の前を通り過ぎる飢えた一頭の牛の話をである。その話をしてくれたのは故・加藤周一氏。きっと『論語』からの引用なのだろう。それもこころに響くものであった。
話は尻切れトンボだが、また、長くなるので、これで・・・
古賀茂明氏の提示したガンジーの言葉から
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2015-04-01
以下、当方未読
親子で陽性、5日で子は3.5キロ減…コロナで広がる経済格差「貧困家庭」放置の理由
9/7(火) 7:02配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/b6357c561f169088b3339ba2d048a2e6096098b0
本来、その記事は、『現代ビジネス』に掲載されたものだ。それをヤフー・ニュースが転載している。ヤフー・ニュースの方には、コメント欄があって、皆さんいろいろな意見を述べている。
最近、メンタリスト某氏が「生活保護」について発言して炎上したと聞く。実際、困っていてどうしようもない人はいるわけである。その状況から、いわゆる「自業自得」と思える場合もある。しかし、目の前で倒れる人がいる場合、放っておけるだろうか。
「隣人愛」の大切さが聖書に説かれる。その中にイエス・キリストの話した「サマリア人のたとえ」がある。行き倒れた人を助ける話だ。理由はともかく、その倒れた人を見過ごすことなく、見捨てることのなかった人が、その人の「隣人」であると、イエスはたとえを用いて諭した。
https://wol.jw.org/ja/wol/b/r7/lp-j/nwtsty/42/10#study=discover&v=42:10:29-42:10:37
しかし、実際のところ、どうだろう。できることなら他者と関わりあいになりたくない、かかわって面倒なことに巻き込まれたくない。まして、見知らぬ人であればなおさらだと思う人は少なくない。それは、今に限らず、むかしからそうだろう。そうだからこそ、サマリア人の善良さがこころに響くものとなるのだろう。
今、脈絡なく、思い出したことがある。以前に聞いた孔子の話をである。目の前を通り過ぎる飢えた一頭の牛の話をである。その話をしてくれたのは故・加藤周一氏。きっと『論語』からの引用なのだろう。それもこころに響くものであった。
話は尻切れトンボだが、また、長くなるので、これで・・・
古賀茂明氏の提示したガンジーの言葉から
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2015-04-01
以下、当方未読