テレ朝「卒業」しました。 20年で感じたテレビの変化と報道番組のジレンマ [ニュース・世相]
テレ朝「卒業」しました。 20年で感じたテレビの変化と報道番組のジレンマ10/19(月) 10:16配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/a758fb567189947a8cb208d9e692d4c430498263?page=1
寄稿:長野智子
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E9%87%8E%E6%99%BA%E5%AD%90
記事のタイトルどおりの内容である。
〈2000年春にテレビ朝日「ザ・スクープ」のキャスターとして夢にまでみた報道の世界に足を踏み入れた〉ときから20年が経過し、このたび「卒業」するに至るまでの、テレビの世界を生きてきた寄稿者のナマの経験が示される。
「報道畑の専門職」であるニュースキャスターとスポンサーとの関係 / SNSの浸透による変化 / 番組視聴率が、世帯視聴率から、個人視聴率、そしてコアターゲットに移行しての番組制作への影響 / 〈報道がやるべき本来の「わかりやすく」はとりあえず「とっつきやすく」にな〉ったこと / 現在の報道番組が抱えるジレンマ が記されている。
******以下、記事から引用******
「とっつきやすさ」求められる報道番組
この「やわらかい」とか「わかりやすい」というのが、現在の報道番組が抱えるジレンマかもしれません。
現場で取材をしていて強く感じてきたのは、ニュースは大概「わかりにくい」ということです。白や黒ではなく「グレー」であることがほとんど。アメリカの正義が中東の一部の国・地域の正義とは限らないように、誰かにとっての正解や正義は、ほかの人にとって異なることも多い。そういった「グレー」な事象を、丹念な取材によって導き出される「根拠」で肉付けしながら視聴者に提供していくことが本来の「わかりやすく」という作業です。
しかし、こうした丁寧に時間をかけた報道検証は人手もお金もかかります。できあがった作品も「飽きないように」「短く」「テンポよく」といった今の風潮にそぐわず、視聴者にも集中力や忍耐を求めるもので、結果かかった予算に比較して視聴率がとれないケースも多い。それでも報道機関としてやるべきではという声も当然ありますが、広告収入が激減する環境にあって、そこに力をいれる余裕はありません。
その結果、報道がやるべき本来の「わかりやすく」はとりあえず「とっつきやすく」になります。報道側は「これを伝えるべき」という信念で番組づくりをするというよりは、丁寧な取材も長い説明も必要のない、みんなが知っていて関心を向けているテーマを優先し、様々な立場の人が意見を言うことで見方に深みを持たせようとするスタイルの番組が増えることになりました。
個人的には「それでいいのか」と思うし、同じ気持ちを共有するテレビマンもたくさんいます。しかし一方で時代とともに、社会の映し鏡のように姿を変えてきたのもテレビです。この20年という歳月はまさにテレビ報道が大きく姿を変えた時代と重なってきたように思います。
大きな声だけが響く社会ではなく、埋もれそうになっている小さな声を大きな声にして届けたい。その思いで伝えてきました。その一つ一つの取材を思い起こしながら、感謝の気持ちと同時に、私が憧れ、向き合い、なじんできたテレビ報道のひとつの時代の節目を感じています。
*****引用、ここまで*****
以下、当方未読
https://news.yahoo.co.jp/articles/a758fb567189947a8cb208d9e692d4c430498263?page=1
寄稿:長野智子
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E9%87%8E%E6%99%BA%E5%AD%90
記事のタイトルどおりの内容である。
〈2000年春にテレビ朝日「ザ・スクープ」のキャスターとして夢にまでみた報道の世界に足を踏み入れた〉ときから20年が経過し、このたび「卒業」するに至るまでの、テレビの世界を生きてきた寄稿者のナマの経験が示される。
「報道畑の専門職」であるニュースキャスターとスポンサーとの関係 / SNSの浸透による変化 / 番組視聴率が、世帯視聴率から、個人視聴率、そしてコアターゲットに移行しての番組制作への影響 / 〈報道がやるべき本来の「わかりやすく」はとりあえず「とっつきやすく」にな〉ったこと / 現在の報道番組が抱えるジレンマ が記されている。
******以下、記事から引用******
「とっつきやすさ」求められる報道番組
この「やわらかい」とか「わかりやすい」というのが、現在の報道番組が抱えるジレンマかもしれません。
現場で取材をしていて強く感じてきたのは、ニュースは大概「わかりにくい」ということです。白や黒ではなく「グレー」であることがほとんど。アメリカの正義が中東の一部の国・地域の正義とは限らないように、誰かにとっての正解や正義は、ほかの人にとって異なることも多い。そういった「グレー」な事象を、丹念な取材によって導き出される「根拠」で肉付けしながら視聴者に提供していくことが本来の「わかりやすく」という作業です。
しかし、こうした丁寧に時間をかけた報道検証は人手もお金もかかります。できあがった作品も「飽きないように」「短く」「テンポよく」といった今の風潮にそぐわず、視聴者にも集中力や忍耐を求めるもので、結果かかった予算に比較して視聴率がとれないケースも多い。それでも報道機関としてやるべきではという声も当然ありますが、広告収入が激減する環境にあって、そこに力をいれる余裕はありません。
その結果、報道がやるべき本来の「わかりやすく」はとりあえず「とっつきやすく」になります。報道側は「これを伝えるべき」という信念で番組づくりをするというよりは、丁寧な取材も長い説明も必要のない、みんなが知っていて関心を向けているテーマを優先し、様々な立場の人が意見を言うことで見方に深みを持たせようとするスタイルの番組が増えることになりました。
個人的には「それでいいのか」と思うし、同じ気持ちを共有するテレビマンもたくさんいます。しかし一方で時代とともに、社会の映し鏡のように姿を変えてきたのもテレビです。この20年という歳月はまさにテレビ報道が大きく姿を変えた時代と重なってきたように思います。
大きな声だけが響く社会ではなく、埋もれそうになっている小さな声を大きな声にして届けたい。その思いで伝えてきました。その一つ一つの取材を思い起こしながら、感謝の気持ちと同時に、私が憧れ、向き合い、なじんできたテレビ報道のひとつの時代の節目を感じています。
*****引用、ここまで*****
以下、当方未読