SSブログ

向田邦子新春シリーズ『麗子の足』(1987年) [ドラマ]

向田邦子新春シリーズ『麗子の足』(1987年)
https://www.youtube.com/watch?v=XbAf71ibOIM

以下、上記ドラマを見ての覚書。

昨日更新した『女の人差し指』が「※」であれば、本作品は「※」の2乗だ。腹が立つ作品である。おなじ脚本家である。やはり同じ人物からは同じようなものしか出ないとみえる。

象徴表現を用いたと考えることもできるが、下品である。『女の人差し指』では強姦被害に、こちらでは危うくそうなりそうな状況から始まる。

主人公(田中裕子)はお茶の水女子高等師範学校を出て府立中の数学教師、26歳という設定だが、ドラマ中、役柄として示され感得されるものは、一言でいえば「幼稚」性である。当方は、昭和30年代の女教師の身にまとった雰囲気を知っている。優しさを感じたことはない。男が女装している、そんな感じだった。小学校の女教師でさえ、そうである。戦前の女教師が、しかも中学で数学を教えている教師が、本作品でみるように幼稚なはずはない。戦時中、女子高等師範をでて、子どもたちを戦地に送り出すことも念頭において生活せざるをえない状況にあった教師たちを、こんなに惰弱な品性で描かれては困る。病床にある父親への私的な手紙を職員室で書く場面がある。まずありえないことに思う。公私を分ける厳しさがあったように思う。教師はいわゆる「公」の部分であるから、それに反する「私」的な部分(動機や衝動)ももちろんあるにはあるだろうが、それが公の場で前面に出ていることは、幼稚性の一つの表れである。さらにくどいようだが、例を付け加えると、新年のあいさつに伺った祖父の家で酒に酔い、振袖の裾が乱れるほどに酔ってしまうのもありえない。乃木希典夫妻が明治天皇の崩御を受けて夫婦共に自決した時、妻は着物の裾をヒモで縛って乱れないようにしていたと聞く。孫娘にそれを許してしまう祖父、許した従兄、飲んでしまう主人公、みなありえない。

その主人公のいとこ役は「二・二六事件」の指導的役割をもつ人物(陸軍中尉・軍医:永島敏行)という設定になっている。こちらも大いにモンダイありである。「ちょっと変なとこで悪いんだけど」と言って決起直前に女(主人公)を呼び出す。自分が命を賭しており、女の将来を気遣うのであれば、どのような形であれ事件に巻き込むような行動は慎んだはずである。その愛がほんものであれば、まずありえない。この時代の男女の関わり方を示すものとしては、『女の人差し指』で小林薫が演じた婚約者(軍人)のそれ、同じく『我が母の教えたまいし』で演じた婚約者(一般男性)のそれを思い出せばいい。

向田邦子の作品が原案として用いられ脚本家が物語化したものだが、作者は既に亡くなっていない。向田が生きていたらどう評価しただろう。作者の手を離れた作品は、またベツモノという見方で割り切る人もいるが、向田はどうだっただろうか。

ナレーションを担当した黒柳徹子は向田の親友だったという。また、『妻たちの二・二六事件』の著者澤地久枝もそうであるという。黒柳、澤地ら親友たちは、当該作品をどのように評価しただろうか。

『向田邦子の想い出』黒柳徹子・澤地久枝
https://www.youtube.com/watch?v=FaL_VSP9oMY


教師や軍人という表向きの立場のウラに隠された衝動性や欲求、幼稚性をそもそも描きたかったというのであれば、話はまた別になる。戦時体制という特別な状況下にあっても、仮に「聖職」に就いていようが、人間はどこまでいっても人間であることが強調したかったというのであれば、である。しかし、そうであるにしても、もっと上等上品な描き方ができたのではないかと思う。内容からいえば『いとこ同士』『我が母の教えたまいし』も同様の路線であるが、描き方がずっと抑制されている。リアルで上品である。視聴していてドラマの中に入りこめる。芸術性が高い。当該作品は、白い蘭の花を育成する狂人を持ち出したりするなどして象徴性を加え、芸術的であろうとしているように見えなくもないが、結果として失敗した作品としか当方には思えない。

とはいえ、「第24回ギャラクシー賞奨励賞受賞作品」だそうである。
https://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d0231/

???である。


麗子の足 [DVD]

麗子の足 [DVD]

  • 出版社/メーカー: TCエンタテインメント
  • 発売日: 2005/09/22
  • メディア: DVD




共通テーマ:テレビ