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ま逆 2 (死者の状態とカトリック教会) [スピリチュアルな話題]

昨日、「聖書の見方と世間(世界)一般の見方は大きく異なる」と記した。

昨日の例のほかにも、いろいろある。たとえば、いまは「お盆」で墓参りに行く時期である。亡くなった方たちが帰ってくる時期と信じられている。迎え火や送り火を焚いて死者たちとの交流をもつ。ところが、聖書は人の死後、そのカラダを抜け出る霊魂の存在を否定している。死者に意識はなく、生きている者たちになんの影響も与えることはできないと教えている。伝道の書9章4~6を見ればその点が分かる。聖書の記述の中には、いかにも死者の霊魂がありそうに思える記述もあるが、それは「たとえ話」として語られているにすぎず、事実ではない。
https://wol.jw.org/ja/wol/b/r7/lp-j/nwtsty/21/9#study=discover

ところが、仏教徒でもあればともかく、カトリック教会は聖書を権威として奉じているにもかかわらず、死者のための儀式を行っている。「煉獄」と呼ばれる、死者の霊魂が地獄から天国へいく中間の場所があると主張している。そして、彼らの救済のために、仏教でいう「死者の供養」が必要であるという。つまり、聖書の教えに反する「霊魂不滅」を説き、聖書の教えを事実上退けている。

煉獄
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%89%E7%8D%84

当方の個人的な経験を述べれば、小学生の頃、床屋で見た『少年マガジン』の巻頭特集か何かに「キリスト教では、戦争で死んだ人は、亡くなるとすぐ天国に行ける」というようなことが書いてあった。そこに変わった帽子をかぶった人物の絵が描かれていた。たぶんカトリックの従軍牧師を描いたものだと思うが、「なんだキリスト教って⁈」と思ったのを覚えている。ヘンなことを教えていると思ったのだ。もちろん、そんな教えは聖書にはない。

つまり、一般的にキリスト教の大本山と見なされ、キリスト教を代表しているかに思われているローマ・カトリック教会は、“聖書=「神の言葉」に照らして吟味すれば” ニセモノのキリスト教ということである。第二次大戦のときに、宗教を否定し敵視する共産主義勢力の台頭を抑えるためにナチス・ドイツ、ヒトラーと手を組んだりもしてきた(ナチスとバチカンの間に結ばれた「政教条約」)。それによってユダヤ人虐殺に加担することになった。また、さきほど記したように、従軍牧師を派遣して、戦争に若者を駆り立て、多くの血を流してもきた。世間一般では聖書の教えとキリストを代表するかに見えるだけに、神の前でのその責任は重い。流血の罪を負っている。近い将来、滅びる運命にあることが啓示(黙示録)17章に予告されている。
https://wol.jw.org/ja/wol/b/r7/lp-j/nwtsty/66/17#study=discover


まとめるならば、世間一般の目から見て大いなる存在と見なされているカトリック教会は、聖書的見地(つまり、神の目)からみれば、神とその教えに敵対しているということになる。

つまり、まったく逆である。


舊新約聖書―文語訳クロス装ハードカバー JL63

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  • 作者: 日本聖書協会
  • 出版社/メーカー: 日本聖書協会
  • 発売日: 1993/11/01
  • メディア: 大型本




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