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その2 向田邦子『女正月』(1991年)を見る  [ドラマ]

向田邦子新春シリーズ『女正月』(1991年)
https://www.youtube.com/watch?v=4c_WeKz8cjk&t=550s

昨日につづいて『女正月』の覚書

このドラマは、いろいろな括り方ができるように思うが、ひとつには、「凡庸に思えた男を、見直す話」とまとめることができそうだ。

凡庸な男:田久保誠一役を岸部一徳が演じている。長女:いち乃(田中裕子)の夫である。亡くなった父親の友人の世話で、見合いして結婚した相手だ。話題に乏しく、おもしろい男ではない。弟のうけもわるい。しかし、家族にいったん事が生じると助けとなって奔走する。軽んじられても怒らない。妻の家の感情問題には、時をわきまえ、首を突っ込まないだけの優しさも持ち合わせている。

田久保の凡庸さを際立たせるようにオモシロイ男が登場する。話題が豊富で面白くはあるが、うさんくさくいけ好かない男:中原役を小林薫が好演している。

いち乃は、中原と関わらざるを得なくなる。中原が、妹まき恵(南果歩)と結婚することになったからである。まき恵の将来を気遣い、さらには、中原を慕う弟のことを心配して、中原と関わらざるを得なくなっていく。そうした中、中原につけこまれる。

いち乃には、秘密があった。家族のなかでそのことは母親(加藤治子)しか知らない。心中事件に巻き込まれたのだ。ただの作家と編集者との関係にすぎなかったが、巻き添えにされたのだ。男は死に、自分は生き残った。そのことは、いち乃の古キズとなっている。

そのキズを思い起こさせて中原はいち乃を苦しめる。中原は、治安警察の犬として反体制作家を追い詰め、反体制作品を出版をした会社を取り潰すことを画策している。いち乃と心中を図ろうとして自殺した男は、中原が追い詰めて殺したようなものだ。それはとりもなおさず、いち乃の古キズの原因でもある。

ドラマのなかで、一番の見どころは、中原をめぐっていち乃と次女:まき恵が感情的に激しくぶつかるところだ。そこで、母親は「知らないでいいこともある」と止めるが、いち乃は自分の秘密を泣きながら妹に打ち明ける。妹はそれを聞き、反発していた姉を理解するとともに、一緒に泣くことになる。愛する者たちは、良いことも悪いことも、いずれなんらかのカタチで分かち合うことになってしまう。そこに、田久保がやってくる。妻を心配して迎えにきたのだ。だが、玄関で女たちの泣き声を聞いて、家に上がらずに黙って帰る。三女(ドラマのナレーション役)はその様子を見て、「たぶんはじめて田久保さんのことを好きにな」る。
1:08:22~1:13:16

いち乃は、弟から中原は殺されるかもしれないと聞く。そして、中原が自分から死ぬかもしれないと考える。それ以降の二つの場面は、当方には、ドラマのなかで事実として描かれているというより、長女の「(白日)夢」のように思われる。それまでの中原と長女のやりとりをみると、中原の元へは出向かないように当方には思われるからだ。このあたりになると、脚本家の手を離れてドラマそのものが勝手に動いているように感じる。それだけ頭でこねくったのではない、迫力を感じる。
1:18:46~1:29:50

いち乃は、中原のもとを訪れ、心中しかねない状況になる。そこに、母親がやってきて、娘を目ざめさせる。

それから、いち乃と夫が面と向かって二人だけで話し合う場面がある。そこで、夫は妻に問う。それに対して妻は、夫に遠慮していること、自分には負い目があることを夫に告げる。貴方はいい人で、自分のようなものと、結婚してくださったことに感謝していると言う。田久保は、それに対して、感謝は要らない。わたしのことを好きになって欲しいと言う。

自分への遠慮や感謝の根っこにあるのは、古キズの負い目であることを夫は見抜いている。それは、良好な人間関係を妨げる。「感謝はいらない」というのは、そんな「負い目」は忘れてしまいなさいということだろう。

それはとりもなおさず、別な言い方をするなら、自分はいっさい気にしていない。それが事実でも、自分は「ゆるす」ということだろう。

中原が、いわば古キズを根拠に「ゆする」ようにしていち乃に働きかけたのとは、対極である。

「ゆする」人間は卑小である。そして、「ゆるす」ことのできる人間は大きい。


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