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“石松の名言”が世界をいやす? [写真記録ベトナム戦争]

NHK『知るを楽しむ』〈人生の歩き方〉に、

石川文洋さんが、《戦場を撮る 人間を撮る》というテーマで、4回出演した。その最終回を、昨晩見た。

(ザンネンながら、初回のほとんど、2回目、3回目を見落とした。)


戦争の悲惨さの認識の欠如が、戦争をいまだに繰り返させているという主旨の発言を石川さんは、されていた。


なるほど、そのとおりであろう。

戦争が悲惨なものであることを、一番よく知るのは、経験者・実体験者である。

実際に、そのような方のお話をお聞きすると・・・、
「もう、こりごりである」といい、戦争を、憎む。


戦争を知らない世代にとって、戦争の悲惨さを知るうえで、写真・映像の力は大きい。

それらを見て、イマジネーションを働かせるなら、実体験者のような気持になれるかもしれない。

「もう、こりごりである」と・・・。


そういう意味で、文洋さんのモノをはじめとして当時の(そして、最近の戦争の)映像を見ることはよい。

だが、人間のもつ想像力に希望をおきたいのはヤマヤマなのであるが、現実に、これまでの歴史の中で、ソレが有効に機能していないのも事実だ。現に、山のような戦争の映像が世界中にありながら、相変わらず戦争はヤマナイ。

と、なると、ヘンなハナシだが、戦争の悲惨さを知り、繰り返すのをやめるためには、戦争を実体験するのが一番手っ取り早いということになるのかもしらない。

人がナグラレルのを見るのと、実際に自分がナグラレルのとで、どちらが痛みを実感できるかといえば、自分がナグラレル方にきまっている。目をつぶっていても、ナグラレル痛みは、ワカル。


歴史の本など読むと、種々の理由から、「戦争やむなし」という状況にどんどんなっていき、ついには宣戦布告ということになるのだが、たいてい、「戦争やむなし」と言い、布告を出すような方たちは、戦場には出向かない。そして、ヤメルべき時を逸して、おおくの悲惨を増大させてきた。

「言いだしっぺ」とは、だいたいソンナモノなのであろう。


これからは、問題解決の手法として戦争をとりあげる「言いだしっぺ」から先ずまっさきに(次いで、ソレに同調する面々に)戦場に出向き、戦闘に参加していただくのはいいことのように思う。

実際に、戦場を設定すると、その土地が荒廃するので、(ソコで生活している大小の生物たちには申し訳ないが)沙漠のような(もとより)荒廃している土地を借り、(火器を使用すると、沙漠といえども、地球規模では温暖化を促進することになるので、その対価をきちんと支払ってもらったうえで)関係当事国・部族の〈戦争「言いだしっぺ」〉等等を集めて、バトルをしてもらう。

そのうち、痛い目にあって、戦争の悲惨さを実感した人は、やめるだろうし、ワカラナイ人は死ぬまでやるだろうし・・・

そうすると、戦争の好きな人間は、地上から、消えて、本当に平和な世の中がきて、メデタシ、メデタシということになる。

森の石松の「莫迦は死ななきゃ治らない」は、やはり名言ということなのだろう。


イマ、ダレカ、「ハルニナルトショウガネエヤ。バカハオマエダ」ト、イワナカッタ?

戦争中の暮しの記録

戦争中の暮しの記録

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 暮しの手帖社
  • 発売日: 1969/08
  • メディア: 単行本



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