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開高健『ベトナム戦記』はウソ報告? [言葉*ことば*コトバ]

過日(6/16) 、小林亜星のことを記した時に、古い『サントリーオールド』ウィスキーの宣伝を「ユーチューブ」からリンクした。小林作曲・歌(スキャット)の『夜がくる』の動画はいろいろ種類があるが、開高健の出るものを取り上げた。

1979年 サントリーオールドCM
https://www.youtube.com/watch?v=DBzhhTzTXBY

当方から見れば開高は父親の世代にあたり、世界を駆けまわるカッコいい作家だった。純文学の気の遠くなるような言葉の世界を紡ぐかと思えば、世界各地に赴いてフィッシングに興じ、その紀行をルポに記した。

ルポのなかには(当方未読だが)『ベトナム戦記』もある。当方の得てきた情報・知識では、最前線に出向いて九死に一生を得るような経験もしたように聞いていた。しかし、前線の話しは、「想像(妄想)」の産物であり、「真っ赤なニセモノの叙述」であるという。

「開高健」でネット検索したら、『“うつ病作家” 開高健の実像を暴く』という記事がヒットした。記事を読むと、「開高健」という躁うつ病の持ち主が、鬱状態から自己のバランスを保つために文学的作品を書き、躁状態に海外に飛び出てルポをものしたということになる。

“うつ病作家” 開高健の実像を暴く
https://readyfor.jp/projects/next-japan2018/announcements/69792

執筆者は「仁平宏」となっている。信ぴょう性は、開高についての記述や、執筆者の経歴からいってたいへん高い。それゆえに、開高健・諸作品の文学的価値がどうのこうのということは(ことさら当方の思いのなかでは)ナイが、その事実関係(特にルポの)については、開高自らが経験したことももちろんあるだろうが、他者から聞いたこと読んだことなどを併せて、真実らしく想像をめぐらして記述したモノであることを肝に銘じておく必要がある。

記事の信ぴょう性を確かめるため、仁平宏氏のプロフィルも併せて調べた。二つのサイトに出ていた。ひとつは上記記事の掲載サイトである。もうひとつは、仁平氏のメルマガ『ベトナム半世紀の歩みと未来~ある現地定住者より~』の自己紹介部分である。

ベトナム半世紀の歩みと未来~ある現地定住者より~
https://www.mag2.com/m/0001671624

その経歴からいくと、開高文学はともかくとして、まちがいなく、ベトナムについて知るうえでの第一人者といっていいように思う。

ネットをめぐっていると思わぬ記事、思いがけない人に出会う。


ベトナム戦記 (朝日文庫)

ベトナム戦記 (朝日文庫)

  • 作者: 開高 健
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 1990/10/01
  • メディア: 文庫



下記イメージ書籍について、仁平氏は(『“うつ病作家” 開高健の実像を暴く』で)次のように記している。

《日本で、ベトナム報道の過熱化が始まったのは、一匹狼の岡村昭彦がベトナム戦争の報道と写真でメディア界に躍り出たからである。彼は、1962年にPANA通信社(時事通信社)の契約特派員として南ベトナム政府軍に従軍した。ベトナム取材の成果は、1964年6月12日号の『ライフ』誌上に『醜いベトナム戦争』と題して9ページの写真特集が掲載された。/ 岡村は、1965年3月に「南ベトナム従軍記」を脱稿、ベストセラーになった。彼自身の思想や意見は一切挿入せず、形容詞や副詞のない乾いた文体であり、むしろ恫喝的だ。/ 開高は、岡村以上の迫力ある筆力とスコープ力を朝日から暗黙に要求されていた。》


南ヴェトナム戦争従軍記 (岩波新書 青版 548)

南ヴェトナム戦争従軍記 (岩波新書 青版 548)

  • 作者: 岡村 昭彦
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2021/06/21
  • メディア: 新書



岡村昭彦と死の思想――「いのち」を語り継ぐ場としてのホスピス

岡村昭彦と死の思想――「いのち」を語り継ぐ場としてのホスピス

  • 作者: 高草木 光一
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2016/01/27
  • メディア: 単行本


仁平宏氏プロフィール
1943年、茨城県西茨城郡岩瀬生れ。1962年、インドに入る。サイゴンへ。1963年、慶大経済入学。    再度インドに入る。サイゴンへ。1964年、コルカタ大学入学、慶大中退。1965年、慶大商入学、コルカタ大中退。     サイゴンへ。1968年、マーケティング論専攻。  1970年、慶大商卒業、日本IBM入社。  IBM A/P HQ(極東司令部)に抜擢。1971年、IBM南ベトナムへ。1975年、5月4日、米大使館から米第7艦隊へ脱出。1994年、IBM-Vietnam設立サポート。1999年、IBM勇退。2001年、大和コンピューター入社。2003年、SW CMM 3を達成(中小企業で初)。    2006年、サイゴンに同社100%子会社設立、運営。2013年、同社退職、翌月よりサイゴンに定住。

青春時代はジクザク行進を重ねてきた。私がサイゴン市に初めて入ったのは1962年(昭和37年)、ヒッピーであった。1971年(昭和46年)に、4度目のサイゴン入りはIBM社員であった。恋人の仏系越人をサイゴン陥落時の米軍基地でVCに殺されている。私がここに留まるのは、私の青春時代と同じく、若者に溢れ活気ある世界がここに存在するからだ。残生を第二の故郷であるサイゴンで閉じるつもりだ。現在、サイゴン早慶大学連合会会長。慶応大学には通算7年在籍、27歳で卒業。通常より5年遅れた。40歳で、18歳下の日本人妻と結婚(初婚)。3人娘(既婚)が日本在。平将門の末裔を自認している反逆児であり、憂国の自恃がある。


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