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失言を避ける方法は、たっ「た」の6つ [スピリチュアルな話題]

「今村雅弘前復興相の更迭を巡り、今村氏が所属する自民党二階派の伊吹文明元衆院議長」が、「27日の同派会合で失言を防ぐための注意点として六つの「た」を訴えた。

と、本日の『毎日新聞』p5 に出ている。

それは以下のようなもの。

1 「た」ちば(立場)をわきまえる:有権者に恥をかかせないように

2 「た」だ(正)しいと思うことを言う時

3 「た」にんずう(多人数)がいる時;人によって見方が違うので

4 「た」びさき(旅先)で:旅先・地方でサービス精神から舌をすべらすことがあるので

5 「た」にん(他人)を批判する時

6 「た」とえ話;誤解を招きやすいので

その記事は、つづいて、「この日の自民各派の会合では『緩み』を戒める発言が続出」とある。


記事を読んで思いだしたのは・・・

小学生の頃、転校とともに学級委員長にされた。それは、今から考えると、一種のイジメであったと思うのだが、選任された委員長は、学級運営(?)に熱心に取り組んだ。

ある日の授業中、委員長は、うるさい生徒を叱った。

「先生に、怒られるから静かにしろよ」

とたんに、先生に怒られたのは委員長であった。

「悪いからヤメルのであって、怒られるからヤメルというのはおかしい」。


自民党各派の「緩み」を引き締めることや、6つの「た」の戒めを読むと、どうも小学生の学級委員長の思考レベルを出ていない感がある。失言が「なぜ」ワルイことなのかを深く知ることこそ重要であるように思うのだが、「失言」を招かない方策にのみ思いが走っている。

『六法全書』は年毎に厚みを増していくが、『聖書』の、たっ「た」一つのオキテを・・・

「『あなたは姦淫を犯してはならない。殺人をしてはならない。盗んではならない。貪ってはならない。』そしてほかにどんなおきてがあるにしても、その法典は、この言葉、すなわち、『あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない』に要約されるからです。愛は自分の隣人に対して悪を行ないません。ですから、愛は律法を全うするものなのです。」(ローマ人への手紙13章9,10節)

社会悪の根っこにあるもの
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-02-18


旧新約聖書―文語訳

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