「豊饒の海」雑感 [本・書評]
「豊饒の海」四部作の「春の雪」を読み始める。
言葉に身体を侵食され身体を取り戻そうと身を焦がした作家ならではの文章である。
他の三島作品にまさって、古語、漢語が多用されているのではないかと思う。語彙の豊かさを誇るかのような作品である。
「言葉の海」という語がある。言葉の豊かさ、広がりを、広大な海にたとえていう語である。その点で、この作品はたしかに「豊饒の海」にちがいない。
この作品は、自分の身体を侵食し、奪い、焦慮させた言葉への復讐を意味しているのかもしれない。
言葉との訣別。言葉を捨てて、一挙に、肉体の回復を図るための助走をなしたのかもしれない。
ちょうど、「午後の曳航」の少年が、“かつて、自分にとって英雄であった”船乗りを毒殺するために準備期間を設けたように、言葉を殺すための、長くつらい時期を、長編小説というカタチで用意する必要があったのかもしれない。
蚕が糸を吐き出し、潰え尽くして、自分を保護する繭をつくり、変体を図るように、三島が、言葉を脱して肉体を獲得し、真のメタモルフォーゼを遂げるために用意したのが、「豊饒の海」四部作だったのかもしれない。
言葉に身体を侵食され身体を取り戻そうと身を焦がした作家ならではの文章である。
他の三島作品にまさって、古語、漢語が多用されているのではないかと思う。語彙の豊かさを誇るかのような作品である。
「言葉の海」という語がある。言葉の豊かさ、広がりを、広大な海にたとえていう語である。その点で、この作品はたしかに「豊饒の海」にちがいない。
この作品は、自分の身体を侵食し、奪い、焦慮させた言葉への復讐を意味しているのかもしれない。
言葉との訣別。言葉を捨てて、一挙に、肉体の回復を図るための助走をなしたのかもしれない。
ちょうど、「午後の曳航」の少年が、“かつて、自分にとって英雄であった”船乗りを毒殺するために準備期間を設けたように、言葉を殺すための、長くつらい時期を、長編小説というカタチで用意する必要があったのかもしれない。
蚕が糸を吐き出し、潰え尽くして、自分を保護する繭をつくり、変体を図るように、三島が、言葉を脱して肉体を獲得し、真のメタモルフォーゼを遂げるために用意したのが、「豊饒の海」四部作だったのかもしれない。