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石原慎太郎さんの「棺をおおいて」定まる評価は・・・ [スピリチュアルな話題]

「まっとうする」とはいい言葉だ。

なんであれ、まっとうすることができたなら、賞賛に値するように思う。

なんらかの仕事をまっとうするというだけでなく、人生をまっとうするとは、まっとうした姿とはどういうものだろう・・・。

社会的立場、知名度が高いほど、人々の注目は集まり、期待が大きければ、いろいろ言われることになる。

『棺を蓋いて事定まる』という言葉がある。人の評価が定まるのは亡くなってお棺のフタを閉じてからという意味だという。出典は晋書だそうだ。

その点、石原慎太郎という人物は、どのように評価できるのだろう。上の言葉には、『棺を蓋いて事定まる』だけに、生きているうちに評価を安易にしないようにという意味もあるという。「晩節を汚す」のではなく、「晩節をまっとう」して欲しいものだ。

『聖書』にも「晋書」同様の言葉がある。『名は良い油に(まさり)、死ぬ日は生まれる日に勝る』という言葉だ。

そのことを過去に書いた気がして、調べたら、10年も前の記事が出てきた。ちょうど盂蘭盆の時期に書いている。やはり彼岸や盆にはなんとなく、思いがそのような方に向うらしい。きのう今日と臨死体験やらお棺やらの話になってしまった。

「盂蘭盆」に“聖書”の言葉を一つ
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-08-13-1

石原さんのことは、ここでは書かない。それでも当該ブログで、過去に記事を15ほど書いている。以下、参考まで
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/search/?keyword=%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E6%85%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E

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(以下「晩節を けがす」ではなく「晩節を まっとうする」の例文)

『晩節を全うするに非ざれば/吉田松陰一日一言』

国強く勢盛んなる時は、孰(た)れも忠勤を励(はげ)むものなり。国(くに)衰(おとろ)へ勢(いきおい)去(さ)るに至りては、志を変じ敵に降(くだ)り主(あるじ)を売る類(たぐい)寡(すくな)からず。

故に人は晩節を全うするに非ざれば、何程(なにほど)才智学芸ありと雖(いえど)も、亦(また)何ぞ尊(たっと)ぶに足らんや。明主(めいしゅ)に忠あるは珍しからず、暗主に忠なるこそ真忠なれ。

安政二年十一月十二日「講孟箚記」

【訳】
国が強く、勢いが盛んな時には、誰でもまごころを尽くすものである。しかし、国が衰え、勢いが去ってしまうと、志を変えて敵に降参し、主人を売るようなタイプの人間も少なくない。

だから、人は晩年の節操を全うするのでなければ、どれ程才能があり、頭の回転が速く、幅広い知識があったとしても、尊敬するほどの価値はない。

立派な主人に仕えてまごころを尽くすことは、珍しいことではない。おろかな主人にまごころを尽くすことこそ、本当の忠臣である。

https://www.facebook.com/syoin.yosida/posts/498385750196759から引用
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