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神風特攻は作戦として成功していた [歴史雑感なぞ]

神風「特攻隊」は、「当たって砕けろ」の代名詞、さくらのように綺麗に散るばかりのものと思っていた。

ところが、たいへん成功した作戦であったのだという。

世界が語る神風特攻隊
https://www.youtube.com/watch?v=EHZYOPI89SY

アメリカからみた【神風特攻隊(kamikazetokko)】第二次世界大戦
https://www.youtube.com/watch?v=evC_UP-J6ME

Kamikaze In Colour
Documentary about kamikaze pilots.
https://www.youtube.com/watch?v=VNeu_DgJG6Y&t=248s

どうして、成功の面が語られてこなかったのだろう。平和憲法下の日本において、戦争忌避のために口を封じてきたのだろうか。もちろん、フツウの軍事作戦ではない。そのこともあって、高く評価することが憚られてきたのだろうか。

以下のWikipedia記事をみると、艦船に体当たりした個人の名前もでている。彼らの犠牲は、決して「犬死」ではなかったということになる。しかし、それはとりもなおさず、相手(敵)方にとっては損害犠牲もたらした憎いヤツということになる。

個々の艦船の犠牲について示す記述(備考欄)をみていくと、憎つき特攻兵への彼らの態度が記されていて興味深い。

スポーツマンにはスポーツマンのこころが分かるように、武人には武人のこころが分かるということだろうか・・・

特攻で損害を受けた艦船の一覧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%94%BB%E3%81%A7%E6%90%8D%E5%AE%B3%E3%82%92%E5%8F%97%E3%81%91%E3%81%9F%E8%89%A6%E8%88%B9%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7


ミズーリ
1945年4月11日に石野節雄二飛曹の搭乗する零戦が突入、石野の遺体の一部が艦上に残された。ミズーリの艦長であるウィリアム・キャラハン大佐(第三次ソロモン海戦で戦死したダニエル・J・キャラハン少将の弟)は「祖国のために命を投げうってその使命を敢行した勇敢な男には、名誉ある水葬をもって臨むべきである。死した兵士はもはや敵ではない。翌朝、勇者の葬儀を執り行う」と石野を称賛し、異例とも言える敵兵の水葬を行った。その際わざわざミズーリの水兵が手作りで作った旭日旗で石野の遺体を覆って、礼砲まで撃っている。[30][31]

神風特攻隊 ミズーリ突入の軌跡
https://www.dailymotion.com/video/xuxje9

エセックス
1944年11月25日、神風特別攻撃隊第3香取隊の彗星艦爆が命中した。突入直前にエセックス乗組員が撮影した写真に写っていた尾翼の機体番号17により、突入したのは山口義則一飛曹(操縦)酒樹正一飛曹(偵察)の乗機と判明[37]。

エンタープライズ
1945年5月14日に富安俊助中尉搭乗の零戦がほぼ垂直に前部エレベーターに突入、そのまま5層の甲板を貫通して爆弾は艦の奥深くで爆発した。爆弾が爆発した場所に弾薬や燃料がなく誘爆はしなかったが、破孔ができ大量に浸水し船首が一時3m沈下した。[45] その後、海軍工廠で修理とオーバーホール中に終戦を迎えた。「ビッグE」という称号で呼ばれたり、日本側より6回も沈没と報じられたため「オアフ島の岸壁を走る幽霊」というあだ名が付いたエンタープライズを戦線離脱させ、[46] 米海軍関係者から、エンタープライズに特攻した富安中尉に対して「これまで日本海軍が3年かかってもできなかったことを、たった一人で一瞬の間にやってのけた。」と称賛の言葉が送られている。[47] エンタープライズはその後、復員船として運用された後に解体された。

【永遠の0】宮部久蔵のモデル、富安俊助
https://www.youtube.com/watch?v=nSXUPatpZus

バンカー・ヒル
1945年5月11日に小川清少尉と安則盛三中尉搭乗の零戦2機が、搭載していた500kg爆弾を投下後に突入。甲板上の艦載機が次々と誘爆し、船体に深刻な損傷を受けて戦線離脱を余儀なくされた。バンカー・ヒルはピュージェット・サウンド海軍工廠で修理を受けた艦船の中では最悪の損傷レベルであり[48]、修理後に復員船として運用された後は退役された。他のエセックス級空母が近代化改装を受け後年まで活躍する中、同型艦のフランクリンと共に近代化改装されることもなく、電子実験のプラットフォームなどに利用された後に解体された。[49]

特攻 空母バンカーヒルと二人のカミカゼ【神風特別攻撃隊】
https://www.youtube.com/watch?v=eMsClK2fykI
https://www.youtube.com/watch?v=kBN-cEkuPBE

ベローウッド
攻撃発進途中で戦闘機8機が緊急発進した直後に特攻機が艦攻が並んでいる飛行甲板上に命中、ベローウッドの飛行甲板上の艦攻と爆弾が次々と誘爆し、残存の艦攻と艦爆26機全部が全損するなど甚大な損害を受けた。ベローウッドはその後修理を受けて九州沖航空戦に参加、特攻時は離艦済みで難を逃れていたベローウッドの戦闘機部隊が、野中五郎大佐率いる第一回桜花神雷部隊を迎撃し、桜花部隊全滅に大きく貢献している[54]。

スワニー
植村眞久大尉率いる神風特攻大和隊の零戦1機が、スワニーの雷撃機着艦作業中を狙って高度1,000mから急降下して前部エレベーターに突入、零戦は飛行甲板を貫通し格納庫で爆発した。スワニーは沈没こそ逃れたが、アメリカ軍の被害状況報告書には「本艦設計の際に考慮されていなかった程の甚大な損傷である」と記述されている。[56]

マニラ・ベイ
艦橋構造部基部に命中した零戦が甲板を貫通し無線室で爆発、艦載機にも引火して一時は大火災となったが、艦長が昨日特攻による火災で沈没したオマニー・ベイの事例をよく調べ対策を講じており、火災を速やかに消火し、24時間後には航空機の発着が可能になるまで復旧させた[59]。命中した特攻機は本艦水兵が保管していた遺品により 半世紀ぶりに第十八金剛隊丸山隆中尉機と判明した[60]。

ルイビル
フィリピン戦では第7艦隊・第77.2任務部隊旗艦であったが、特攻攻撃により司令のセオドア・チャンドラー少将が戦死した。また命中したのは神風特攻旭日隊吹野匡中尉と三好精策少尉搭乗の彗星であったことが、ルイビルの元乗組員が持ち帰った破片から判明した[65]。アメリカ本国での修理完了後、1945年5月28日に第3艦隊の幕僚を乗せて沖縄に到着し艦隊に復帰していたが、6月5日に再度特攻機が命中、ボフォース 40mm機関砲の機関砲座と水上機用カタパルトと煙突が破壊され、9名が戦死37名が負傷した。ルイビルは再び修理のために本国に後退し、終戦時も修理中であった[66]。

オーストラリア
軽微な損傷を含めると5回(6回という説もあり)の最多の特攻被害艦、一回目は神風特攻隊「ゼロ号」の男こと久納好孚中尉機とも言われている[70]。1回目の命中の際には エミール・デシャニュー(英語版)艦長とジョン・レイメント副官が戦死している。修理のためにオーストラリア本国に帰還したが、オーストラリアの造船所はイギリス海軍艦艇の修理を優先的に行うこととなっていたので、イギリス本土の造船所に本格的な修理と改装のために回航されて、終戦まで復帰できなかった[71][72]。

自ら命を絶つのは美しい?
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2006-08-25

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