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「シューシャイン・ボーイ」(芸術祭参加作品) [ドラマ]

ひさしぶりにテレビ・ドラマを見た。

「芸術祭参加作品」とあるので期待した。配役もよいように思えた。

しかし、放映するのが、「テレビ東京」でなければ、たぶん見なかったかもしれない。これまで、「テレビ東京」で放映されるドラマの丁寧なつくりに感心してきたことが、今回も視聴する動機づけになったように思う。

といっても、「小石川の家」「赤西蠣太」など非常に限られたものしか見ていないので、見た数はたいしたことはない。「勘弁して」と言いたいくらい敬遠したい正月放送の7時間ドラマなどの例外的なものもあるが、それはたぶん「趣味の違い」といっていいのだろう。正月放映・時代劇の血しぶき舞う凄惨な印象のつくりのものを一度チラと見て、「ああもうダメ」ということに当方のなかでなってしまっている。最近のソレはどうかわからないが、そいう例外があっても、放送局全体として、「テレビ東京」のドラマは、たぶん丁寧でよくまとめられているだろうと感じている。きっと、いいプロデューサーがいるのだろう。

「シューシャイン・ボーイ」は、浅田次郎さんの原作ということだ。(自分は、原作を読んでもいないし、見てもいないのだが、たいへんヒットした映画)『鉄道員(ぽっぽ屋)』は、涙なみだなくしては見ていられないようなモノだったと聞く。なるほど、そのような作者による作品なのだなと、今日、「シューシャイン・ボーイ」を見ながら思った。

あらすじは、ヤフーのサイトに紹介されていたものを、最後に掲載するが、作品全体からただよって来るものは、人間の哀感である。どんな社会的立場の人も、いろいろな過去をひっさげて生きている。そのことを、いたわるように、いとおしみつつ作品はつくられているという感じがした。

東京が戦後の焼け野原の時期、そこに生きた人々の遠くつらい(しかし、そうではあるが、そのような修羅場をたしかにくぐり抜け、生きつづけてきた者だけがもつ自負をともなった)経験、それが伝わってきた。悲しい場面でないのにもかかわらず、涙が出てきた。「人間ってカナシイネ」という感じである。人間存在ソノモノがもつかなしみがにじむように伝わってきた。


見ていない人にはザンネンでしたと言いたい。実際の放送時間から考えて立派に映画作品としても通用するものだ。配役として、安田成美ではなく牧瀬里穂の方がよかったのではないかなどと勝手に思いながら見ていたが、どちらにしても、作品全体の出来からいくならさほど重要ではないだろうと感じた。


先回更新したスティーヴン・キングの『死の舞踏』の第4章はキングの自伝的な章となっているが、キングはそこで、自分がホラーに関心をもつきっかけとなった子ども時代の出来事について書いている。彼は、そのことをたとえを用いて説明する。ダウジング・ロッドが地中の水の在り処をさぐり当てた経験をひきあいに出している。要するに、ホラーに感心をもったのは、そのような人知(自分)を超えたところからきているというように書いている。

なぜキングなどを突然はなしに持ち出したかというと、ドラマを見ていて、自分の子供のころを思いだしたのである。むかし「男はつらいよ」が始まる前、同じ渥美清主演で「泣いてたまるか」というのがあった。殿山泰司がおやじ役のドラマ(たぶん)「シャーケー大ちゃん」というのがあった。どちらも、人間の生きていくうえでの哀感を描くようなドラマであったと思うが、子供のころ、まだ学齢前の時期に、当方はテレビに釘づけになって見ていて、母親は、果たしてわかるのだろうかと子供のわたしを見ていたそうである。

子供といってバカにしてはいけないのだ。きっと同じその頃、ドラマで八百屋の嫁しゅうとの関係が扱われたものがあった。祖母と一緒に見ていたのだが、そのドラマのなかで、嫁は近所の奥さんが当時貴重であった玉子を万引きする現場を見てしまうのである。そのことを姑に報告すると、常連の客であるということでトガメることをしないばかりか、嫁をたしなめるという話であった(と思う)。そんなこんなの中、嫁しゅうとの関係が徐々に良くなっていくという話だったと思う。「ああ、人間の世界というのは、杓子定規ばかりにはいかないのだな、家族といってもいろいろタイヘンなのだな」という思いをもったように思う。きっと、「杓子定規」などという言葉はしらないにしても、そのような情感をもったにちがいない。今でも、覚えているところをみると、よほど印象的であったのだろうと思う。

話がわたくしごとになってしまったが、ドラマを見ていて、自分の場合、ダウジング・ロッドは、ホラーではなく、人間の哀感、「人間ってかわいそうだね」というところを指し示すのかなと思ったということを言いたかったのだ。そして、そのような傾向をもつ当方を、「シューシャイン・ボーイ」は、十分に満足させるだけの力をもった作品であったということだ。

見そびれた方には、ザンネンでしたと言うほかにない。
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(以下、ヤフーのテレビサイトより、全文引用)
芸術祭参加作品「シューシャインボーイ」
戦災孤児から一代で会社を築きあげた男と、新宿大ガード下の靴磨きとの絆を通して戦後を生きた人々の思いを描く、切なく、ちょっぴりほろ苦い大人のファンタジードラマ。
塚田文雄(柳葉敏郎)の以前の仕事は地銀の課長職。メガバンクとの合併の際、部下や同僚のリストラを命じられた。塚田は、組織や人の冷たさを感じ、“こんな世界で生きてきたのか”と嫌気がさし、自ら退職。そんな過去を隠し、半年前から、食品会社「アカネフーヅ」の社長・鈴木一郎(西田敏行)の専属運転手として働いている。ガサツに見えて繊細で、剽軽なところもある一郎。人間味溢れる一郎と毎日を過ごすうちに塚田は、今日はどんな顔で戻ってくるかと楽しみになっていた。人と関わるのが嫌で始めた仕事だったが、人の温もりを感じるようになり、今では帰宅後、妻の敬子(安田成美)に楽しそうに仕事の話をするほどになった。ある日、一郎の持ち馬『シューシャインボーイ』が競馬レースで勝利した。しかし、一郎は祝賀会に参加せず、さっさと車に乗り込んでしまう。新宿“角筈の大ガード下”へ行くよう指示された塚田は、言われるままに新宿へ…。一郎の目的は、そこにいる初老の靴磨き(大滝秀治)に靴を磨いてもらうことだった。余程この靴磨きの腕を買っているのか、週に一度は通っている。一郎がそこまでして通い詰める理由が気になった塚田は、夫婦で一郎宅に招待された日の帰り、敬子とその靴磨きを訪ねることに。後日、その靴磨きに会いに行ったことを告げると、一郎は「たかが運転手のくせに余計なことをするんじゃねえ!」と激高。一郎の運転手として過ごす日々に楽しみを見いだし、行員時代よりも幸せだと感じていた塚田は、「たかが運転手」とまで言われ、一郎に裏切られた気になるのだった。 一郎がそこまで激高した理由は、一郎と靴磨き・菊治との関係にあった。終戦後60年以上経った今も、靴磨きの仕事を続ける菊治。その菊治の元へと通い続ける一郎。一郎が菊治を訪ねる本当の理由とは…。菊治は、なぜ一郎のことを知らないと言ったのか…。そして、一郎が塚田に託す、思いもよらない結末とは…。
出演
 鈴木一郎…西田敏行  塚田文雄…柳葉敏郎  塚田敬子…安田成美  鈴木園枝…星由里子  志津子 …余貴美子  鈴木菊治…大滝秀治
スタッフ
【原作】浅田次郎(文春文庫刊) 「シューシャインボーイ」「月島慕情」所収 【脚本】鎌田敏夫 【監督】石橋冠
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