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鶴見和子逝って・・・ [歴史雑感なぞ]

きょうは、鶴見和子が亡くなった日だ。

昨日、NHK「こころの時代」をビデオ収録したものを見た。番組は、「ただひたぶるに生きし君 姉・鶴見和子との日々」と題して放映されたもので、鶴見和子の死に際して、その「看(見)取り」を記録したものだ。(本放送は、09年11月29日)

鶴見は、死のひと月半ほど前に、妹の内山章子さんに、死に向かう日々を記録するよう依頼する。妹は、鶴見の勧めで通信制の大学に入ってもいたので、社会学フィールドワークの実際を体験すべく訓練の機会を与えられたといってイイの“かも”しれない。

番組は、生前の鶴見の映像も交えつつ、章子さんが、スケッチブックに記録した鶴見の言葉を引き合いに出しながら進められていく。

この番組は、鶴見和子に焦点が合わされているが、その家族にもレンズは向けられてある。弟の鶴見俊輔も、父親の鶴見祐輔も周辺として登場する。もちろん、記録を依頼された妹の章子さんの談話を通してであるが。

大正生まれの、モガ・モボという言葉がはやり、自由な時代の空気を吸って育ったおしゃれな姉・和子、兄・俊輔と昭和に入って満州事変の年に生まれ、子守唄はお手伝いさんの軍歌という章子さんとでは、「育ちの文化の根がちが」う。

姉・兄たちがハーバードに留学し、いっしょに「交換船」で日本に帰り、敗戦の後は、いっしょに「思想の科学」で仕事をし、その後も、社会的にはなばなしく活躍するなか、章子さんは、からだの弱い母の看病のために学業を中断し、若くして結婚し、主婦として、依頼されたことをこなしつつ、いわば、ずっと裏方の「黒子」のような存在に甘んじてきた。

番組のなかで、姉・鶴見和子のことを「(父の)最愛の娘」「女王さまのような姉」と章子さんは言う。番組収録時ほぼ80歳になっておられる章子さんだから、その言葉からはほとんどガスが抜けて、「達観」の域に至っているが、若い頃は、どれほど羨ましく、また、妬ましく思えたことだろうかなどと想像してしまう。

その「妬み」のなかみを解剖するならば、ほとんど、「出生の時期のちがい」と言ってイイ。もし、日本が日中戦争、日米戦争の泥沼に入り込んでいくことがなかったなら、きっと、章子さんも、姉や兄たちとおなじく、ハーバード大学等に籍をおいて、その後、どこかの教授職を得ていたかもしれない。

章子さんは、姉の「看(見)取り」の機会を得て、はじめて姉と関係とつくれたと言う。(実際の言い回しは、「看(見)取り」をしない限り、姉との関係をつくれなかった」)

「看(見)取り」は、身近と思える家族をより身近なものとするたいへん貴重な結縁の機会となるようである。

それどころか、章子さんは、姉の「わあ驚いた、オモシロイ」という知的活力のようなものを、その死に際して一身に引き受けてしまったような気がするとも言っていた。

なにか、これは、今記していて思い出したのだが、空海がその師から、「瓶から瓶へうつすように」教えを余すところなく伝えられたように、章子さんも、80の老境にあって、姉から「瀉瓶の如く」知的活力を授けられたのかもしれない。

鶴見和子が亡くなって8年たつが、和子の活力を一身に引き受けて、その後、章子さんはいかがされておられるだろう。


老後に学びたい気持ちが溢れ出て、83歳で大学を卒業
軽井沢図書館友の会会長 内山 章子さん
https://www.karuizawa.co.jp/newspaper/people/pp_2013_125.php


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