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アマビエは、神様それとも妖怪? [スピリチュアルな話題]

最近話題の「アマビエ」のことだが、もっぱら「妖怪」ということになっている。しかし、疫病の災禍から身を守るために、自分を拝めと言ったらしいから、神様あつかいして欲しがっていたのは確かなようである。

『ウィキペディア』には、次のように説明されている。

【アマビエは、江戸時代後期に製作されたとみられる瓦版に類する刷り物に、絵と文とが記されている。肥後国(現・熊本県)の夜ごとに海に光り物がおこったため、土地の役人がおもむいたところ、アマビエと名乗るものが出現し、役人に対して「当年より6ヶ年の間[注 2]は諸国で豊作がつづく。しかし同時に疫病が流行するから、私の姿を描き写した絵を人々に早々に見せよ。」と予言めいたことを告げ、海の中へと帰って行ったとされる[1]】。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%93%E3%82%A8

神様か、妖怪かというと、人騒がせな仕方で海から現れたというのが、まず妖怪的である。そして、これから「6年間、諸国で豊作がつづき、同時に疫病が流行する」という予言もあやしく妖怪的である。諸国は広く、広い世の中のどこかでは”同時に”豊作も疫病もありそうだ。それらは、広い世の中のいつの時代にも生起していたにちがいない。

ノストラダムスの予言が、そうだと聞くが、いずれにでも解釈できるような怪しげな言葉をのたまうようでは、神様にはなれない。それに、第一、その後の6年間に、アマビエが言うとおりになったという事実は無いようである。それ以前に経験したことがないような、だれもが「これまでにない豊作だ」と意識し、あるいは「疫病だ」と感じられるものが、歴史のなかで起きなければならないと思うのだが、そのような記録は残っていない。ということは、やはりアマビエの予言はハズレタ、イイカゲンであったということになるだろう。

しかし、それにしても、ずいぶんズウズウしいヤツだと思う。直接に「拝め」とは言ってないが、「私の姿を描き映した絵を、見せよ」とは、つまり、「見て、拝め、崇拝せよ」と間接的に要求しているということになる。神様あつかいせよ、ということだ。しかし、その絵を見て疫病を癒されたとか、はやり病全体を世間から実際に終息させて、困った人々を窮地から救ったという話は伝わっていないもようである。フツウ、病気を癒したり、災いを終わらせたりしてくれるというご利益を経験できたので、その結果として人々から神様として祀られるのだろうが、そうした事実はなさそうである。

「私の姿を描き写した絵」とは、今日的に言えば「ブロマイド」、江戸時代なら「役者絵」ということになるだろうか。紙の貴重だった時代である。それを使って、自分を描かせようとするなど、これもまたずうずうしい。自己顕示欲まるだしである。

逆に言えば、よっぽど自己承認欲求がつよいのだろう。泰然自若、安心立命の境地に達していない。他者の注目がないと身の置きどころがない可哀そうな感じがする。つまりは、やはり、妖怪なんだろうなあ、と思う。



ちなみに、聖書のなかにも数々の予言が出てくる。アマビエの「6年」という記述から、『創世記』に出てくるヨセフのことを思い出した。ヨセフは、イスラエル民族の祖(ヤコブ)の12人の息子のひとりで、エジプトに生じる7年の豊作と、それにつづく7年の飢饉を予言をした人物として記録されている。もっとも、その内容をヨセフに伝えたのは神様であると、ヨセフ自身が言っている。その予言がたしかであったので、エジプトでファラオに次ぐ立場についた。モーセによってイスラエル民族が、奴隷状態にあったエジプトから『出エジプト』する前の話である。『創世記』、『出エジプト記』は、単なる物語として読んでも面白い。聖書に親しむはじめとするにはイイ本である。

創世記40、41章にそのくだりがある。以下は41章の記述

https://wol.jw.org/ja/wol/b/r7/lp-j/nwtsty/1/41#study=discover


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