SSブログ

1939年朝鮮映画『漁火』を見る [ドラマ]

Fisherman's Fire (1939)
https://www.youtube.com/watch?v=lN0n-YEdVKg

日本統治下の朝鮮映画。

松竹がバックアップして完成したもよう。

日本人が出演したり、日本統治をほのめかす場面はない。

日本語字幕が付いている。だが、すべて読み取ることはできなかった。

ヒロインの恋人が暗唱する詩句の朝鮮語の音韻がうつくしい。

漁村の生活、お祭り、都市(京城)の生活のようすを知ることができる。

ヒロインは、妓生:キーセン(日本で言う「芸者」か?)に身を落とすことになる。その宴の席で用いられる楽器が太鼓であるのはオモシロイ。祭りの場面でも主役は太鼓である。映画冒頭のクレジットが示される部分にも太鼓が描かれている。日本であれば三味線であり笛であろうなと思いつつ見た。

ヒロインをダマした男を友人女性が平手で殴る場面がある。同じ時期の日本映画で女性が男を殴る場面はあっただろうか、とここのところ見ている古い映画を思い出すがパッと出てこない。殴られた男の方も、自分のほおをなでて終わりである。

ヒロインは、田舎(漁村)の女性だ。すでに都市(京城)に住んでいる友人が、都市に出て働いて自立するよう促す場面がある。ヒロインは、それに応じて出向いたものの、結局うまくいかず田舎に帰ることになる。うまくいかない大きな理由は男にダマされたことである。最終的には、田舎にいる恋人と結婚することで落ち着くことになるらしいのだが、その間、都市をさ迷い、自殺を図ったりもする。しかし、全体の印象としては、なんとなく「なんとかなる」という感じが漠然とある。

日本の場合、行き場を失うと「なんとかなる」印象がずっと低い。たとえば、『良人の貞操』のヒロインは、(『漁火』のヒロイン同様にいわば男にダマされたわけだが)婚家から拒絶される。凍てつく窓ガラスから温かい室内にいる幼いわが子をのぞき見しつつ、そのまま凍え死んでしまうかのようにして映画は終わる。

そうした陰惨さが、当該映画にはない。

国民性の問題か?

むかし、日本に鍼灸師になるため留学していた韓国の友人が「日本はお侍の国だが、韓国はお百姓の国だ」と言っていた。朝鮮民族は日本人とは違っておおらかであると言いたいようだった。その「おおらかさ」が、「なんとかなる」ように感得されるのだろうか・・。

漁火
http://www.hf.rim.or.jp/~t-sanjin/anchoryon_isaribi.html

日本統治下の韓国映画:その(2)『迷夢』と『漁火』
http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/post-d41e.html


共通テーマ:映画