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解放と革命の意味:『写真記録 ベトナム戦争』解説9 [写真記録ベトナム戦争]

石川文洋氏の『写真記録 ベトナム戦争』中の、
丸山静雄氏による解説を先回にひきつづき引用する。

標題は《9.全土解放:解放と革命の意味》

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ベトナム戦争はベトナム民族にとっては民族解放(南の解放、南北の統一)、社会主義革命(北では社会主義建設、南での民族民主革命)の戦いであり、実に救国の戦いであったが、これを世界的規模で見れば、「アメリカの戦争」「世界的な政治戦争」(政治的な世界戦争)という側面があったと思う。

「アメリカの戦争」とは世界で最大の経済力と軍事力を持つとされる大国が展開した、おそらくは最後の大規模な植民主義戦争、帝国主義戦争と見なされた戦いをいう。また、ものの多いこと、大きいことに最高の価値があるとされた資本主義的価値観のもとで戦われる、おそらくは最後の戦争と見なされた戦いをいう。さらに空軍力を主体に機械力によって戦われ、相手国や第三国の立場をあまり顧慮しないで単刀直入におこなわれるという意味で、「現代の戦争」といえるものであった(アメリカの北爆、パレスチナ・ゲリラに対するイスラエル空軍機の報復活動、イスラエル対アラブ戦争)。

「世界的な政治戦争」と見なされるのは三つの理由による。一つはベトナムが、この戦争をベトナムを植民地化し、そこを拠点として東南アジアを支配しようとするアメリカ帝国主義に対する社会主義諸国全体の戦争だと規定し、広く社会主義諸国の支援を受けて戦いをつづけたこと、他方、アメリカがアメリカ的な民主主義と生活様式を守るためといい、あるいはドミノ理論(ベトナムが赤くなれば、日本を含む全アジアが赤くなる)を掲げ、全アジア的な規模で戦争に踏み込み、「参戦国軍」(韓国、タイ、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドの各種部隊)を動員するなど、単なる局地戦争ではなかったことである。

もう一つは、第三世界諸国の多くや資本主義諸国の少なからざるものが国をあげてベトナムの側に立ち、また資本主義諸国の内部でも進歩的、民主的な人たちが一様にベトナム激励に立ち上がるなど、幅広いベトナム支援があったことである。これはベトナム戦争がイデオロギー的抗争を含みつつも、それだけでなく、民族解放の正しいあり方を実証し(反植民地主義闘争と反封建主義闘争と社会主義革命の結合)、人間の尊厳、民族の尊厳といった根源的な価値観の尊さを示す戦いであったという共通の認識が世界各国にあったからであろう。ベトナム戦争が東西文明の対決であったといわれるのは、そのためであろう。

第三は国際政治、国際経済上の理由である。ニクソン大統領はベトナム戦争を収拾しあぐね、その処方箋を求めて北京に赴き、次いで訪ソした。超大国といえども、一国だけの力では世界の諸問題に対処しえなくなったわけで、ベトナム戦争は第2次大戦後の国際政治の構造を変えた。経済的にもドルの激しい流出によってアメリカ経済は危機的な様相を呈し、それを受けて西欧の通貨体制は根底から揺さぶられた。1976年8月の第5回非同盟諸国首脳会議は新しい国際経済秩序の樹立を求める宣言を発表したが、そうした流れをベトナム戦争はつくり出した。

ベトナム民族は、こうした三つの戦いに勝利した。民族の尊厳を世界に認めさせ、社会主義が帝国主義・植民地主義に打ち勝ったことを示し、大国中心の政治、経済構造と、その根底にある西欧的価値観に修正を迫ったのである。これがベトナム戦争の世界史的な意味といわれるものであろう。

南の解放を達成したあと、兵士たちは1号道路を意気揚々と北に引き揚げていった。長く、苦しい戦いは大きな勝利をもって終わり、いよいよ建設の戦いがはじまる。これからベトナムはどのようにして社会主義革命を完成し、正しい革命外交を展開するか、むしろ、そのことによってベトナム解放、ベトナム革命の現代史的な意義はきまってくるのではないだろうか。それを立派になしとげるであろうことを、わたしどもは期待している。
写真記録ベトナム戦争

写真記録ベトナム戦争

  • 作者: 石川 文洋
  • 出版社/メーカー: 金曜日
  • 発売日: 2000
  • メディア: -



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