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徹子の部屋:「奇跡の書道家」金澤翔子 [スピリチュアルな話題]

『徹子の部屋』に金澤翔子ちゃんが出演していた。「奇跡の書道家」と番組欄に出ていたので誰かと思ったら翔子ちゃんのことだった。

「翔子ちゃん」と、気安く「チャンづけ」で書いているが面識はない。

今年に入ってからだったろうか、NHK教育の「こころの時代」で翔子ちゃんを知った。たいへん親しみを感じた。書家である以前に人間として魅力を感じた。


翔子ちゃんの誕生時、母親は、娘がダウン症であることを知って、絶望の淵に立たされたが、その成長の過程のなかで、多く得がたいものを得てきたというような話しを「こころの時代」でしていた。

印象に残ったのは、翔子ちゃんの家の書道教室にやって来る自閉症ですこしも落ち着きのない子が、翔子ちゃんに諭されると、すなおに自分の席に着いて、手習いを始めるという話しだった。

しばらく前に、ゾウのインディラとその飼育員の落合さんのことを当該ブログに書いたが、落合さんにすなおに従うインディラのことを思い出した。
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2008-08-11

きっと、翔子ちゃんの精神のふかいところに、人のこころを落ち着かせるやさしさが深々と湛えられてあるのであろうと思う。


もうひとつ印象に残ったのは、初めて個展を開いたときの、元同級生のことばだ。翔子ちゃんは、特殊学級ではなく、小学校時代いわゆる“健常児”と一緒に学んでいたのだそうだ。当然ながら、いつもなにをやってもビリだった。ところが、翔子ちゃんの個展を見に来た(一流企業かなにかに勤めている)元同級男子が、お母さんに言ったそうである。

「いつもビリだった翔子が、一番になっちゃったなぁ」。


話は飛ぶ。

最近見て面白い番組に「バリバラ」がある。NHK教育の「バリアフリー・バラエティー」の略である。

障害者が多数出演する。重度の脳性マヒの女性の発話をただしく聞き取れるかどうかを試されるヘルパーたちが、聞き取りの能力の欠如を嘆くといった趣向のコーナーもある。

そこでは、脳性マヒの障害者の発話能力のデキナイ点ではなく、健常者の聞き取り能力のデキナイ点が笑いの種にされている。


翔子ちゃんは、小学校高学年になったときに(だったと記憶しているが)学校側から、ダウン症児の行く学校に転校するように勧められ、親子はそれにやむをえず従ったという話だった。学校側としては、障害者である翔子ちゃんの安全を十分保証できないことなどを理由にソノヨウニ転校を勧めた(ように覚えているのだ)が、ソノヨウナ「親切な配慮」は、ある意味において、「ひとつの差別」と言いえるかもしれない。いずれにしろ、ソノヨウナ配慮が学校側にとっては“管理上”有効なものではあったとしても、子供たちにとっては“教育上”多くの得難いものを得損なわせるものとなったように思いもする。


健常者も障害者も一緒に学び一緒に暮らせる環境をつくるのは大切だと思う。そうして初めて互いの違いを知ることもできるし、そうしたチガイ(それは優劣と言い換えることもできる)を知ってこそ、健常者ははじめて思いやりをただしく示すことができるであろうし、また逆に、多くの得難いものを学びとることもできるように思う。


天使の正体―ダウン症の書家・金澤翔子の物語

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愛にはじまる―ダウン症の女流書家と母の20年

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