「呼吸だ」 [スポーツなぞ]
ときどき驚きの経験をする。不思議なことが起こる。
けさ、起きる間際、いわゆる出眠時幻覚に類する出来事だと思うが、「呼吸だ」という声を聞いたような気がした。
それで、ボーっと横になったまま、あとで呼吸と運動との関係をネットで調べてみようと思った。その思いのなかには、横綱栃木山のことがあった。勝負の鍵は呼吸だ、呼吸を制するものが勝負に勝つと言ったというのをどこかで読んだ気がし、栃木山本人が述べたのか、栃木山を知る人が述べたのか、あやふやなのである。
それが、今、当該ブログにログインし、管理ページにはいり、アクセス解析をみると、めずらしく「カテゴリ:スポーツなぞ」が、欄の上位にある。どんな記事を見ているのだろうと、クリックすると、自称・他称・多少「年寄り」のための励みにの記事が出た。それは、まさに「栃木山」について書いたもので、起きたら調べてみよう、見てみようと思っていた記事だった。
自称・他称・多少「年寄り」のための励みに
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-05-04
元横綱・佐田の山と栃木山、常陸山
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-05-03
呼吸に関する言葉は、たしか双葉山を回顧する記事で、貴乃花(光司)親方が横綱のころ、『毎日新聞』に掲載されたものだと思う。そこに、桂川 質郎氏が実際に双葉山と取り組んだが、最初から勝てるなどと思いもしなかった、そういう気に自ずとなったものだと記していたと思う。さらに話は栃木山に及んで、その強さの秘密が呼吸だった・・・と、あったのだったように思う。桂川氏はのちに居合道に進んでそちらでも研鑽を重ねた方というので、呼吸について考えるところ、つねづね大であったように思う。
桂川 質郎(「ウィキペディア」)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E5%B7%9D%E8%B3%AA%E9%83%8E
今、「最初から勝てるなどと思いもしなかった、そういう気になったものだ」というのは、その記事を思い起こしながら記しているまでのことなので桂川氏の言葉そのものではない。それでも、そのように書いていて、荘子の「木鶏」の話を思い出した。双葉山は、70連勝を阻まれたときに、「イマダモクケイにオヨバズ」と安岡正篤に打電したという。本人双葉山は、未だ木鶏たりえずの意識を持っていたものの、桂川氏の言うように、実のところ、あいての応戦の気を奪ってしまうほどであったということであれば、木鶏の域に入っていたのではなかろうかと思う。
名横綱双葉山と木鶏の逸話
http://www.chichi-yasuoka.com/episode03.html
と、書いて、「桂川質郎 双葉山」で検索したら、当該ブログの過去記事にソノママの引用文が出ている。新聞は、『毎日』ではなく『日経』かもしれない。いずれにしろ、桂川氏の「敵愾心というのが起こらないんだ。あれが本当の横綱の強さかもしれない」の言葉から推すに、やはり双葉山は木鶏の域に入っていたのだと思う。
朝青龍に見倣って欲しい大横綱 双葉山
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-03-19-1
けさ、起きる間際、いわゆる出眠時幻覚に類する出来事だと思うが、「呼吸だ」という声を聞いたような気がした。
それで、ボーっと横になったまま、あとで呼吸と運動との関係をネットで調べてみようと思った。その思いのなかには、横綱栃木山のことがあった。勝負の鍵は呼吸だ、呼吸を制するものが勝負に勝つと言ったというのをどこかで読んだ気がし、栃木山本人が述べたのか、栃木山を知る人が述べたのか、あやふやなのである。
それが、今、当該ブログにログインし、管理ページにはいり、アクセス解析をみると、めずらしく「カテゴリ:スポーツなぞ」が、欄の上位にある。どんな記事を見ているのだろうと、クリックすると、自称・他称・多少「年寄り」のための励みにの記事が出た。それは、まさに「栃木山」について書いたもので、起きたら調べてみよう、見てみようと思っていた記事だった。
自称・他称・多少「年寄り」のための励みに
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-05-04
元横綱・佐田の山と栃木山、常陸山
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-05-03
呼吸に関する言葉は、たしか双葉山を回顧する記事で、貴乃花(光司)親方が横綱のころ、『毎日新聞』に掲載されたものだと思う。そこに、桂川 質郎氏が実際に双葉山と取り組んだが、最初から勝てるなどと思いもしなかった、そういう気に自ずとなったものだと記していたと思う。さらに話は栃木山に及んで、その強さの秘密が呼吸だった・・・と、あったのだったように思う。桂川氏はのちに居合道に進んでそちらでも研鑽を重ねた方というので、呼吸について考えるところ、つねづね大であったように思う。
桂川 質郎(「ウィキペディア」)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E5%B7%9D%E8%B3%AA%E9%83%8E
今、「最初から勝てるなどと思いもしなかった、そういう気になったものだ」というのは、その記事を思い起こしながら記しているまでのことなので桂川氏の言葉そのものではない。それでも、そのように書いていて、荘子の「木鶏」の話を思い出した。双葉山は、70連勝を阻まれたときに、「イマダモクケイにオヨバズ」と安岡正篤に打電したという。本人双葉山は、未だ木鶏たりえずの意識を持っていたものの、桂川氏の言うように、実のところ、あいての応戦の気を奪ってしまうほどであったということであれば、木鶏の域に入っていたのではなかろうかと思う。
名横綱双葉山と木鶏の逸話
http://www.chichi-yasuoka.com/episode03.html
と、書いて、「桂川質郎 双葉山」で検索したら、当該ブログの過去記事にソノママの引用文が出ている。新聞は、『毎日』ではなく『日経』かもしれない。いずれにしろ、桂川氏の「敵愾心というのが起こらないんだ。あれが本当の横綱の強さかもしれない」の言葉から推すに、やはり双葉山は木鶏の域に入っていたのだと思う。
朝青龍に見倣って欲しい大横綱 双葉山
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-03-19-1