海に落ちた孫を助けようとして(『銀河鉄道・・』『のんのんばあ』『紅の豚』) [スピリチュアルな話題]
海に落ちた孫を助けようとして、祖父が重態というニュースを聞いた。
たいてい犠牲になるのは、溺れた人より、助けようとした方だ。分かってはいても、ついぞ飛び込んでしまうものなのだろう。それでも、この手の話を聞くと、こころ打たれる。
最近も、線路に落ちた人を、助けようとした人が、落ちた人といっしょに亡くなったという話もあった。あとで、落ちた理由が「酔っ払っていて・・」などと聞くと、助けようとした方が、なおさら気の毒でもあり、心を打たれる。
自己犠牲を示す話は、有り難いだけに、こころ打たれるのだろう。
原発再稼働:シナリオは決まっている
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2012-04-25
『銀河鉄道の夜』のカンパネルラも、溺れた友人ザネリを助けようとして、犠牲になったのだったと思う。ザネリがジョバンニをからかったとき、気の毒そうな顔をしたのもカンパネルラだ。たいへん同情的で愛のある人物としてカンパネルラは描かれている。
そのカンパネルラとジョバンニが、銀河鉄道を旅したことになっている。そうして、夢から現実に戻ったジョバンニに届いた知らせが、カンパネルラの死だった。それを、聞かされたのは、カンパネルラの父親からだ。
アルバイトをするために、カンパネルラと一緒に、お祭りに出かけることのできなかったジョバンニが、仕事がえりの丘のうえで眠りに落ちて見た夢が、カンパネルラとの銀河鉄道の旅だった。それが物語りの設定だったと思う。
結局のところ、『銀河鉄道の夜』は、銀河をめぐる孤独の物語なのだろうな・・・。
水木しげるの少年時代を描いたテレビ・ドラマがあった。NHKで放映された。その『のんのんばあとオレ』のなかで、結核を病んで療養のためにやってきた親戚の少女とオレとの関係が描かれる。その年上の都会育ちの少女から田舎者のオレは軽侮されたり、マンガの才能ゆえに尊敬されたりする。しかし、そうした日々に、ついに終りがやってくる。オレは、死をひかえた少女に読んでもらうためにマンガを必死で描く。描きながら眠り込んでしまう。そして、夢をみる。ふたりは二羽のおおきな白鳥の背にそれぞれ乗せられて、天へと向かう。そのうち少女の白鳥だけが、先になり、オレの白鳥はあとを追おうとしない。なぜだ、と問うと、白鳥はこたえる。「あなたにはお分かりのはずです」。そして、夢からさめる。オレは、少女が亡くなったことをのんのんばあから伝えられる。
同じイメージが、宮崎駿の『紅の豚』にも登場する。ポルコがまだ人間だったころ、戦友と一緒に空中戦を戦う。戦友たちの飛行機が上空たかく高度をあげていくなか、自分ひとりだけ取り残される。それら戦友たちは、みな死んでいった。いい奴はみんなポルコを残して死んだ・・・。それを、ポルコはフィオに語って聞かせる。そのとき、フィオがポルコの横顔を見ると、豚のはずのポルコが人間にもどって見えた。
きょうは、日ざしが強く、五月をひかえて紫外線がつよくなるので、注意したいなどと書くつもりが、たいへん暗い話になった。日ざしが強い分だけ、にんげんの影の部分に思いがいたったということなのかもしれない。
(『銀河鉄道の夜』の物語設定のことなど、みんな記憶にしたがって書いているまで。どうぞご注意されたし)。
たいてい犠牲になるのは、溺れた人より、助けようとした方だ。分かってはいても、ついぞ飛び込んでしまうものなのだろう。それでも、この手の話を聞くと、こころ打たれる。
最近も、線路に落ちた人を、助けようとした人が、落ちた人といっしょに亡くなったという話もあった。あとで、落ちた理由が「酔っ払っていて・・」などと聞くと、助けようとした方が、なおさら気の毒でもあり、心を打たれる。
自己犠牲を示す話は、有り難いだけに、こころ打たれるのだろう。
原発再稼働:シナリオは決まっている
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2012-04-25
『銀河鉄道の夜』のカンパネルラも、溺れた友人ザネリを助けようとして、犠牲になったのだったと思う。ザネリがジョバンニをからかったとき、気の毒そうな顔をしたのもカンパネルラだ。たいへん同情的で愛のある人物としてカンパネルラは描かれている。
そのカンパネルラとジョバンニが、銀河鉄道を旅したことになっている。そうして、夢から現実に戻ったジョバンニに届いた知らせが、カンパネルラの死だった。それを、聞かされたのは、カンパネルラの父親からだ。
アルバイトをするために、カンパネルラと一緒に、お祭りに出かけることのできなかったジョバンニが、仕事がえりの丘のうえで眠りに落ちて見た夢が、カンパネルラとの銀河鉄道の旅だった。それが物語りの設定だったと思う。
結局のところ、『銀河鉄道の夜』は、銀河をめぐる孤独の物語なのだろうな・・・。
水木しげるの少年時代を描いたテレビ・ドラマがあった。NHKで放映された。その『のんのんばあとオレ』のなかで、結核を病んで療養のためにやってきた親戚の少女とオレとの関係が描かれる。その年上の都会育ちの少女から田舎者のオレは軽侮されたり、マンガの才能ゆえに尊敬されたりする。しかし、そうした日々に、ついに終りがやってくる。オレは、死をひかえた少女に読んでもらうためにマンガを必死で描く。描きながら眠り込んでしまう。そして、夢をみる。ふたりは二羽のおおきな白鳥の背にそれぞれ乗せられて、天へと向かう。そのうち少女の白鳥だけが、先になり、オレの白鳥はあとを追おうとしない。なぜだ、と問うと、白鳥はこたえる。「あなたにはお分かりのはずです」。そして、夢からさめる。オレは、少女が亡くなったことをのんのんばあから伝えられる。
同じイメージが、宮崎駿の『紅の豚』にも登場する。ポルコがまだ人間だったころ、戦友と一緒に空中戦を戦う。戦友たちの飛行機が上空たかく高度をあげていくなか、自分ひとりだけ取り残される。それら戦友たちは、みな死んでいった。いい奴はみんなポルコを残して死んだ・・・。それを、ポルコはフィオに語って聞かせる。そのとき、フィオがポルコの横顔を見ると、豚のはずのポルコが人間にもどって見えた。
きょうは、日ざしが強く、五月をひかえて紫外線がつよくなるので、注意したいなどと書くつもりが、たいへん暗い話になった。日ざしが強い分だけ、にんげんの影の部分に思いがいたったということなのかもしれない。
(『銀河鉄道の夜』の物語設定のことなど、みんな記憶にしたがって書いているまで。どうぞご注意されたし)。